(ダメな)第三帝国人名録


目次


(ダメな)第三帝国人名録

いちばんえらいひと

あどるふ・ひとらー
アドルフ・ヒトラー《人名》
 言わずと知れた、独逸第三帝国総統。演説の才能を持ち、一次大戦を戦った経験から軍事にも明るい。でも、伍長。
 一兵卒として戦った経験からか、その状況判断は正確で、今にも死にそうな奴に目をつけて骨の髄までしゃぶりつくすのが得意(例:フランス、チェコ)
 SDにおいては、その科学の範疇にとらわれない知識と、独創的な方法論によって、PC達をトンチキな任務に送り込む愉快なおっさん。オチには欠かせない。

側近

へるまん・げーりんぐ
ヘルマン・ゲーリング《人名》
 ルフトヴァッフェ(独逸空軍)の最高司令官。最初から最後まで馬鹿げた事を得意げに喋り続け、最終的にはヤク中になったタダのデブ。軍需産業との癒着にも熱心だった。ただしIQは138。
 空軍内に膨大な地上兵力を抱える(降下兵部隊どころの騒ぎではない規模)、自分で制度を作った勲章を自分に授与するなどの我欲みなぎる愉快な行動も目立ち、器にあわない地位を手に入れると、人間ダメになるという一般的な見方を、大いに証明した。
 SDにおいては権柄づくな態度と強欲ぶりでPCに任務を押し付けたりするとよいかもしれない。
るどるふ・へす
ルドルフ・ヘス《人名》
 副総統。ミュンヘン一揆でヒトラーとともに投獄され、有名な『我が闘争』を口述筆記した。あの退屈な『我が闘争』を得意げに喋りまくるヒトラーから聞き取り、なおかつ編集して記述するという事実からも、ヒトラーに忠実な人間だったことがわかる。
 しかしながら、あまりパッとしない人で、次第に中央から遠ざけられた挙句に、何をとち狂ったか単身英国に和平交渉に向かう(しかも勝手に)などという奇行によってあえなく捕虜となる。
 SDにおいては地味なので別に登場させる必要はない(ぉぃ
はいんりひ・ひむらー
ハインリヒ・ヒムラー《人名》
 悪名高い親衛隊(SS)の長官。最初は総統のごく個人的なボディーガード程度だった親衛隊を、治安、諜報などを統括し、機甲師団まで持つ組織に(良いか悪いかは別にして)育て上げた。
 見たところ生真面目なサラリーマンといった風貌だが、中身もそうだったらしい。内容を考えればいい迷惑である。
 SDにおいては、趣味がオカルトで、SSにも宗教儀式じみた事をやらせていることから、オカルト系の胡散臭い任務の出所とするとよいかもしれない。
まるてぃん・ぼるまん
マルティン・ボルマン《人名》
 総統官房長。南米に逃亡して長いこと生きていたとか言われた割には、どうにもこの男個人の力量を示す逸話が無い。多分、コイツが生きていたとしても第三帝国の再興は無理だったに違いない。
 SDにおいては、追従者にでもしておけばいいとおもわれる。
あるべると・しゅぺーあ
アルベルト・シュペーア《人名》
 軍需相。一介の建築家から大抜擢された。天性のテクノクラートで、奇行も少なく。まともな人間である。
 ユダヤ人虐殺について知っていたかどうかという、どーでもいい本も出ているが個人的には知っていたと思う。しかし、自分の理想の建築(事によったら国家自体の建築)をやれるんなら、他人の不幸など知ったことではないだろう。
 SDにおいては、数少ない常識人として出すのがよいかと。
よーぜふ・げっべるす
ヨーゼフ・ゲッベルス《人名》
 宣伝相。ゲッペルスではなくてゲッベルスである。いわずと知れた宣伝の天才でプロパガンダの鬼。一説にはナチスのメディア利用は別に真新しくも、徹底してもいなかったと言われるが、それにしたって「宣伝と事実は関係ない」と言い切るあたり大したもんである。
 SDにおいては、上記のごとく宣伝と事実の狭間で苦しむような野郎ではないため、コイツが広げた大風呂敷をあとになって畳まされるような使い方が考えられる。
かーる・でーにっつ
カール・デーニッツ《人名》
 海軍元帥。潜水艦隊指令として郡狼戦術を展開し、数、質ともに勝る英国海軍を一時期圧倒した。側近にしては珍しく功績と階級が一致している。
 第一級の軍人であったことに間違いはないのだが、困ったことに我らが伍長閣下を敬愛しており、結果的に部下には迷惑だったかもしれない。ちなみに、伍長閣下自殺後、総統に指名されて後片付けを任されている。
 SDにおいては、奇行も無く、胡散臭い噂も聞かない彼は、ほとんど出番なしと言える(ぉぃ

