小説069『おもいふみ』


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小説069『おもいふみ』


本文


 アノヒトヘノ オモヒハ

 いつの間にか、待っていた。
 使われなかった言の葉。

 ツタエタヒ オモヒハ

 待っているのは。永遠なの? それとも。

 イツマデ マテバ コノオモヒハ

 永遠に待つという事は。
 待っていないことと同じではないのか…………

 ツタワラナヒ オモヒハ

 いつまで待っても。
 徒労に等しいのなら。

 ナニモ ツタワラナヒ

 時間は、過ぎ去ってしまう。時間は、過ぎ去ってしまう。
 何もかもを。押し流してしまう。

        ***

 その日は、朝から、何か様子がおかしかった。
 梅雨前線の移動と。
 晴れたり降ったり曇ったりのランダムな繰り返しと。
 脳をラッピングしてしまうような昨日の残り酒の効用と。

 雑然とした部屋。物の多い部屋。詩人は、丸めて背もたれにして
いた冬布団に、もう一度体重を預け直す。
 紙屑。本。脱ぎ散らかされた服。その隙間。わずかに見えている
床の上、ガラスコップと、室温まで温まったウォトカの瓶。横倒し
で転がっている蓋が開いたままの日本酒の一升瓶。瓶の中に薄く残
った液体。わずかに、甘い香り。

 あの人は今頃。船の上だ。

 雨の匂い。湿度に蒸れた、自分の体臭。
 凍らせようとしても、凍らない想い。ウォトカ。

「住所のみ確定。無職」

 心臓の鼓動は。強くはない。
 湿度ばかりが高いこんな日に。記憶だけがやけに鮮明で。
 呼吸が、浅い。

 静かに………静。
 静物と呼ぶにはあまりにも雑然として。混沌として。
 時間と埃がつみかさなって。
 織れる。

        ***

 呼ばれたような気がして、振り返る。
「……………おや」
 しかし、こちらを見ている青年の視線はわたしを通り越して。
「……こんなところに」
 わたしの半透明、いや、実体のない身体をついと通り越して。
「………やはり」
 細く、骨張ってはいても、男性の指。それが、わたし自身へと、
触れる。
「すいません、これ、おいくらですか?」
 あの人を待ち続けた。あの方に似て。

 コノヒトノ オモヒハ?

              (終…………あるいはエピソード325に続く)


登場人物

 ふみ	:売れない詩集の霊。


時系列

 昭和30年代のある日


解説

 狭淵美樹のアパートに居候する書物霊、ふみの過去譚。



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