「ん……」 なんか、変な感じ。長い夢からさめたような、そんな印象。体がだるいとい うか、しっくり来ないというか……。 ぼんやりした頭で眼鏡を探していると、どこからか男が声をかけてきた。 「お目覚めのようだね、新入り君」 「……なっ、なによあんた!」 ひとの寝室に入ってくるなんて、なんて非常識な。……あ、痴漢!? 混乱しつつもようやく見つけた眼鏡をかけて、あたりを見回す。――ベッド はいつも通りなのに、部屋は別物。ここは私の部屋じゃない。 なんて殺風景な部屋なんだろう。コンクリートの打ちっぱなしで、鏡台もタ ンスもコンポもないし、壁には寝る前に張ったはずのポスターもない。あるの は今いるベッドと、愛用のカメラ、そして枕もとの見慣れない制服のみ。とて もじゃないけど、いったい何がどうなっているのか理解できやしない。夢かと 思ったけど、どうも感じが違う。夢ならこんなにはっきりとは物を考えられな いはずだし。 ……あ、居た。部屋の入り口で詰め襟姿の男がたたずんでいる。中肉中背、 どこといって特徴のあるように見えない顔立ち。左の二の腕にはなにやら腕章 をつけていて、右手にはマイクらしいものを持っていた。いったい何者なんだ ろうか。いえ、それよりもいったいに何をしに来ているのかのほうが大事かな。 「えーい、この変態っ!!」 とりあえず枕を投げて牽制してみることにした。口調ほど混乱はしいないつ もり。わけが分からないのも確かだけど。 枕はみごと命中――したはずなのに、男は動じた様子も無い。まるでなにご とも無かったかのように突っ立っているじゃない。確かに、変。 「気はすみましたかね、桜井恵美さん」 桜井恵美。確かに私の名前ね。相手は私のことを知っているみたいだけど、 こちらは何も分からない。ちょっと気に食わない状況よね。 返事をしないのを気がすんだ証拠と見たのか、それともあっけにとられて何 もできないのだと判断したのかは知らないけど、男は続けた。 「ようこそ、無限都市へ」 満面に笑みを浮かべる。なんとも気に食わない笑顔だった。多分悪意は無い、 でも善意も無い。そんな印象を受ける。 ところで「むげんとし」って何なんだろ。いまだに状況が分からないことも 気に食わない。この男のもったいぶった雰囲気も気に食わない。いらいらする。 しかたがない、聞いちゃえ。 「ようこそってことは歓迎してもらえていると思っていいんでしょうね? じゃ あ教えて。無限都市ってなに? 私はなんでこんなところに居るの? 私のう ちにはちゃんと帰れるの? それと……あ、そっだ。あんたって、何者?」 質問を矢継ぎ早に浴びせかけても、まったく動じた様子は無い。憎たらしい ほど落ち着いている。口元には笑みを浮かべたままだし。なんだか知らないけ ど見ているだけで腹の立つ男ね。 「質問はそんなものかな。ではお答えしよう」 なんかいらいらすると思ったら、こいつ、言葉遣いも立ち居振る舞いも芝居 がかったところがあるんだ。だからいらいらしちゃうんのかと納得した。 「私の名は鳴実圭。報道部の部長だ。君を報道部専属のカメラマンとしてスカ ウトしたくて無限都市にて目覚めたばかりの君のところを訪れさせて頂いた。 だから当然歓迎しに現われたわけだな。 無限都市とは君と私がいま現在存在するところの、この世界のことだ。今の 部屋しか見ていない君にとっては理解しがたいことだとは思うが、この世界は 君が今までいた現実世界とは異なった法則のもとで動く別世界なのだよ」 「別……世界……!?」 正直いって、鳴実圭とやらのあまりにさわやかな弁舌を信頼しているわけで はないけど、ここが別世界だというのはなんとなく納得がいった。少なくとも あやつが誘拐団のリーダーで私が囚われのヒロインであるとか、実はテレビ番 組のいたずらであるとかいった話よりは納得しやすいような気がする。……コ バルト文庫の読みすぎなのかな? 「そう、別世界。二次元平面上に存在する、知られうる限り無限に広がる巨大 な都市。それが無限都市さ。君のように地球からやってきた人間もたくさん存 在しているから、安心していい。飛ばされてくる理由や原因はまったく不明だ がね。 ああ、そうそう。知られている限りでは地球に戻ることができたという確実 な話は存在しない。無論うわさや伝説・伝承のレベルではいくらでもあるけど ね。戻ることができるとは期待しないほうが精神衛生上よろしい」 元の場所には戻れない……? 恐くて当然なのに、絶望して不思議はないの に、なぜか実感が沸かない。戻りたいという気さえしなかった。そんな自分が 一番不思議に思えた。私ってこんなに強いほうだったっけ? 「君はここに向いていると、私は思うな」 鳴実はにっこりと笑った。すべてを理解しているような、笑み。今までは気 に入らなかったけど、今度は反発しなかった。もう慣れてしまったのかな……。 