その他の(マイナス方向に)すごいひと

おすかーる・でぃるればんがー
オスカール・ディルレバンガー《人名》
 武装SS准将。政治学博士にして第36SS所属武装擲弾兵師団の師団長。
 こう書くと真っ当な指揮官のように見えるが、実はこの師団というのが服役中の犯罪者で構成された、いわゆる「ならずもの部隊」。当然のごとく、この師団は略奪、暴行、放火に虐殺と好き放題に暴れまわり、流石のSSでも「あれをなんとかしろ」という声が上がるほど。
 で、このおっさんは政治学博士というぐらいだから、粗野な部下を扱いかねて困り果ててるかと思いきや、過去に未成年にイタズラ(なんと男だ)した前科があるという筋金入りの変態野郎。某ベルセルクの黒犬騎士団も真っ青である。迷惑な話だ。
 しかし、何が迷惑だといっても、こんな奴が将軍様になれてしまうSSという組織ほど迷惑なものはない。
よーぜふ・でぃーとりひ
ヨーゼフ・ディートリヒ《人名》
 武装SS上級大将。愛称オヤジ。兵士の信頼も篤く、愛称で呼ばれる数少ないナチスの幹部である。骨の髄までヒトラーに心酔していたが、服装の規定は守らなかった。ついでに、戦場では総統命令をあっさり無視したり、「指揮官は兵隊の先頭に立って敵陣に突っ込むべし」と合理性のかけらもない発言をしたと同時にカリスマ的に実践したりと、非常に恐るべき男であり、ロシア人もビックリである。
 なお、彼の率いる部隊は大概負けた。当然である。
ておどーる・あいけ
テオドール・アイケ《人名》
 強制収容所総監、トーテンコップフ師団長。愛称オジキ。アルゲマイネSS中最強の暴力オヤジ。ナチス入党以前は、警官を志すも粗野で横暴な態度(そして行動)が災いして、ことごとくクビになる。
 こんな乱暴者は精神病院か牢獄ぐらいしか引き取り手はあるまい(実際、精神病院に送られたりしている)と思ったら、誰あろうSS長官ヒムラーがオジキに目をつける。いいのか長官。
 しかし、長官の人を見る目は正しかった。強制収容所の所長に抜擢されたオジキは水を得た魚のように大活躍(おいおい)し、後にはSAの粛清にも参加。流石に旧友レームを殺すのを嫌がって自殺させるよう命じたヒトラーの意向もなんのその。レームを射殺する。
 こんな暴力オヤジも部下の信頼は篤かったらしい。アルゲマイネSSはチンピラの集まりだというのは本当のようだ。

