エピソード325『寝苦しい夜に……』


目次


エピソード325『寝苦しい夜に……』

登場人物----------

狭淵美樹
スチャラカ医学生。SFマニア。
狭淵麻樹
美樹の双子の妹。真面目な医学生。
士堂彼方
情報学部生。SF研の会員。
光る影
??

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12時。クーラーがついていない美樹の下宿。電灯を付けっぱなしで、寝ている美樹。

美樹
「……暑い……匍匐前進……」

寝返りを打つ。

電話
「ホーッホッホッホッホ! ホーッホッホッホッホ!」
美樹
「……何だ? あぁ……電話か……」
電話
「ホーッホッホッホッホ! ホーッホッホッホッホ!」

ずるずると這いながら受話器を取る。

美樹
「……ふぁい。狭淵ですけど。ふぁぁぁ。あ、失礼。どち ら様でしょうか?」
麻樹
「おぅ。兄貴か?」
美樹
「ん。麻樹ですか。どうしましたこんな時間にっ……って、 今は何時だろう……」
麻樹
「もうすぐ12時だな。なんだ。もう寝ていたのか」
美樹
「ん。いつの間にか眠っていたようだ」
麻樹
「どうだ。そっちは。暑いか?」
美樹
「死ねそうなほど。仙台は未だ涼しいだろう」
麻樹
「そうだな。で、兄貴はいつ、富山に帰る?」
美樹
「そうやねぇ……八月の二日が用がありますから、それか ら帰ろうかと。まぁ、五日ぐらいですかなぁ」
麻樹
「そうか、そんなに早く帰るのか」
美樹
「食費ないし。もう授業は終わりましたか?」
麻樹
「もう、二日ほどある。そっちはどうだ?」
美樹
「一週間ほど前に終わってね。今、バイト」
麻樹
「なにしてんだ?」
美樹
「ガイド。外人さんつれて、京都奈良吹利廻ってる」
麻樹
「ふーん」
美樹
「で、そっちはいつ帰って来るんですか?」
麻樹
「自動車の教習が終わんなくてさ。秋田のばあちゃん所に かあさんつれていく時に、仙台通過してもらって一緒に帰ろうかと」
美樹
「なるほど」
麻樹
「で。元気なんだな」
美樹
「無論。そちらは?」
麻樹
「全然元気だ」
美樹
「なら良かった。ほいじゃ。また」
麻樹
「おやすみ」
美樹
「おやすみ」

受話器が置かれる。静寂。
 開け放した窓から生暑い風が吹き込み、室内に散乱する過去問の残骸を揺らす。

美樹
「暑い……」

グレープフルーツジュースのペットボトルが、冷蔵庫に入れないまま置かれているのに気が付く。
 辞書と教科書の間に埋まっているマグカップを引っぱり出し、注ぐ。
 一口飲んで。

美樹
「ぬるいな」
美樹
「ああ」

……
 受話器を取る。電話番号を三本指で押す。

美樹
「もしもし。どーも。狭淵です」
彼方
「あ、狭淵さんですか。どうしました?」
美樹
「いや、今から行こうかと思いましてね。起きているかど うか確認しておこうと思いまして」
彼方
「実は今起きたところです」
美樹
「じゃぁ、今は誰もいないんですね」
彼方
「実は、外浦君がいます」
美樹
「なるほど。それでは、おそらく30分以内にそちらに着く と思いますから。あ、岡山合宿の話もしときたいので、彼には行くまで待っていてと伝えといて下さい」
彼方
「判りました。ではでは」
美樹
「では」

受話器を置く。
 ショルダーバックに数冊の本と地図を詰めてから、電灯を消す。窓は閉めない。深夜のマンションにドアの開閉音が響く。無人の美樹の部屋。
 白くぼんやりと光る影が浮かび上がる。

光る影
「……」

三時過ぎ。ようやく、気温が下がってくる。
 しかし、湿度は下がらず、相変わらずむしむしした空気。
 時折、東大路通りを車が行きすぎる。
 人っ子一人いない路上を、車道の端を美樹の自転車が走ってくる。

美樹
「うむうむ。 今日はレスをおおむね、大胸筋、じゃなく て……いや、そういう問題じゃないな。新刊チェックはしたし。レスも書いてきたし。バイトは当面ないし。運転手の確認は終わったし。
今日の予定は、No Ploblem、と、い・う・わ・け・で。うーむ、取りあえず、明日は特に何もないから……取りあえず寝て……あ、研究室にでも顔出しとくか。
で、帰りに平瀬さんちと、パン屋さんにでもよって、と。おっと、黒猫ではないか。横切るのは勝手だが、不幸は要りませんからな」

路地裏に、パトカーがいるのを確認する。

美樹
「そう言えば、発砲事件があったのは去年の今頃だとか言っ てましたねぇ。警察の方々もご苦労さん、といった感じでしょうか。おぉ、これで、路上でヤンキーと言う方々に絡まれたりしても安心、という訳ですねぇ。めでたしめでたし、と」

