エピソード146『これも一つのバレンタイン』


目次


エピソード146『これも一つのバレンタイン』

登場人物

滝郁代【たき・いくよ】
料理の特異な変身能力者
湊川観楠【みなとがわ・かなみ】
ベーカリー楠店長
日阪朝【ひざか・はじめ】
観楠の悪友
隅田美々【すみだ・みみ】
朝の追っかけ
隅田桐子【すみだ・とうこ】
朝の同棲相手
浅井素子【あさい・もとこ】
ベーカリー楠のアルバイト
久永涼介【ひさなが・りょうすけ】
ベーカリー楠の常連
片山慎也【かたやま・しんや】
ベーカリー楠の常連
植木三郎【うえき・さぶろう】
ベーカリー楠の常連

プロローグ

天気予報では、その日は穏やかな朝であったという。そして、その日は『聖なる日』らしく晴れわたる空だという。だだし、一部を除いて……
 暗雲はまず、ベーカリー楠にたちこめた。

2月11日10:00……ベーカリー楠

郁代
「こんちやーす」
観楠
「あれ、今日ははやいね(今日は男ヴァージョンか)」
郁代
「へへ、マスター厨房ちょっと貸してよ」
観楠
「いまから?」
郁代
「そう。ちょっと新作のケーキをつくろうと思って。家に ある電子レンジじゃおっつかないんで」
観楠
「うーん一応仕込が終わってるからええけど……」
郁代
「ほんと! やった!」
観楠
「で、どんなケーキなん?」
郁代
「ま、バレンタイン用というやつ。出来がよかったらレシ ピあげるから」
観楠
「ん。それはええけど。材料は?」
郁代
「車ん中。もってくるわ」

郁代はアルトの中から一抱えもある段ボール箱を運んでくる。

観楠
「えらい荷物やな……? うん? 酒の香?」
郁代
「さすが。わかる? コニャックのええやつやねん」
観楠
「ああ、香づけね」
郁代
「まあそーゆーところ。ほな、かりるね」
観楠
「俺は店番があるから、手伝われへんで」
郁代
「ん。あっ、そうそう、これはかなみちゃんに」

といって郁代は皮ジャンのポケットから赤いシルクのりぼんを取り出した。

郁代
「かなみちゃんに似合うと思うんやけど」
観楠
「どうしたんこれ?」
郁代
「バレンタイン用品買いに行ったついでに買った」
観楠
「……」
観楠
「なあ、ちょっと聞いていいか? お前誰かにチョコあげ る気か?」
郁代
「『やつ』をからかおうかと……」
観楠
「『やつ』か……。聞かなかったことにしてもええか?」
郁代
「ん。ええよ」

2月11日15:15……ベーカリー楠

郁代の前には15センチ程の小さな植木鉢が10個ほど並んでいる。

郁代
「よし、あとは酒をかけるだけや」

観楠が様子を見に厨房に入ってきた。

観楠
「はーなるほど。『育てる』わけやね」
郁代
「そう、3日もすれば出来上がり、というわけ」
 植木鉢の中身は油紙にくるまれたフルーツ入りケーキで ある。
観楠の言った「育てる」とは酒の香をつける過程で、酒を振り掛けアルコールを飛ばす様を、植木鉢に水をやると比喩したわけです。実際にもこういう手法を用いたケーキの作り方があります。

2月14日11:20……ベーカリー楠

郁代は最後の「育て」を振り掛けた。

郁代
「よし、こんなもんか」
観楠
「できたんか? ほーなかなか」

郁代は一番植木鉢を一つ手に取り、逆さにした。「スポッ」という小気味良い音をたてて油紙に包まれたケーキが出てきた。
 ケーキを手際良く油紙から取りだし、その油紙を台紙にしてケーキを置く。湯煎にかけておいたチョコレートをケーキの上にかけ、ナイフで表面をならしていく。その上から生クリームを積もりかけた雪よろしく、デコレーションしていく。

