第三話


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第三話


「綾里、綾里。しっかりしなよ」
 綾里はうずくまり、小刻みに震えていた。歯を食いしばり時折荒い息を吐く。
「葛さん大丈夫ですか」
 友恵は綾里の背をさすってやっている。すると少し楽になったのか、綾里が
大きく息を吐く。
「蒼井さん、わたし葛さんを保健室に」
「あ、お願い。私は……ちょっと確かめたい事があるの」
 廊下を遠ざかって行く二人の背を見送り、
「ほ、ふぅ」
 かるらは壁にもたれ一息ついた。
 綾里の様子がおかしくなった時……何かが変だった。綾里がうずくまったの
も、おそらく……それが原因だろう。
 具体的に何が変だったのか……思いだそうと目を閉じ集中する。その時眉間
に指をあて、しわをよせているのはかるらの癖だ。
 まわりに変わった事はなかった。いつもと違う事と言えば伊部先生が居る事
だが……それがどうかしているとも思えない。
 なにか、なにかあったはず。確か……
 ガラッ、ばんっ!
 かるらのすぐ横にあったドアが乱暴に引き開けられた。
 クラス委員の性か、かるらは思わず扉を開けた主に注意をとばした。
「ちょっと、もうちょっと丁寧に扱いなさいよ。ただでさえ立て付け悪いんだ
 から」
 しかしそのかるらの目に飛び込んで来たのは……
「……亀……?」
 そう、巨大な亀−−ひれを持っているから海亀だろう。ただし直立歩行する
亀がいれば、の話だが−−が今まさに教室から出て行こうとしている所だった。
「…………」
 亀はかるらに一瞥をくれると、そのまま階段に向かって歩き始めた。
 あまりの出来事に、かるらにはその甲羅をぼんやりと眺めている事しかでき
なかった……。


 同時刻、屋上。
「鬱積した心が位相をねじ曲げましたか……」
 久慈郎は昼休みの一服を、屋上で楽しんでいた。人払いの結界を張ってある
ので、誰にも邪魔される事はない。
「それとも精神が具象化しましたか……亀になりたいなんて、何を考えてい
るのか聞きたいですね」
 口にマイルドセブンを咥えたまま、久慈郎は喉で笑った。
 彼の眼下には生徒達がサッカーやバレーに興じている、昼休みの校庭が広が
っている。しかし、彼はそれを眺めながらも、別の物を眺めていた。すなわち、
先程かるらの前を通り過ぎて行った亀である。
「まあ、僕には関係ない事ですね。一つだけ心配なのはあの子達が巻き込まれ
た時ですけど、その時は……消してしまいましょうか」
 そう言うと久慈郎は、なんとも楽しそうに……子供が秘密を皆に教える時
のように……うつむき、くっくっくっ、と喉を鳴らすのだった。



第四話

 保健室には綾里と友恵の二人だけであった。どうやら先生は今は居ないらし
かった。
「もう大丈夫だから……」
 綾里はそう言って身を起こそうとするが、腕に力が入らないらしく再び崩れ
るように倒れる。
「ほら、まだ立てもせえへんやんか。もう少し寝ときよ」
「うん……」
 と、そのとき。ドアを引き開ける音に気がついた二人が振り向くと、かるら
が保健室に入ってくる所であった。
「あ、蒼井さん。気になる事ってなんやったん?」
「……亀を見たの。立って歩く、人間くらいのやつが居たのよ」
「……亀?」
 友恵があきれたような声を上げるが、綾里の顔は青ざめていた。
「綾里も見えたんだ……」
 問われて青ざめたままこくりとうなずく綾里に、友恵が問いかける。
「亀を見たから気持ちが悪くなった……ってことはあらへんよね? 変な話し
 やけど」
 かるらは肩をすくめる。
「さあ。とりあえず……なんか妙なことが起こっているのは確かなようね。白
昼堂々と人間大の亀が教室から出て行くなんて、まともな出来事とは思えない
もの……」
 そう言うと何からカードを取り出したてシャッフルしはじめた。
「タロットカード?」
「そ。私の占いは結構当たるのよ。まああんな妙なことが有ったらこれくらい
しか頼るものはないし……」
 


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