エピソード459『日常。あるいは夜明けの酒』


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エピソード459『日常。あるいは夜明けの酒』

仕事は〆切間際に来る

吹利市。1997/4/21午後四時。
 吹利大学のキャンパス、生協前の公衆電話。

「……状況はわかりました。今晩中に仕上げるのが絶対な んですね。自分だけではちょっと、……増援を要請してあるから、殴り合いはそれに任せろ、ですか。もしかして、……ああやっぱり、御影ですね。わかりました、前にも組みましたし……。ブリーフィングはこちらで、じゃあ明け方にでも連絡します。いざという時の病院は? 手配済みですね。OKです。それじゃ」

ほぼ同時刻。大阪市内。
 雑踏の中。大股に歩く黒いロングコートの男。
 前から来る人間はその目を見ると慌てて目を伏せ、道を空ける。

御影
「(さて、今日は後一時間連絡がなければ完全に仕事が終 る。そしたら猫缶買って週末だ。ここ最近就職祝いと卒業祝いで何もない週末なんかなかったからな。たまには休もう)」

だが無情なPHSのベルの音がささやかな御影の希望を打ち砕いた。
 不満げな嘆息。
 すれ違ったオバサンがビクッと震える。御影は雑踏を避けて公園に入った。

御影
「はい、御影。……いいえ大丈夫です。いけますよ。いち おうね。内容は? 肉体作業、ね。ブリーフィングの時に詳しいこと、ですか。じゃあ聞いてもわからないことでしょうね。いえ、大丈夫です。いきますよ。組むのは誰とです?
一? ああ、前に組みましたから。つまりそういう仕事なんですね。了解です」

公園の時計は四時半を示していた。

御影
「帰って、着替えた方が良さそうだな」

同日。午後六時十五分。ベーカリー楠。
 カランカラン。
 ジーンズに黒のロングコートといったいでたちの御影、大股に入ってくる。ベーカリーには、文雄、尊、豊中、琢磨呂といった面子。高校生組は今日はすでに帰っている。

観楠
「いらっしゃいませ……っ!(あ、あのこの間の怖い人!)」
御影
「(仕事前だが、食っとくか) ベーコンツイストにししゃ もパン。(この程度にしておこう)あと、紅茶をよろしく」
観楠
「(こ、怖いけど普通の人みたいだな) ど、どうぞ」

無言のまま、パンを口に運ぶ御影。ふと、尊と目が合う。

御影
「肩、もういいのかい?」
「ええ、もう。お医者さんがびっくりしてました。最初の 処置が良かったんですって」

にっと笑う御影。

観楠
「(尊さんと知合い? ああ、そういえばあのラブレター の時にも!)」

からんからん。
 トレッキングシューズに汚れたブルージーン、米軍払い下げのジャンパーといった姿の大柄な男、十だ。入口に白木の杖を置き、ポケットの中につぶやく。二匹のオコジョが走りだし、ベーカリーの入口に消えた。

豊中
「何だ、一。お前が外で食うなんて珍しい、また体を売っ たか?」
「人聞きの悪いこというな。俺は科学のためにこの丈夫な 体を提供したことはあるが体を売った覚えはない」
居候
『同じことだっていってやれよ』
豊中
「なら今度はこっちの実験台になってくれ、なかなかデヴァ イスが揃わなくってな」
「寝言は寝て言え」

十は迷わずレジに向かうと、傍らの「パンの耳¥30-」を掴み、観楠に差し出す。

「これを」
観楠
「は、はぁ。三十円です」
御影
「あいかわらず、しけてんなぁ」
「この仕事で金が入れば、カレーパンを食べられるように なるさ。それにここのはパン自体がおいしいからこのままでも結構いけるんだぜ。ここに砂糖もあるし(と言って、砂糖壷から砂糖をパンの耳につけて食べる)」
御影
「……みっともないから、よせ」
「仕事の話するか」

怪談のある休日

同日午後六時四十五分。吹利市街のガソリンスタンド

竜胆
「おにーちゃーん満タンねぇっ!」

その日竜胆は久しぶりの休日を使ってツーリングに赴いていた。
 ペッタンコな胸と尻、フルフェイスのヘルメットで男と間違われたり、ちょっと年齢を間違われて白バイのおにーさんにけげんな顔をされた以外は特に問題のない、(本人は大有りだろうが)長閑な春の日だった。

竜胆
「さってとー、帰りにゲーセンでも寄ってこうかなー」

その時、彼女の耳にガレージの中の話声が聞こえて来た。

声1
「だからさ、でるんだって。あの廃ビル前のロングストレー トにさ」
声2
「嘘だよ、噂だけだって」
声1
「でも今年でいくつめだよ。あそこの事故。お前だって聞 いてるだろ? 『黒い狗』の話」
声2
「俺が聞いた時は黒い無人のバイクだったぜ?」
声1
「だからさ……」

会話の調子は明らかに怪談めいたものだった。
 ふと、竜胆は地図を頭に描いた。聞き覚えのある場所だった。

竜胆
「ええーっ! あそこぉ? 通ってるじゃないかぁっ?」

自分が自分なので事故のことを心配はしなかったが、もともと怪談の類は苦手だ。竜胆はひとまず今日は通るのをあきらめることにした。

打ち合わせを大声では止めよう

同刻。ベーカリー楠。

「……ってわけだ。もともとあの道はまっすぐで殺気を導 いてた。それで特物(「建設省特殊物件課」)の方で石敢当
いしがんどう)をあてて、その殺気を食い止めてたんだが……」

あくびをする琢磨呂。傍らの文雄に話しかける。

琢磨呂
「文雄さん。あいつら何話してんだと思う?」
文雄
「仕事の話と言ってたと思うが? 盗み聞きはいい趣味じゃ ないな」
琢磨呂
「聞こえるもんはしょうがないじゃないか。こんなとこで するから悪いんだ。わかる話ならまだしも退屈でしょうがないぜ。今日は姐さんもこないし」
文雄
「わかる範囲でなら解説してやれるが?」
琢磨呂
「聞かせてくれよ」
文雄
「うむ。君はついたてというものを知っているか?」
琢磨呂
「蕎麦屋入ると目の前にある木の板だろ」
文雄
「身も蓋もない言い方だな(苦笑) だが間違ってはいない。 何のためにあると思う? 基は武家屋敷にあったと言えばすぐにわかるだろう」
琢磨呂
「バリケード兼スクリーンってことかい?」
文雄
「そのとおりだ。だがこれには異説があってね。いや、異 説と言うわけではないな当時はこっちも重要な理由だったのだから。門からまっすぐ入ってくる殺気を防ぐためのものだったそうだ」
琢磨呂
「だから、バリケードでいいんだろ? 霊的な意味でも」
文雄
「重要なのは、門からまっすぐな道は殺気を運ぶと考えら れていたことだ。イングランドの方にも似たような考えがあったらしい、まっすぐな道には化け物が出てつき当たりの家に災害を与えるというんだな」
琢磨呂
「確かに、突入しやすいからな。で、さっきあのにーちゃ んが話してたのがついたてのことで、廃ビル前のロングストレートがまっすぐな道。ってことは、化け物か?!」
御影
「詮索はそこまでだ」

