小説044『夜中の電話』


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小説044『夜中の電話』


本文

 電話の呼び声。それで。
 ふと目を覚ます。
「はい、もしもし。狭淵ですけど」
 受話器に飛びつくようにして。出る。
「あぁ……」
 聞き慣れた声。旧友。定期便。
 中学から高校までの六年。そして、大学が別れても連絡を途絶え
させなかった友人。
「えぇ、寝てましたが……いや。大丈夫です。とりあえず起きてし
まいましたし」
 受話器を耳に付けたまま立ち上がり、電灯をつける。故障したま
まのビデオデッキの表示で時刻を確認する。午前二時半。
 友が社会人となった今も、連絡は途絶えない。前に直接あったの
は……もう何年も前の話か。
「ほぅ、そんな事が……」
「なるほど……」
 人間関係のトラブル。
 神経を痛める友。友の話の背後から透けて見えてくる、”無能な
上司”、”無神経なバイト”、”非常識な同僚”、”強引な先輩”、
それから、それから……
 わたしは、友に適切なアドバイスを出来る自信など持ってはいな
い。聴く。聴き続ける。相づちを打ちながら。時折尋ねる言葉をも
挟みながら。
 理解……出来てしまう。友人の苛立ち。怒り。不満。やり場のな
い、自己防衛的な攻撃心。同じ状況に置かれたら。
 透けて見えてしまう。友人の職場の人間。友にとって、やりきれ
ない人々。コンプレックス。弱さ。焦り。心の痛み。同じ状況に置
かれたら。
 ゆっくりと。悲しくなる。互いに傷つけあっている。互いに、相
手を傷つけていると思う余裕もなく、傷ついている。
 胸が、苦しくなる。目尻が、痛くなる。
「そうですか……」
 痛みを和らげることが出来れば。
 相手のことを聴きながら、その相手が友を傷つける行為をどうす
れば和らげられるだろうかと考えている。友が相手を傷つけている
行為をどうすれば和らげられるだろうかと考えている。
 おそらくは、さして力になれない。一緒につるんでいた頃ならと
もかく。世界が小さかった頃ならともかく。
「それなら……」
「……というのはどうでしょう?」
 二三の提案。こんなありきたりなことしか、自分には言えない。
それがまた悲しい。解決は、出来ない。劇的な解決など、望めよう
筈もない。
『すまんな、なんか、愚痴、聴いてもらっちまって』
 友の声。
「いやいや。愚痴を聞くことぐらいしかできませんから」
 本当に、それしかできない。
『……ん……サンクス』
 感謝の言葉。
 声に、柔らかさが戻っている。
 少しぐらいは、痛みを和らげることが出来ただろうか?
 たとえ一時的にでも。
「おやすみなさい」
 回線が切れる。受話器を握ったまま、しばらく切れた回線の音を
聞いている。受話器を降ろす。
 あくび。ティッシュペーパーで、涙を拭く。あくびのせいの涙。
眠たいせいの涙。そうだと……思う。
「美樹さん、もう休まないと」
 ふみさんが、声をかけてくる。判っている。眠い。そして、まだ
心が痛い。
 目覚まし時計を見る。三時半。電気を消す。布団にもぐり込む。
柔らかく、眠りに落ちる。友が良い夢を見られることを願う。
                         (おわり)


時系列

 1998年7月中旬のある夜


解説

 夜中の電話で友人の愚痴を聞く美樹。



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