エピソード511『鬼篭め』


目次


エピソード511『鬼篭め』

登場人物

小滝ユラ
ハーブショップ「グリーングラス」の店員。
    
動植物と対話が出来る。
平塚花澄
書店「瑞鶴」の店員。結界「春」の主。
譲羽  
少女人形に宿った木霊。平塚花澄と同居している。
如月尊 
花屋 FLOWER SHOP Miko 店長。退魔術師。

第零章「予兆」


 かごめかごめ
 篭の中の鳥は
 いついつでやる……
 
 吹利駅前商店街から少し入ったところにある古アパート。
 

花澄
「あれ、この木、切るんですか?」
管理人
「ああ、何か虫が食っちゃってねえ。ほら、もうこの木なんかぐらぐらしてるでしょう。この際この一列、まとめて切ろうかと思ってね」
花澄
「そうなんですか」
 
 柵代わりだった杉の小木が、もう既に数本切られている。
 
管理人
「しばらく邪魔かもしれないけど、すみませんね」
花澄
「いえ」
 
 肩にかけたリュックが、もぞりと動く。それに気が付かれないうちに、と花澄は歩き出した。
 
花澄
「ゆずにはきつい話題だった、かな?」
 

第一章「椅子」


 花澄の家に木霊が住み着くようになって数日後の夕刻。
 ベーカリーにて。
 パンを買って帰りかけた花澄は、ふいに後ろから声をかけられた。
 

ユラ
「あの、すみません」
 
 ふりむくと、このあいだのハーブショップの店員である。
 
花澄
「あら、たしかあの、ハーブティーの……」
ユラ
「あ、私、小滝と申します。小滝ユラです。よろしく……あの、つかぬことを伺いますけど、このあいだ、木霊がどうとか……って、おっしゃってましたよね」
花澄
「え?」
ユラ
「この前、ベーカリーで」
花澄
「あ、ええ、……ええと……み、見てらしたんですか?(汗)」
ユラ
「ええ、私、あの時いましたから(苦笑)」
 
 だいたい店の真ん中で木霊を出しておいて、「見てらしたんですか」も無い。
 
ユラ
「そういうのって、椅子にもとりつくものなんですか?」
花澄
「椅子?」
ユラ
「椅子、です」
花澄
「どういうことなんですか?」
ユラ
「あの……私、舞台やってまして。ダンスなんですけど、今度、発表会があるんです。それで、椅子を小道具に使うんですけど、いいのがなくって……探してたら、このあいだ、凄くいいのを拾ったんです」
花澄
「拾った……んですか?」
ユラ
「道端に落ちてたんです。あんまりきれいだったから、とりあえず連絡先だけ書いたメモを残して、もらってきちゃったんです。一週間たっても、誰からも連絡がないから、そのままもらって使ってたんですけど……その椅子、踊るんです」
花澄
「踊る?」
ユラ
「ええ。曲のテーマが、T...って詩人の散文詩で」
 

         ”春の野に しまいわすれて来し椅子は
                 鬼となるまでわがためのもの”
 

ユラ
「っていうんですけど。そこのところで、椅子が勝手に踊る、というか、動くんです」
花澄
「椅子に……木霊、ですか……?」
ユラ
「私の思い過ごしかなあ。でも、最近何だか妙なものが通るって、公園の鳩とプラタナスが言ってたし」
花澄
「でも風は何も……え、鳩?」
ユラ
「風?」
花澄・ユラ
「……そういうことも、ありますよね」
 
