エピソード477『限定された悪夢』


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エピソード477『限定された悪夢』

嫌な夢……

花澄
「はぁ(溜息)」
「……どうしたんですか?」
花澄
「昨日の夢見が悪くって……」
豊中
「夢?」
花澄
「魚が二匹、泳いでまして」
「はあ」
花澄
「それが、突然ぶつかったんです」
「……はあ」
花澄
「そしたら、魚は一匹になったんですけど、丁度桝目毎に 隙間があったり、身が詰まったりしてたんです」
豊中+尊
「……?」
花澄
「そのうち、その桝目が水の波紋みたいに変形していって、 身が詰まってるところがどんどん移動していくんですよ」
豊中
「……で?(冷汗)」
花澄
「思わず、『これって、量子の魚の散乱だ!』と言った途 端、目が覚めて」
豊中
「……結構悪夢ですね」
花澄
「そうなんです」
「どこが悪夢なんですか?」
花澄
「えーと……現役の学生さんに聞かれた方が」
豊中
「あはははは……(虚ろな笑い)」
居候
『り、量子論……』
豊中
『そ〜いやおまえも講義は聞いてたっけな』

説明しよう。
 豊中の在籍する電子工学科では、たしかに量子力学(の基礎)は必修科目である。半導体材料関係で卒論を書こうと思ったら、量子論は避けて通れない。
 しかし、豊中は量子論が嫌いだった。
 講義でいくら優をもらっていても、嫌いなものは嫌いだった。
 そして、単位が関係なくなれば、講義の内容など忘れ去るのは、古今東西の学生の習いであり、これは豊中とて例外ではなかった。むろん、本を見れば容易に思い出せることではあるが。
 これは、花澄とて同じである。忘れていないにしても、思い出すのは悪夢であった。量子論に惚れ込んでいたのに、常に量子論に振られ続けた、あの失恋の痛みが蘇るのである。
 と、いうわけで。

花澄+豊中
「まあ、量子力学のことは考えるのも嫌かな〜、という話で すね」
「はもってますねー(感心)あ、夢といえばあたしも最近変 な夢見たんですよね」
豊中
「どんな夢です?」
「えっと、確か最初は……(考え込む)そう、あたしが鬼で 『だるまさんが転んだ』をしてたんです」
豊中
「(どきっ!) だ、だるまさんが……(冷汗)」
花澄
「転んだ……」

顔を見合わせる花澄と豊中、心持ち顔が蒼い。

「ええ……でも、後ろの子供たちは皆てんでバラバラに動 いていてちっとも近づいて来ないんです」
花澄
「はは……(ちょっと引きつり笑い)」
居候
『おい、どうした? 何をそんなに泡くっとる?』
豊中
「(だ、『だるまさんが転んだ』はなぁ……量子力学のモデ ルの一つだっ(泣) ああっ思い出したくも無いっ)」
「で、その後、猫を拾ったんですけど……」
花澄
「猫?」
豊中
(やな予感)
「その猫、箱に入っていて名札がついてるんです『シュレ ディンガー』って、ね、変な夢でしょ(笑)」
豊中
(硬直っ)
花澄
(微妙な引きつり笑い)
「(不思議そうに二人を眺める)どうか……しました?」

この日、ベーカリーを訪れた人はかなり幸運と言えよう。
 なぜなら「蒼い顔で冷や汗を流しながら硬直した豊中」と「引きつり笑いを浮かべて固まった花澄」という珍しい状態の二人を同時に見る事が出来たのだから。
 その後約一ヶ月、花澄は「物理学」の書棚に近寄らなくなったという。

数日後 瑞鶴にて

店長
「どうも、有難う(深々)」
「は?」
店長
「何か、夢の話をして下さったようで。あれ以来花澄の奴、 仕事場で居眠りしなくなったからなあ」
「……はあ」

ちょっと蛇足

『だるまさんが転んだ』と『シュレディンガーの猫』は量子力学論の中で論じられる「観察行為と観察対象」という避けて通れない問題についてのパラドックスを扱ったモデルである。



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