小説105『街角の犬』


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小説105『街角の犬』


本編

 近鉄吹利駅東側の吹利本町商店街。昼から夜にかけて賑わいを見せるここも、
真夜中にもなればすっかり人通りは絶える。
 近鉄も終電となるその頃には、裏通りに立ち並ぶ飲食店も、そろそろ店を閉
める時間となる。

 その街角の、さらに路地裏。そこにひっそりと佇立する白い影があった。
 人間ではない。
 よく見るとそれは、白い大きなむく犬が道ばたに座っている姿であった。

 一見すると、ピレネー犬かレトリバー種のようなおっとりした顔立ちである。
 それにしても、その白い犬は大きかった。
 頭から尾の先まで、2mを軽く超えているだろうか。そしてその巨体を包む、
毛足の長いふさふさした毛並みは、雪のように真っ白であった。
 
 そんな大きな白犬が、真夜中の裏道で身じろぎもせずに座っているのである。
犬がじっと見つめ続けていたとある店の裏口が開き、そこに姿を見せたバイト
の青年は、白犬がそうやってそこにいるのを見て大いに慌てた。

「……店長!」
「あぁ?」

 奥から、店長とおぼしき声がする。

「ちょっと見て下さいよ」
「何だ?……ああ」

 出てきて白犬を目にした店長は、一人で納得したように一度店内へ戻り、出
てきた。手に持つのは空の鍋とおたま。

「ほら、すまないね。今日は何もないんだよ」

 カンカン、と鍋の底をおたまで叩く。
 すると白犬は、むくりと立ち上がると、すごすごと通りを歩いて行った。か
なりの巨体だが、こちらに遠慮でもしているかのように、まるで威圧感がない。
 様子を見ていた店長の横で、バイトはしきりに感心していた。

「はぁ……賢いもんだ」
「いつもここに来て、残りものを待っているんだよ。無いと言えば素直にどっ
かへ行くし、有ったら有ったできれいに平らげてくれるし、こっちとしちゃ大
助かりだよ。別にうるさくするわけでも汚くするわけでもないしね」
「へぇ……どこの犬なんでしょうね?」
「野良だろうと思うんだがね、図体と言い毛並みと言い大人しさと言い、ちょっ
としたもんだよなぁ」

 では、腹を空かせた巨躯を抱えたままの白犬は、一体どこへ行ったのか?

 白犬は、いつしか商店街を離れ、のそのそと大学通りを西へと歩いていた。
 やがて道が川に差し掛かると、犬はふと川沿いの道へと折れ、昼間でも人気
のない暗い堤防の上を進んでいく。
 ある処まで来ると、犬はそこに、いつも来ている風情で座り込んだ。そうし
て、夜空の一点を見つめる。

 そこには、店の主人に残り物を得るまでじっと座り込んでいた辛抱強い街の
一員の姿はなく。
 代わりに今あるのは、獲物を忍耐強くじっと待ち続ける獣の姿であった。

 そこはかつて、百鬼夜行が通ったことのある途。無数の魑魅魍魎や妖怪たち
が、人間達のことなど知らぬげに行き交ってきた、目に見えぬ空中のけもの道。
 そして今夜もまた、そこを通る魍魎が一匹。

 ざっ、と襲いかかる白犬。人の腕よりも十分に太い後脚が大地を蹴り、白く
豊かな毛並みが大きく波打ち、犬の巨躯は難なく空中へ跳んだ。
 ギィ、とくぐもった声がして、そのときには魍魎の霊体はしっかりと白犬の
牙に捕らわれていた。
 じたばたと暴れる波動を気にする様子もなく、身軽に着地した白犬は面倒く
さそうに首を一振りすると、顎にかける力をわずかに強めた。ぶしゅ、と空気
が漏れるような音がして、魍魎は形を失った。そうしてから犬は顎を上げ、たっ
た今噛み砕いた魍魎の霊体を一息に丸飲みにしてしまったのである。

 しばらくもそもそと咀嚼していた白犬は、やがて大きなあくびを一つすると、
満足気にどこかへと歩き去って行った。
 さて、今夜のねぐらは何処にするとしようか。

(終)



登場人物

 白い犬(本名未詳)	:並外れた巨躯と美しい毛並みを持った白い犬。
			:妖怪や魑魅魍魎の類を捕食するらしい。


解説

 魍魎喰らいの仙犬の、日常の話です。


時系列

 2000年1月中旬。



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