登場人物----------
- 狭淵美樹
- スチャラカ医学生。SFマニア。
- 狭淵麻樹
- 美樹の双子の妹。真面目な医学生。
- 士堂彼方
- 情報学部生。SF研の会員。
- 光る影
- ??
12時。クーラーがついていない美樹の下宿。電灯を付けっぱなしで、寝ている美樹。
- 美樹
- 「……暑い……匍匐前進……」
寝返りを打つ。
- 電話
- 「ホーッホッホッホッホ! ホーッホッホッホッホ!」
- 美樹
- 「……何だ? あぁ……電話か……」
- 電話
- 「ホーッホッホッホッホ! ホーッホッホッホッホ!」
ずるずると這いながら受話器を取る。
- 美樹
- 「……ふぁい。狭淵ですけど。ふぁぁぁ。あ、失礼。どち
ら様でしょうか?」
- 麻樹
- 「おぅ。兄貴か?」
- 美樹
- 「ん。麻樹ですか。どうしましたこんな時間にっ……って、
今は何時だろう……」
- 麻樹
- 「もうすぐ12時だな。なんだ。もう寝ていたのか」
- 美樹
- 「ん。いつの間にか眠っていたようだ」
- 麻樹
- 「どうだ。そっちは。暑いか?」
- 美樹
- 「死ねそうなほど。仙台は未だ涼しいだろう」
- 麻樹
- 「そうだな。で、兄貴はいつ、富山に帰る?」
- 美樹
- 「そうやねぇ……八月の二日が用がありますから、それか
ら帰ろうかと。まぁ、五日ぐらいですかなぁ」
- 麻樹
- 「そうか、そんなに早く帰るのか」
- 美樹
- 「食費ないし。もう授業は終わりましたか?」
- 麻樹
- 「もう、二日ほどある。そっちはどうだ?」
- 美樹
- 「一週間ほど前に終わってね。今、バイト」
- 麻樹
- 「なにしてんだ?」
- 美樹
- 「ガイド。外人さんつれて、京都奈良吹利廻ってる」
- 麻樹
- 「ふーん」
- 美樹
- 「で、そっちはいつ帰って来るんですか?」
- 麻樹
- 「自動車の教習が終わんなくてさ。秋田のばあちゃん所に
かあさんつれていく時に、仙台通過してもらって一緒に帰ろうかと」
- 美樹
- 「なるほど」
- 麻樹
- 「で。元気なんだな」
- 美樹
- 「無論。そちらは?」
- 麻樹
- 「全然元気だ」
- 美樹
- 「なら良かった。ほいじゃ。また」
- 麻樹
- 「おやすみ」
- 美樹
- 「おやすみ」
受話器が置かれる。静寂。
開け放した窓から生暑い風が吹き込み、室内に散乱する過去問の残骸を揺らす。
- 美樹
- 「暑い……」
グレープフルーツジュースのペットボトルが、冷蔵庫に入れないまま置かれているのに気が付く。
辞書と教科書の間に埋まっているマグカップを引っぱり出し、注ぐ。
一口飲んで。
- 美樹
- 「ぬるいな」
- 美樹
- 「ああ」
……
受話器を取る。電話番号を三本指で押す。
- 美樹
- 「もしもし。どーも。狭淵です」
- 彼方
- 「あ、狭淵さんですか。どうしました?」
- 美樹
- 「いや、今から行こうかと思いましてね。起きているかど
うか確認しておこうと思いまして」
- 彼方
- 「実は今起きたところです」
- 美樹
- 「じゃぁ、今は誰もいないんですね」
- 彼方
- 「実は、外浦君がいます」
- 美樹
- 「なるほど。それでは、おそらく30分以内にそちらに着く
と思いますから。あ、岡山合宿の話もしときたいので、彼には行くまで待っていてと伝えといて下さい」
- 彼方
- 「判りました。ではでは」
- 美樹
- 「では」
受話器を置く。
ショルダーバックに数冊の本と地図を詰めてから、電灯を消す。窓は閉めない。深夜のマンションにドアの開閉音が響く。無人の美樹の部屋。
白くぼんやりと光る影が浮かび上がる。
