それは、琢磨呂の一言から始まった。
- 琢磨呂
- 「女の子はロングだ! ロングが一番だ!!」
ああ、彼に何があつたと言ふのであらうか。
琢磨呂の脳裏をその時何が占めていたかはお釈迦さんでもご存知なかろう。テレパス連中なら読めただろうが、この場にテレパスと言えるのは豊中一人。そして、この先の展開が予測できる身として、豊中は琢磨呂の頭の中を覗く気なんぞさらさらなかったりするのであった(どのみち、触らなければ読めないのだが)。
そして、やはり予測通りにユラリと立ち上がったのは一十。
- 一
- 「ちがう、断じて違う!! 女の子は、似合うなら、ショー
トが一番だっ!!(ぜいぜい)」
- 琢磨呂
- 「出たな、ショート党めがっ!(拳ブルブル) 正々堂々と
勝負じゃああああああああ」
- 一
- 「おうさ、やったるわい! 覚悟はいいようじゃなあ!!」
- 琢磨呂
- 「ふ……小便ちびっておくなら今のうちだぜ。便所に行く
時間ぐらい与えてあげよう!」
- 豊中
- 「ええいうっとうしい連中め、続きはテーブルを移ってか
らにしろ。俺のパンに唾を飛ばすんじゃない」
がたがたと移動する二人。
そして両者、テーブルごしにしばし睨みあう。
- 一
- 「私は敢えて、ショートこそ一番と主張する!!」
- 琢磨呂
- 「ふふふ、日本人女性は古来よりロングと相場が決まって
いたのだよ一君。やはり、女性らしいロングヘアがいいのぢゃあああああああ(そっくりかえって爆笑)」
- 一
- 「何をいうか! 頑迷固陋なロング党め! 『女性らしい』
『古来』そんな黴の生えた論旨で、このショートを愛する俺様を論破できると思うてかっっ!」
- 琢磨呂
- 「う……うぬぅ……」
- 一
- 「(拳を握りしめて) そう、ショートとは近代において女
性が過去の桎梏から戦い獲得した新たなる女性像のイメージ!」
- 琢磨呂
- 「ふ……きいとらんな。そのようなことは。100人のショ
ートの女性にインタビューしてみるがよい。世の女性は『伸ばしていたかったけれども、伸ばしたいけれども……』という意見を持つ方のなんと多いことか! そしてそのような方々がTVなどのマスメディアにおいて、美しいロングヘアを目の当たりにしたとき、口をそろえて『奇麗な髪だよねー』と言うのだああああああ!
これは、やはり『女性にとってもロングは憧れである』ことを意味する。手入れが面倒、伸ばすときに非常に苦痛のある時期がある、維持するのに費用がかかる等のデメリットを享受したくないがために『仕方なく』『妥協して』ショートにしている女性の方の、何と多いことかぁぁぁぁっ!」
どうやら絶叫モードに入っているらしい。
- 外野
- 「(ぼそっと) その程度のデメリットであきらめられるほ
どにしか思われていないんだな」
この理性的な分析は、二人にあっさりと黙殺された。
- 一
- 「ちがう、それは妥協ではない! 彼女らはロングにする
ことのデメリットと、自分の生き方(爆笑)を比べ、その上で生き方を追求するためにショートを選ぶのだ!
ショートこそは決意の現れ! ショートこそは潔き決断の証! われわれはその決意を称えるのだ!」
- 琢磨呂
- 「ほほぅ……生き方に則した髪型、ねぇ。妥協を奇麗事の
ように言いかえたただじゃねーのか? 男女ともに憧れるLongヘア。うううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううん、美しい!」
陶酔しているのか、主張しているのかわからない部分がある。
むろん、一は琢磨呂の陶酔など構いつけたりしない。
- 一
- 「それに! ショートこそ、伸ばしっぱなしのロングとは
違いまめな手入れを必要とする努力を必要とする髪型だ!
原始のイメージ、あのアルテミスはショートカットであった!
そう、ショートカットこそは『活発で』『健康的な』『健全なる』美の象徴なのだ(怒)」
- 琢磨呂
- 「あるてみふ? 誰それ?
