エピソード『役者の位置』
- 薔氷冴(みずたで・ひさえ)
- バー FROZEN ROSES の経営者。呪符使い。
- 我那覇鷹央(がなは・ようおう)
- 老若男女どんな人間にも化けられる役者。
FROZEN ROSES。
からん……開店を待っていたかのように、その影は店に滑り込んできた。
- 氷冴
- 「いらっしゃい……あら」
黒い大きな肩掛け鞄を抱えたその青年は、入口で一瞬立ち止まり、それから小さく笑った。
- 鷹央
- 「今日は……花はなし?」
- 氷冴
- 「下手な役者に花束贈る趣味はないの」
- 鷹央
- 「やれやれ……嫌われたかなぁ」
言いながらカウンターの上に鞄を置き、周囲を見回す。
- 鷹央
- 「ああ……ピアノがあるんだ」
返事を待たずに、店の奥へ行く。ちょうど影になった片隅の、ふるびたアップライトピアノに軽く手を触れる。
- 鷹央
- 「ママ、これ、弾いてみてもかまいませんか?」
- 氷冴
- 「……音は保証しないわよ。もとはいいものらしいんだけ
ど、長らく調律してないから」
その言葉を背中に聞きながら、青年はピアノの蓋を開ける。ばらばらと音階と分散和音を流し弾き、音を確かめ……
- 氷冴
- 「……へえ、上手いじゃない」
ものうげなメロディが流れだす。そして、それに絡むように…………ものうげな女の歌声。青年が……いや、人生の重みに面やつれした女が、肩越しにふりかえる。
- 氷冴
- 「……」
- 鷹央
- 「……ねえママ」
女の声。
- 鷹央
- 「あたしのこと、雇わない?」
- 氷冴
- 「さあね」
- 鷹央
- 「これが気に入らないなら、こんなのでもいいけど」
歌声が、急に、深い男のものに変わる。
- 氷冴
- 「……あきれたわね」
- 鷹央
- 「インテリアとしちゃ、結構役に立つ」
- 氷冴
- 「人は雇わない主義なの」
- 鷹央
- 「出入り自由で、この席に居続けさせてもらえればいい。
あと、衣装を置くのに小部屋でもひとつ使わせてもらえれば、ありがたい。……その程度だが」
- 氷冴
- 「変わった坊やだこと。そんなにこの店が気に入ったの?」
- 鷹央
- 「……少し前、俺の兄貴が奇妙な死に方をした。この吹利
にいるはずの家出人を探している途中だった。
……手がかりが、欲しい。兄貴と、家出人に関わる何かが。この店に通えば、噂のきれっぱしからでも何か拾える、と……そうだろう?」
- 氷冴
- 「……そういう客も、いるわね。その一人じゃ、いけない
の?」
青年は、ピアノを弾く手を止めて振り返り、邪気のない笑いを浮かべた。
- 鷹央
- 「そりゃ好みの問題だよ、ママ。少なくとも俺は、客席よ
りステージにいるのが好きなんでね」
- 氷冴
- 「なるほど……役者が立つべき場所……ね」
くす……いつもの人懐こい笑顔を浮かべる氷冴。
- 氷冴
- 「いいわ、役者は……役者が立つべきところにいるものよ
ね」
- 鷹央
- 「ママ、それじゃ」
- 氷冴
- 「約束よ、最後の一曲は必ず私のために弾いてね」
- 鷹央
- 「それはもう、必ず」
- 氷冴
- 「嬉しいわね」
再びピアノを奏でだす鷹央、カウンターに戻り、静かに音色に耳を傾ける氷冴。古びたピアノを奏でる鷹央。不思議ともう何年もここで働いているかのように、店に溶け込んでいる。
- 氷冴
- 「気まぐれ……か、それとも……何かが変わってきたのか
しら……ね」
氷冴の小さなつぶやきは……誰に聞かれることなく……ピアノの音色にかき消された。
エピソード『奇妙な客』の直接の続編になります。伏線として語られている兄の死の謎についての全体の話が組みあがっていれば、その中の一遍としてまとめたほうが良かったのかな?
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