小説『慎也と緑』


目次



小説『慎也と緑』


補足

 文章型エピソードということで書かれたものです。
 要するに小説ではないのかという気もしますので、小説としてファイルに入
れましたが。


本文

 店内には既に慎也と三郎しか残っていなかった。日は少し前に沈んでいるよ
うで、辺りが薄暗くなり始めた時だった。二人が残っている理由は簡単でもち
ろん電車が無いからである。一時間に一本という赤字路線。三郎はパンを並べ
て店長とサバゲの打ち合わせをしている。浅井はいない。だが客もいないので
店長一人といえど少しは暇がある。もしかして慎也や俺は客じゃないのか。うー
む、全く客だぞ。それにしても疲れた……。三郎の吹利高校は今日まで期末テ
スト期間だった。普段から金がないという呪文を連呼している三郎がこんなに
パンを買うのはテスト開けくらいのものだ。三郎と店長と慎也はサバゲで使う
銃がなぜ電動かという事を話し合っている最中だった。手動だと手が疲れるか
らという結論に達した時、店に新たな客が入って来た。
「あ、水島さん」
 店長が妄想していた手動ガンという恐ろしい代物は思考の中断と共に闇の世
界へと消え、そして次は如何にして新作のバナナ納豆マフィンの試食を頼むか
をフル回転で思案する。これを食した被験者たるや最初の犠牲者であるT氏な
どは即座に蒼白となり茶を要求した。店長はもののついでとばかりこれも試作
新製品である激辛スーパー3.5倍唐辛子茶(冬季限定商品)を差し出した。 一口
含んだT氏は哀れ巨大なる火球と化しあっという間もあらばこそ視界外の人と
なっていったわけであるがこれは本編とは関係無い。三郎はベルトに挟んであっ
た新聞を取り出し一面目の広告の部分の隅を4センチ四方ほどに取り破った。
「おはよう〜」
 三郎の定番挨拶だった。もちろん朝はこんにちはである。夜はどう呼ぶのか
を気にする神経質な人も居ないではなかったが三郎が夜挨拶するのを聞いた者
はいない。一説には奇怪な踊りを踊るともいきなりスキャットをかけてくるな
どともいわれているが未だに真相は定かではない。なんで俺がそんな事すんね
ん! 三彦は読者のほうを向き直っていった。みなさん、俺はそんな事してな
い。してないっ。せいぜい手を上げろと言うくらいだっ。
 慎也が発言した。ちなみに#の記号は半音上がるを意味する。なおこの記号
の効果は一行限りで継続はしない。登場人物全員の声のトーンを上げる気か。
誰だヘリウムガス撒いたやつ。
「#緑ちゃん、確か学校は休みじゃなかったかな……?」
「ウイングウォーやってきた帰りなんです」
 三郎は煙草缶を取り出して蓋を開け、一撮み取り出した。にやにやと笑いな
がら慎也を見ている。勿論慎也は気付いていない。口を開く。
「あ、ああ、駅前のゲーセン? あそこのCPUきついよねぇ……」
「うん……だから300円もかかってしまって」
「さ、300円ね」
 三郎は器用に煙草を巻き、煙草缶をしまった。そして喋った。
「水島氏、この男貴君に挑戦を挑みたく思っているらしく」
「#え?」
「え……慎也さんが?」
「その通り!」
「お、おい三郎、三彦の喋り方でなに言って」
「というわけで、水島氏のウォーミングアップも済んでおり、幸い電車はまだ
まだ来ない。挑戦には絶好の機会となった訳だ」
「おーい、緑ちゃんのウォーミングアップが終わってても俺がまだ済んでない
じゃないかぁ……俺にも2、3回練習やらせてくれよ」
「よしよし、では2回でも3回でも練習してから挑戦するのだ。健闘を祈る。
頑張れ、少年よ」
「え? い、#いあ、#あの、#その」
「水島氏、貴君は挑戦を受けるや?」
「え……は、はぁ」
「挑戦は受諾された。双方直ちにゲーセンへと向かわれよ」
「あ、ああ……あ、そのま……#じ#じゃあ行く? 緑ちゃん……」
 ドアに取り付けられた鐘が一回鳴り、鳴り止まぬうちにもう一回鳴った。
「……三郎君、店内禁煙なんだけど」
 店長が苦笑しながら言った。三郎はライターを取り出し正に火を付けようと
していた所だった。
「みぃ、小説書くのは苦労と煙草がいるんだい」
 三郎はけけけけけけけけと目の前に並べられたパンをむさぼり食った。
「ど、どうした三郎君」
「いいネタが入ったら無茶苦茶嬉しいのは世の摂理。けけけけ」
 彼が狂っているかどうかは読者の判断にゆだねられる。

