吹利駅は、沢山の学校施設や研究施設などが存在し、若い層の人間がたむろする場所が少なからず存在する。 カラオケBOXに然り、ゲーム・センターに然り。
ここ、「メビウスランド」もそんな理由で建設された大型ゲームセンターだった。暗い照明の中に所狭しと並べられた光量の低いモニターと、タバコ臭い店内と言った一昔前の地方ゲームセンターの象徴は微塵もなく、遊園地のようにゆったりと配置された大型ゲーム機、大型のディスプレイ、明るい店内と、女の子でも気軽にはいることが出来る雰囲気を醸し出している。現に、店内の占い機やぬいぐるみ釣り上げ機などの周りには、近所の高等学校や中学校、大学に通学する女子学生で賑わっていた。
しかし「メビウスランド」には、他のゲームセンターには絶対に存在しない大きな特徴があった。実物の車のコクピットを4台分くり抜いて、50インチディスプレイと組み合わせた、実物さながらの対戦型ドライビングシミュレーターと、実物の戦闘機2機のコクピットを同じようにくり抜いて作った実機さながらのフライトシミュレータがそれである。
後者の「フライト」ものは、実に精巧に作られており、 NAMKOと航空自衛隊が共同開発したという事実からも、その凄さを垣間見ることが出来る。雑誌などでもてはやされ、近隣の府県からも多数のフライトマニアが訪れる場所となっていた。今日も例外ではなく、クリスマスを数日後に控えたというのに、筐体は列を作る対戦車……もとい、対戦者でいっぱいだった。
あと2人で自分の番がくるということで、岩沙琢磨呂はサイフを開けて残金の確認をした。500円玉が1枚、2枚。 吹利学院高等学校の制服の上に羽織っていたポリスコートを脱いで、彼は対戦の準備をした。
このゲームでは、勝ち抜いた人数に対して「メビウスランド」から、特製の認定バッジがもらえる。プレイした時点で「飛行訓練生」のバッジが貰え、勝ち抜いた人数に応じて、空士長、三等空曹……と、空将までバッジの質が上がっていくわけである。そして、1度過去にプレイした人は皆、「階級バッジ」をつけて2回目以後のプレイに望むと言った習慣がいつのまにか付いてしまった。今日琢磨呂は制服だったのでバッジを付けていなかった。吹利学院高校の校章だけだ。
琢磨呂の一人前の人間が負け、相手のディスプレイに勝ち抜き人数が大きく表示される。4人……勝ち抜いている。
琢磨呂は、相手に軽く会釈をしてコクピットに座り込んだ。相手の胸には準空尉(三等空尉の一つ下)の階級バッジが光っていた。相手はとことんなめきっているようだった。無理もない。4人勝ち抜き階級章を付けた物が、階級章なし(はじめて)のプレーヤーに負けるわけがないのだから。
戦闘が開始される。かなり接近した2ヶ所の空港から2機の戦闘機が離陸する。スピットファイァの両翼に据え付けられた4門の20mm機関砲の威力はすさまじく、戦闘開始数十秒で敵のP51は爆発四散した。
あまりにも寂しい戦闘に、別に据え付けられた観戦用大型ディスプレイを眺めていた観客達は、溜め息を洩らした。
自らの技量をわきまえない発言にムカッと来た琢磨呂は、ポケットをまさぐって、中から金色の「空将バッジ」を取り出すと、校章を外して代わりに取り付けた。一瞬周りの視線と、対戦者の視線が凍り付いた。
怒り頂点に達した対戦者が琢磨呂に殴りかかろうとしたその矢先、係員が口を開いた。
なんとも複雑な顔をした対戦者は、呪いの言葉を吐いて去って行った。
にやっと笑って琢磨呂はバッジを外し、また何事もなかったかのように次の対戦相手と空戦を始めた。
20人ほど勝ち抜いた頃であろうか。琢磨呂の操るスピットファイァは、ひょんな操作ミスからジャングルの木立に翼を絡ませてしまい、火だるまとなってしまった。
しまった! という顔をして舌鼓をうつ琢磨呂。彼がこんな初歩的なミスをすることは極々まれなことであった。しかしながら、すでにその日の最高勝ち抜き人数の12人を軽く越えていたため、琢磨呂はさほど不満気な顔はしていなかった。
