小説107『ある独り言〜サボテンの一日』


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小説107『ある独り言〜サボテンの一日』



登場人物

 サボテン			:佐古田宅にあるごく普通のサボテン
 佐古田真一(さこた・しんいち)	:無口不愛想ギター少年、風見アパート在住


早朝

 朝である。
 しかし、当方には生憎時刻を知る術がないので、今現在が世間一般で
言われている朝の時刻であるという自信はない。もとより当方が生活し
ていく上で細かな時間を感知する必然性はないのだが、家主との共同生
活をおくる上で大まかな時間を知ることはそれなりには必要ではあると
思う。ので、我が家の家主が起きてカーテンを開けた時が朝である、と
当方は勝手にそう思うことに決めている。つまるところついさっき家主
が目を覚ましたばかりということである。
 共同生活とはいっても当方は自分では身動きの取れぬ存在であり、家
主に拾われた身であるので、どちらかというと居候と言ったほうが近い。
 家主が起きてまずすることは、当方が中央に陣取っているちゃぶ台を
窓際に寄せ窓の近くに当方を置いて日に当てることである。やはり当方、
南方生まれの気質もあいまって朝から日の光を存分に浴びることは三度
の飯より好きである。もっとも当方は実際に食事をすることはかなわな
いのだが、これも言葉のアヤというものでご理解いただきたい。

 失敬、自己紹介が遅れたが、当方佐古田真一宅ちゃぶ台上にて居を構
えるしがない一サボテンである。ちなみに名はまだない。つい今年の春
先に吹利商店街北ゴミ置場から現在の家主に拾われ、家主の住居である
吹利本町風見アパート二階L号室へとやってきた次第である。我が家主
は寡黙で少々表情に乏しい所もあるが、まめに当方の世話を焼き、夜は
早寝、朝は早起きと今日日の学生には珍しく規則正しい生活を送る真面
目な性分の持ち主である。その割にはしょっちゅう大学をサボっている
という話を家主を訪ねてくる者達の口から聞くが、生憎、部屋の外での
事なので移動のかなわない当方には知るすべはない。

 と、いうわけで。家主は朝も早くから散歩に出かけるらしい。当方は
お留守番である、もっとも当方が出かけるということは論理的にありえ
ないのだが。
 窓に日があたってるうちに存分に日光を堪能することにする。
 実に良い天気だ。

 悦。


 昼である。
 例によって、当方は時間の感覚が曖昧なので、日光浴に飽きて一息つ
いた時が当方にとっての昼である。昼間は大抵家主は出かけているので
部屋には誰もいない。
 見慣れた部屋を見回してみる、もっとも当方に厳密に目と呼ばれるも
のがあるわけではないのだが、感覚として目と表現させていただく。
 広い部屋である。
 あくまで当方から見た相対的な感覚でみた感想であるが、余計な遮蔽
物もなく凶器となりうる物もなく、逆に言えばあまりにも物がない部屋
と言ったほうが正しいのかもしれない。
 部屋の真ん中(昼間は窓際だが)に当方が居するちゃぶ台、部屋の右
隅に十年単位以上の年期が入っていそうな洋風タンス(当方が風に聞い
た話では粗大ゴミから拾ってきた品らしい)厳密に家具と呼べるものは
この二つのみである。他に部屋にあるものといえば、部屋の隅に立てか
けられた木製の梯子と分厚い手製のカーテンぐらいのものである。しか
し、カーテンはともかく何故梯子などが部屋にあるかというところが我
が家主の捉えがたいところである。本来、修理で屋根に登る時に用いる
為に作られたものらしいが、家主はしょっちゅうなんの理由もなく屋根
に登ってニ三時間戻ってこない時がある。登山家資質でもあるのだろう
か。一方、手縫いのカーテンは家主の作らしく、どこかの家で捨てる予
定だったホットカーペットの上掛けを貰い受けたものらしい。よく見る
と縫い目の幅まちまちだったり、曲がっていたり、右端と左端の長さが
一寸ほど違っていたりするが、もっともカーテン本来の機能から考えれ
ばさほどの問題ではないのかもしれない。
 どうも部屋の様子や当方と家主との出会いから察するに、我が家主は
なかなか知恵の回るちゃっかり者ではないかと思う。

