小説001『誰を待つらん……橋姫由来』


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小説001『誰を待つらん……橋姫由来』

登場人物

斧淵雨海(おのぶち・あまみ)
妖怪橋姫。バイトの事務員として働いている。

本文


 この橋は、渡りたくない。
 足が竦むように…思った。


「斧淵さん、今日はひま?」
「……え?」
「バイトの人、新しく来たでしょ。あのこたちの歓迎会代わりに、皆でどっか
でご飯食べないかって」
「……はい」
「時間、大丈夫?」
「はい」

 諸橋さんは、優しい人だ。
 どうしても周囲から浮く私に、必ず声をかけてくれる。

「あら、今日斧淵さん来るの?」
 つうんと、眉間に響く声。
「へー……さん、喜ぶわねえ」
 悪意を、隠しもせず。
「……さーくまさんっ」
 諸橋さんが、苦笑してそちらを見る。
「だーめよ、そういうの部外者が言っちゃ」

 私は、うつむく。
 小さく、小さく。

 その昔の私のように。


『お前か、母か』
『どちらが……』
 まだ小さかった弟と、母の胎内に居た妹と。
 選ぶなんて、出来るわけが無かった。

「じゃ、今日、五時半に下で待ってるね」
 ね、と、もう一度念を押して、諸橋さんは席に戻る。
 私は、開いていた表計算ソフトに目を向ける。

『おねえちゃんは』
『おねえちゃんは、姫さまなんだね』
『姫さまに、なったんだね』
 幼かった、声。


 諸橋さんは、私を待っていてくれた。
「斧淵さんが来るの、珍しいからねっ」
 そう、珍しいと思う。私は出来るだけこの手の会だの何だのには、関わらな
いようにしているから。
「……ね」
「え?」
「佐久間さんの事、気にしてない?」
「あ…いえ、してません」
「しなくっていいのよ。あれ、やっかみだから」
 からん、と、諸橋さんは笑う。
「斧淵さん、美人だからね。やっかまれるんだよね」

 昔は。
 昔は、私も橋を護っていました。
 渡る人達も、私を覚えていてくれました。
 私の名前を忘れても、私の顔を忘れても。
 護るものが居る……と。それだけは。

「今日はどこに行くんですか?」
「えー……っと、あっち。ほらこの前課長が教えてくれた…」
「え?」
「……あ、斧淵さん、いなかったっけ」
 言いながら、さっさと諸橋さんは歩いてゆく。何となく気が進まないまま、
私は彼女の後を追う。
「あの、こっちから?」
「うん。一駅分乗るのも莫迦らしいでしょ。こっちからだと近道だから」

 既に、水の無い川と。
 既に、意味の無い橋……と。

「……っ」

 そこに未だに残る、橋姫と。

「……斧淵さん?」


 むかしむかしひとみごくうといってですねはしのたもとにひとをうめていく
ひじょうにざんこくなふうしゅうがあったのですよなんてむごいことをしたの
でしょうねそうやってぎせいになったひとたちがいるのですむごいことです


 そう、むごいこと。
 でも……でも。
『この前の嵐でも、この橋は流されんだったよなあ』
『橋姫さまのお蔭だよ』
『ありがたいねえ』
 昔は、私も橋を護っていました。


 はしひめってあのしっとにくるってかなわかなんかあたまにはめてはしるこ
わいあれでしょちがうちがうのそれかはしのたもとでだれかをまってるあれよ
ねほらのうだのげんじものがたりだのにでてくるじゃないあははげんじものが
たりよんだことないけどさ


『この橋姫さまは、願いを聞いてくださるかなあ』

 その昔は、私は人でした。
 そして私は、橋を護りました。
 そして人は、私に渡せと願いました。

『渡して下さい……』
 あのひとのもとに。
 
 人は、願う。
 人は、願う。
 願いを、かける。
 どうか叶えてくれと。どうか幸せにしてくれと。

 …………かつて私は人でした……


「斧淵さん、大丈夫?」
「……あ、はい」
「大丈夫?貧血?」
「……えと……多分」

 橋のたもとに、青ざめた顔の橋姫。
 水の流れぬ川にかけられた橋を、なお今でも護ろうと……

「大丈夫?」
 諸橋さんが、心配そうにこちらを見ている。
 私は、やっとのことで笑う。
「……大丈夫です」

 ごめんね。
 ごめんね。
 心のうちで、手を合わせながら橋を渡る。


 私はかつて、人でありました。
 私はかつて、橋を護るものでありました。
 私はそして、人を渡すものとなりました。

 ……私は、既に、人ではありません。

「すみません」
「ううん、いいけど」

 私は、橋姫と呼ばれたものです。
 橋姫と……化したものです。

 靴の下で、誰かがうめく。


 私はかつて、人でありました…………



解説

影歩む街に潜む、妖怪橋姫、こと斧淵雨海のモノローグ。
 言わば、人間によって形作られてしまった妖怪である橋姫の、過去と現在…… かもしれません。


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