 3回目の試合を始めようかどうか考えている。慎也は前2回の負けの理由は
もう大体掴めていたので次やれば勝てる筈だった。
「緑ちゃん、もう」と呼んだ時に、緑は戦闘機を模した座席に心持ちもたれか
かるような感じで慎也のほうを向いた。何ともいわない。モニターでは先程の
闘いのリプレイが流れている。双方のダメージゲージが真っ赤になっている。
壮絶な機銃戦だった。
「……どうかしたの?」
「い、いや、何でも……」
 顔をモニタに戻す。もう一度慎也の方を向いた。
「もう出ましょうか」
 慎也は気の抜けた返事をした。座席脇の鞄を持ち、その上に置いてあったコー
トを着る。緑も脇に置いてあった厚手のダウンジャケットを羽織った。喉が乾
いていた。慎也はその事に今気が付いた。考えてみればパン屋では何も食べて
いない。
 人いきれで蒸せかえる建物内から出ると風が吹いて来た。冷たかった。しか
し冷たいのは風が吹いている時だけだ。三月ともなるともう気温も上がってお
り、コートを着ていると昼間は暑いくらいになる。表で二人が並んだ時、緑は
うつむいて額に手を当てた。既に通りに並ぶ店にはネオンがともっており道は
明るく照らしだされていた。駅から流れて来る人が渦を巻いている。
 慎也は緑を見た。
「どうしたの」
「その……」
 慎也は答えを待ったが、返って来なかったので少し駅のほうへ歩きだした。
後ろから緑がついてくるのが解った。それが解らなければ歩きださなかったに
違いないのだが。
「……少し疲れたみたい……で」
 慎也は足を止めた。うつむき加減の緑を覗き見た。
「大丈夫?」
「は、はい、そりゃ」
 緑はあわてて顔をあげてかぶりを振った。照れ笑いともなんとも付かない表
情をしていた。慎也もつられて笑った。
「……電車、まだですよね」
 二人は再び歩きだした。
「え?」
 慎也は最後に時計を見た時の事を思い出す。まだ時間はある筈だった。
「うん、まだいいけど……」
「そうですか」
 またうつむいていた緑が顔を上げて言った。
「何処か静かな所に行きましょうか」
「そ、そうやね」