- 光る影
- 「……」
三時過ぎ。ようやく、気温が下がってくる。
しかし、湿度は下がらず、相変わらずむしむしした空気。
時折、東大路通りを車が行きすぎる。
人っ子一人いない路上を、車道の端を美樹の自転車が走ってくる。
- 美樹
- 「うむうむ。 今日はレスをおおむね、大胸筋、じゃなく
て……いや、そういう問題じゃないな。新刊チェックはしたし。レスも書いてきたし。バイトは当面ないし。運転手の確認は終わったし。
今日の予定は、No Ploblem、と、い・う・わ・け・で。うーむ、取りあえず、明日は特に何もないから……取りあえず寝て……あ、研究室にでも顔出しとくか。
で、帰りに平瀬さんちと、パン屋さんにでもよって、と。おっと、黒猫ではないか。横切るのは勝手だが、不幸は要りませんからな」
路地裏に、パトカーがいるのを確認する。
- 美樹
- 「そう言えば、発砲事件があったのは去年の今頃だとか言っ
てましたねぇ。警察の方々もご苦労さん、といった感じでしょうか。おぉ、これで、路上でヤンキーと言う方々に絡まれたりしても安心、という訳ですねぇ。めでたしめでたし、と」
軽く前輪を持ち上げて、歩道に乗り上げる。見上げると、美樹の部屋の窓から青白い薄明かりが漏れている。
- 美樹
- 「……あれ? スタンドでも付けっぱなしだったでしょう
か。まぁ、空き巣氏(うじ)でもご在宅だったら、話でも聞いてみましょうか。どうせ、取るほどの物はないですしねぇ」
学生マンションの裏に回って、自転車置き場の中に突っ込んで急停止する。
- 美樹
- 「着艦!」
自転車の鍵を抜く。
- 美樹
- 「みっしょん、こんぷりーと!」
そう呟きながら、自転車からややオーバーアクションで降り立つ。
階段脇の郵便受けの戸を開ける。
- 美樹
- 「何か来て……るわきゃないな」
当たり前である。夜中の0時から3時までの間に届く郵便物は、ふつーはない。ショルダーバッグをなで肩に担ぎなおしながら、階段を昇る。
美樹の部屋は三階だ。二階の踊り場を通過すると、ポタン、と物音。
- 美樹
- 「ん? ……ヤモリって、飛ぶんですか」
ヤモリが、美樹の足音に驚いて、自転車置き場の屋根にジャンプした音だったのだ。
- 美樹
- 「部屋のキー、部屋のキーっと」
ベルトに結わえ付けてある部屋のキーが、ジーンズのポケットの中で何かに引っかかって出てこない。
- 美樹
- 「なんじゃ、こりゃ。……ふん」
無理にポケットを裏返すと、ぼろぼろになったコンビニのレシートに絡まった鍵がでてくる。
- 美樹
- 「? 何故出てこなかったのであらふ……」
キーを差し込んで右に回す。かちゃりと音がして開く。
湿った、暑い空気が漂い出す。美樹は鼻が悪いので臭いには気が付かない。
- 美樹
- 「あっちゃ。窓開けていくべきでしたな。あれ?」
ぼぉっと光る影が、部屋の奥の方に漂っている。
- 美樹
- 「街灯でも反射しているんですかね?」
美樹は、そのまま入って、台所の電灯をつけようとする。
- 光る影
- 「もし」
- 美樹
- 「もしかめよかめさんよ」
半分無意識に答えながら電灯をつける。一気に部屋全体が明るくなる。
- 光る影
- 「ふみゃぁ!」
- 美樹
- 「みゃぁ! ……って、どなたかいらっしゃいますか?」
返事はない。
- 美樹
- 「……なんだったんでしょうか……今の声は……うーむ。
ゆーれいとゆーことはあんまり良い結論とは言えませんからねぇ。ま、明日もありますし、寝ますか」
部屋の電灯を灯して、台所の電灯を消す。
座布団を並べなおして、その上に横になる。
- 美樹