軽く前輪を持ち上げて、歩道に乗り上げる。見上げると、美樹の部屋の窓から青白い薄明かりが漏れている。

美樹
「……あれ? スタンドでも付けっぱなしだったでしょう か。まぁ、空き巣氏(うじ)でもご在宅だったら、話でも聞いてみましょうか。どうせ、取るほどの物はないですしねぇ」

学生マンションの裏に回って、自転車置き場の中に突っ込んで急停止する。

美樹
「着艦!」

自転車の鍵を抜く。

美樹
「みっしょん、こんぷりーと!」

そう呟きながら、自転車からややオーバーアクションで降り立つ。
 階段脇の郵便受けの戸を開ける。

美樹
「何か来て……るわきゃないな」

当たり前である。夜中の0時から3時までの間に届く郵便物は、ふつーはない。ショルダーバッグをなで肩に担ぎなおしながら、階段を昇る。
 美樹の部屋は三階だ。二階の踊り場を通過すると、ポタン、と物音。

美樹
「ん? ……ヤモリって、飛ぶんですか」

ヤモリが、美樹の足音に驚いて、自転車置き場の屋根にジャンプした音だったのだ。

美樹
「部屋のキー、部屋のキーっと」

ベルトに結わえ付けてある部屋のキーが、ジーンズのポケットの中で何かに引っかかって出てこない。

美樹
「なんじゃ、こりゃ。……ふん」

無理にポケットを裏返すと、ぼろぼろになったコンビニのレシートに絡まった鍵がでてくる。

美樹
「? 何故出てこなかったのであらふ……」

キーを差し込んで右に回す。かちゃりと音がして開く。
 湿った、暑い空気が漂い出す。美樹は鼻が悪いので臭いには気が付かない。

美樹
「あっちゃ。窓開けていくべきでしたな。あれ?」

ぼぉっと光る影が、部屋の奥の方に漂っている。

美樹
「街灯でも反射しているんですかね?」

美樹は、そのまま入って、台所の電灯をつけようとする。

光る影
「もし」
美樹
「もしかめよかめさんよ」

半分無意識に答えながら電灯をつける。一気に部屋全体が明るくなる。

光る影
「ふみゃぁ!」
美樹
「みゃぁ! ……って、どなたかいらっしゃいますか?」

返事はない。

美樹
「……なんだったんでしょうか……今の声は……うーむ。 ゆーれいとゆーことはあんまり良い結論とは言えませんからねぇ。ま、明日もありますし、寝ますか」

部屋の電灯を灯して、台所の電灯を消す。
 座布団を並べなおして、その上に横になる。

美樹
「ま、何も問題はない。世はなべて事は無し。鳥鍋は旨し。 うーむ、上手く韻が踏めておらんのう……」

あっさりと寝息を立てる美樹。電灯はついたまま。

光る影
「……(こう明るくっちゃ、見えないじゃない!)」

翌日。美樹の部屋には朝日は差し込まない。
 10時過ぎ。気温は30度を越える。

美樹
「暑すぎる」

座布団の上からズルズルと這って、扇風機に手を伸ばす。

美樹
「84式扇風機、起動!」

スイッチが入る。そのまま、再びの眠りに落ちる美樹。
 12時過ぎ。気温は35度を突破する。
 扇風機が回っている。

美樹
「うーーーー」
電話
「この音は電話である! この音は電話である! この……」
美樹
「ふぁい、狭淵ですけど」
女性
「あ、狭淵さんのお宅ですか? すいません、美樹さんお 願いします」
美樹
「(……本人なんだけどな)どちら様でしょうか?」
女性
「あ、わたくし、@@@英会話の@@と申しますが……」
美樹
「(うーむ。どうせわたしを女性と間違えているんだろう なぁ)あ、妹でしたら、しばらく旅行に出ていますので……」
女性
「いつ頃お戻りになられるでしょうか?」
美樹
「いえ。ちょっと判らないので、……失礼」

受話器を置いて、温度計を見る。室温38度。

美樹
「……寝直す気にもなれんわな……うむ。水風呂でも浴び るとしますか」

(30分経過)
 風呂に流れ込む水の音……
 風呂から溢れる水の音……
 (さらに30分経過)
 風呂に流れ込む水の音……
 風呂から溢れる水の音……
 (その上さらに1時間経過)
 風呂に流れ込む水の音……
 風呂から溢れる水の音……
 (その上さらに2時間経過)
 風呂に流れ込む水の音……
 風呂から溢れる水の音……