身だしなみを整えて筐体から降りると、コンパニオンのおねぇさんが、琢磨呂にとってもう幾つ目になるか分からない空将バッジを渡してくれた。
琢磨呂は、雰囲気に合うように女性自衛官の制服をゲームセンター用にアレンジした制服を着た、結構かわいいコンパニオンのお姉さんに向かって
などと言って、おねぇさんの苦笑を買いつつ、琢磨呂は「メビウスランド」を後にした。すでに街頭がちらつき始め、気温は次第に下がりこんできていた。琢磨呂は腕時計の端に装備された簡易温度計に目をやるまでもなく、寒い事に気がつき、ポリスコートをしっかりと体に密着させて歩きだした。
コートでは防げない寒さというものが、心の中に存在していることに薄々気がつきながらも……
このクソ寒い中、暖かそうなサンタの着ぐるみを着てティッシュを配る人や、ところどころの店から流れるクリスマス・ソングは、俺の心の隙間に、七味とタバスコとキムチを混ぜたものを刷り込まれるような感覚を与えさえした。
心の隙間を吹き抜ける風の冷たさに驚愕し、俺は脇道にある、お気に入りの自動販売機に向かった。
ポリスジャケットのポケットを探って110円を探りだし、 自動販売機に入れようとして愕然としたぜ。そう……ホットが売り切れ……
突然自動販売機の前で叫んだ俺を、通行人は蔑んで見ながら通り過ぎてゆく。俺は、ガマン強いこともあるが、こういったささいなことについては短気なほうなんだ。しかし、俺の強情な性格は、コールドのジュースを買うことを断固として許さなかった。
俺は自動販売機に軽蔑の眼差しを投げかけて、ベーカリー楠に向けて歩き出した。遠くから、見慣れたベーカリーが次第に大きくなってくるのが見え、だんだんと近ずいている事を、目を通して俺の脳に伝えた。
ベーカリーまであと数メートルという所で、勢いよくドアが開いてアルバイトの浅井素子が飛び出してきた。なにしやがるってんだ! ジャケットコートのポケットにてをいれたままで寸差でかわす。
てっきり、前方不注意は緊急時の回避行動において……などと文句を聞かされることだと思っていただろう素子は、拍子抜けした感じで急いで駅の方面へと走っていった。後ろ姿を見送る俺は、素子が見知らぬ男に「待った? ごめん」と言っている様子を頭に思い浮かべちまった。
ベーカリーの前には、見慣れたバイクが止まっていて、中に3人ほどの人影が見えた。一人がバイクの所有者豊秋竜胆であり、もう一人が店のマスター、最後の一人は竜胆の恋人候補者といったところまでは、外気で凍り付いた俺の思考回路でもじゅうぶんに考えられた。
なにを思ったか俺は、あと数メートルに迫ったベーカリーのドアをずんずんと歩いて通り越し、吹利市の郊外へ向けて歩き始めた。どうしてそんな行動を取ったのか分からなかったが、ただ、ベーカリーを覗いて、中の様子を凍り付いた思考回路で瞬時に判別した結果、入りたくなくなったのだ。
ベーカリーから離れて数分、自動販売機で暖かい紅茶を購入して、何かに誘われるように夜の公園に入り、ジャングルジムのてっぺんに腰掛けた。2本のナトリウムランプが公園内をうっすらと照らし、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
吹き付ける風の中、ジャングルジムのてっぺんで一人紅茶を握り締めて、その暖かみを感じてはいたが、手だけ暖まって、心も体もちっとも暖かくはならんかった。琢磨呂の脳内部記憶集積回路を、一年前のクリスマス数日前……
……そう、ちょうど今日のような日の事を思い出していたからだ。
俺は紅茶の残りを飲み干すと、渾身の力を込めてその固い缶をジャングルジムに叩きつけた。
今度は声に出して罵りの言葉をあげ、なんども、なんども缶を叩きつけた。缶が修復不可能なほどにへこんだのを見届けると、草むらのほうへ大きく放った。環境問題に対する配慮とか、人の目とか、そんなものは既に俺の心中には存在していなかった。
俺は自分自身に対して怒りを覚えていた。昨年……いや、昨年だけじゃない、ここ近年の女性関係を、自らのミスによって破壊してきた自分に対して!
