エピソード322『純愛セレナーデ』


目次


エピソード322『純愛セレナーデ』

夏の夜のドライブ

大学の試験が終わり、地方出身者の中にはとっとと田舎に帰る者もいれば、いつまでも大学の周りをうろついている奴もいる。そんな8月初旬の暑い日のお話

時雨
「もうすぐ2時かぁ、そろそろちょっと本気で……」

缶コーヒーを飲み干すと、時雨はバス停に止めていたST202に乗り込んだ。

時雨
「マフラー変えたから、低速でのトルクがまた悪くなった みたいだ。中身をいじらないとむりかなぁ、でも0−400に興味はないからな……」

一人でぶつぶつ言いながら、エンジンに目覚めの刻を知らせる。ホイルのあげる悲鳴が、NAエンジンの音色にかき消される。
 3速で5000回転、メータは既に100を超えている。わずかにステアリングをきり、フットブレーキを踏み込みむ。自然に流れ出したリアのタイヤが鳴りながらコーナーを曲がっていく。

時雨
「うん?」

ふと、目をやった歩道を見慣れた女の子が歩いていた。うつむき加減に歩いている姿を時雨は不思議に感じた。ステアリングを右手で切りながら、サイドブレーキを思い切り引き上げる。時雨は180度変わる光景を見ながらカウンターをあて、姿勢を戻し、引き返していった。

時雨
「へぇろおぉ、元気ぃ。あきりん」
竜胆
「あっ、紫擾君」

その顔は明らかにいつもの様子ではなかった。その沈んだ顔に時雨ははげしく違和感を感じていた。

時雨
「女性の深夜の一人歩きは感心しませんねぇ」
竜胆
「別に……」
時雨
「乗りなよ、ドライブしてから家まで送ったるから」
竜胆
「うん……」

いつもの元気な口調ではない、だいたい自分の深夜のドライブに一緒に来ること自体いつものあきりんではない証拠だ。
 ステレオから流れる TAKE THATの曲が沈黙の時間の中を支配していた。車が奈良に入った頃、あきりんが口を開いた。

竜胆
「どこ行くの?」
時雨
「ちょっとね、」

気まずい時間だった、あきりんの様子に時雨もいつもの調子で話しができない。
 しばらくすると、長い峠を登っていくST202、料金所の出口からさらに山頂目指して登っていく。

時雨
「とうちゃぁ〜くぅ」
竜胆
「ここどこ?」
時雨
「まぁまぁ、ほらぁ」

時雨は下界を指さした、人工の光が生み出した夜景が映し出されている。

竜胆
「こんな時間なのにまだ、きれいだね」
時雨
「そうだろう、そうだろう」
竜胆
「……」
時雨
「……」
竜胆
「あたし……」
時雨
「……」
竜胆
「更ちゃんと喧嘩したの」
時雨
「……」
竜胆
「最近、あんまり会ってなくてね。学校の研究室まで行っ たんだ」
時雨
「……」
竜胆
「そしたら、更ちゃんが綺麗な女の人と楽しそうに話して るの。私、別にそんなこと気にしないつもりだったのに、私の知らない女の人と話してるを見てたら……」
時雨
「研究室の人だろ?」
竜胆
「わからない、更ちゃん冷たくて、今忙しいからって、二 人でいっちゃおうとして、それで、私、更ちゃんに、更ちゃんに、更……」
時雨
「……」
竜胆
「私、最近自分の事がわからないの、こんなはずじゃなかっ たのに……」
時雨
「……」
竜胆
「ねぇ、紫擾君。私どうしたらいいの?」
時雨
「それはあきりんもわかってるんじゃないのかい」
竜胆
「でも……」
時雨
「人間ってのはね、生きてれば必ず右に行くか左に行くか 選ばなきゃいけない時があると思うんだ。それはきっとどっちにいっても後悔するかもしれないし、先のことなんかはわからない」
竜胆
「……」
時雨
「それでも選ばなきゃ、自分が信じる方を」
竜胆
「……」
時雨
「あきりんの人生はあきりんのものだ。あきりんは自分が なりたい自分になればいいんだよ」
竜胆
「……」
時雨
「送るよ」

手紙

この間は、急に押しかけて、ヘンなこと言ってごめんなさい。
 更ちゃんにだって都合があるんだし、ホントに忙しかったんだろうし。
 この手紙が更ちゃんの手元にある頃は、実家に帰ってます。
 スピード違反の危険をおかして三重にくることがあったら、携帯にでも電話してね。電話番号は変更なしでいけるはずです。 竜胆

海岸にて

剽夜
「御殿場海岸か……紛らわしい名前だよな」

夏の日差しが、海ではいっそう眩しい。
 剽夜はどうにか隙間を見つけて、車を停めた。公衆電話を探し、走っていく。
 一時間ほどして、竜胆が阿漕駅の方から歩いてくるのが見える。