美樹
「ふぇっくちぃ。むぅ(今何時だ? 一体?) うーむ。寝 てたな」

風呂から上がり、体を拭きながら室温計を見る。40度。
 夕日が理不尽に、赤い。西日パワー、全開である。
 おまけに、風呂のせいで湿度も高い。

美樹
「くぅ。我が文明の力、とくと思い知るがいい!」

クーラーのスイッチを入れる。
 間もなく、効きだしたクーラーの音と、美樹の寝息が重なる……
 夕日が沈む。
 気温は下がり出す。
 クーラーは動き続ける。

美樹
「はくちぃ」

くしゃみをしながらも目をさましはしない。
 いつの間にやら、光る影が美樹の上空1メートルほどの高さに現れている。

光る影
「あの……」
美樹
「ノア」
光る影
「……(今のは冗談なんでしょうか?)……もしもし」
美樹
「アルペジオ」
光る影
「……風邪ひきますよ」
美樹
「ゼット・ゼット・ゼット……」
光る影
「いびきですか?」
美樹
「皇国の興廃この一戦にあり」
光る影
「……あの〜〜もしもし?  ……複雑な寝言を……いや、 本当は起きていて、わたくしをからかっているんでしょうか?」
美樹
「総員、対閃光対ショック体勢!」
光る影
「とにかく……このままでは風邪をひいてしまいますわね」

光る影、押入から布団を引っぱり出して美樹にかける。

美樹
「この船では、奴らに、勝てない」

美樹は寝ている。

電話
「この音は電話である! この音は電話である! この音 は電話である! この音は電話である! この……」

目を閉じたまま、手探りで受話器を引っ張る。

美樹
「ふぁい、狭淵ですけど」
狭淵・母
「あ、美樹? もう寝てたの?」
美樹
「……今何時でしょうか?」
狭淵・母
「11時」
美樹
「(昼から寝てたということは言わない方がいいでしょうな) あぁ、今眠りかけたところですから。で、何でしょう?」
狭淵・母
「あ、米を送っておきましたから。着いたら連絡しなさいね」
美樹
「はいはい。判りました」
狭淵・母
「京都は暑い?」
美樹
「一応、クーラーあるし。ま、暑いことは暑いですけど」
狭淵・母
「身体に気ぃ付けなさいね」
美樹
「えぇ、ま、それじゃ今日はもう遅いし」
狭淵・母
「ええ。おやすみ」
美樹
「お休みなさい」

受話器を置いて、暗い部屋で、しばらくぼぉ〜〜っとしている。

光る影
「もしもし」
美樹
「ん?」

見回す。真後ろに、光る影。

美樹
「ん〜〜?」

触ってみようとすると、通り抜ける。

光る影
「あの〜〜」
美樹
「(頬を掻く。ポリポリポリ) どちら様でしょうか? 
いや、これは気のせいかな。寝過ぎたのかもしれない」
光る影
「あの、別に気のせいではなく、わたくしが話しているん ですけど」
美樹
「あぁ〜〜? あ。あぁあぁあぁ。判りました。いや、こ れは失礼を」
光る影
「いえいえ」
美樹
「あ、電気付けましょうか?」
光る影
「申し訳ないんですけど、わたくし、強い光が苦手でして」
美樹
「そうなんですか」
光る影
「で、驚かないんですか?」
美樹
「驚くタイミングを少々逸しまして。で、どちら様ですか?」
光る影
「あぁ、申し遅れました。わたくし、ふみと申します」
美樹
「はぁ、ふみさんですか。あ、わたしは狭淵美樹と申しま す」
ふみ
「あ、いえ、存じております」
美樹
「で、本日は如何なるご用件でしょうか?」
ふみ
「いえ、わたくし、そちらの(と、美樹の書棚を指す)書物 の霊なんですけど」
美樹
「は?」
ふみ
「いえ、わたくし、生まれてから25年このかた、ずっと書 店の片隅にいたんですけれども、どなたにも買っていただけず、いつもいつも悲しい思いをしておりました。それを、美樹さんに買っていただき、あまつさえこの様な立派な書棚に住まわせていただけまして。これは是非御恩返しを、と思いまして」
美樹
「……(あの詩集かぁ。確かに、新刊屋にある本とは思え ない旧さと安さだったからなぁ。マイナ−所だから、とても売れるような本じゃないし。あれってマニアのコレクターズアイテムってわけでもないんだよなぁ)
えーっと、ま、ご恩というほどのことではないと思うんですけどね、うん」
ふみ
「いえ、それではこちらの気が済みません」
美樹
「んーと。ま、いいや」
ふみ
「何をしましょう?」
美樹
「どうせ、恩を返したらいなくなる、とか、帰らなきゃい けないというわけじゃないんでしょう?」
ふみ
「はぁ、そうですけど。本体はここにありますから、帰る も何もありませんし」
美樹
「ほんじゃ、まぁ、ここにいたってくださいや。わたしが 留守のときに留守番ぐらいしてくれればそれでいいですから」
ふみ
「それでは、ここにいればよろしいんでしょうか?」
美樹
「そうして下さい。ま、何かのご縁とゆーことで」

かくして、売れない詩集の霊、ふみは美樹の部屋にいることになったのであった。



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