ブリーフィングは終ったらしい。琢磨呂の背後に御影の姿があった。

御影
「そっから先、鼻突っ込むとろくなことにならんぞ」
琢磨呂
「人の後ろでそーゆーこと言うなよな。脅迫じみてるぜ」
御影
「(苦笑) 何が脅迫だって?」

御影の顎下にはベレッタM93Rの銃口があった。
 ベーカリー楠の店先、尊はしゃがんで植え込みの下を覗きこんでいる。

「おいで、キノトちゃん」

そっと、オコジョの光る目が尊を伺う。おだやかな雰囲気に緊張が緩む。

「かなわないな、尊さんには」
「大丈夫、とったりしないから」

二匹のオコジョはつっと尊の肩先にかけ昇る。

「きゃ!(笑)」
「俺にはそんな愛敬見せたことないくせに、こいつら。
苦笑) 花澄さんの時もそうだった」
御影
「十、いくぜ」
「お仕事、ですか?」
「はい」
「手伝いましょうか?」
御影
「気持ちだけでいいさ、ボーナスの分け前がへっちまうか らな」

尊は小さくそうですかとつぶやいた。

「俺たちはこれで飯食ってる身ですからね。それじゃ」
御影
「いずれ、な」

男二人はそう言うとベーカリーを後にした。
 尊は、出ていった二人を見送った後、首を振ってからテーブルに目を戻した。

「でも、十さんはたしか、この前のラブレターの時に怪我 してるんですよね」
豊中
「心配ですか」
「少なくとも、怪我をしたと聞くのは気持ち良くないわ」
文雄
「すると決まったわけではあるまい」
豊中
「ま、あいつは腕はいいですよ。多少ずっこけちゃいるけ ど、仕事の時は別です」
「それならいいけどね。……って、仕事中に会ったこと、 あるの?」
豊中
「一度だけ」

笑って、豊中はそれ以上話そうとはしなかった。

豊中
「そろそろ俺の探知範囲から出ますね。大丈夫そうですよ、 落ち着いている。ま、俺みたいな素人が四の五の言うことでもないですが、あいつはこれで食ってますからね」

言いながら、開けっぱなしになっていた砂糖壷の蓋をした。

琢磨呂
「悪い奴じゃねーってのは解かるが……いけすかねぇ態度 の野郎だぜ……まったく」
文雄
「これこれ、話しを聞いて詮索してたのはこちらではない かね」
琢磨呂
「ふん……でかい声でしゃべる方にも大きな問題が在るぜ。 でかい声でしゃべっておいて『詮索するな』はねーだろ?」
文雄
「屁理屈が好きなんだな(肩をすくめる) あれこれ詮索し すぎないのは長生きのコツだそ(わりとマジ)」
琢磨呂
「どーとでもとってくれ。とにかくだ。彼らの仕事に首を 突っ込むのはよくないさ」
文雄
「解かっているのではないか」
琢磨呂
「……だが、例の道路とやらに俺が行ってはいけない理由 なぞないだろう? 公共物だからなぁ、道路ってのは」
文雄
「……好きにしたまえ(ニヤリ)」

琢磨呂、ベーカリーを出て行く

文雄
「(楽しそうに) まったく、厄介事に首を突っ込むのがよ ほど好きと見える」
観楠
「あれが、琢磨呂くんじゃないですか(笑)」
文雄
「まあ、ね(うなずく)」
「(そうよね、あたしが買い物の帰りに『偶然』通りかかっ ても別におかしく無いわよね、一般道路なんだし……よし!)観楠さん、御馳走様でした」

まるで新しい悪戯を見つけた子供のように悪戯っぽい微笑を浮かべ席を立つ。

観楠
「あ、はいはい……どうかしました? なんだか楽しそう ですけど」
「あ、いえ別に(笑顔) じゃ」

尊は小さくドアベルを鳴らし、猫のようにスルリと出て行く。
 怪訝そうに首を傾げる観楠。

文雄
「(尊の後ろ姿を見送って) やれやれ、厄介事に首を突っ 込みたがるのはここの常連共通の特徴なのか? ……まったく……ま、私も人の事は言えんが(苦笑)」

文雄が取り出し開いたファイルには、問題の『魔のストレート』近辺の地図と、その土地にまつわる詳細な資料が挟まれていた。
 ベーカリーを出た尊は……。

「さて、と……(ちろっと紅い唇を舐める) 病み上がりに はちょうどいい運動になりそうね(くすっ)」

軽やかに走り出す尊。
 その頃、琢磨呂は……

琢磨呂
「くうう、姉さんまだ帰ってねーのかよ! 霊だの何だの ってな専門だからに、たずねてきたってのに」

琢磨呂、時雨に電話を掛ける。

琢磨呂
「ああ、シグさん? 俺、琢磨呂だけど、姉さん何処に出 かけてるか知らない?」
時雨(電話)
『確か、湾岸の方へツーリングに行って、帰りに魔のスト レートをかっ飛ばして帰ってくるとか行っていたから、もう帰っていてもいい時間だが……』
琢磨呂
「魔のストレート? もしかして(御影の会話に出ていた 場所かどうかを問う)」
時雨(電話)
『あーそうそう、そこだ』
琢磨呂
「……Thanx(ガチャ)」
時雨
「……なんだったんだ岩沙くん?」
琢磨呂
「あまり考えたくねーが……俺の直感はよく当たるんだ。 ちっ。ちょっと借りるぜ(放置原動機付き2輪のカバーを開ける)」
琢磨呂
「……OK Go!(走り去る)」