 顔を見合わせたまま、二人は困ったような笑みをうかべた。
 
ユラ
「あの……ここで立ち話もなんですし、よろしかったらグリーングラスに寄っていらっしゃいませんか?」
 
 グリーングラス、二階。
 
花澄
「この椅子ですか?」
ユラ
「ええ」
 
 木目の揃った、明るい飴色の椅子である。
 
花澄
「これは、尋ねてみたほうが早いですね」
ユラ
「?」
 
 肩にかけた袋を降ろし、口紐を緩める。と同時におかっぱの頭が飛び出してきた。
 
花澄
「ゆず、何か分かる?」
 
 ちい、と一声あげると木霊は袋から飛び出し、椅子に飛び乗った。
 てとてと、と椅子の上で足踏みする。と、そのリズムに合わせるように椅子がカタカタと揺れだした。
 
ユラ
「あのリズムだわ」
花澄
「踊るときの、ですか?」
ユラ
「ええ」
 
 ひとしきりカタカタと『踊った』後、椅子はぴたりと動きを止めた。
 木霊は椅子から飛び降りた。
 
花澄
「ええと……はい、ゆず」
 
 木霊の入っていた袋を探り、底から赤い玩具の電話を引っ張り出し目の前に置いてやる。
 木霊は行儀よく正座すると、よいしょ、と受話器を持ち上げた。
 
SE
てるるるるる……
 
ユラ
「電話?」
花澄
「ごめんなさい、こうしないと譲羽と話せないんです」
 
 受話器を取り上げると、子供子供した少し息の漏れるような声が流れ出た。
 
譲羽
「木霊では、無い、です。」
 
 木霊の口元は、動かない。
 
譲羽
「でも、すごく強い。鬼には、させない、と。させなかった、と、言ってます」
ユラ
「鬼には、させない?」
花澄
「させなかった?……何のこと?」
 
 木霊の少女は首を傾げて、何やら一所懸命考えているらしかった。
 
譲羽
「……蓋」
花澄
「蓋?」
 
 何のことやら、の世界である。
 
ユラ
「よく分からないんだけれど、この椅子って、危険なものなのかしら?」
譲羽
「いいえ。危険じゃない。いい椅子」
ユラ
「なら、取りあえずいいんだけど……」
譲羽
「居たい、こっちより、あっち」
 
 いまいち要領の得ない会話を打ち切ると、木霊はすくっと立ち上がり、椅子へと駆け寄った。身長の優に二倍はある椅子に取り付き、がたがたと押す。見かねた花澄が慌てて手を貸した。
 
花澄
「何、どこに持っていくの?」
 
 椅子を、通りとは逆の壁のほうに向けて置き直す。
 そこまでやると、木霊は花澄の肩によじ登った。
 
花澄
「何だかわからないけど、これでいいみたいです。で、お聞きしたいんですけど」
ユラ
「はい?」
花澄
「妙なものって、何でしょう?」
ユラ
「妙なもの……?」
花澄
「鳩とプラタナスが見た、というのは?」
ユラ
「ああ、それですか。それが……」
 
 ユラは、少し肩を竦めた。
 
ユラ
「緑の光がまわっているらしいんです」
花澄
「光が、まわる……」
ユラ
「私も直接見たわけではないんですが、光が集ってきて木の周りを輪になってまわっているって」
花澄
「……?」
 
 と、木霊が鋭い声を張り上げた。
 
ユラ
「ど、どうしたんです?」
花澄
「え、いえ……」
 
 言葉を濁しながら、花澄は内心首を傾げた。
 
花澄
『危険……?』
 

第二章「杉」


 同日、夕刻。
 ベーカリーにて。
 

「店長、ここら辺の木、虫でも付いたんですか?」
観楠
「さあ……何でまた急に?」
「ここまで来る途中、何個所かで木が切られてたんで」
観楠
「へえ」
御影
「杉の木やったら、頼んででも切ってもらいたい位だ」
「ダンナ、それは私怨ですよ(苦笑)。いや、ただ切ってるだけならいいんだけど」
御影
「何か、ひっかかるのか」
「それほど深刻なものじゃない。ただ、切られたところが歯の被せ物が取れたようになってる。今のところ別に問題はないけどね」
御影
「何かあったらまず痛む、か」
 
 一は面白くもなさそうに笑った。
 と。
 
「そういえば、あたしの家の近くでも切るって聞きましたけど」
 
 パンを抱えた尊が話に加わった。
 
観楠
「ってことはこの向かい?どの木ですか?」
「この通りの反対側だから、こちらからは見えないですよね。丁度……ほら、グリーングラスの裏手じゃなかったかな」
 
 と、からん、とベルが鳴って、もう一人、入ってきた。
 
観楠
「いらっしゃい……あれ?」
 
 さっき来ていたはずの、ユラである。
 
ユラ
「いえ、こちらでお茶いただいたのはいいんですけど、うっかりして買いもののほう、忘れちゃって(苦笑)」
「呆けてるなあ。また寝てないとか?」
ユラ
「まあね。大学の実験とお店に加えて、ここのとこ舞台控えてるから忙しくって……」
「舞台?」
ユラ
「うん、ダンスの発表会なんだけど、あ、そうだ、私、尊さんにお願いすることがあったんだっけ」
 
