1月も末。 私立大学の大学生は、学年末試験という巨大な恐怖に打ちのめされる。 百々目鬼翠は副業として退魔師をやっているが、本業は私立大学生である。 よって、この災厄は翠にも降り懸かるのであった。 百々目鬼翠。 彼もやはり、人の子であった。 「……おめえ、よくこんなところで勉強できるな」 K県間海(はざみ)市に在する関東大学の、図書館。入り口を入って右手の一 番奥、窓際の席は、いわば翠の指定席であった。 ぽかぽかと太陽が暖かいこの席は、なぜかいつも空いているのである。 いや。 なぜか、ではない。明確な理由が、てんぐの目には見えていた。 霊。 さまざまな霊が、そこに集結していたのである。 もちろん、人の霊ではない。 本の霊である。 よく、「どんなものでも古くなれば霊を持って、場合によっては妖怪となる」 などと言われる。 間違いではないが、正しくはない。 物の霊は、実は物が作られたときから存在する。ただ、物は生きてはいない ので、その霊としての存在はごく微かで、霊視能力を持つ者にさえ見えない。 しかし、歳月を経て人の想念を吸収し、強化された霊が多数存在する場所で は、ごく新しい物の霊も見る間に成長を遂げる。 図書館とは、そういう事が起こるのにうってつけの場所であったのだ。 そしてなぜかこの窓際の席の周辺には、この図書館中の霊のかなりが、集結 しているのであった。 さすがにこれだけの密度となると、霊的感覚が全くない人間にも影響がある。 妙に落ちつかなくなるのである。 なにせ、何万冊という本の霊が集まって騒ぎ立てているのだ。 「やかましくねえのか? 」 「いやあ……慣れてますから。それに、わりと……」 「やっぱりここだったかね、百々目鬼君」 一人の男がつかつかと歩み寄ってきた。 ぼさぼさの頭、よれよれの白衣。 典型的な、学者風の男である。 しかもその顔は、理系。 「なんだ? このおっさん?」 「む、何だとは何かね。君はここの学校の生徒か? うむ、でかいな、うむう む。身長は2メートルはあるかね? 体重も120キロぐらいはありそうだな。 では、ひとつ良いことを教えておこう。人間という動物は、元来そういうスペッ クを持つような身体構造をしていないのだ。 そうだな、おそらく190センチが 限界だろう。すなわち、君の身体は少々無理をしていることになる。いやなに、 今は確かに健全そのものに見えるが、歳をとってくるとその影響は如実に現れ て来るぞ。うむ、特に注意が必要なのは循環器系だが、骨も気をつけねばなら んぞ。最近は骨粗鬆症が流行のようだが、あれは実は日本人の食生活の変遷に も重大な原因があるのだ。うむうむ。もっとも、かつての日本人より栄養状態 がいいというのは事実であるがな。欧米人はもともとそういう食慣習であった から、長い間にそれなりのバランスが取れるような食べ方になっているのだが、 日本人は形だけ輸入したのでまだバランス調整が上手く行っていないのである な、うむ。そもそも日本文化というのは、外部からの影響に対して非常に柔軟、 悪く言えば無節操に見えるが、なかなかどうしてそれなりに頑固な一面も持っ ているのだ。例えば……」 「先生先生」 目を白黒させるてんぐを慮かってか、翠が口を挟む。 「何か御用があったのではありませんか?」 「うむ、そうであった。実はな、百々目鬼君。またひとつ、本の所在を捜して 欲しいんだが……」 一枚のメモを差し出す。 「はい? ええと……『狂えるアラブ人の書』ですか」 翠は、二言三言空に向かって……実際は本の霊達に向かって問いかけ、その 答えを得た。 「いやあ、いつもすまんね。君が私のゼミの生徒なら、迷わず百点満点の優を 上げるんだがね」 「僕は一応、経済学部なんですが……」 「そうだ、そもそもそれがいかん。なぜ理学部に来なかったのかね。天才たる この僕が、直々に超越科学を教えてあげた物を……いや、まあしかたが無いな。 ともかく、ありがとう」 男は、踊るような足どりで立ち去った。それが本の所在が判ったうれしさ故 なのか、それとももともとそういう歩き方なのかは謎であるが。 「なんだ、ありゃあ」 「理学部の、新谷先生ですよ。名物教授なんです」 「ふーん……しかしおめえ、いつもああやって本の物霊達と話してんのか? 俺なんて、連中が何言ってるかさっぱりわからねえぞ?」 「まあ、こつがあるんですよ」 「こつってもんじゃねえと思うが……まてよおめえ、さっきから全然試験勉強 してる様子がないが、もしかして本の物霊に……」 「……え? ノーコメントです」 天使のような微笑み。だが。 ああ、百々目鬼翠。 彼もまた、人の子なのであった。
本作品は完全なフィクションであり、登場人物及び団体名は、実在のものと は一切関係ありません。 UG-NET #41 たぬきむ
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