まともに活躍した人

えーりっひ・はるとまん
エーリッヒ・ハルトマン《人名》
 空軍大尉。第二次大戦を通してトップの1425回出撃と352機撃墜の記録を持つエース。つまり史上最高記録でおそらく今後も更新されない。
 天才的な技量でスコアを稼ぐ多くのエースと異なり、僚機を失わない事を重要視し、また無駄の多いドッグファイトを避け一撃離脱に徹した。後述のマルセイユとは全く逆のタイプである。
 終戦まで生き残り、1955年まで捕虜としてソ連に抑留されたあと、西ドイツ空軍で1973年まで現役で活躍している。
あどるふ・がーらんど
アドルフ・ガーランド《人名》
 空軍中将。104機撃墜の記録を持つエース。
 エースとしても有名だが、愉快な逸話の多い人物で、生粋の戦闘機乗りとしての自負か、はたまた面倒な事はやりたくなかったのか、「対地攻撃をせよ」との命令を仮病でかわしたり、戦闘機総監になってもまだ自ら出撃したりしている。
 驚くべき事に、ゲーリングに逆らって有名なジェット戦闘機部隊の第44戦闘団を編成した時も自ら先頭に立って出撃している。当時既に中将だったはずなのだが……。
 戦後は連合軍捕虜となったが、1947年に釈放されてアルゼンチン空軍の顧問となり、帰国後は実業家として成功した。
はんす・よあひむ・まるせいゆ
ハンス・ヨアヒム・マルセイユ《人名》
 空軍大尉。158機撃墜の記録を持つエース。アフリカの星。ソ連機を含まない連合軍相手の撃墜記録では最高。ちなみに、連合国のエースの持つ撃墜記録は精々60機前後。日本軍でも100機を超えるのは数名である。これは、連合軍がだらしないのではなくて、ろくに休暇も出さないで優秀な搭乗員をこき使わざるをえなかった枢軸側の事情のせいである。
 天才的技量の持ち主で、ドッグファイトの達人。また、偏差射撃は神技の域にあり、何もいないところに機銃を撃つと、吸い込まれるように敵機が飛び込んだと言われている。
 1942年。飛行中にエンジンが故障。脱出したが尾翼にぶつかって失神。そのまま墜落死した。
 天才はやっぱり早死にしてしまった。
はんす・るーでる
ハンス・ルーデル《人名》
 空軍大佐。スツーカ(Ju87)乗りで、出撃総数2530回、戦車519両撃破、軍用車800台以上撃破、軍艦3隻撃沈、上陸用舟艇70隻撃沈、撃墜9機というとんでもない記録の持ち主。37mm機関砲を装備した、愛機Ju87Gとともに有名。
 スターリンに「ソ連人民最大の敵」と言わしめ、対空砲火で右足切断の憂き目に遭っても病院を脱走して出撃するなど男らしい行動も盛りだくさん。何かソ連に怨みでもあったのか、ルーデル。
 さらに独逸降伏後には、英語を話せと言う連合軍通訳に対して「ここは独逸だ。英語が話せたって独逸語以外話すつもりはない」と突っぱねる男らしさ。他にも独逸式敬礼を改めず「独逸軍人としての敬礼を習ったとおり実行しているだけ」、戦争については「空の戦いで負けたことは無い。物量の重圧に押しつぶされただけ」と言い切る。
 あんた命は惜しくないのか。
 幸い、連合軍は心が広かったようで、戦犯に該当する行いもなかったルーデルはすぐに釈放。その後、元独逸軍人を援助する組織作りに奔走した。
 1982年12月。バイエルンで死去。
みはいる・びっとまん
ミハイル・ビットマン《人名》
 武装SS大尉。敵戦車138両撃破、敵火砲132門撃破。
 ティーガー戦車といえばビットマンである。あまりにも有名な撃破王で、もはや伝説。殊にノルマンディーで英国第七機甲師団を5台で壊滅させるに至っては、何か悪いものでも憑いているんじゃないかと思うほど。
 まあ、当時米英の主力だったシャーマンの75mm砲では、キャタピラか背面でも狙わなければティーガーの破壊は無理な話で、そうでもなければ物量でなんとかするしかなかった。
 1944年8月。SS第12戦車師団の側面援護に向かう途中、シャーマン戦車の一群に遭遇。3両を撃破するも5両に十字砲火を受け戦死。
まんしゅたいん
マンシュタイン《人名》
 陸軍元帥。名前だけしか書いてないのはわけがあり、フルネームがやたら長いのである。エーリヒ・フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタイン。
 フランス侵攻作戦では、有名なアルデンヌの森を抜ける奇襲作戦を立案。自らも第38軍団を指揮して作戦に参加し、勝利に貢献する。ハリコフでは「バックハンドブロウ」と呼ばれる芸術的な機動防御で全軍の瓦解を防いだ。
 ところが我らが伍長閣下は、耳に痛い事をずけずけ言うマンシュタインが嫌いだったようで、1944年に解任。1945年連合軍捕虜となる。
はいんつ・ぐでーりあん
ハインツ・グデーリアン《人名》
 陸軍上級大将。電撃戦の生みの親。装甲戦術の父。
 ポーランドを電撃的な早さで攻略し、韋駄天ハインツと呼ばれる。ちなみにドイツ語で韋駄天をなんと言うのか私はよく知らない。フランス戦でもまたたくまに英国軍をダンケルクに追い落とし、ロシア戦ではモスクワまで後一歩のところに迫るが、冬将軍の到来とソ連軍の反攻で総統命令を無視して撤退。
 当然、我らが伍長閣下が黙ってるわけがなく、ハインツを解任。後に装甲兵総監として軍務につけるが、やっぱりすぐ解任。言うこと聞かない奴は嫌いらしい。
えるうぃん・ろんめる
エルウィン・ロンメル《人名》
 陸軍元帥。砂漠の狐。
 主に北アフリカで活躍。数に勝る英国軍を圧倒し、一時期壊滅寸前まで追い詰めるが、補給不足から防戦に転じ敗北。
 というのが一般的な見方だが、どうもこの男浪費家のようで、彼の師団の資材消費は、他とくらべてかなり多かったようだ。到底、戦略家ではない。
 とはいえ、その戦術家としての腕は素晴らしく、敵からも名将と呼ばれるほど。
 1944年7月のヒトラー暗殺未遂の嫌疑をかけられて、妻子を盾に服毒自殺を強要され、服毒死。死因は戦傷によるものとされ、盛大な国葬が行われた。

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