- 「ま、何も問題はない。世はなべて事は無し。鳥鍋は旨し。
うーむ、上手く韻が踏めておらんのう……」
あっさりと寝息を立てる美樹。電灯はついたまま。
- 光る影
- 「……(こう明るくっちゃ、見えないじゃない!)」
翌日。美樹の部屋には朝日は差し込まない。
10時過ぎ。気温は30度を越える。
- 美樹
- 「暑すぎる」
座布団の上からズルズルと這って、扇風機に手を伸ばす。
- 美樹
- 「84式扇風機、起動!」
スイッチが入る。そのまま、再びの眠りに落ちる美樹。
12時過ぎ。気温は35度を突破する。
扇風機が回っている。
- 美樹
- 「うーーーー」
- 電話
- 「この音は電話である! この音は電話である! この……」
- 美樹
- 「ふぁい、狭淵ですけど」
- 女性
- 「あ、狭淵さんのお宅ですか? すいません、美樹さんお
願いします」
- 美樹
- 「(……本人なんだけどな)どちら様でしょうか?」
- 女性
- 「あ、わたくし、@@@英会話の@@と申しますが……」
- 美樹
- 「(うーむ。どうせわたしを女性と間違えているんだろう
なぁ)あ、妹でしたら、しばらく旅行に出ていますので……」
- 女性
- 「いつ頃お戻りになられるでしょうか?」
- 美樹
- 「いえ。ちょっと判らないので、……失礼」
受話器を置いて、温度計を見る。室温38度。
- 美樹
- 「……寝直す気にもなれんわな……うむ。水風呂でも浴び
るとしますか」
(30分経過)
風呂に流れ込む水の音……
風呂から溢れる水の音……
(さらに30分経過)
風呂に流れ込む水の音……
風呂から溢れる水の音……
(その上さらに1時間経過)
風呂に流れ込む水の音……
風呂から溢れる水の音……
(その上さらに2時間経過)
風呂に流れ込む水の音……
風呂から溢れる水の音……
- 美樹
- 「ふぇっくちぃ。むぅ(今何時だ? 一体?) うーむ。寝
てたな」
風呂から上がり、体を拭きながら室温計を見る。40度。
夕日が理不尽に、赤い。西日パワー、全開である。
おまけに、風呂のせいで湿度も高い。
- 美樹
- 「くぅ。我が文明の力、とくと思い知るがいい!」
クーラーのスイッチを入れる。
間もなく、効きだしたクーラーの音と、美樹の寝息が重なる……
夕日が沈む。
気温は下がり出す。
クーラーは動き続ける。
- 美樹
- 「はくちぃ」
くしゃみをしながらも目をさましはしない。
いつの間にやら、光る影が美樹の上空1メートルほどの高さに現れている。
- 光る影
- 「あの……」
- 美樹
- 「ノア」
- 光る影
- 「……(今のは冗談なんでしょうか?)……もしもし」
- 美樹
- 「アルペジオ」
- 光る影
- 「……風邪ひきますよ」
- 美樹
- 「ゼット・ゼット・ゼット……」
- 光る影
- 「いびきですか?」
- 美樹
- 「皇国の興廃この一戦にあり」
- 光る影
- 「……あの〜〜もしもし? ……複雑な寝言を……いや、
本当は起きていて、わたくしをからかっているんでしょうか?」
- 美樹
- 「総員、対閃光対ショック体勢!」
- 光る影
- 「とにかく……このままでは風邪をひいてしまいますわね」
光る影、押入から布団を引っぱり出して美樹にかける。
- 美樹
- 「この船では、奴らに、勝てない」
美樹は寝ている。
- 電話
- 「この音は電話である! この音は電話である! この音
は電話である! この音は電話である! この……」
目を閉じたまま、手探りで受話器を引っ張る。
- 美樹
- 「ふぁい、狭淵ですけど」
- 狭淵・母
- 「あ、美樹? もう寝てたの?」
- 美樹
- 「……今何時でしょうか?」