 その言葉に、尊はひょいと振り向く。
 
「あたしにお願い?……なあに?」
ユラ
「あの、お花、見立てて戴きたいんです。髪飾りにするの」
「髪飾り?ひょっとしてヘッドドレスとか?(くすくす)」
ユラ
「そんなんじゃ、ないんですけど……舞台用に。小道具に洋椅子使うんですけど、衣装は打掛けをゆるく纏う感じなので、けっこう難しくって」
「洋椅子に打掛け?」
ユラ
「ん、テーマが鬼と椅子なの。愛しい人か、もしくは狂おしいほど憎い人かの形見となった椅子と、それと絡んで踊る娘と、って趣向で」
「最後には椅子も娘も鬼となって……か?そういうのを気安く扱うのはまずいと思うんだが」
ユラ
「……かもね。今、私が使ってる小道具の椅子、勝手に踊るし」
「踊る?どういう椅子使ってるんだ?」
ユラ
「知らない。拾ったの。うちの裏の、あの……杉の木のあたりで」
「杉の……あ、今度、切られるあの杉?」
 

さて一方、ユラの部屋を辞した花澄と譲羽。
 

花澄
「で、何が危険なの?」
 
 返事が無い。
 
花澄
「ゆーず?」
譲羽
『言ったら、花澄、やるもの』
花澄
「……言わなくっても、やるけど?」
 
 そういう問題ではないような気もする。
 
花澄
「じゃ、これに答えて。ユラさんのとこ、本当に大丈夫なの?」
譲羽
『大丈夫、って、椅子、言ってた』
花澄
「なら、何から『大丈夫』にするの?」
 
 返事が無い。
 
花澄
「しょうがないなあ……ねえ、今ユラさんに関わる一番危険なところってどこ?」
 
 ぼう、と目の前に青白い火が浮き上がる。それがふらふらと漂い、グリーングラスの横手から裏側へと入り込んでゆく。
 と、細く伸びた木が現れた。
 木霊の少女が肩にしがみつく。
 
花澄
「……杉の木?これが危険なの?」
 
 どうっと風が起こり、花澄の髪を吹き飛ばした。
 
花澄
「この木が、無くなるのが危険……って、切られるの?それが、危険……あ」
 
 逢魔ヶ刻。
 だんだんと彼我の区別のつかなくなる中、虚空にぽち、と、緑の火が灯った。
 ぽぽぽ、と、その火が増えてゆく。
 緑の、鱗のように。
 

        『かごめ、かごめ
           篭の中の鳥は
             いついつでやる』
 

花澄
「……え?」
 
 まわる、緑の光。
 花澄の目には、それが、ほのじろい蛇体に見えた。
 
花澄
「……鬼?」
 

第三章「歌」


 そして、夜。グリーングラスの二階、ユラの部屋。
 部屋をすっかり片付けてしまうと、ユラは壁に向いて据えられた椅子を部屋の中央に持ち出した。
 

ユラ
「……もう、そろそろ仕上げかなあ……」
 
 部屋の隅のデッキに、カセットテープを落し込む。
 
ユラ
「椅子と絡むところだけでも、練習しておかないと……」
 
 言いながら、部屋を見回す。
 
ユラ
「マヤ、いないの?」
 
 返事はない。良い月夜だし、同居猫は夜遊びに出かけたらしい。
 ユラとしては、そのほうがありがたかった。踊っている最中に足元をうろうろされてはかなわない。
 
ユラ
「……よし……」
 
 小さく息をつく。衣装の襟を手早くなおすと、デッキのスイッチを入れた。
 流れ落ちるような琴の音。
 笛がかさなる。
 
ユラ
「ここは、まだいいから……」
 
 小鼓、大鼓、笛がもう一管絡む。
 
ユラ
「そろそろ……かな……」
 
 探していた、探していた……娘が言う。
 ここにいたのか、この椅子の中に。
 私がずっと抱えていたもののなかに。
 こんなに近い場所に。
 待っていた……椅子が答える。
 お前が気づくのを。お前が私に触れるのを。
 椅子と娘を包むのはあわあわと暮れてゆく春の野辺。
 娘は椅子の背に身を預ける。
 私のもの、私のもの、どこにもやらない。
 愛していたか憎んでいたか、それさえもう忘れたけれど、ただ、今在るおまえが慕わしい。
 娘の心が破れる。
 打掛けをはらりと脱ぎ捨てる。
 下に纏う、ぴったりと身についた衣装には、身体に絡みつき緑にきらめく鱗文様。
 