そのころ、御影と十は、足早にベーカリーから遠ざかっていた。

任務遂行待機撃滅

同日午後十時四十五分。吹利市街より湾岸に向かう道路。工事中のフェンスがかかり、迂回道を示す看板が出ている。
 と、無人の道路に一つぽうっと灯りがともった。
 その数は次第に増えてゆく。
 もしこの場に霊的感覚を持つものがいたらそのながめと凄まじいエンジンの轟音に戦慄しただろう。
 ひしゃげたボンネットに首をのせ、真っ黒に焦げたドライバーがクラクションを鳴らし続けている。
 顔の半分がそげ落ちたライダーがアクセルをふかす。
 からからと車輪だけの姿の奴もいる。
 たとえ郡小のとるに足らない走鬼どもとはいえ、その姿はまさに百鬼夜行だった。
 やがて一際大きなエンジン音とともに主が姿を現した。
 そして鬼たちの暴走が始まった。
 無人の道路の上、周囲の地図をのぞき込む十と御影。

「報告その他を総合すると、相手は『黒犬獣』っていうタ イプの化け物だな。イングランド生まれの由緒ある化け物だぜ」
御影
「ってことは飲む酒はギネスか」
「スコッチって話もある」
御影
「生意気な奴やな、犬の癖に」
「ただの犬じゃない。鋼の体を持ってる」
御影
「ほう、エリザベス朝の海軍で飼われてたんかい」
「?」
御影
「『かつて船が木で、男たちが鋼でできていた時代』って わけや」
「なら、奴が飲むのはラムに決まりだな」

二人顔を見合わせて微笑む。

「目撃者の証言をまともにとれば、奴は今、廃バイクの体 を手に入れて周辺の鬼どもと連れ出ってつっ走ってるってさ」
御影
「連れはわしではどうにもならんで」
「陣を張る。その変の鬼じゃ越えられないから、結果的に 奴だけがここに来る。ここまで来る二キロメートルほどに渡って場所を確保してくれた」
御影
「それをわしが止める」
「方法は問わんそうだ」
御影
「気前ええこと言う」
「想像力が貧困なだけかもよ」
御影
「止めた後はどうする気や?」
「押えててくれ、俺が払う」
御影
「わかった。そろそろやな。配置につくかい」
「気を付けろよ」
御影
「テメエこそ」

やがて、路上の人影はわかれていった。
 そのころ竜胆は……、

竜胆
「なによぉ、話になってたのって、あのストレートでしょぉ? 何んでこんな所に出てくるのよぉ?」

鬼達に追っかけられていた。
 もっとも、何か原因がわからなくて怖い話には人並に女の子らしく怖がる竜胆だが、相手がはっきりと浮遊霊の類とわかっていれば恐れる必要はない。
 隣の特攻服の走鬼が骸骨の頭で器用ににやにや笑いながら、愛車CBR1100XXに爪を立てようとするのに対し、

竜胆
「このばかやろさまな低級霊! あんたごときがこの究極 美少女転生戦士りんどうちゃんに触ろうなんて五十六億七千万年早いのよぉっ!」

バイク上からの手厳しいエーテルアタックがそのニヤついた頭を粉砕する。だが如何せん、数が多い。

竜胆
「一気に消し飛ばしてやりたいけど、溜めてる間に割り込 まれちゃう?」

その時、竜胆の耳にいつか聞いたエンジン音が響き渡った。それは鳴り響くまで一切気配を竜胆に感じさせなかった。

竜胆
「この音!」

竜胆はかつて一度そのエンジン音を耳にしたことがあった。
 (エピソード『ゴーストライダー』参照)
 振り返る竜胆の目にぐんぐんと距離を詰める少し古めのデザインのカウルが映る。ホンダNR500。かつてのホンダのレーシングマシン。
 そのヘッドライトには紫炎の鬼火が揺れている。主を向かえた鬼どもの喚声がエーテルに響き渡った。

竜胆
「あいつ! あのときの!」

その瞬間、竜胆の燃えるレーサー魂に火がついた。
 CBR1100XXに身を深くかぶせる、魔のストレートはあと百メートル先。

竜胆
「あの時の勝負、今日つけたげるから!」

その時彼女の脳には、なぜこの天下の公道にほとんど車が通っていないのかをいぶかしむ思考は存在していなかった。
 自分が立ち入り禁止区内に入ってることすらも。

魔のストレート終端付近

そのころ、琢磨呂は秘密兵器を持ち出していた。
 大型狙撃銃PSG1。全長1m25cm、重量8キログラム。
 そして、事在る時の為に特別に改造された銃である。
 もちろん原形となったのは合法的な無可動実銃(モデルガンの一種)であるが、専用の発射機構と銃身を組み合わせることで、特殊カートリッジを射出する。

