アノヒトヘノ オモヒハ
いつの間にか、待っていた。
使われなかった言の葉。
ツタエタヒ オモヒハ
待っているのは。永遠なの? それとも。
イツマデ マテバ コノオモヒハ
永遠に待つという事は。
待っていないことと同じではないのか…………
ツタワラナヒ オモヒハ
いつまで待っても。
徒労に等しいのなら。
ナニモ ツタワラナヒ
時間は、過ぎ去ってしまう。時間は、過ぎ去ってしまう。
何もかもを。押し流してしまう。
***
その日は、朝から、何か様子がおかしかった。
梅雨前線の移動と。
晴れたり降ったり曇ったりのランダムな繰り返しと。
脳をラッピングしてしまうような昨日の残り酒の効用と。
雑然とした部屋。物の多い部屋。詩人は、丸めて背もたれにして
いた冬布団に、もう一度体重を預け直す。
紙屑。本。脱ぎ散らかされた服。その隙間。わずかに見えている
床の上、ガラスコップと、室温まで温まったウォトカの瓶。横倒し
で転がっている蓋が開いたままの日本酒の一升瓶。瓶の中に薄く残
った液体。わずかに、甘い香り。
あの人は今頃。船の上だ。
雨の匂い。湿度に蒸れた、自分の体臭。
凍らせようとしても、凍らない想い。ウォトカ。
「住所のみ確定。無職」
心臓の鼓動は。強くはない。
湿度ばかりが高いこんな日に。記憶だけがやけに鮮明で。
呼吸が、浅い。
静かに………静。
静物と呼ぶにはあまりにも雑然として。混沌として。
時間と埃がつみかさなって。
織れる。
***
呼ばれたような気がして、振り返る。
「……………おや」
しかし、こちらを見ている青年の視線はわたしを通り越して。
「……こんなところに」
わたしの半透明、いや、実体のない身体をついと通り越して。
「………やはり」
細く、骨張ってはいても、男性の指。それが、わたし自身へと、
触れる。
「すいません、これ、おいくらですか?」
あの人を待ち続けた。あの方に似て。
コノヒトノ オモヒハ?
(終…………あるいはエピソード325に続く)
ふみ :売れない詩集の霊。
昭和30年代のある日
狭淵美樹のアパートに居候する書物霊、ふみの過去譚。
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