小説070『平凡な日常』


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小説070『平凡な日常』


登場人物

 狭淵美樹(さぶち・みき):呑気な医学生。


本文

 朝が来た。新しい朝だ。
 ぼんやりと霞む目でカーテンレールの上の目覚ましを見る。午前
7時20分過ぎ。

 一畳敷きの白亜の神殿で、自分自身の陰と闘ったり。
 汚濁に満ちた左腕と、断罪に満ちた右腕が引き裂かれるようなこ
とは、もうない。

 あぁ。夢の話だ。

 友人から送られた杜仲茶の空ペットボトルが七本。半分だけ残っ
ているのが一本。炬燵にもなる小机の上に林立している。
 インスタント焼きそばのカップの小山。缶ビール(エビス500mlだ)
の抜け殻。新聞。あぁ、正確には古新聞。笊。いつだったか、ソー
セージを湯がいて、そのお湯を切ってそのままの笊。リモコン。テ
レビのと。ビデオのと。コップ。コーヒー用、日本酒用、水割り用。
どれもいつ洗ったのかは記憶のはるか手前だ。
 爪切り。ハサミ。体温計。今朝の体温は36度4分。平熱だ。割り
箸。その袋。手帳。缶切り。口を開いて中身のないシーチキンの缶。
コンビニ製サンドイッチの入っていた袋。両親からの手紙。先先々
週にあった試験の解答(あぁ、これは確か通ったはずだからもう必
要ない)。
 ビデオのケース。手回し式の鉛筆削り。

 あぁ、そう。机の上の物たち。

 床に散らばるのは書物。うずたかく、雑誌と文庫と漫画とハード
カバーと学術書と新書と。いつだったかに着替えた洗濯されるべき
物どもとも混交して。カオス。
 その中に浮かぶ布団。夏布団、冬布団、毛布、タオルケット、寝
袋、枕二つ。ぐちゃぐちゃ。足先で、硬いものに触れるような気が
するのは………あぁ、カセットテープ。CDケース。MO。
 座布団と布団と書物と着替えの海の中。なのだろう。
 ゴミ箱(杜仲茶ペットボトルの段ボール箱改造)からあふれ出し
ている使用済みの鼻紙。
 買って来たはいいけど忘れきっていた、カップ麺。布団の下から。

 ところで、今は何日で何曜日だろう?

 そう、こういうところから、平凡は始まるのだ。
 PHSの液晶画面をチェックする。月は変わっていない。カレンダー
と見比べる。土曜日。ならば、今日は授業も実習もない。
 過去の記録と、自分の内部の記憶とを照合する。

 確か。この部屋に帰ってきたのは…………木曜日の夜遅く……、
いや、金曜日に日付はすでに変わっていた時刻。
 ということは。簡単に、眠っていた時間を計算する。29時間。
 ま、そんなものか。

 流しはそろそろ洗わなくてはならない食器の類でコップに水を汲
むこともそうそうままならなくなり、そもそも、米を研ぐこともで
きない。だから、ここのところ炊飯ジャーが動いていないのか。
 鍋の類もおおむね流しの中だ。ということは、全然使用されてい
ないということ。
 コーヒーメーカーだけは、まともに洗われることなく高熱蒸気殺
菌だけ受けて稼働しているが……………

 そうだ。洗濯だ。
 いい加減、このシーズンにもなれば、靴下は履かないで、素足に
サンダルでいいから、履ける靴下がないということは別に考慮の外
に置いておくにしても。下着類だけは流石に洗濯したものがなくな
りつつあると厳しい。

 必要なものは、平凡と、平穏と。

 とりあえず、二面の窓を開けて。
 梅雨入り直後の晴れ間のさっぱりとした空気を、入れよう。

                         (おわり)


時系列

 1999年7月。梅雨明け直後。


解説

 どこまでも沈み込むような熟睡から目覚めた、美樹の平凡な朝。



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