琢磨呂
「こいつを持ち出すのは久々だな……ま、最悪の事態に備 えて……というわけだが」

一人ごちながら、琢磨呂はPSG1から伸びる電源ケーブルのような物を、腕まくりして左腕のひじに繋いだ。皮膚の間にかすかに見えるコネクター……。

琢磨呂
「エーテルコーティング型対妖魔弾装填完了……と。さて 久々に動かすか!」

琢磨呂の左腕が、鈍く光る。皮膚の下で発光しているのだが、その明かりがかすかに漏れる。

琢磨呂
「目覚めよ光波!エーテル・リアクター作動開始!」

ブゥゥゥゥゥゥゥウン……
 ブワァァァァン……

琢磨呂
「ふふふ……OK。こいつならベンツの装甲だって目じゃな いぜ。来ゃあがれ、怪物バイク!」

琢磨呂は、夜間迷彩マットに身を沈めると、息を殺してスコープを見つめた。

琢磨呂
「てめぇが来るまで俺はここを動かねぇぜ!」

スコープの十字線は、魔のストレートのセンターラインをぴったりと捕らえてはなさない。
 同刻、一。魔のストレートにつき当たる廃ビルの屋上。

「……故に道は天を生じ人の帰りゆく所となるべし。律令 にしるされたるが如くに疾く早く急ぎて行なえ。帰命頂来四天王。四天王四方四錐結界」

陣を張るのとは違う、明確な意志を持った力線がビルの頂上から東西南北に向かい伸びてゆく。

キノト
「そろそろ、くるはず!」
キノエ
「来たわ、結界線に感あり! ……一つ抜けた。強いよ!」
「……話しが違うぞ!?」

十は弾かれたように屋上から身を乗りだし御影の姿を捜した。

竜胆
「……ん?!」

顔を伏せたまま、竜胆は力線を感じた。一瞬反応したからだが持ってゆかれそうになる。股を締め、必死で耐える。周囲の雑霊が悲鳴を上げるのが聞こえた。

竜胆
「あいつは?」

振り返った時竜胆は自分が何かとすれ違ったことを感じた。それはおたけびを上げる黒い影だった。
 それより少し前、御影。路上。

御影
「エンジン音やないか? だが、ここは交通規制がされて いたはず。ってことは、予定がちょっと変わったんかい」

御影は靴の紐を締め直し、深呼吸した。

御影
「ま、殴ればおんなじ。ROUND.1 READY!」

そして、弾かれたように音に向かい走り出した。

御影
「GO!」

強力な脚力によりぐんぐんと加速力がついてゆく、風を巻いて影が走る。やがて、彼の目に二つのバイクの姿が見えた。
 CBR1100XXとホンダNR500。人が乗ってるのは前のCBR。後ろのホンダNR500には何も乗ってはいない。

御影
「(後ろ、やな) 止まってもらうぜえええええ!」

時速百二十キロで走る鉄の固まりに百七十七センチ七十五キログラムの肉の固まりが突っ込んだ。
 御影のタックルだ。
 カウルが弾け、フロントフォークが飴のようにひん曲がった。元から割れていたヘッドライトに一際凶悪な光が宿った。

御影
「ツカミはおっけえって奴やなぁ!(凄笑)」
ホンダNR500
「きききぃぃぃぃっっ!」

ホンダの前輪が浮く。伸ばした御影の両腕がハンドルごと車両の前部をリバースフルネルソンに捕らえた、
 だが、ホンダの動きは止まらなかった。ウィリーの態勢のまま加速を続ける。

御影
「(クッ、足がとどかねぇ? 止まらねえか!)」

御影は両腕を全力で締め上げた。胸の中でカウルの残骸が砕け、ハンドルが曲がってゆく。ヘッドライトがひしゃげた時、不意に御影は腕の中のものが変質するのを覚えた。
 金属のフレームがゆがみ、まごうことなき牙が剥かれる。クロームメッキの牙に歪んで御影の顔が映る。
 そしてその牙が御影の肩口に打ち込まれた、
 痛みはない、だが、

御影
「(しまった指が!)」

衝撃のためか一瞬グリップが緩む。そして、動くはずのない前輪が駆動した。御影の体を黒いタイヤが削り、ゴムが焼ける。
 指が剥がれた。NR500は態勢を取り戻す。御影の体がアスファルトに叩き付けられる。
 そればかりではない。まだNR500は時速百二十キロで走っている。
 御影は顔からアスファルトに着地した。
 常人なら、下ろし金で下ろしたように皮膚は裂け、肉は弾け、骨が削れたろう。だが、御影は常人ではない。

御影
「逃がすかぁああああ!」

彼はそのまま百メートル顔でアスファルトを掃除した。つかんでいたバックミラーが壊れて落ちなかったら、後百メートルは同じようにしてひきずられたろう。そして御影の顔面ブレーキは無駄ではなかった。
 その百メートル、NR500の走行速度は時速八十キロまで低減した。
 その。刹那!

琢磨呂
「くたばれ、怪物バイク!」

火花を伴う弾着とともに、エーテルコーティング型対妖魔弾頭がNR500のエンジンを直撃した。エンジンルームに物凄い運動エネルギーの直撃を受けたNR500は弾かれるように前方に転げ込んだ。
 御影を巻き込んで。
 クロームがアスファルトを削り火花を散らす。そのまま二十メートル、横たわったままNR500は路上を滑走した。
 御影はNR500と道路の間でサンドイッチになっていた

琢磨呂
「ふん……たわいのない」

エーテル送出ケーブルを腕から外すと、念のためベレッタM93Rを抜いて、立ち上がった。

竜胆
「岩沙? あんたなんでこんなトコに?」
琢磨呂
「姐さん、んなことよりバイク! あのヤクザのニーチャ ンが!」

残骸の中からむくりと黒い人影が立ち上がる。
 当然の事だが、衣服はボロボロだ。

御影
「……法律事務所に勤めるような、んなヤクザおるかい」
竜胆
「アンタ何で生きてんの?」
御影
「いってくれるわあんた、素直に喜べんのか? 普通だっ たら死んでたんだぜ。大体善良な市民がうろついてていい所と違うでここ」
琢磨呂
「まぁ、いいじゃねえか。市民の協力により事件は解決っ てとこかい?」
御影
「少しおとなしくなったようやけどな」

その時、セルモーターの音が響いた。
 残骸にふつりと鬼火が浮いた。
 御影がふりむくより速く、M93Rが対妖魔弾を打ち込んだ。が、想像を絶する封印のなされたエンジンルームは、エーテルコーティング型対妖魔弾頭が中央部までめり込むことを許さなかった。表層は貫通したが、内部にある肝心の部分に退魔薬が浸透しなかったのだ。
 燃焼室の一部に穴が空いているにもかかわらず、NR500はエンジンの咆哮をあげる。

琢磨呂
「なんでだ? さっきのでエンジンが死んだんじゃなかっ たのか!?」

回避行動をとりながら叫ぶ琢磨呂。絶妙のタイミングで竜胆のエーテルウォールがNR500を阻む。が、NR500は構わなかった。ヤツは離脱を目的としていた。

御影
「逃がしたか?」

御影の声が虚しく響く。NR500、いや、黒い鋼の獣は解き放たれた猟犬のように闇を駆けた。
 一方、そのころ、十の張った結界の外で尊は群小の邪霊どもに囲まれていた。

「今日は夜行日だったっけねぇ……」

ゆっくりと周囲の邪霊をねめつける。
 闇夜にも映える真紅の唇。
 その口元が動いた。
 嗤いの形に。

「雑魚に構ってる暇は無いの」

鞘に納まったままの漣丸を後手に構えると、そのままスゥ、と姿が闇に融けた。姿も気配も消えた尊に邪霊どもが戸惑いざわめく。
 キンッ。
 甲高い鍔鳴りと共に銀光が閃き、雄叫びを上げていた無数の邪霊どもが凍り付く。