天照大神はロングだあああああ!」
二人ともそれぞれ勝手に燃えているようにも見える。
その、燃えている二人の隣のテーブルで。
- 直紀
- 「(自分の頭を指さして) これって結構めんどいのさ」
- 花澄
- 「髪の毛のばして、それもおろしたまま、というのは、冬
はともかく、夏は死ぬほど暑いでしょうねぇ」
- 瑞希
- 「夏は辛い……」
そしてそれに緋毛氈の上から(……ベーカリー店内で……)、
- 訪雪
- 「確か古代の図像としてのアルテミスは、ショートではな
くてロングを後頭部で団子にしていたような気がするのだがなあ」
茶をすする親父一人。
周囲の会話に気がつかない両者、目から火花を散らしながら
- 琢磨呂
- 「確かにLongは Shortに比べると『切る』必要はないだろ
う。しかし、大量のヘアケア用品への投資、入浴時の多大な労力(乾かすのも然り、洗うのもしかり)、出勤前の多大な時間的必要性がLongにはある。
Longは手入れが面倒だがそれだけの価値はあるということなのだよ、明智君!
かりに、伸ばす途中で『長いけれども括れない』という厳しい時期があるとしても、女性にとって美しいロングヘアはその苦痛を乗り越え、髪を乾かす時間がかかってケアに金がかかるということをものともしないほどのメリットをもたらしてくれるはずである!
私は、そのような艱難辛苦を乗り越えセミロング〜ロングの髪を維持しようとする女性の努力と美貌に脱帽しそれを称えるっ! ロングよ永遠なれ!」
- 外野
- 「活動的で躍動感のあるショートのすばらしさが分からん
のか(怒) だいたいロングはこれからの季節暑いぞ〜、
しかしこれからの季節ショートは熱いのだ!!」
ぼそぼそと言ったつもりらしいこの発言に、しかし一は拳を握りしめた。
- 一
- 「そう、躍動感! これこそショートのアルパであり、オ
メガなのだ! 白く美しい「うなじ」、彼女らはそれを惜しげもなくさらし、颯爽と歩いて行くのだぞ、これを美しいと言わずして何を美しいと言う!」
- 琢磨呂
- 「あ・ま・い・ね。『秘してこそ花、秘せずして花なりぬ
べし』という言葉をご存知かな?」
- 一
- 「(じろっと琢磨呂を睨み)なるほど、秘すれば花とはよく
言ったものだ。だが、琢磨呂君、君は真っ白なうなじに囚われるあまり、もう一つの魅力の存在を忘れ去っている!
ぐももももっ!)それは、日焼けだ! ショートカットに日焼けは似合う! 嘘だと思うなら、どっかの女子校の陸上部の練習風景をよく見てみるがいい。そしてそこで健康的に日焼けした、あの、小麦色のうなじを見るがいい!
(ここで拳を突き上げる) まさに陽光のニンフ、夏のフェアリィ!! そして、さらにショートカットの魅力はその挑発性にある! ショートカットの少し気の強めっぽい女の子が、挑みかかるような視線でこちらを見ている! そう、すでに戦いは始まっている、めくるめくアバンチュールの予感!」
- 琢磨呂
- 「ふっふっふ、普段Longに隠され、日焼けしていない真白
なうなじ。風呂上がりや運動の後。タオルとともにはらりと跳ね上げられる黒髪。刹那、その髪の色とは対照的な真白なうなじがあらわになる……」
額に手を当てて一言一言を噛み締めるように説く琢磨呂。隣のテーブルにいる女性三人の視線は、珍しい動物を見るようなそれであった。
- 琢磨呂
- 「この美学が、このゲイジュツが、ショート党にはわから
んかぁぁぁぁっ」
拳を振り上げヒットラーのように絶叫する琢磨呂。
が、一がその程度で引っ込むはずもない。
- 一
- 「美学だと? 芸術だと?(ふっと笑う) 琢磨呂君、貴君
とて学校の夏服に、五月の風、と来れば爽やかなショートカットと思わずにはいられないはずだっっ!」
- 琢磨呂
- 「ふっ……思わん。夏服といえば、透けるブラぐらいしか
思い浮かばぬ」
問題発言ととれなくもない。
- 豊中
- 「(ぼそっと) その発言、ユラがいなくて命拾いしたな、
琢磨呂君。いたら、次の新薬実験の実験台にされるところだ」
- ユラ
- 「聞いてるって」
- 豊中
- 「いつ来た!?」
無論、琢磨呂は隣で外野がボソボソ言っている言葉など聞いてはいなかった。
- 琢磨呂
- 「それと、体育のときに『暑いよねー!』といってポニー
にくくる、Longの美女を眺めるのも、夏場の楽しみだぞ」
夏場、ロング。そういうことになると……
- 瑞希
- 「夏の夕暮れ……浴衣なんぞ着て、長い髪をアップに髪を
まとめる、さらりとこぼれる髪、後れ毛の中ちらりと覗く白いうなじ、ほのかに香るせっけんの香り……なーんて考えるといいではないですかぁ、私は昔あこがれたなぁ(笑)」
- 花澄
- 「やってみたことがあるんですか?」
- 瑞希
- 「ありますよぉ(笑)、実際やってみると、そんな感慨はわ
かなかったけど」
これが、若年寄りの妄想を刺激した。
- 訪雪
- 「髪をすっきりと結い上げた浴衣の年増の、項にかかる後
れ毛ひと筋……くくくくく。ふふふふふ。……ぅわーっはっはっはっはっはっは!
