4月も半ばとなれば、新入生も現実に目覚める時である。
そしてここにも一人、現実に目覚めた男がいた。
その名は岩沙琢磨呂。彼は、ベーカリー楠のテーブルにつき、何か考え込んでいた。
一杯の香り高いアップルティーも、彼の気分をほぐす役には立たず、観楠は心配そうな視線を琢磨呂に向けていた。
- 観楠
- 『声をかけても大丈夫なのかな〜、なんかいつもと様子が
違うけど』
- 本宮
- 「あの〜、どうしたんですか?」
- 琢磨呂
- 「ん、ああ、いや」
琢磨呂の口は重く、気分はさらに重かった。
- 琢磨呂
- 「大したことではない。数学がちょっと、な」
- 本宮
- 「大学生になっても、数学やるんですか?」
- 琢磨呂
- 「やる。ついでにいえば、レポートも出さなきゃならん」
そう。大学では、数学の講義の際にレポート提出を要求されることもあるのだった。
- 本宮
- 「それって、宿題があるってことですよね?」
- 琢磨呂
- 「言わないでくれ。考えたくない」
からん、ころん。
ベーカリーのドアが開き、誰かが入ってきた。
平にして凡な顔立ちと平にして凡な体格の、平凡を体現化したような青年。チェシャ猫のような笑みだけが、彼の個性を浮き彫りにしている。
豊中だった。
- 豊中
- 「紅茶といわしパンと焼きプリン、おねがいします」
- 観楠
- 「750円です」
トレイを持つと、豊中は琢磨呂の近くのテーブルに座った。そして
- 豊中
- 「苦労してるな、琢磨呂君」
- 琢磨呂
- 「なぜわかる」
- 豊中
- 「君と似た方法で」
- 琢磨呂
- 「一緒にしないでくれ」
にやにや笑いが気に触ったのか、琢磨呂は不機嫌そうだった。
- 豊中
- 「ま、気持ちはわからんでもない。俺も線形代数は嫌いだっ
た」
- 琢磨呂
- 「勝手に読んだな?」
抜く手も見せずに現れたベレッタが、豊中に突き付けられた。
豊中は反射的に両手をあげ、しかしにやにや笑いのままだった。
- 豊中
- 「この物騒な代物を下ろして欲しいんだけどね」
- 琢磨呂
- 「答えろ」
- 豊中
- 「簡単なことだよ、ワトソン君。ザックから教科書がはみ
出している」
たしかに、言う通りだった。デイパックのファスナーが一部あいており、そこから線形代数のテキストが見えかくれしていた。
琢磨呂は銃を収め、豊中は食事にとりかかった。
- 琢磨呂
- 「で、たしかあんたも工学部だったな、豊中さん」
- 豊中
- 「一応は。数学のレポートか?」
- 琢磨呂
- 「ま〜ね。そうだ、わかるか?」
- 豊中
- 「なにが」
- 琢磨呂
- 「数学」
- 豊中
- 「まあ、なんとか」
- 琢磨呂
- 「ちょっとおしえてくれ」
- 豊中
- 「俺に聞くなら電磁気学かなんかにしてくれ。数学は嫌い
だ」
できない、ではないあたりがポイントだった。
- 琢磨呂
- 「それが4回生のセリフか?」
- 豊中
- 「4回生になったら君も同じことを言ってるよ。多分」
- 琢磨呂
- 「しかたね〜な」
- 豊中
- 「それより、さっきの銃はなんなんだ?」
琢磨呂は、数学のことをとりあえず忘れることにした。
- 本宮
- (宿題……いいのかな)
- 琢磨呂
- 「ベレッタM93Rだ」
- 豊中
- 「実銃か?」
- 観楠
- 「まさか琢磨呂君でも本物は持ち歩きませんよ。銃に興味
がある?」
- 豊中
- 「いちお〜、元射撃選手でして。ピストルの腕は師匠に嘆
かれる程度の代物でしたけどね〜」
- 琢磨呂
- 「使っていた銃は?」
- 豊中
- 「競技射撃用には .22のルガー。趣味で撃っていたのはS&W
のM52。ガバも撃ったことあるけど、師匠がS&W大好き人間でして」
銃の話に入ってしまったことが、琢磨呂の運のつきだった。
- 本宮
- (先輩……ほんとに宿題いいのかな……)
次の週の朝、完成していないレポートを発見した琢磨呂は、不幸を噛みしめた。
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