他人に嘘はつけるけれども、自分に嘘はつけない。俺は、過去の女性データーを、60ナノセコンドの速度で脳内記憶装置から呼び出し、分析していった。
何か忘れていた事に気がついたかのように、俺はふと頭を上げた。
自分で認めたくはないけれど、自分しか認められず、そして自分では否定出来ないことは、どこにでも存在する。俺は溜め息をついてまた考え込んだ。
「帝国軍人ともあろうものが、死を恐れるとは何事か!」考え込む俺の脳裏に、こう叫ぶ坂井三彦の声が響いた。いつのまにか、心の中での自問自答が、声になって現われていたのに、琢磨呂は気がついていなかった。周りには人っ子一人いなかったので、さほど問題にはなかった……はずだ
琢磨呂の脳裏には、ある女性が浮かんでいた。その女性は、年上で、性格がきつめで、そのくせ女の子らしく弱い部分を持ち合わせており、容姿端麗。胸が小さく(B75前後)ロングヘアーでないと言う大きな欠陥を持つが、 髪なんぞ伸ばせばいくらでも伸びるし、胸の大きさは気にしないので、これらの欠陥は無視出来る。しかし最大の問題は、超有力な彼氏候補を約1名抱えているということだった。 先程からの俺の悩みはここに集中された。100%により近い数字が出た場合のみ……そんな昔の、1年前の琢磨呂の考え方では、今度の相手には通用しない……いや、いくら頑張ってみた所で50を越えたりはしないのだ。そこまで分かっている相手に、琢磨呂は進撃しようと考えていた。
単刀直入に言うと、彼氏つきも同然のやつを、好きになってしまったって訳だ。まぁ、良く喧嘩してる相手だから、周りの奴はこの感情には気がつかないかもしれんが。俗に言う、喧嘩するほどなんとやら……というやつだ。
既に俺がジャングルジムのてっぺんに登ってから1時間が経過しようとしていた。不意に、俺を呼ぶ声が下から聞こえた。
聞き覚えのある声……いや、“聞きたかった声”だった。
見下ろすと、案の定豊秋竜胆がこっちを見上げていた。暗闇で詳しくは分からなかったが、豊秋竜胆の表情はいつもの笑顔ではなく、同情のそれだった。
俺は、豊秋竜胆がGパンを履いていることを確認してからこういった。数十秒して、俺の横に豊秋竜胆は座った。
竜胆は、ポケットから使い捨てカイロを取り出して俺の手に載せてくれた。
普段だったら、風邪なんかひくかよ! と、突き返している所だったが、今日は何故か、胸の底がきつく締め付けられるような思いでいっぱいだったからか、咄嗟に礼を言った。と同時に、“悩む”と言う単語から、さっきの独り言の内容を彼女が幾らか聞いていたことを知り、恥ずかしくなった。
彼女は寂しそうな顔をして街の明かりのほうを見て、言った。
ぽつりと俺は言った。
どうやら彼女は、俺が気になっている女性が自分だと言うことに全くといっていいほど気がついていないようだった。気がついていてこの発言だったら嬉しいのだが、世の中そんな甘い話は、少女漫画にしか転がっていない。しかし、彼女のこの発言で、俺は何だか肩の荷がおりたような感じがした。50%以下で失敗して、何か失う物があるのか? そうだ……彼女の言う通りだ。いっちょ、やってやろうじゃないか!
しばらく考え込んだ風をして、俺は言った。
彼女の顔が嬉しそうに笑う。
そうさ……俺はおまえのそんな笑顔が大好きだ……
たまらなくなって俺は立ち上がった。そして、さっき投げ棄てた紅茶の空き缶に向けて、抜き打ちでエア・ガンの弾を5発叩き込んだ。乾いた夜の空気に、カカカカン、カン! と、心地好い連続音が響きわたる。
数分後、公園を出ようとして俺と彼女は立ち止まった。
瞬間、俺の右腕が彼女の肩越しに背後に回り、彼女の身体を自分の胸に引き寄せた。そして、きつく抱きしめ、言った。
複雑な表情を浮かべる竜胆を後に残して、琢磨呂は大股で駅に向かってあるき始めた。一言「またな」とだけ言い残して。
現在気温、摂氏4度10分なれど、心の隙間を吹き抜ける風は、こころなしか暖かくなっていた。