- 長瀬顕(ながせ・けん)
「弾き語り通信倶楽部」シスオペ。現実と仮想現実を行き来する「仮 現往来」という異能を持つ。
1996年1月27日、休日、弾き語り通信倶楽部シスオペ長瀬顕は白昼夢にうなされていた。その日顕はいつものようにベッドの上で横の壁にもたれて谷崎潤一郎を読んでいたのだが、連日の疲れか本を落としてそのままの体勢で眠ってしまったようだった。夢の中、顕はやはり本を読んでいたはずの自分の部屋にいた。顕はどこか違うと感じたが、実際少し違った。陽光のたいして入らないその部屋にはだだっ広い木目の壁に所狭しと、幼い頃からの写真、いや絵だろうか、が歳月を追うように並べて張ってあったのだ。それらはそんなに遠くない暗がりの中に浮かび上がっていて、裸眼の顕にもはっきりと見えた。また、部屋の隅からか、チッチッチッチッチッという古い機械のような音がずっと聞こえていた。体が浮いたように妙に軽いのでやはり夢の中だろうと顕は思った。顕は現実に戻ろうと目を閉じた。すると顕の視野の端で一つの写真が鮮やかな色彩を帯びながらスッと近づいてきて、ビュンという鈍い音とともに大きな薄いスクリーンと化し、ちょうどビデオのように写真を再生しはじめた。映像は顕が幼稚園に通う前の、近所の親しかった女の子と遊んでいる映像で、そこに映っている顕や女の子の声はザァッーというノイズに紛れてよく聞こえなかった。きっかり25秒間、顕が続き見たいと思うと映像はプツッと電気が切れて、スクリーンは小さな粒に変化し、顕の頭を突き抜けて背後の固い木の壁に、しかしぬぷっとめり込んでいった。すると次のスクリーンが現れ、また粒になって壁にめり込み、映る映像の歳月は経ち、中の顕が小学生5年生になると、それまで続いた邪魔なノイズが明確な発音のセリフになった。
- 時間指定
- (「1989年・春」)
- 場所指定
- (「小学校へ行く時通る道」)
- 色指定
- (「鮮やかなカラー撮り」)
- 効果音
- (「小鳥のさえずり」)
- カメラ
- (ターゲット捉えたまま上空からエレベータで降りる)
- 女の子
- 「長瀬君おはよ〜!」
- 顕
- 「僕は将来この子と結婚するのかもしれない、というより、
おはよー)、結婚したい。僕の理想の、(一緒に行こぉ)、女の子だ。 この子はどういうふうに大人になって、(今日女子とドッヂボールすんねんてゆうてたで)、 いくんだろう。ずっとそばで見届けていたい」
- 女の子
- 「え、ほんま? そらうちががんばらんとあかんなぁ」
- 顕
- 「元気な子だ、(頑張りや)、僕まで元気になる、 (俺が最
初に当てたるで)」
- 女の子
- 「絶対あたらへんもん」
- 顕
- 「返事が暖かい、(絶対あたる!)」
- 女の子
- 「絶対あたらへん!」
- 顕
- 「気が合うな、(絶対あてるっ!)、やっぱり」
- 効果音
- (プツッ)
- 時間指定
- (「1990年・夏」)
- 場所指定
- (「塾の教室」)
- 色指定
- (「暗いカラー」)
- 効果音
- (「チョークと黒板のカツカツという音」)
- カメラ
- (教室の後ろの壁の上のほうから顕を撮る)
- 顕
- 「なんでこんなやる気のない奴等と俺が一緒のクラスやね
ん、(……)、もっとやる気のあるクラスに行きたいわな」
- 周りの生徒
- 「ワイワイガヤガヤドッヒャーゲラゲラウッソー」
「アイツナンカクライヤツヤ ナシャベリヨラヘン」「デモセイセキハエエデ アタマエエンヤロナ」
- 顕
- 「俺は頭ええんか、(……)、そんなんで頭ええてゆうんか。
そんなもんかいな」
- 塾の講師
- 「ほんだら次の問題や」
- 効果音
- (プツッ)
- 時間指定
- (「1992年・冬」)
- 場所指定
- (「進学校の中学の自教室」)
- 色指定
- (「くっきりとしたカラーにスモークを入れて」)
- カメラ
- (顕の目線で)
- 友人
- 「うわっ、長瀬勉強しとる! えっらー!」
- 顕
- 「うっといから向こう行け、(……)」
- 友人
- 「なんでそんな勉強すんねんな、すごすぎるわ」
- 顕
- 「向こう行けゆうとるやないか、(……)」
- 友人
- 「邪魔したれ!(顕のノートをふさぐ)」
- 顕
- 「てめぇ! (じゃかぁしい!)、怒鳴ったろ、 (向こう行
けゆうとるやろがっ!)」
- 友人
- 「ええやんかぁ(笑う)」
- 顕
- 「(てめぇ!) 胸倉掴む、殴るべきか、いやそれはやめと
こう」
- 他の生徒
- 「……長瀬が怒りよったで。珍しいな」
- 効果音
- (プツッ)
- 時間指定
- (「1995年・冬」)
- 場所指定
- (進学校の高校の自教室)
- 色指定
- (「鮮明なカラー」)
- カメラ
- (顕の目線で)
- 友人
- 「英語どうやったら成績上がるやろ、教えてや」
- 顕
- 「おいおい、そんなこといわれてもな、 (ん〜、やっぱ数
こなすしかないやろ)、 俺は小学校の頃からやってるからなぁ、でもそんな事言うたらイヤミっぽいな、 (とにかくいっぱい読んで慣れたらどうにかなるんちゃうか)」
- 友人
- 「今のん、何点やった?」
- 顕
- 「今日のは余裕やったけどな、 (88点。今回は調子よかっ
たんよ)」、こいつは50点くらいやろうなぁ」
- 友人
- 「さすがは長瀬さん」
- 顕
- 「『さん』って、さんとかくんとかばっかりやな俺は。な
んでやろ。敬遠されとんのかな。呼び捨てでええのにな。俺のことをわかってくれる奴はなかなかおらんなぁ」
- 効果音
- (プツッ)
- 時間指定
- (……プツッ)
最後の一つがスクリーンになったが、顕はもう見たくも聞きたくもなかった。スクリーンの中で動いていた自分の卑小さがあまりに情けないためだったのだ。あれが俺なのかと疑った。しかしこの時の顕の心にはもう、自分がどうするべきか、どう変わるべきかの考えがあった。心の中の豚を追い出して、狼を棲まわせろ。人知れぬ森へ狼を探しに行け。狼が俺の求めるものだ。俺は狼だ。そうして顕は全く己の力で目を力強く開いた。そこはまだ夢の中で、部屋は相変わらず光が入らず薄暗かったが、自分の行くべきところは見えていた。そこはとてつもなく遠いわけではなく、今まで地図上から消しゴムで消していただけだったから。狼は、いつ頃からかわからぬ眠りから、顕の要求に答えて……目覚めた。陽光が涼しく降り注ぐ壮大な森の中で一本の大木を斧をもって切り倒したときの音とともに、顕の体に緋色の狼が宿った。狼は生きろ、豚は死ね。
1996年3月12日、それでも長瀬顕は長瀬顕なのだ。
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