 この通りをまっすぐいくと駅に出る。右折してしばらくいくと小川の手前に
アオダマがあるが、慎也はもう金が無かった。
「もう5分くらい歩けるかな」
「公園?」
「う、うん」
 二人は小川を越えて歩いた。駅前通りの喧しさは無く、個人経営の小さな店
が並んでいる路地を歩いて、少し上り坂になったあたりを越えると人通りは少
なくなった。道の右側にはつつじの生け垣がある。もう少し先に公園の入り口
がある筈。慎也は自動販売機でコーヒーを二本買った。一本を渡した。
 もちろん彼の金力はこの時点をもって壊滅した。
「暑くて疲れたんやね、人がいっぱいいたし。五回も六回も全部クリアしてUFO
と闘ってたら疲れるしね」
 緑は微笑を返した。
 公園の中はひんやりとした空気になっていた。なぜこんな空気が漂うのか甚
だ疑問にも思っていたがとりあえずこれは公園の空気として認識している。石
畳がそんな空気を作り出すのかもしれないし、植物かもしれない。石が敷かれ
た道の両脇は芝生が植えられている。道が交差している所の中央には噴水があ
り、その回りには囲むようにして青いベンチが4つ置かれてあった。
「休みません?」
 緑は立ち止まった。慎也も少し行ってから立ち止まった。
「そやね」
 慎也は先に座った。
「やっぱり疲れた?」
「はい……心持ち」
 慎也は鞄を地面に置いた。緑が座った。冬だというのに、虫が飛んでいた。
駅のほうから電車の音が大きくなってきた。発車の笛が遠くに聞こえた。
 慎也はコーヒーの缶を空けた。空き缶をベンチの下、鞄の隣に置く。
 緑もコーヒーの缶をポケットから出した。
 緑の視線は遠くにあった。石敷きの道が20メートルほど続き、その先はT字
に別れていた。芝生を通して街灯、そしてつつじの生け垣が見える。立ってい
る枯れ木は桜だったはず。街灯の数は少ないにもかかわらず、あたりは明るく
照らしだされていた。緑は空を見た。
「……よく光ってるなぁ……」
「え?」
「あ、その……月が」
 慎也は首を上に向けた。たしかに月は大きかった。満月ではなさそうだが、
それでもかなりの光量に感じた。月の光がここまで明るいものだとは慎也は知
らなかった。突然慎也は一連の言葉が思い浮かんだ。多分その言葉は古典の授
業のときに聞いたものだった筈。平安の昔にも同じ様に月を見、そしてその感
情を言葉に表していた。その言葉が告白に使われた。優雅な言葉。こんな事を
思い付いた事は無かった。緑が近く見えた。しかし口に出すにはまだ恥ずかし
さが先に立った。書けねえ書けねえおれには書けねえごほがほげほ。どうした
三郎君てて店長水はいはいどうぞ唐辛子3.5倍じゃないよねおれT氏の第2弾
はいやだよただの水だってそうがぼがぼがぼふう。どうした三郎君いやねその
店長まあなんだそのはっきりいいなよ要するにまあ、おれには書けねえそうも
いってられないよわかったわかったまた後に書くよ閑話休題。
 緑はコーヒーを一口飲み、もう一度空を見た。

「『月光』っていうの、ありましたよね……」
「ああ、夜間戦闘機?」
「い……あ、それもありますよね……」
 慎也は失敗を感じた。さてはベートーベンのピアノソナタの方だったか。
「双発の夜間戦闘機って、当時の日本軍にあれしか無かったんだよね」
「ええ、正式には……。たしか夜間戦闘機という機種すら無かった筈です」
「え? でも」
 慎也は第二次世界大戦にはそう詳しくなかった。特に日本軍航空機について
は有名なもの以外は三彦からの聞き噛りの知識しか持ち合わせていなかった。
その知識は今、月光以前の夜間戦闘機の存在を示唆していた。
「……確か1942年より前にも夜間戦闘機という名称はあった筈だけど……」
「……ああ、零戦を使った夜間専用の本土防空隊のことですか?」
 それかもしれない。慎也はこれ以上夜間戦闘機に深入りすることを避けるこ
とにした。そして時代を現代に進めた。
「現代では夜間戦闘機という名称は無いも同然やね……ほとんど全部の戦闘機
が夜間戦能力持ってるし」
 二人は現代軍用機にはなぜレーダーを積むのかという事について白熱した論
議を交わした。ソナーを積んでも飛行機は探知できないからだという結論に達
した後腕時計を見ると、既に慎也の乗る筈だった電車は消えていた。