観楠
「これやとかなり甘くならんか?」

郁代は観楠の前にさっきのチョコレートを差し出す。観楠は中指でチョコを掬い味見をする。

観楠
「ははあ。ビターチョコね」
郁代
「そう。大人の味やね。さ、味見してみよ」

そういって郁代はナイフでケーキを切り分ける。固まっても柔らかいチョコなのか、ナイフは案外楽に入っていく。
 切り分けられたケーキは小皿にのせられ、金色のフォークを添えられる。

郁代
「ついでやから、紅茶もいれよ。フォウションのダージリ ンやけど。マスター、ポットかりるで」
観楠
「ええよ」

カップからは芳香がたちのぼり、ケーキに花を添える。

郁代
「ま、こんなもんかな?」
観楠
「うむ、これやったら売りに出せるな」
郁代
「ほんま? よかった御墨付をいいただけた(^_^)」
観楠
「レシピもらえるかな?」
郁代
「よろこんで。はいこれ。あと、この8つは厨房の使用代 ということで」
観楠
「よろしい(笑)」

郁代は大きく「A」と書かれた植木鉢を取り出し、 別の湯煎にかけたチョコレートをかけ、生クリームをかけていく。

郁代
「マスターわかってると思うけど未成年にはあんまり向か んで、このケーキは。まあ、チョコを甘くしたらいけるかもしれんけど」
観楠
「うん、検討しとくわ」

郁代は用意しておいた箱に大事にケーキをいれていく。

郁代
「ほいじゃマスター、長いことありがと。首尾はのちほど、 ということで……」
観楠
「うん」

2月14日17:15……桐子・朝のマンション

桐子のマンションのドアをあけて美々が入ってくる。

「なんやえらい早いな。今日学校やろ」
美々
「(自分かってそうやろ……)朝ちゃん今日何の日か知って る?」
(……桐子の誕生日でもないし、 ましてや美々の誕生日で もないし……)
美々
「あー、わかってへんな!」

その声を聞き付けたのか、桐子さん仕事場から登場。

桐子
「なんの話?」
美々
「お姉ちゃんきいてよ。朝ちゃんたら今日何の日かおぼえ てないんよ!」
桐子
「今日?」
(……まてよ、桐子と出会った日か? 初デートとかの線 も捨てがたいし……)
美々
「お姉ちゃん?」
桐子
「今日って……なに?」
美々
「2月14日!! バレンタインやんか!!」
桐子
「ああ、バレンタインね」
「なんや……」
美々
「もう……お姉ちゃんまでぼけてるし……」

美々は学生鞄の影に隠してた赤い手提げの紙袋を取り出した。

美々
「はい、朝ちゃん。一応「義理」だから……」
「はいはい。ありがとうございます」
美々
「誠意がこもってない……」

ピンポーン。

美々
「あ、誰か来た。はーい」

パタパタパタ……

2月14日17:45……桐子・朝のマンション

「……なんで、お前が来るんや」
郁代
「御丁寧なご挨拶痛み入ります。こないだの見舞いのお返 しや」

郁代の言葉を聞いた瞬間、気まずい雰囲気が流れた。

「で、なんや。お返しって」
郁代
「ん、ケーキ。口に合えばええけど……」

といって郁代は箱を大事そうに取り出す。

美々
「あけてもいい?」
郁代
「どうぞ」
美々
「うわっ!! これ……もしかして手作り?」
郁代
「わかる?」
美々
「だって箱がバレンタインショップのやもん」
郁代
「さすが女の子。みるところはみてる」
美々
「じゃ、早速いただこうかな?」
郁代
「あ、台所ちょっとかりてもいいですか?」

桐子は別段気にした風もなくうなずく。

2月14日18:00……桐子・朝のマンション

郁代
「さ、おまたせ」
そういって、郁代はトレーに人数分のマグカップに入ったホットチョコレートを持ってきた。

美々
あ、あまーい!