 少々あれこれ考え過ぎたので一休み。


夕方

 夕方である、これは正確な時刻である。なぜなら当方の親愛なるお天
道様が沈むからである。しかし伝聞では季節ごとにお天道様が沈む時間
も違うらしいのだが、そこまで細かいことまで当方は知りようがない。
ので、余裕をもって日が傾いてから沈んで少し経つまでを夕方というこ
とにする。
 大体家主はこの時間帯に家に帰ってくる、時たま出ていったままニ三
日帰ってこない時もあるのだが、なにかにつけ妙な行動をする我が家主
の事なのであまり心配はない。というわけで今日は家主は我が家に帰っ
てきた模様。
 家主のいつもの行動として、家に帰ってくるとまず当方の座するちゃ
ぶ台を中央に寄せ、おもむろに窓際でギターを奏でることである。
 家主の生活を語る上で、ギターと家主とは切っても切れない縁がある。
聞くところによると、幼少の頃よりギターに惚れ込み、常にギターを手
にして生活しているという。馴れてる人物とは日常会話もギターで済ま
せられるらしい、まさに万能文化ギターといったところか。

 かく言う当方も音楽の方面にはちと疎いが、家主の奏でる夕暮れのギ
ターの音色は非常に気に入っている。休みの日などに賑やかにかき鳴ら
す音色も好きなのだが、この時間帯に家主がつま弾く曲はどれも物静か
で、なんとなくノスタルヂィに浸る寂しげな曲が多い。

 遠い南国の故郷に想いをはせる。

 哀。


 夜である。
 例によって例によるわけで、家主が夕食を食べるころが当方にとって
の夜である。この時だけは当方が身を置くこの古ぼけたちゃぶ台の上が
賑やかになる。ちゃぶ台の上に並ぶ食器、いずれも家主の知り合いや友
人から貰いうけたものらしい。部屋の家具といいカーテンといい我が家
主の倹約ぶりには頭が下がる次第である。
 そんな家主の食事はいたって質素なものである。おそらくどこかの河
原に生えていたものを採ってきたと思われる野草の炒め物、どんぶり一
杯の麦入りご飯、その上にちょこんとのった梅干し(洋風な容貌の割に
家主はかなり和食好みである)カップ一杯のスープ(材料不明だが家主
の食卓には欠かせない一品)
 以上である。
 当方思うに、もう少し蛋白質類を摂取することをお勧めしたいのだが
生憎当方発声器官のたぐいを持っていない為、結局言えずじまいである。
 黙々と食事をすませ食器の後片付けを終わらせると、家主は決まって
部屋に座ったまま目を閉じて黙りこくっている。これがはじまるとしば
らく家主はまったく動かない。この間、時折何かに頷いたり微笑んだり
する時があるのだが一体何をしているのだろうか?まったくもって難解
である。

 一刻、といってもどれほどかは知る由もないがようやく家主が動き出
した、どうやらそろそろ眠りにつくらしい。といっても我が家には布団
に相当するものはなく、これは買ったものと思われる毛布にくるまって
横になるだけである。しかし、そろそろ体にかけるものを購入したほう
が良いのではなかろうか?意外と丈夫な家主である。

 と、言うわけで今日は当方も眠りにつくとする。いやもともと植物で
あるゆえ実際に眠るわけではないのだが、とりあえず家主の行動にした
がってしばし思考を停止する。

 眠。


解説

 風見アパート佐古田宅のサボテンの一日とサボテンの目(?)から見た
佐古田真一の日常風景。



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