平日の午後、川の土手の上を通る細い道。
軋むペダルを草履の裏で踏んで、訪雪はママチャリを走らせている。
裏庭の物置から、藤色の愛車を引っ張り出したとき、サドルにはうっすらと
埃が積もっていた。
ここのところずっと、午後は家で譲羽の相手をしていたから、こうやって用
もなく外を走るのは、久し振りのことだった。
(ゆずさん……今日も来とるのかな)
家では凍雲が留守番をしているのだから、いま譲羽が来たところで、相手が
いないわけではない。
(気になるくらいなら、散歩なんぞ来ねばよかったろうに)
それでも、どうしても、家のことが気になる自分に苦笑して、訪雪はペダル
を踏む足に力を込める。
風が冷たい。
長着の方は、だいぶ前から袷に切り替えて、羽織もいつでも着られるように
してあったが、作務衣の方はそうもいかない。
作務衣のための羽織もないではなかったが、作務衣に袖無し羽織、という組
み合わせは、インチキ武道家のようでどうも好きになれなかったから、いまも
厚手の作務衣の下に、長袖のシャツを着込んでいるだけだった。
作務衣の広い袖口から、風が吹き込んでくる。
自転車を止めて、髪を束ねるゴムで袖を絞ると、風が入ってくることはなく
なったが、その代わり、吹き散らされた髪が顔にかかって鬱陶しかった。
自転車に跨って足を止めたまま、周囲の風景を見回す。
だいぶ弱まってきた秋の陽射しが、斜め後ろから背中を暖めている。
川風が黄ばんだ草を揺らして、乾いた地面に埃を立てる。
黄茶けた風景の中に、ぽつりと黒い点が見える。
訪雪はママチャリを降りて押しながら、草をかき分けて、土手の斜面をその
点の方へと降りてゆく。
草が石ころに変わるあたりで、点の正体が猫であることに気付く。
猫は人が近づいてくるのを見て、一瞬身を翻して逃げようとしたが、自転車
をその場に置いた訪雪がしゃがみ込んで手招きすると、とことこ寄ってきて、
甘えるように手の甲に頭を擦りつけはじめた。
「こんにちは、マヤちゃん。元気でやっとるかね」
同じ金目の黒猫とはいえ、実のところは一面識もない別猫だったから、元気
にやっとるかもなにもないのだが。
荒れた手の甲に、すべすべの毛並みが心地好い。しばらく猫のしたいように
させたあと、ひょい、と抱き上げて、自転車の篭に乗せて歩き出す。
がたがた揺れる篭のへりに前足でつかまった猫は、もの珍しそうな表情で周
りの風景を眺めている。
「どうするね、お前さん。このまま一緒に帰るかね?」
斜面を苦労して登りながら、猫に聞いてみる。猫は答えるはずもない。
彼をそんなところに載せて連れてきたのは、他ならぬ自分だったが。
元の土手道に戻ったところで、再び自転車に乗って走り出そうとすると、猫
はその加速に驚いたのか、ととっ、と篭から飛び出して、斜面の草の中に駆け
込んだきり、見えなくなった。
「要らんことをしたか。縁があったらまた会おうな」
草むらに向かってそう呟いて、訪雪は再びペダルを漕ぎ始めた。
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