竜胆
「更ちゃん……! お待たせ」
剽夜
「駅から歩いてきたの?」
竜胆
「うん……」

あの気まずい日から、一週間が過ぎていた。
 竜胆の手紙から、心に刻まれるべき日が近づいていることを察して、剽夜は竜胆の故郷、三重県にきていた。

竜胆
「水着は? 持ってきたんでしょ」
剽夜
「ああ、持ってきてるよ。アトピーに効くからね、海水は」

竜胆は明らかに無理していた。いつもと変らず振る舞おう、そんな無理が、あちこちに見えた。
 つづかない言葉。ぎこちない態度。
 やがて、潮が満ちてきた。干潮時なら、遠浅の海を満喫できるが、満潮時ともなると、波が激しく、浜を打っている。
 日もだんだんと傾き始め、浜辺は急に人気が少なくなっている。

竜胆
「……来てくれたんだね」
剽夜
「……うん」
竜胆
「……この前のこと、あたし、気にしてないから」
剽夜
「……」
竜胆
「だって、あたしたち、別に付き合ってるとかそんなんじゃ ないし……ただ……仲がすっごくよかったってだけで」
剽夜
「……」
竜胆
「わかんないよ……あの日、更ちゃんに会いにいかなかっ たら、平気だったかも知れない……けど、気にしないつもりだったけど、平気じゃなかったんだもん……あたしの勝手な誤解かもしれないけど、すごく……すごく悲しかった。
どうしていいかわからなくなっちゃった……更ちゃんのこと、信じられなくなっちゃって……ごめんね」
剽夜
「謝るのは私の方だ……」
竜胆
「紫擾くんは、あたしの好きなようにしろって、言ってく れたけど……できない……恐いの……もし、更ちゃんが、ホントはあたしのことキライだったらって、 それを知っちゃったらって思ったら……」
剽夜
「私は…… 忙しくたって、あきりんのことは大事にして る……つもりだった……最近はホントに忙しくて、寄れなかった」
竜胆
「わかってる……それはわかってる。でも、でも……あた し、わがままだね……いつも更ちゃんが言ってるけど、あたしってホント、わがまま」
剽夜
「……私は、別にあきりんのわがままはキライじゃないぞ」
竜胆
「え?」
剽夜
「キライだったら、入浸ったりはしない」
竜胆
「……」
剽夜
「キライだったら、一緒にいたいとあまり思わないし、第 一疲れるじゃないか。私は、あきりんの部屋が気に入ってるんだ。落ち着くし」
竜胆
「部屋……あたしはどーでもいいの?」
剽夜
「まさか。あきりんの部屋だから、お気に入りなんだよ」
竜胆
「……大学に近いからじゃないの?」
剽夜
「それだけが理由なら、紫擾くんの部屋にでも行ってるよ。
わかりやすく言えば、あきりんに会いたいから、あきりんの部屋に行ってるんだ」
竜胆
「……ホント?」
剽夜
「ホントだって」
竜胆
「よかった……」
剽夜
「ん」
竜胆
「その……誰か好きな人が出来て、その人の部屋の方が、 気に入っちゃったのかと……思ったの」
剽夜
「……ばかだね、あきりんは」
竜胆
「ホント……ばか。あたしって」
剽夜
「でも、あきりんは悪くないぞ、全然。悪いのは私の方だ。
はっきりしなかったから……竜胆」
竜胆
「は、はい」
剽夜
「私は、竜胆のことが好きだぞ」
竜胆
「は、はい」
剽夜
「それから、あの人はとっても頭の偉い友達だ。よくノー トを借りてる」
竜胆
「と、友達にしてはすっごく楽しそうだったけど?」
剽夜
「女の子と話してる時につまらない顔する男はあんまりい ないと思うぞ」
竜胆
「……あ、そ」
剽夜
「ああ、そうだぞ」
竜胆
「……まあ、いいや。その話はまた今度すればいいし。今 日は、更ちゃんが来てくれたってだけで十分嬉しいし」
剽夜
「(え、それだけ?)」
竜胆
「……もちろん、さっきの言葉の方が……嬉しいけど」
剽夜
「(ほっ)」
竜胆
「……」
剽夜
「家まで送ってあげるよ。駅まで遠いんだろ?」
竜胆
「うん」

