エピソード『奇妙な客』
FROZEN ROZESにて。
めずらしいことに、その夕、一人目の客は、ほっそりとした女だった。黒のスラックスに白いシャツブラウス。黒い大きな肩掛け鞄とジャケットをまとめてかかえ、影のように店内にすべりこんできた。地味な装いだが、どことなし花がある。
そういう客も、ないわけではない。バーの外観に惹かれた、と言って入ってくる、自称詩人やら何やら。
氷冴は、くすりと笑うとやわらかく声をかけた。
- 氷冴
- 「いらっしゃい」
女は軽く会釈すると、カウンターに席をとった。化粧気のない、すっきりとした美人だった。涼しい目元と気持ち良く通った鼻筋が特徴といえばいえるだろう。
- 氷冴
- 「何にします?」
さしだしたリストに目を落していた女が、ふ、と嬉しそうに顔をあげた。
- 女
- 「泡盛、あるんですね」
少し掠れ、少し甘さをふくんだ声。
- 女
- 「それ、コーラで割っていただけます?」
氷冴の手元を見るでもなく見ないでもなく、
- 女
- 「ほんとはもう……飲むのやめようと思うんだけれど、疲
れちゃって」
- 氷冴
- 「お仕事?」
- 女
- 「ううん、仕事探し」
氷冴の差し出したグラスをあっさりと空け、二杯目を注文する。
- 女
- 「同じもの。でも、もう少し、濃いのがいいな」
そう言って、少ししどけない笑みを唇に浮かべる。さっきまでのひっそりとした娘が、と思わず呆れるほど、艶やかな笑み。頬に指をそえる仕草が、妙に様になる。なりすぎる。
- 氷冴
- 「女優さん?」
- 女
- 「の、タマゴ。あ、わかります?」
やっぱり、”そっちのほうの客”か。でもまあいいわ。この娘かわいいもの。
- 女
- 「ママ、ここ一人でやってらっしゃるの?」
- 氷冴
- 「見てのとおりね。……おやおや、こんなとこでまで仕事
探し?」
女はきまりわるそうに、曖昧に口元をゆがめる。
- 女
- 「言って、みただけです」
そして、唐突に黙り込んだ。まだ、二人目の客のないのをよいことに、氷冴は女の仕草をぼうと眺めている。グラスをもてあそぶ指、ふ、と宙に視線を泳がせる時の肩のかすかな揺れ、滑り落ちた素直な黒髪を後ろにかきやる手首の反り。
絵になること。こういう客も、いいわよね。肩が凝らなくて。
しばらくして、女は席を立った。勘定をすませ、ドアに手をかける。からん、とドア・ベルが鳴った瞬間、殆んど反射的に氷冴の手は動いていた。透明な響きとともに、氷の花が壁に砕けた。
- 鷹央
- 「危ねえなぁ……。さすがに、ばれたか」
ぎりぎりのところで呪符をかわした女、いや、男は、それでも屈託のない笑みを浮かべて見せた。
- 氷冴
- 「あんた、何なの?」
- 鷹央
- 「役者」
- 氷冴
- 「そりゃそうでしょうが」
ドアのところにいるのは、すっきりとした顔立ちの青年である。口紅を拭いとったその顔は、どこをどう見ても男のそれである。
- 氷冴
- 「よくまぁ、化けること。それがあんたの素顔なの?」
- 鷹央
- 「たぶんね」
出ていきがけに、わずかな気を察知しなければ、ころりとだまされたのかしら。
- 鷹央
- 「でもまぁ……やられたなぁ。幕引く前にひんむかれたの
は初めてだ」
- 氷冴
- 「まぁ残念。修行がたりなかったのね、坊や」
言いながら、おもわず笑っている。
- 鷹央
- 「また、来ます。旨いゲンバクの飲めるの、わかったから」
- 氷冴
- 「え、何?」
- 鷹央
- 「あ、さっき頼んだ奴。でもまあ、リストには載せない方
がいいと思う。あんまり上品な代物じゃないそうだから」
からん、とベルの音だけが残る。もうそろそろ、いつもの客たちの来る頃だ。しばらく歩いて、鷹央はふりかえった。
- 鷹央
- 「やっと……ひとつには追い付いたな。兄貴の足跡に」
化けものじみた演技力をもつ(と言われる)役者、我那覇鷹央(がなは・ようおう)の紹介エピソード。その最高技能は、じつは幻覚投影能力です。
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