- 狭淵・母
- 「11時」
- 美樹
- 「(昼から寝てたということは言わない方がいいでしょうな)
あぁ、今眠りかけたところですから。で、何でしょう?」
- 狭淵・母
- 「あ、米を送っておきましたから。着いたら連絡しなさいね」
- 美樹
- 「はいはい。判りました」
- 狭淵・母
- 「京都は暑い?」
- 美樹
- 「一応、クーラーあるし。ま、暑いことは暑いですけど」
- 狭淵・母
- 「身体に気ぃ付けなさいね」
- 美樹
- 「えぇ、ま、それじゃ今日はもう遅いし」
- 狭淵・母
- 「ええ。おやすみ」
- 美樹
- 「お休みなさい」
受話器を置いて、暗い部屋で、しばらくぼぉ〜〜っとしている。
- 光る影
- 「もしもし」
- 美樹
- 「ん?」
見回す。真後ろに、光る影。
- 美樹
- 「ん〜〜?」
触ってみようとすると、通り抜ける。
- 光る影
- 「あの〜〜」
- 美樹
- 「(頬を掻く。ポリポリポリ) どちら様でしょうか?
いや、これは気のせいかな。寝過ぎたのかもしれない」
- 光る影
- 「あの、別に気のせいではなく、わたくしが話しているん
ですけど」
- 美樹
- 「あぁ〜〜? あ。あぁあぁあぁ。判りました。いや、こ
れは失礼を」
- 光る影
- 「いえいえ」
- 美樹
- 「あ、電気付けましょうか?」
- 光る影
- 「申し訳ないんですけど、わたくし、強い光が苦手でして」
- 美樹
- 「そうなんですか」
- 光る影
- 「で、驚かないんですか?」
- 美樹
- 「驚くタイミングを少々逸しまして。で、どちら様ですか?」
- 光る影
- 「あぁ、申し遅れました。わたくし、ふみと申します」
- 美樹
- 「はぁ、ふみさんですか。あ、わたしは狭淵美樹と申しま
す」
- ふみ
- 「あ、いえ、存じております」
- 美樹
- 「で、本日は如何なるご用件でしょうか?」
- ふみ
- 「いえ、わたくし、そちらの(と、美樹の書棚を指す)書物
の霊なんですけど」
- 美樹
- 「は?」
- ふみ
- 「いえ、わたくし、生まれてから25年このかた、ずっと書
店の片隅にいたんですけれども、どなたにも買っていただけず、いつもいつも悲しい思いをしておりました。それを、美樹さんに買っていただき、あまつさえこの様な立派な書棚に住まわせていただけまして。これは是非御恩返しを、と思いまして」
- 美樹
- 「……(あの詩集かぁ。確かに、新刊屋にある本とは思え
ない旧さと安さだったからなぁ。マイナ−所だから、とても売れるような本じゃないし。あれってマニアのコレクターズアイテムってわけでもないんだよなぁ)
えーっと、ま、ご恩というほどのことではないと思うんですけどね、うん」
- ふみ
- 「いえ、それではこちらの気が済みません」
- 美樹
- 「んーと。ま、いいや」
- ふみ
- 「何をしましょう?」
- 美樹
- 「どうせ、恩を返したらいなくなる、とか、帰らなきゃい
けないというわけじゃないんでしょう?」
- ふみ
- 「はぁ、そうですけど。本体はここにありますから、帰る
も何もありませんし」
- 美樹
- 「ほんじゃ、まぁ、ここにいたってくださいや。わたしが
留守のときに留守番ぐらいしてくれればそれでいいですから」
- ふみ
- 「それでは、ここにいればよろしいんでしょうか?」
- 美樹
- 「そうして下さい。ま、何かのご縁とゆーことで」
かくして、売れない詩集の霊、ふみは美樹の部屋にいることになったのであった。
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