美々は喜々としてマグカップのチョコを飲み、ケーキを食べる。桐子はケーキを食べ「あらっ」という顔をする。
 朝はケーキのみを食べている。

桐子
「このケーキ、もしかしたらお酒が入ってませんか?」
郁代
「香付け程度には……」
美々
「ふーん。そうなんだ」

朝はホットチョコを見て顔をしかめる。

「おい、郁代。なんでホットチョコなんや?」
郁代
「ん? なにゆーてんねんひーちゃん。今日はバレンタイ ンやで。チョコはつきもんやろが」

その瞬間、ホットチョコにやっと手を付けようとしてした朝の動きが停止した。

「悪い冗談やな……」
郁代
「まあ、洒落やということで」
「お前の場合、洒落で終わらん時があるからな……」

朝がホットチョコに手を付ける気がないを悟った美々はおかわりをねらう。

美々
「朝ちゃん。ホットチョコ飲まへんのやったら頂戴」
「ええよ、俺口付けてないし」
郁代
「あっ……」

美々は、朝からマグを受取り、飲みはじめた。

美々
「ん? ちょっと苦味があるけど……甘くておいしい……
郁代
(ああああ、あああ……)
美々
「あー、なんか太りそう。でもこのケーキといい、このチョ コといいおいしーやん」
郁代
「姫のお言葉有り難くいただきます……」
美々
「うむ、くるしゅうない。きゃはははははは……」

で、酔っぱらった美々は郁代の背中をバンバン叩くわ、朝に向かって日頃の鬱憤(思いのたけ)をぶつけるわ、平然としつつも実は酔っぱらった桐子さんが、あらたなる援軍(酒のストック)を持ち出すわ、ほとんど素面の朝は同じく素面の郁代に怒鳴りつけるわ……。狂宴は夜半過ぎまで続いたという……(合掌)

おまけ

ベーカリー楠その後……

素子
「こんにちわーマスター!」
観楠
「いらっしゃい。今日は早いね。まだ(バイト開始まで)時 間がだいぶあるよ」
素子
「えっと……。マスター、はい、これ」

そういって素子は茶色の布で可愛くラッピングされた箱を取り出した。

素子
「お口にあえばいいんですけど……」
観楠
「うん? えっ! 私にくれるの?」

しばし照れる観楠。結構いいムードである。
 カランカラーン!
 勢いよく扉をあけて入ってきたのは例の高校生トリオである。

素子
(……このバカヤローせっかくのチャンスだったのに……)
三郎
「おっ!」
慎也
「あっ!」
涼介
「ほほう。いいところに」
3人
「でくわしましたね……」

しばし、素子と観楠をからかう3人。
 ついでに素子にチョコをねだりはじめる。
 当然そんなもの用意してある訳がない。

観楠
「ああ、もう。これあげるから静かにしぃ!」

観楠は郁代特製のケーキを振る舞うことにした。

素子
「これ……。新作ですか?」
観楠
「まあ……そんなもんかな? あっ、ちょっと待ってや」

そう言って観楠は厨房に入り、余ってた郁代のチョコでホットチョコを作ってきた。

観楠
「ついでやからこれも飲み。あ、素子ちゃんも一緒に……」
素子
「いいんですか?」
観楠
「いいよ(どうせロハで手に入ったもんやから……)」
美樹
「あっ、マスター私には珈琲を」
素子
「きゃ、美樹さんいつからいたんですか?」
美樹
「……」

美樹は本に没頭しはじめた。もう何も聞こえていないようだ。

観楠
「はい、珈琲。(素子に)素子ちゃんがくる1時間程前だよ」
素子
(危なかった……)
観楠
「? 素子ちゃんどうしたの? 顔赤いよ?」
三郎
「うむ、このケーキなかなかいけるやないか」
涼介
「ホットチョコもまあまあやし」
慎也
「ああ、これが女性の手作りケーキやったらなあ……」
3人
「はあー(嘆息)」

そして、素子の到着に遅れること1時間後、由加梨ちゃんがベーカリー楠を訪れた時、そこにはよっぱらいの集団が陽気にくだを巻いている地獄絵図であった(合掌)。



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