誰が何と言おうと、ヲレはアップが良いのだ!」
- 豊中
- 「危ないおやぢだな」
- 一
- 「私は、月に一度床屋に通わなければ維持できないその髪
型を維持する、その心構えに感嘆の念を禁じ得ない! ショートカットに栄光あれ! 浜の真砂はつきるとも、世にショート党の尽きること無し。良く覚えておくのだぁっ!
拳ブルブル)」
- 琢磨呂
- 「此れだけのデメリットを乗り越えてLongであり続ける方々
に、栄光と賞賛を!
人の世が存在し続ける限り、Longは不滅だ!」
- 豊中
- 「……なあ、これ、いつまで続くんだ?」
- 八神
- 「う〜ん……この間『俺は似合ってればどっちでもいい』
と言ったら、食堂のド真中でえんえんと熱弁を振るってたからな、琢磨呂は」
- 金堂
- 「往来で叫んでないだけ、まだまし(^_^;」
戦いは長く、果てしなかった。
誰の顔にも疲れが伺える。観楠店長は全てを諦めたのか、それともそれが悟りなのか、そっとグラスを拭き続ける。
二人の男達は今だ戦いを諦めてはいなかった。
男の顔が上がり、眼が新たな戦いに燃えた! その時!
からからん!
戦場に闖入者が訪れた。
- 琢磨呂
- 「れ、麗衣子!」
そこには流れるようなロングヘアのメガネの似合う少女の姿。
- 麗衣子
- 「先輩、ごめん! おくれちゃって、ちょっと髪の毛が跳
ねちゃって……。で、どうしたの?」
麗衣子は周囲の雰囲気にちょっと違和感を感じ、軽く首を傾げた。
- 琢磨呂
- 「(ふっと笑って) 構わないさ、俺は。麗衣子が俺のため
にそれだけ時間をかけてくれたことの方が、嬉しいよ(そっと、手を伸ばし、麗衣子の額にかかる髪の毛を掻き上げる)薫り、違うな。変えたのか?」
- 麗衣子
- 「うん……(嬉)」
どうやら、琢磨呂は大学に入ったおかげでここしばらく麗衣子とは会っていなかったらしい。いつになく麗衣子が素直に接しているのはそのせいだろう。
ちなみにこの間、十は固まっている。いや、このベーカリーにいる誰もが(たとえ竜胆でさえも)今のこの二人の幸せフィールドを破ることは出来なかったろう。普段、顔を合わせれば何かと騒いでいた高校時代のことを知る、古くからの常連は特にそうだった。
- 琢磨呂
- 「行くか、しばらく会えなかった分、今日は俺がおごって
やるよ」
- 麗衣子
- 「いいの?」
- 琢磨呂
- 「大学生のバイト代をなめるな(笑)」
からからん
二人が去ったベーカリーは静まり返り、誰も咳一つしない。そんな中で、カウンターの端。
今まで、十、琢磨呂の余りの勢いに傍観していた尊だが、ふと思う。
- 尊
- (御影さんは……ロングとショート、どっちが好きなのか
しら……って(汗) やだ、あたし何考えてるの!?)
何故か顔を赤らめ、そそくさとベーカリーを後にする尊。つられたように常連達が一人、また一人とベーカリーを後にする。
陰の風が吹き、
滅の雨が降る、
人、これを、
陰々滅々と言う。
- ユラ
- 「観楠さん、じゃあこれお代です」
- 観楠
- 「はい、ありがとう。明日もよろしく」
- 訪雪
- 「どれ、儂も行くか。十君、先に戻ってるぞ」
観楠は、かたずけに厨房に廻った。店にいるのは十と豊中の二人きり。
- 豊中
- 「(ぽん、と十の肩に手をかけて)ま、あーだこうだ言った
って、実際幸せなもんにはかなわんってことだ」
- 居候
- 『次には独り者同士で論争するんだな』
からからん。
- 観楠
- 「一さん、悪いけど、店閉めちゃうから……」
- 一
- 「……青い空なんか、だいっきらいだぁぁぁ(眼幅滝血
涙)」
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