小説010『盛夏』


目次


小説010『盛夏』

登場人物

中山優鬼(なかやま・ゆうき)
コンビニで最低賃金ぎりぎりで働く鬼。
お銀(おぎん)
猫又。寒風沢水華(以前の飼い主)の姿を借りている。

本編

 夏。という文字に、どこか鬱陶しいものを感じてしまうのはこの湿度の高い
国に生まれたからだろうか。
 今日の外界の気温は35度を超えていたと店内の有線放送は告げている。
 だけれども。
「いらっしゃいませ」
 この店の中はいつも涼しくて快適だ。
 店長も親切な人だし、時給も最初に勤めた町工場よりも100円もいい。
 保証人もない自分をおいてくれる親切な大家さんのアパートからも自転車で
3分のこの職場を、僕はだから気に入っている。
 レジに無言で置かれた商品のバーコードをさかさかと読みとる。
「…………5点で合計1233円になります。暖めましょうか?」
「あ、結構です。1533円で」
「かしこまりました。1533円からお預かりいたします」
 今日は暑いせいか…………弁当がよく売れる。主婦も手抜きをしたいような
暑さなのだろう。
「300円のお返しになります。どうもありがとうございました」
 そのまま次の人。
「いらっしゃいませ…………」
 落ち残っている日がゆっくりと暮れて。いつしか夜の闇が店舗の前をも埋め
てしまっていく。
 今日の弁当は残り少ない。
 残り少ないというよりもうあと、たったの一つ。
「いらっしゃいませ」
 いや、今日の残りは0だ。
 最後の弁当を買い物かごに入れた女性客。
(くぅ)
 と小腹が鳴ったのを聞かれなかったかと思う。
「合計1873円となります」
 札と小銭とを数えて。
「二千と73円お預かりいたします」
 レジから100円玉を二枚。
「200円のお返しになります。はい、どうもあ…………」
 いつもの言葉を返そうとして、絶句してしまう。
 何故か、鋭い視線に。
 僕が、鬼だからだろうか。なにか、彼女の気に障ることをしてしまったから
だろうか。
「…………ありがとうございました」
 平静を装って。いつもの言葉を口にする。
 まだ、心臓が、鳴りやまない。
 その女性客が、ふすんと鼻を鳴らして出ていった後も。
「中山君、もう、今日は上がっていいよ」
 店長が、そう声をかけてくれるまで。僕の足は、震えていた。
 やっぱり。お腹がぐうと鳴ってしまったのがいけなかったのかもしれない。

時系列

真夏。『鬼の目猫の目』と同時刻。

解説

お客様は神様です。お腹がぐうと鳴ってしまわないように気をつけましょう。 『鬼の目猫の目』と、対応してます。


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