国道

国道23号線を剽夜の車は北上する。海水浴帰りの車で、路は結構混んでいる。
 既に日は落ちている。

剽夜
「……あきりん」
竜胆
「なに?」
剽夜
「最近冷たくしてて……ごめん。悪かった」
竜胆
「更ちゃん……研究室が忙しいんでしょ。更ちゃんは忙し いの、解ってる……ううん、解ったから」
剽夜
「……それでも、帰りに寄るくらいはできたはずだし……」
竜胆
「今日。ここに来てくれたから、いいの。許す。情状酌量」
剽夜
「……ははーっ、ありがとうございます」
竜胆
「これにて閉廷っ」
剽夜
「ははは……あきりん?」
竜胆
「あはは……なに?」
剽夜
「これからは毎日電話する」
竜胆
「……」
剽夜
「あきりんの部屋に行くときも行かない時も、電話する。
……また、いきなり実家帰られても困るからな」
竜胆
「……うん、そうして。 あたしは、更ちゃんから電話か かってきてから、寝るから」
剽夜
「朝の五時にかけてきても、そうするのか?」
竜胆
「夏休みの間はね」
竜胆
「……ホントにいいの? お腹すいてないの?」
剽夜
「いいって。照れくさいし」
「わんわんわんっ! わんわん、わおーん!」
竜胆
「あ、ぶー太郎に見つかった」
剽夜
「なんちゅう名前だ……」
竜胆
「ぶー! 静かにしなさい」
ぶー太郎
「わんわんわんっ」
竜胆
「……言う事きけよ」
剽夜
「じゃ、帰ってきたら、また電話してね」
竜胆
「うん。じゃ……またね……」
剽夜
「お休み〜」

剽夜の車が動きだした。角を曲がるまで、竜胆は見送る。

竜胆
「……んふ」

時雨再び

紫擾時雨は、相変わらず深夜になると車を飛ばしている。
 この前スピード違反で捕まったのに、懲りてないらしい。
 峠のてっぺんで、一休みする紫擾。

紫擾
「……」

この前、竜胆にここからの夜景を見せたのを思い出した。
 あれから一週間。
 竜胆はまだ帰ってきていない。
 たばこに火をつけて、二口三口吸うと、携帯が軽やかな音を立てる。

紫擾
「はい?」
剽夜
「紫擾くんか。私だ」
紫擾
「更毬さん、どうしたんです?」
剽夜
「いや、礼を言おうと思って」
紫擾
「礼ですか。別にたいしたことはしてませんから、ええ」
剽夜
「あの時は、忙しくて、どうかしてたんだ」
紫擾
「私に言い訳してもしょうがないと思うんですがぁ」
剽夜
「それもそうだな」
紫擾
「で、あきりんにちゃんと謝ったんですか?」
剽夜
「ああ。三重県まで行ってきた」
紫擾
「……帰りは一緒じゃなかったんですか?」
剽夜
「ああ、独り。だって、いきなり一緒に帰ったら、誘拐に なっちゃうじゃないか」
紫擾
「いやぁ、更毬さんならそれくらいはやりそうですし…… 嘘です、ごめんなさい」
剽夜
「いや、ホントはしたかったんだけどな。 まだ、元どお りってわけにはいかないから……研究室が終わったら、入浸ることにするわ」
紫擾
「それがいいでしょうな」
剽夜
「じゃ、それだけだから」
紫擾
「はいはい、お休みなさい」
紫擾
「上手くいったのか……な? なら、めぐみにも教えてな いと。心配してたからなぁ」

ベーカリーの笑顔

竜胆
「こんにちわーっ!」
観楠
「あ、竜胆ちゃん、しばらく見なかったけど、どうしてた の?」
竜胆
「ちょっと郷に帰ってまして……はい、これお土産。『鈴 鹿の風』」
観楠
「あ、あのサーキット名物の(笑)」
竜胆
「実家が鈴鹿ですから(笑)」
観楠
「どうだった、実家」
竜胆
「落ち着けました。結構、嫌なこととかあったから……」
観楠
「……ま、かけててよ。麦茶くらいは出すから。せっかく のお土産、いただかないと(笑)」
竜胆
「そういや、こっちは、なにかありました? 変わったこ ととか」
観楠
「え……ないんだよこれが」
竜胆
「波風立たないのは、それはそれでいいですよね」
観楠
「……そうだね」
竜胆
「……それにしても、この時間、ホントひまですね」
観楠
「そうだね……」

また、いつもの日常が始まる。
 少しずつ違っていても、大きな変化のない日常が。

暑中見舞

紫擾
「ポストのぞいても〜入ってるのは裏ビデオのチラシばっ かり〜」
めぐみ
「ちょっと、ヘンな歌、歌わないでよ。恥ずかしいじゃな い」
紫擾
「ごめんごめん……おりょ。 暑中見舞いなんてのがきて る……あきりんからだ」
めぐみ
「……あの子、ヘンなところでマメだからね」

		暑中見舞い申上げます☆
		はっきり言って、暑い。死ぬほど暑い。
		土用の丑は、ちゃんとうなぎ食べた? 

					あきりん★

		ps	お世話になっちゃったね。ありがと★

紫擾
「……みる?」
めぐみ
「うん……なに、これ。ヘン(笑)」
紫擾
「元気になったみたいだねぇ、あきりん」
めぐみ
「そうだね……よかった……」



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