「変移抜刀『朧』面白い技でしょ」

闇を切り取るように再び姿を現した尊の周りで、凍り付いた邪霊どもが尽く燃えが上がる。

「さて……メインのショーは終わってないでしょうね」

楽しげな笑みを浮かべたまま、御影たちの方へ音も無く疾走する尊。
 その耳に獣の咆哮が届いた。

イレギュラーズ

非常階段を駆け下りる大柄な男の姿。八階建てのビルを40秒で駆け下りると、十は標的のくるはずの方向に目をこらした。だが、深い闇は視線を遮り、かすかに爆音のみが聞こえる。

「キノト、御影さんの所だ。急げ!」

オコジョの姿が風に溶け込む。十は苛立たしげに唇をかんだ。集中は解いてしまった。しばらくすれば他の鬼どもも作戦地域に侵入してくる。標的がそれらの鬼どもを呼び出すことも考えられた。面倒事は避けられそうにない。

文雄
「どうも上手くいってないようだね」
「文雄さん! 市民の方々が入ってきていい所じゃありま せんよ。どういうつもりです?」
文雄
「ふむ、平たくいえば火事場の見物なんだが。まあ、そん なにとんがらないでくれ。ベーカリーの話を聞くとはなしに聞いてしまって少々思うところがあったのだよ。たぶんいくらか君の手助けをしてやれる」

驚く十に対し文雄は落ち着いた物腰で語りかける。

「ここは危険なんですよ!」
文雄
「ああ、そうらしい。ここに来るまでに五、六体霊体を捕 捉したよ。私でも何とかなるレベルで助かったがね。ここにまとめてあるから、君の方で処理してくれると助かる」

そういうと文雄は無造作にルーズリーフの束を十に放った。手に取ったとたん、なじみある悪寒が背筋を走る。ルーズリーフには顔のついた車輪が恨めしそうな顔で張り付いている。

「事故日時1995年8月4日午前1時34分。被害者名○×△ ●。化性タイプ火車……。これは!」
文雄
「君には説明していなかったか。まぁ、私は資料術と呼ん でいるがね。応用次第でいろいろとおもしろいことが出来るのだが、今は君にこれを届けようと思ってきたのだよ」
「これは、ここ周辺の地歴図ですか? しかも地下から地 上五十メートルまでの各高度断面図まで? それに、こっちは水道に地下ケーブルの配管図?」
文雄
「しかも、つい20分前に作った物だよ。そちらの方で準備 していた物よりは精細な物だと自信はあるが?」
「凄い、これなら、確実に奴を捉える布陣を敷ける!」
文雄
「最も、余裕はあまりありそうにないが? あの音は君の 相手ではないかね?」

十は弾かれた様に顔を上げた。ハッキリとした爆音が二人の耳に届いた。
 駆ける、駆ける闇を駆ける。
 闇を裂いて闇の風が道を駆けて行く。
 たったったっ。
 路上を蹴る爪先は重力から解き放たれた物にのみ許された軽やかなスタッカートを刻む。
 轟、と風が鳴いた。違う、軽やかな風のたてた音ではない。もっと異質な、もっと重い、もっと粗野な獣のたてた音。
 すっ、と闇が微笑む。黒い闇に紅が浮かぶ。風の中から陽炎のように白刃が浮かび上がる。

「間に合った、わね」

青白き燐光に包まれた魔性の姿を闇は捉えた。クロームの牙に、強化プラスチックの鬣、鋼鉄の心臓を備えた魔性。
 魔性は闇を視認すると、足を止めた。魔性と闇が対峙する。
 どれほどその対峙は続いたろうか。
 数秒? 数分? それとも、数瞬? 
 固形の沈黙を遠くかすかなエンジン音が砕いたその時、
 闇と魔性が交錯した。
 跳ね上がり、もんどり打って路上に倒れたのは魔性。切り落とされた前輪部が倒れた魔性の体からほどないところに落ちる。
 地に伏せ、転がって間合いを切ったのは闇。刹那を切り裂いた漣の刃がもう一度ひらめく。尊は魔性に向き直り、漣丸をかまえた。

「まだ終わった訳じゃないでしょう? 狸寝入りはやめな さいよ」

闇の面(おもて)に浮かぶ微笑みは果たして剣士の余裕か、術士の自信か。
 応えるように魔性がずるりと体を起こす。斜めに切り落とされたフロントフォークから逞しいクロームの爪が生えていた。偽りの車輪を捨て、魔性の獣は自らの姿を表しつつあった。
 と、高圧ガスの気化音がし、弾着音が弾けた。シェル弾から弾けた魔装薬が魔性の獣の鬣を焦がす。苦悶の咆吼が耳を聾した。
 バイクと原動機付き二輪が、尊の傍らに止まる。遠く聞こえたエンジンの音は竜胆と琢磨呂の物だった。琢磨呂の原動機付き二輪にはボロボロのコートをまとったサングラスの男。御影だ。

琢磨呂
「なるほどね、外側は魔物じゃないから聞かなかったって 訳か。だがな、クロームのエンジンは抜けなくても」

再びM93Rが唸る。鬣を打ち抜いて弾が魔物の体にめり込む。再び咆吼が響く。

琢磨呂
「ンな、ヤワな装甲、いくらでも打ち抜いてやるぜ(凄笑)」
「竜胆姉さん、琢磨呂君。離れて! 奴はまだしとめた訳 じゃないの!」
御影
「ならしとめるんだよ」
「御影さん?」

幽鬼のような姿の御影に一瞬唖然とする尊。その背後で魔性の獣はメタモルフォーゼを終えた。

御影
「Round.2の始まりやな」

御影は魔性に無造作に近づき渾身の拳を振り下ろした。自分の体が傷つくことを考えない、無造作といえば無造作すぎる打撃だった。
 ばこん。
 間抜けた音がして、タンクがへこむ。そしてもう一撃。
 魔性は体を起こし、身震いした。
 へこんだ体が元に戻る。

竜胆
「丈夫ね、こいつ!」
「物質としての体を手に入れて、それを鎧にしてます。封 じるためにはその体を捨てさせられば!」

魔性が飛んだ。

竜胆
「えっ?」
御影
「ちっ、思ったより回復早いやんか!」

魔性は彼らの頭上を越えた。爪が抉ったアスファルトがからからと音を立てた。

「追わなきゃ!」
竜胆
「走ってなんて無理よ、尊さんは岩沙のに。ヤクザ屋さん は私のに乗って」

と、その時。風が吹き、オコジョの姿になった。

「キノトちゃん!」
キノト
「御影さん、十が様子見てこいって……」
御影
「少しの手間があったが、大丈夫や。ただ、奴の方が速い。 十に伝えてくれや」
キノト
「なんて?」
御影
「『なんとかしろ』」
キノト&尊
「えっ?」
御影
「『なんとかしろ』や」
琢磨呂
「そんなんでいいのかよ!」
御影
「これでわからん奴やったら。わしは組まん」