「……もう一時間、待たんな」
 慎也は苦笑した。
「今、何時ですか?」
 慎也は時間が解っている筈だが、もう一度腕時計を見た。
「……7時21分」
 二人は前を向いた。白熱した話の後に襲い来る疲労はどれほどのものかは感
じてみるまで解る事はない。その疲労はもう次の言葉を発するのが面倒臭くな
るくらいに存在する。
「緑ちゃん……もう遅いし、帰った方が良くない?」
 緑はあわてて慎也の方を向いた。慎也は上げ掛けた腰をまた下ろした。
「ええ……でもまた疲れちゃって」
「パパさん心配しちゃうよ」
 慎也は笑っていた。
「う〜緑のやつ遅い。おいちい!」
 緑が低い声で応じた。
 二人は顔を見合わせた。そして軽快に笑った。

「大丈夫。絶対迷子になったなんて思わないから」
「そ、そうなん」
 慎也は行った電車には三郎が乗っていただろうことを思った。もともとこの
電車に遅れる原因を作ったのが三郎であった事を思い出し不快感を覚えたが、
すぐにそれは感謝へと変わって行った。今言おう。今こそ言おう。さっき素晴
らしい、歯が空中浮遊しそうな台詞を思い付いたじゃないかあれ言おう。よ、
よ、よし言おう。だか慎也の思考は緑の発言により中断され、またしても読者
は慎也の考案せる素晴らしき台詞を聞く機会を逸するのである。
「この辺、星も見えるんですね」
 慎也はいわれてもう一度空を眺めた。なるほど駅前通りにいた時は全く見え
なかった星がここではかなりよく見えている。
「ちょっと場所を変わるだけで、違うもんやね」
 満天に降る星たちの輝き。夜の静寂の中でささやくように光を放ちつづけて
いる。これほどの星が空にあったのか。久しく忘れていた。
「北極星はあれかな」
「えと……そうですね。柄杓から五倍の……あれ」
 緑はしばらく夜空を眺めていた。
「……ありませんね」
「見えにくいけど、あるよ」
 慎也は大熊座を指差した。
「あの星座の……ちょうど鉄塔の先あたり」
「大熊座の? ……あ、あるある」
「大熊座……うん、そう」
 慎也は顔を戻した。
「……全然熊に見えないけど、ね」
 緑を見た。緑はまだ上を見ていた。

 二人はどうして星座にはあのように88もの名前が付けられたのかについて白
熱した議論を交わした。新谷かおるのエリア88との関連性が否定された所で腕
時計を見ると8時を少し回った所であった。
「そろそろ駅に行かんと」
 慎也は鞄を持ち、席を立った。
 緑が隣で立ち上がるのが解った。それが解らなければ立ち上がらなかっただ
ろうが。
「じゃあ、行きましょうか」
 二人は街灯に挟まれた公園の入り口を出て、遠くに駅前通りの明かりが見え
る路地を歩いた。自動販売機の前で足を止めかけたが、もはや懐に一銭無しの
慎也にはそれは出来なかった。一台の車も通らない。駅前通りの喧騒がここま
で聞こえていた。風が無かった。
 シャッターの閉まっている個人商店が並ぶ中を抜け、喧騒が近づいて来た。
 理髪店の時計は8時10分のあたりをさしていた。
 慎也はまたあの言葉を思い出していた。考えるだけでも恥ずかしくなるよう
な言葉だが、案外突飛に変だという事もないと思う。むしろ告白の言葉として
はこれくらいのものがいいのかもしれない。今言わないと今度はいつ言えるか
解ったものじゃない。言おう。言ってしまおう。
「緑ちゃん」
 突然慎也が立ち止まった。緑は吃驚して立ち止まったが少し遅れた。
 慎也は、緑の息を感じることができた。
 同時にその優雅なる告白の文句を読者に御教えする機会は残念乍ら永遠に失
われてしまった。
 忘れたのである。



筆者

 阪井六郎



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