小説068『ヒーロー』


目次



小説068『ヒーロー』



登場人物

 狭淵美樹(さぶち・みき)	:医学生。学会の手伝いにかり出されたりもする。


本文

 世界を革命することは、わたしには出来ない。
 わたしは取るに足らないちっぽけな存在で。
 何をどうやっても世界をどうこうすることは出来ない。
 ただ………革命を欲する人は常にいるものだ。
 いやはや、まったく。
「今こそね、チャンスですよ! ……………」
 声高に、叫ぶ男。
 どこだかの助手。おそらくは、わたしよりもずっとよい研究をし
て、わたしよりもよほど有能で。でも余裕はない。
「この辺りの事なんて、もっと早くから実施するべきだったんです。
それを………」
 あぁ、確かに多少の変革を行うのにはいい機会かもしれない。
 でも、変革には痛みを伴うことを彼は忘れている。
 本当に全てがひっくり返ってしまうことなど、誰も望んではいな
いのだ。
 だが、理想主義者は、理想を高く掲げるが故に教条主義者だ。
 自己が理想を掲げるが故に思考停止の罠へと絡み取られているこ
とには気が付かない。
 理想を掲げるものは、理想の邪魔をする者を傷つける事への禁忌
を持たない。
 思考停止。何よりも恐るべき罠。他人を傷つけることを恐れなく
なる罠。
 わたしには出来ない。他人を傷つけたくない。他人を傷つけてい
る事を自覚するほど、自分自身を苛む方法はない。
 わたしは天才ではない。いつだって、その言葉を口の中で転がし
ている。
 本当の天才。その様な人間が存在するのかどうか。わたしは今だ
出会ったことはない。
 少なくとも、わたしは天才ではない。
 それだけは確か。
 自己評価。いや、コンプレックス。そして、裏返しのプライド。
 誰かのプライド。誰かのコンプレックス。
 プライドを傷つけることは、その人を傷つけること。
 コンプレックスを刺激することは、その人を痛めつけること。
 それが許されるのは、天才だけ。そして、本当の天才は、他人を
傷つけるだけ傷つけた後にその贖罪を果たすだろう。
 天才とは間違いを犯さない人にのみ与えられる称号だから。
 学会の運用委員会は、終わる様相を見せない。
 わたしは誰かに。悲しみを覚える。見続ける。

 …………

 わたしに何かを言う権利などない。
 委員ではないわたしには。
 ただの手伝いの学生に過ぎないわたしには。
 天才ではないわたしには。

 誰もの心が切り裂かれる。
 誰かの魂が痛む。
 だけれども、議事は進む。
 心の痛みを誰もが押し隠す。

「許せませんっ!」
 その言葉は不寛容の印。
 正義を不幸にも信じてしまった者の証。
「その発言は撤回願いますっ!」
 他人を傷つける。自分を傷つけられないために。

 議事は進む。議事は進む。
 わたしはそっと。
 目を閉じる。

                            (FIN)


時系列

 1999年6月。


解説

 紛糾する学会を、手伝いをしていた医学生の美樹。
 議事は関係なく進行しますが。



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