血とクローム

「相変わらず、無茶を言う(苦笑)」
文雄
「さて、どうするね」
「『何とか』しましょう」

十はそう言うと文雄の資料を詳細に見つめた、同時に世界の捉え方をシフトさせる。陰陽五行説にそった世界観にだ。脳裏に周囲の地形、建物、構造物を緻密なモデルとして展開しそれぞれに五行の意味を読み取る。比和相克、相性を読みきり、現状を打開する方策を見当する。彼にとって、科学的な、通常のものの見方で世界を捉えるのと、魔術的な方法で世界を捉えるのは同義のことだった。自分が必要とするときに必要な物の見方ができればいいのだ。だからこそ、陰陽五行説にそった世界の認識をなんの苦もなくできる。脳裏のモデルに八卦図が重なり魔のストレートに一本の道が通った。

「巽、か。キノト、御影さんに伝えろ、『何とか』してきっ かり一分後に奴の足を止める、風に気をつけろとだけ言っておけ。キノエ、ここに飛んで、ちょっと火花を散らせ。こっちはきっかり43秒後だ。行け!」

キノエが火花を散らして消えた。文雄が十の示した地点を見て呆れたようにいった。

文雄
「君が何故いつも貧乏しているかわかったよ」
「今に始まったことじゃないです。一応向こうは手段は問 わないって言ったわけですしね。周囲に人はいません。やります」
文雄
「あと五十秒か」
竜胆
「駄目ッ、タンデムや原チャリじゃ追い付けない」
御影
「気をつけろ、しばらくしたら何か起こる」
琢磨呂
「何が起こるってんだよ!」
御影
「風に気をつけろって事だけしかわからん」

火花が弾け、燐光を発するオコジョの姿が現れた。廃ビルに近いマンホールの中だ。

「今だ、行け!」

一際大きく放電が起きた。そして、ガス管に引火した。爆風がビルを揺すった。そして、ビルの地下で渦巻く風は唯一の開口部をめがけ、突進する。ビルの正面玄関から秒速50メートルの猛風が空気の弾丸となって魔のストレートを驀進した。
 同時に十は榊の葉をまき、風にのせた。疾駆する黒犬獣は風の唸りを聞いた。見開いた目に、力の篭った木の葉が被さる、その途端、風の流れが黒犬獣を飲み込んだ。黒犬獣はアスファルトに爪をたて、その風に耐えた。だが、二枚三枚と木の葉が身体を打つ。軽い木の葉はしかし確実に魔性の視野と身体の自由を奪ってゆく。
 竜胆と琢磨呂がその風に会ってバイクのコントロールを奪われなかったのは、事前に知らされていたからだった。爆音が届いた瞬間二人は反射的に黒犬獣から離れた。それが幸いした。
 200気圧……想像を絶する圧力で射出されたセラミック弾頭が、クロームとせめぎあい、火花を散らす。2度、3度。
 そこで射撃は止まる……シャキッ。弾倉を変える音が、バイクの爆音にかき消される。
 そして4度目、今度は火花ではなく大きな大きな火炎が立ち上った。御影が拳を叩き込んだタンク部分にセラミックの貫通弾頭を何度も当て、穴を空けたところで炸裂弾をぶち込んだのだ。ほとんど燃料なぞ残っていないとは言え、少なからずタンクにこびりついていた残存軽油に炸裂弾が火を付けたのだ。
 炎に包まれるNR500。

琢磨呂
「速度が鈍ったぜにーちゃん!」

風にかき消されながらも琢磨呂は自慢の大声で叫ぶ。

御影
「わざわざ燃やすなよ」
琢磨呂
「文句言うんじゃねぇ! 善良なる一般市民が協力してやっ てるんだ、さっさと行きゃぁがれっ(再度射撃)」
御影
「ひとごとだと思ってるだろ、お前」
琢磨呂
「ひとごとだ」
御影
「あ、あのなぁ……」
琢磨呂
「次の射撃で1弾倉は終わりだ! チャンスは1回だぁっ! いくぞっ……3……2……1……」

ズ……ドン! NR500にひときわ大きな花火が上がる。
 刹那、宙を舞った御影は、減速したNR500のシートへと身を沈めた。

「(炎に包まれる御影を見て) 御影さん!」

だが御影にはいっこうに気にする気配はない。
 爪がアスファルトを削り、魔性が爛々と燃える瞳で御影をねめつけた。

御影
「気付いたか? 。好き勝手走りまわりたかったら、わし を倒してみろや。もっとも、しんどい仕事やと思うがな」

轟と魔性が吼え猛る。答えて御影が哄笑する。
 いずれが魔性か、いずれが鬼か。二つの修羅は暴力の宴を開始した。
 御影が殴る、蹴る、引きちぎる。そのたびに哄笑は高くなる。
 獣が噛み砕く、引き裂く。そのたびに御影は倒れ、そして立ち上がる。

御影
「どーしたぁ? そんな小技でわしを壊すつもりか?」

すでに、その戦いは人外の物だった。
 いつか、周囲は炎の海になっていた。違う、あの廃ビルまで暴力の嵐は吹き流れたのだ。
 御影は獣の背中に馬乗りになり背後からその首を締め上げていた。獣は跳ね上がり背中から落下する、そのまま身をよじる、だが、鉄のくびきは獣を離しはしない。
 やがて獣はビルの壁に気がついた。盲目的な怒りが獣を突き動かした。獣は全力でそのビルの壁に向かい突進した。ビルの壁に放射状のひびが入る、御影の肺から空気が絞り出される。二度、そして三度。
 だが、まだ御影の腕はほどけない。
 獣は壁に爪を立てると、壁面を疾駆した。

