小説005『かささぎの橋』


目次


小説005『かささぎの橋』

登場人物

斧淵雨海(おのぶち・あまみ)
妖怪橋姫。アルバイトの事務員。
諸橋直(もろはし・すなお)
雨海の勤め先の正社員。雨海に気を使う。

本文

 クリスマスやバレンタインが日本全体でのお祭りになった割に。
「七夕って、そうメジャーでもないよね」
 諸橋さんが、ジュースの紙パックを潰しながらぼやくように言った。
「そうですね」
 どうしてそうなってしまったのかは不明だけれども。
 新しい祭に追われるように、消えてゆく静かな祭。

「そいえば」
「はい?」
「斧淵さん、笹要らない?」
「え?」
 諸橋さんは困ったような顔をしていた。
「うち、実家の裏が笹薮なのね。だから毎年親が笹を持ってきて……くれるの
はいいんだけど、アパートのベランダに置くには、少々大きすぎて」
「……はあ」
 と言っても、うちも広いわけではない。
「あ、大丈夫。笹の大きいのどーんと持ってこられたんで、こっちで分割した
の。一番大きいのは近所の幼稚園にあげてしまった。だからうちに飾る分と、
それでも残ってる分の、その残りだから」
 こんなもん、と、手を広げて見せる。丁度大きめの花瓶に合いそうな長さ。
「……ありがとうございます」
「明日、持って来るから」
 七日の夜に渡すなんて、ぎりぎりも良いところだけど、と、諸橋さんは笑う。

 七夕。
 昔は……
「ん?」
「え?」
「いや、何笑ってるのかな、って」
「あ、いえ……」

 昔は、結構無茶な願いを持ってくる娘がいたっけ。

『橋姫様っ』
 決死の顔で。
『あの方に、これを……』
『あの御方のもとに……』

 …渡すほうは、案外しんどい仕事だと言うのに。

 私は、渡す。
 我が橋を通し、我が橋を渡し。
 
「……晴れると、いいですね」
「ん?」
「明日の、夜」
「織姫と彦星?」
「はい」
「……んーとぉ」
 微妙な顔をして、諸橋さんは考えていたが。
「あれってさ。雨になったら織姫と彦星が会える、って話もあるんだってね」
「……ああ……」
 そう言えば、そういう地方もあるはず。
「でも、かささぎの橋が渡りません」
「ふむ」
 きょとん、と、目を見開いてしばし。
 諸橋さんは、こっくりと頷いた。
「そういえばそうだね」

 一年に一度の逢瀬の為に。
 細い細い橋を渡して。

「斧淵さんって、しかし」
「……はい?」
「詳しいね、結構」
「…………いえ」
 ひやっと、一瞬冷たいものが背筋を走った。
「やだ、そういう顔しないでよ…いや、私が結構そういう伝説とか神話とか好
きで、友人なんかと話すんだけど、案外他の人知らなかったりするから」
「……ああ……あの、私も、本が好きなので……」
「だよね」
 そうか、それでかあ、と、諸橋さんはかろく頷く。
「あ、それじゃ明日、笹持ってくるね」
「ありがとうございます」

 昼休みの終了を告げるベルが鳴る。
 諸橋さんは席に戻る。
 私は、ソフトを立ち上げる。
 かたかたと、指先はすっかり覚えこんだ運動を行い始める。


 笹に願いを込める娘達を、ずっとずっと見てきた。
 込めた願いが……翌年には変わっていたりすることも。

『橋姫様』
『橋姫様、どうか……』

 橋姫は、橋を護るもの。橋を護り、渡る者を護るもの。
 それがいつの間にか……ほんの少しずつ変わっていた。

『橋姫様』
『橋姫様、どうか……どうかこの縁を』

 人の心に架かる橋。それまでも護れ……と、娘達は言う。

 願いは、いつだって本当だったから。
 いつも、私は橋を渡した。
 渡した橋の向こうとこちらで、けれども願いは違うことが多くて。
 渡した橋の向こうとこちらで、願いが食い違うのが哀しくて。

 そしてさほども経ぬほどに、娘達は戻ってくる。
 違う願いを抱えて、透き通るほど本当の顔のまま……


「斧淵さん、これ、打ちこみ追加してもらっていい?」
「あ、はい……英文の部分ですか?」
「そう。スキャナと読み取りソフト使って良いから……ああ井沢さん、ちょっ
と場所変わってあげて。そこにしかソフトないから」
「はい」


『橋姫様』
『橋姫様、どうか……』

 いくら護っても、その橋は壊れてゆく。
 儚く。
 儚すぎるほどに。

 護ってくれろと泣く娘の頬を、張ってみたいと思ったこともある。

 ゆくへもしらぬ こひのみちかな
 それが当たり前なのだ、と言う。
 心はうつろい、日々に変わる。まして恋など…と。

 では何故それを護れというのだろう。
 護ってくれろと泣くのだろう。
 ……護るべきは畢竟、己が心であるのに。


「すみません、終わりました。ありがとうございます」
 データを読み込み、フロッピーに落とし、自分の席のパソコンに戻る。
  

 一年に一度の、星の逢瀬。
 二つの星の間に架けられる、儚いかささぎの橋。

 かささぎの橋ならば、橋姫が護ることもなかろう。


 かつかつと、指の下でキーが音を立てる。
 音にまぎれながら、ふと、思う。
 
 明日の夜には、橋が渡るだろうか…………

解説

七夕の前日の風景です。
 「かささぎの渡せる橋」というと、百人一首にも出てくるものですが。
 しかし、恋愛嫌いの橋姫って……不便だろうなあ……


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