「そうそう、一つだけ忠告しておくよ。無限都市では死は一時的なものにすぎ ない。その日の記憶は無くなるが、前日の午後12時にいた場所から再出発でき るんだ。 まあなんだ、RPGってのがあるだろ。あれで12時に自動でセーブされ ているようなものだと思ってくれればいい」 「……変なの」 「確かに。その変な世界法則のせいで、午後12時の居場所には十分に気をつか う必要がある。復活する場所を敵に知られていては何度再生しても酷い目にあ わされるだけだからな」 「敵……?」 なんか話が恐くなってきた。妙な話よね、敵ってのは。 「無限都市の生活はあまり穏やかなものとはいいかねる物なんだよ。何度死ん でも復活できるせいなんだろうけど、みんな好き勝手に異常な行動ばかりした がる。人間の業ってやつだろうな。結局、もっとも好まれる遊びは殺しあいと いうことになってしまっているのさ」 「……分かった。再生する場所のことが知られていると、何度も何度も好き放 題に殺されちゃうのね。だから毎日気をつけてどこかに隠れないと駄目ってこ とね」 我ながら順応は早いらしい。変な話だけど、理解できたような気がする。 「そう、自由が欲しければ居場所には気をつけねばならないわけさ」 「でも、今日死んだらはここで再生するんじゃないの? で、あなたはこの場 所を知っている。私の自由はこの時点で存在しないじゃないの」 すねてみせる。わざわざ12時についての注意をしてくれたんだから、特に危 害を加えたいというわけではないと思うけど、ちょっと困った顔が見てみたかっ たんだ。 「別に信用してもらわなくても結構。現時点では、だがね」 やっぱり動じないか。ちょっと残念。 「とはいえ、そのうちに納得して報道部に協力して欲しいとは思うけどね。 ……そうそう、このトランシーバを渡しておこう。これさえあればどこから でも私に連絡がつく。気が向いたら、もしくは困ったことが有ったら連絡をよ こしてくれ」 出口の床にトランシーバ(まあ携帯電話みたいなものね)を置くと、鳴実は立 ち去った。足音が消えたところでそろそろと出口にむかう。 「……これがあの男のいったとおりのものであると言う保証も無いのよね……」 扉を閉めてベッドに戻り、枕もとにトランシーバを置いてそそくさと制服に 着替える。ほんとに鳴実が言っていたような世界なのか、とりあえずあたりの 様子だけでも確認しておきたかったから。 「ん……今のところは持って出ないことにしようかな」 トランシーバは置いたままにして、外に出る。 「……なんなの、これ」 今までいたのは巨大なマンションの一室だったらしい。延々と続く扉は数十 以上……へたをすると百以上ありそう。そんな膨大な部屋数なのに、人の気配 はまったくしなかった。 とりあえず外が見たい。そう思って通路の端まで駆けていった。非常階段の 踊り場のようなところがあって外が見渡せるようになっている。 「……凄い……」 このマンションはかなりの高層建築物らしく、視点はやたらと高い。修学旅 行で東京タワーから夜景を見たこともあったけど、到底それ所ではない。間違 いなく今居る場所は東京タワーの展望台よりも高かった。 そしてその高所から見下ろした街は、控え目に言っても異常なものとしかい えないもの。かって気ままな高さのビルが立ち並んでいて、そのビルのデザイ ンは丸の内にあってもおかしくないようなものから発狂した芸術家のイラスト をそのまま建てたとしか思えないようなものまで多種多様で、目が変になって しまいそう。 そして……地平線も変。これくらい高いところから見るなら、地平線が丸い ことは分かるはず。それなのに地平線は完全に水平な線になっている……。 しばらくぼうっとあたりを見ていて、へたりこんでしまっていたことに気が ついた。この世界に居るということを納得できていたと思ってたけど、どうや ら誤解だったみたい。単にこの世界の異常さが心底理解できていなかったから、 動じなかっただけだったんだ。 ぼんやりとそう考えていると、視界を閃光が走った。ビルの一つが大きく倒 壊している。ああ、あれが「異常な行動」ってやつなんだろうな。 無性に何か頼りになるものが欲しくて、部屋に取って返した。あの、トラン シーバー。少なくともこのトランシーバーは人間がくれたもので、人間と連絡 が取れるもの。わけの分からないこの世界で、少しでも頼りになりそうなもの を掴んでいたかった。 トランシーバーを掴んでいると少しずつ心が落ち着いてきた。それでもしば らく何もできなかったけど、意を決して送信ボタンを押してみた。 「ハロー、カメラマン。こちら鳴実圭。それじゃあ学校に行ってみようか」 悔しいけど、涙が出た。安堵の涙だった。
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