炎、再び。そして夜明け

「キノト、どうなってる?」

廃ビルの下、もうもうたる煙に包まれて十は問うた。だが、返事が返ってくるより速く聞き慣れた叫びが聞こえてきた。

文雄
「『なんとか』なったみたいだな」
「まぁ、そうですね。けど、これからが本番でしょう」

衝撃が伝わる、二度、三度。そして、修羅の哄笑が聞こえなくなった。十は目を細める。その時、二台のバイクがブレーキの音を立てて止まった。

「尊さん、それに岩沙君と竜胆さんまで? どうしてここ に?」
琢磨呂
「こんな楽しそうなこと指をくわえて見てるハズないだろ」
竜胆
「私は被害者よぉっ!(ぷんすか)」
「その、ちょっと買い物帰りに(てれっ)」
「漣丸もって買い物ですか?」
「(にこっ)」
「(こめかみを揉んでいる) はぁ」
文雄
「まぁ、物好きが多いのはここの習わしみたいなものだよ」
琢磨呂
「ベーカリーであんな話するからだぜ」
竜胆
「岩沙がそんなこという資格あるのぉ(じとっ)」
「あ、あれ御影さんじゃ……」

全員の視線が廃ビルの壁面に向いた。ビルの壁面に爪を立てて上って行く獣、そしてその背には黒い人影。

「そうか、ならもう一つやってもかまわないな」

十はそう一人呟くと、姉弟の式神を呼び出す。

「キノト、キノエ次はここだ。俺が合図したら全力でこの 場所とこの場所を破壊しろ。そして全速力で離脱だ」
キノエ
「十、気付いてるでしょ。奴らが集まってきてるよ」
「心配するな大丈夫だ。それと、これが終わったら、不動 金縛法をする。準備しておいてくれ」
キノト
「護摩炎は?」
「ここの炎で十分だ」

廃ビル屋上の床が炸裂したように弾けた。ガレキの中から、争う修羅が二つ。獣の牙が御影の左肩を捉えた。そしてそのまま驚異的な力で振り回す。肉が裂け皮膚の破れる音がした。肉片を散らし、御影の体は人形のように貯水タンクに突っ込んだ。
 貯水タンクがひしゃげ、中から水が溢れかえる。力を失った四肢がだらりとぶら下がる。獣は、ようやく唸りをやめ、屋上から吹利の街に勝利の凱歌を咆吼した。
 ビルの下、炎の中に集まる者達にもその雄叫びは聞こえた。

琢磨呂
「あの声、まさか!」

尊、文雄、竜胆それぞれの瞳が十に向く。だが、十はその視線にはかまわず事務的な口調で告げた。

「皆さん、後五十メートル下がって下さい。破片がここま で来ると思いますから」

そして、ようやく心配そうな表情に気付くとかすかに笑みを浮かべて言った。

「これで死ぬような奴だったら、僕は組んでませんよ」
御影
「……楽しそうに歌ってるやんけ」

むくりと死体にしか見えない肉体が起きあがった。肩から流れる血潮はしかし、水に濡れた黒のコートに紛れて見えない。赤く見えるのは一ヶ所のみ、弾けたような肩口の咬傷だ。

御影
「スパコンのゲージはたまった、FinalRoundや」

振り返りざま獣が飛んだ。クロームの牙が闇夜にぎらりと光る。
 御影は、力を込めて、しかし無造作に拳を突き出した。獣の口にめがけて。クロームの牙が折れ飛んだ、オイルが口から溢れだし返り血のごとく御影の体に降り注ぐ。がくがくと牙を失った顎がむなしく腕をかむ。爪が、御影の体を引き裂く。
 だがそんなことは意に介さず御影は獣の体を抱え上げ、一気に膝に落とす。有機的な音を立てフレームがひしゃげた。シュミット式のバックブリーカーだ。

御影
「ファイナル!」

そのまま腕を引き抜き、くの字になった獣の胴をクラッチする。そしてぶっこ抜き、落とす。御影の体が見事なブリッジを描く。文句なしのジャーマンスープレックス。

御影
「アトミック!!」

勢いは止まらなかった。そのまま回転し、体を入れ替える。両膝で、獣の頭を捉え、胴をホールド。そして、そのまま御影と獣はビルの屋上から落ちた。

御影
「バスター!!」

落差二十メートルのパイルドライバー。
 それはあまりにばかばかしい眺めだったのかもしれない。
 誰もが、御影の哄笑を聞いた、気がした。

「今だ、キノト、キノエ、やれ!」

そして、絡み合う二つの影が地上にたたきつけられる瞬間、二体の式神がその力を振るった。
 もう一度爆発が起きた。炎の柱が影を飲み込んだ。
 いくつか残っていたガラスが砕け散った。

文雄
「なるほど、これも風水の応用かね? 望む方向に爆風を 誘導し、なおかつ周囲への被害を最小限度に留める破壊位置を見定めるというのは?」
「まぁ、そうです。ビル風の応用です」
「あ、あの、御影さん大丈夫ですか?」
「もう一度同じ事を繰り返しますけど……」

十は頭を掻いて言った。

「これで死ぬような奴だったら、僕は組んでませんよ」

そして、十は渦巻く炎の中に歩んで行った。
 がらりと瓦礫の山からぼろぼろになった男の姿が現れた。

御影
「……わしは吹利の黒いサイクロン、全てを巻き込みフン サイするんや!」

御影だった。服のあちこちを炎の舌が舐めている。だが彼は何も気にしてはいなかった。それでもさすがにサングラスが割れ、素顔が明らかになっている。
 御影の笑いが急に止まった。

御影
「……奴はもう、物質の体を保てん。俺の役目は終わった で」
「ご苦労さん。後は任せておいてくれ」

瓦礫から闇がしみ出してくる。はじめはただのもやだったそれは見る間に赤き瞳と黒き毛皮を持つ魔性の獣の姿をとってゆく。
 十は金剛杖を自分の前に突き立てた。

「修験蔵王坊瑞真、謹んで今ここに不動三昧火をもちて大 聖を迎召す。身に秘印を結び、口に真言を修し、意に大聖不動明王尊の御姿を加持し奉る。願わくはその御力を衆生の前に示し賜え」

とたんに炎が舞い上がる。十の唱える真言に答えるかのように炎は次第にその勢いを強め、まるで光背のように十の周りに舞った。
 獣がゆっくりと体を動かす。金属の体を失ってなおそいつは強力な圧力を有していた。

