小説009『鬼の目猫の目』


目次


小説009『鬼の目猫の目』

登場人物

中山優鬼(なかやま・ゆうき)
コンビニで働く鬼。
お銀(おぎん)
猫又。寒風沢水華(以前の飼い主)の姿を借りている。

本文

 夜10時。
 夜遅いと称する者もいるし、宵の口と言う者もいる。けれどもこれから夕食
を作って食べる時刻としては、やはり遅いとするべきだろう。
(あー……疲れた)
 レジの前の丸椅子に座って、お銀はうんと背を伸ばす。
 水華の真似をし、水華の口調でものを話す。最近はそのことにもかなり慣れ
た。有難いことに、水華の姿になると水華の声も自然に出るようになったし、
何故か彼女の癖もなぞれるようになった。
 それでもやはり、書店一軒のきりもりは猫又の手には重い。
(……ご飯……作るの面倒だねえ)
 シャッターを下ろし、一人になった店内では、猫に戻ることも可能だったが、
彼女は極力それを避けた。いざというときに正体がばれてしまえば、この雪風
は潰される。それだけは何があっても避けなければならない。
(コンビニで買うかな)
 不思議なことに、水華の姿を取るときに、その味覚もまた水華のそれに類似
するようだった。確かに魚は大好物だし、キャットフードの缶を見ると咄嗟に
手が出そうにならないではないのだが、その味を思い浮かべると手が引っ込む。
お銀自身の味覚の記憶と、今のお銀の味覚との間にずれがあることは確かであ
る。念の為に、猫に戻ってキャットフードを食べたところ美味かったから、要
するに人の姿を取るときは人の食べるものを食えということだな、と、お銀は
納得した。
 ……というわけで、夕ご飯を作りたくない場合は、コンビニで済ませられる。
 人間の味覚というのも便利かもしれない、と、お銀は苦笑した。


 雪風から一番近いコンビニには、有難いことに酒も置いてある。海苔しゃけ
弁当と日本酒の小瓶をかごに入れ、レジの前に行く。大学生らしい男や、やは
り仕事帰りらしい女性が数人並んでいる後ろに回る。急な方向転換をやらかし
た弾みでデニムのスカートの裾がばさりと揺れ、斜め前に立つ女性が、ちょっ
とこちらを見やった。
 水華の癖を思い出して、お銀はことさらにその視線を無視する。
(まずったかな)
 内心は、びくりとしていた。水華の身体を得てはいても、その動きはお銀に
準ずる。猫特有のしなやかな動きは身についたものであり、常連から指摘され
る程度には人目を引くものであるらしい。
 幸いにも、女性はそれきりこちらを見なかった。
 ほっとして、お銀は下げていたかごを持ちかえる。
(ふ……ん)
 匂い。臭い。猫のままの鋭さを保つ器官に飛び込む信号に、お銀は少し目を
細める。脂粉の匂い、汗の匂い。そして……
(?)
 気配。
 目を上げる。気配の元を探る。白いビニール袋を手に持って扉を押し開ける
男、かごを疲れたように台の上に押し上げる女、中から一つ一つ受け取り、値
段を足し合わせてゆく若い男。
(……)
 微かに目を細めて、男を見やる。年齢の割に、どこか陰気な、印象に残らな
い声の……
(……ふうん?)
 つん、と、鼻腔を突く気配。
(…………同類か?)

 理由は不明だが、お銀は何故か自分と同種の存在を嗅ぎ分けた。その能力は
文字通り嗅覚に近い。気配が目から入って鼻腔を突く、というのも変な表現だ
が、お銀にすれば、その感覚が一番近い。
(何者だろう?)
 そう思ってみれば、確かにレジの前の青年は微妙に異なる気配を持っている。
既にそれは、彼女の目からも見える。
「いらっしゃいませ」
 小さいわけではないが、どうも耳に残らない声を掛けられて、お銀は慌てて
かごを台の上に置いた。青年は遅滞の無い動きで品物を出し、合計を読み上げ
る。
「……」
 無言でポケットから財布を出し、小銭と札を数えて出す。機械的に相手も金
額を読み上げ、おつりをよこす。
「はいどうもあ」
 言いかけた相手の目を一度見据える。
(何者だ、こいつは)
 一瞬。
 相手がたじろいだような色を見せる……その一瞬に。
(鬼)
 その答は、ごく自然に脳裏からこぼれ出してくる。

「……ありがとうございました」
(成程)
 差し出された袋を受け取って、お銀はそのままコンビニを出た。


 正体を知られた猫又の末路くらいは、お銀も知っている。有難いことにその
手の古い化け物譚は水華が好きなジャンルに属していたから、当然その横での
そのそしていたお銀も、知識は豊富だ。
(知られたら、まずいから)
 出来ることならば、同じ猫又に会いたい。どうすればいいのか、どうすれば
人の世にて隠れつづけられるのか。
(……しかし、鬼だとねえ……使えないね)
 
 何があっても、雪風だけは守る。何を利用しても、どんなに卑怯な真似をし
ても。
 それだけが、自分にとっての本当。
 だから。

(しかし、あの鬼に正体ばれてなきゃいいんだがねえ……)
 ふむ、と考える。
 考える。
 ……そして放り出す。
 考えたところでどうにもなるまい。
 腕の袋の中の日本酒の小瓶が、情けない音を立てる。お銀はうっすら笑って
雪風へと向かった。

 月は半月。

解説

夏のある夜の風景です。
 一応、鬼と猫又の遭遇風景なんですが……
 ……なんかこー、猫又根性が悪いです(苦笑)


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