「ゆるくとも、よしや許さず、縛り縄。不動の心、あらん 限りは」

神歌に答え不意に炎が絹索となって獣を縛り付ける、ように見えた。とまどうように歯がみする獣。カッと十の目が開かれた。

「六道はずれし化性の輩、大聖不動の浄火を持ちて、後生 の迷いを断ち切らん。願わくは羂索の慈悲と利剣の理知とで疾く疾く調伏させ給え」

十の左手にキノエが、右手にキノトが絡んだ。十の背中に炎が渦巻く。

「不動王調伏法、火炎加持!」

そのとたん、渦巻く炎が獣を包んだ。絶叫が聞こえた。エーテルの体を神火が焦がす。
 だが、その瞬間。
 周囲の闇が濃くなった。瓦礫の中から鉄筋が不意に持ち上がり十めがけ、飛んだ。
 王の最後の叫びに答え、走鬼共が殺到したのだ。全く突如だった。彼らはその牙を十に突き立てる事を、疑ってはいなかった。
 だがそこには彼らがいた。
 エーテルの光を伴った拳が、
 M93Rの銃弾が、
 冷たく光る漣丸が、
 白く風に舞うルーズリーフが、
 彼らの最後の望みを打ち砕いた。

琢磨呂
「気付いてないとでも思ったかよ」
竜胆
「甘いわよね☆」
「あなた達じゃ相手にならないわよ」
文雄
「ふむ、これで終わりかな?」

そして、十に向かい放たれた鉄筋は、替わりに御影の右胸に突き刺さった。

御影
「……おい、待て」
「どうした?」
御影
「何でおまえしゃあしゃあとしてんねん」
「お前がいるからさ。気付いてたんだろ」
御影
「むかつく奴やな、何でわしがお前みたいなむさい男、身 を挺して守らなならんねん(苦笑)」
「(くすっと笑って) 酒、おごるよ」
御影
「貧乏人にたかる趣味ない」
「とっときのフォアローゼズがある」
御影
「肴は?」
「ナッツと、ジャーキーでいいか」
御影
「ま、良しとしとこ」

そして二人は顔を見合わせ。笑った。

ちょっと待った(笑)

琢磨呂
「ちょっと待った。善良なる市民の協力に謝礼もなんもな しかよ」
竜胆
「そーよそーよ私たち被害者なのに」
「琢磨呂君、自分から鼻つっこんどいてたかる気?(呆)」
文雄
「自分から鼻突っ込んだのは尊さんもではないかね?」
竜胆
「そういえば竜王様は?」
文雄
「おっと薮蛇か」
「あのー、皆さん?(冷汗)」
御影
「まぁ、助けてもらったのは事実やしな」
「あああっ、なんでそー簡単に認めるっ!」
御影
「そこらのサ店でなら、そう懐が痛むわけでもない。ただ し、ひとり一品な」
竜胆
「わぁお! やったね!」
琢磨呂
「へぇぇ、話が早いじゃねーか。ちっとばかしシケシケだ けどよ」
「おまえさんだけ自販機の缶コーヒーって手もあるんだけ どね?」
琢磨呂
「うっ。ぜ、前言撤回。茶店は大好きだぜ」
「でも、ホントにいいんですか?」
文雄
「むう」
御影
「(尊と竜胆に) パフェなんかどぉ?」
尊&竜胆
「いただきますぅっ!(はあと)」
「ああっ、カレーパンが、僕のカレーパンがぁっ!!(泣)」
御影
「……わかったわかった。わかったから泣くな、みっとも ない。今度そっち(特殊物件課)に顔出すときにはカレーパン差し入れてやるから」

差し入れは誰がために

後日。特殊物件課にて
 カレーパンを貰ったものの、ほかの職員の人にシュークリームを差し入れる御影を見て愕然とする十。
 そして……

「(目を不気味にキュピーンと光らせて……) キノエ、キ ノト……」

よほど頭に来たらしい。頑丈とはいえ、相方に式神を向けるとは。

キノト
「どーしてこうセコい私怨に式神使うかなぁ(頭を掻く)」
キノエ
「まぁ、何かと複雑な事情が……あると……思いたいわね
嘆息) でないと私たちまで情けなくなるから」
キノト
「どう思っても情けないと思うよ」
キノエ
「……だから、ソレを言わないで(泣)」

そんな話をしている式神達に紙袋に手を突っ込んだまま近寄る御影。
 シュークリームを2個取り出して……

御影
「おまえたちにもシュークリームやろうなー。ほーら、コ コアシューやぞぅ(にこにこ)」

無言で受け取るキノトとキノエ。
 一の方をちらっと見て意地悪そうな笑みを浮かべたかと思うと、オコジョの姿になって両手(前肢)で抱える程のサイズになったシュークリームをはむはむと食べはじめる……。

(血涙)

膝をついてがっくりとうなだれる一。
 さらに後日。
 からからん。

直紀
「観楠さん! こんにちはっ!」
観楠
「おや、昼になんて珍しいね。直紀さん」
直紀
「書類、自宅に置いてきちゃって(笑) ついでにお昼も食 べちゃえって訳です。なんかいいのあります?」
観楠
「ちょうどカレーパンとホタテパンが上がったところだよ」
直紀
「らっきぃっ!(嬉)」
「しくしくしく(泣きながらパンの耳をかじっている)」
直紀
「あれ? こないだの……。今日はちゃんと食ってんのね。 やっぱり食べ物があるってしあわせな事よね〜(にこにこ)」
観楠
「直紀さん、ちょっと違うんじゃないかな(^^;)」
豊中
「ええい、うっとおしい奴。こないだのバイト代はどうし たんだ?」
「かくかくしかじか」
豊中
「阿呆な説明はやめろ。もしかして、もうそこをついたの か」
「実はそうなんだよ」
豊中
「ふ〜ん、またか。でも、御影の旦那の差入れ、食ったん だろ? シュークリームが食えて、良かったじゃないか」
「お、おれは食ってないんだぁ〜!!(目の幅涙)」
豊中
「……なんでだ?(きょとん)」
御影
「おう、一には奴が食い損なったカレーパンをやったんだ
にやぁり)」
豊中
「旦那って……」
居候
『鬼だな』
御影
「なんとでも言うがよい(笑) しかしだ、シュークリーム だとせいぜいひとり1個か2個だ。とても腹の足しにはならん。だが十に差し入れたカレーパンは5個だぞ、5個。どっちが十のガタイを維持するのに有効だと思う?(にや)」
直紀
「そりゃあ、カレーパン」
豊中
「なるほど。論理的な選択、という奴だな」
「そんなふうにまとめるなぁ〜っ!!(目の幅涙)」



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