 おいで、おいで……椅子が呼ぶ。
 ここから私を解き離しておくれ。
 娘は駆け寄り、椅子を打つ。
 あらわれる腕に身を投げる。
 
 悲鳴のような笛の掛け合い、囃子の掛け合い、琴の音が狂ったように上下する。
 
 やがて。
 はたり、と音がやむ。
 椅子に打掛けが絡み、その上にゆっくりと崩おれる娘。
 
ユラ
「……ふう。なんか今日、えらい調子いいわ」
 
 音を止めて衣装を拾いながら、ユラはひとりごちた。
 スタジオと違って、十分に動けない場所のはずなのに、振りにこめた意味の
 それぞれが、やけに実感できて、手足がスムーズに動いた。
 と、そのとき。
 
 カタカタ……カタカタ……
   カタ……カタカタ……カタ……
 
 ぎょっとしてふりむくと、椅子が踊っていた。
 
ユラ
「うそ……ぉ。音もかけてないのにぃ……」
 
 ひとりごとの途中で、ふ、と灯りが消えた。
 窓から差し込む月灯りをスポットライトにして、椅子はゆっくりと踊っていた。
 
ユラ
「え……?誰か……歌?」
 
 切れ切れに、童歌。
 
 『かごめ、かごめ……
 
    ……篭の中の鳥は……
 
         いついつでやる……』
 
 ふう、と、膝から力が抜けた。
 
マヤ
『ユラ、どうしたの、ユラ……!!』
 
 悲鳴のような猫の鳴き声が、どこかで聞こえたような気がした。
 

第四章「娘鬼」


 いきながら おにとぞなりて なりはてぬ
 
    ひとおもうみの やみのふかさに
 
 ふと気が付くと、辺りはとっぷりと暮れていた。
 

花澄
「……え、今何時……え?!」
 
 既に二時間が過ぎている。
 
花澄
「ゆず……譲羽っ!?」
譲羽
『わっ』
 
 小さな体が膝の上で跳ね起きた。
 
花澄
「いまのは」
 
 蛇、と見えたものが、夢のように崩れてゆく。
 それは小さな鬼達と化した。
 なおもくるくるとまわりながら、鬼達はしきりにこちらを伺っているようだった。
 
花澄
「ユラさんは、無事なのね?」
 
 グリーングラスの窓から光が溢れているのを確認して、花澄は走り出した。
 
花澄
「あれは……」
 
 あれは、向こう岸から来た者。既に渡り終わった者。
 
花澄
「ああもう、焦ってる場合じゃ無いってのに」
 
 考えなければならない。
 ユラは大丈夫だ、と木霊は言う。
 それだけは今のところ、安心出来ることだった。
 
 安アパートの二回に駆け上がり、鍵を開ける間ももどかしく扉を開ける、と。
 
           「椅子は、どこ?」
 
 ひく、と花澄の喉が鳴った。
 
           「探しているの」
 
 白い顔が、闇に浮かび上がっていた。
 
      『かごめ、かごめ
 
         篭の中の鳥は
 
            いついつでやる』
 
 花澄のひざから、力が抜けた。
 
         「椅子を、さがしているの」
 
 ききぃっ、と鋭い声を、木霊があげた。
 緩やかに笑んだ顔のまま、白い娘は木霊へと手を伸ばした。
 
花澄
「……っ!逃げてっ!」
 
 闇雲に振り回した手が、娘のそれにぶつかった。
 木霊は跳ね飛ぶように花澄の後ろに回る。
 
         「あぁ、邪魔だこと」
 
 ふと、娘は眉を顰めた。
 目の前の相手のみを指しているのではないようだった。
 
         「まだ、手に入らぬ」
 
花澄
「……何のこと?」
 
 うふふ、と娘は笑った。
 
       「うつしよにのこるかたわれを」
 
 白い衣が翻った。
 ほのじろい光がぐるぐるとまわった。
 目が、酷く回る。
 
花澄
「ゆず……きこえる?」
 
 木霊の少女が跳ね飛んでくる。
 
花澄
「何か、変……ユラさんを、助けて」
譲羽
『でも』
花澄
「急いでっ!」
譲羽
『でも駄目っ!』
花澄
「何故!」
譲羽
『ここの木、切られてる!ユラさんの木、まだあるもの』
花澄
「……どういうこと?」
譲羽
『護身の杉、もう、切られたもの』
花澄
「椅子、ではないの?あの木が守ってるって……じゃ、あの椅子……あ」
 
 ユラの持っていた椅子。
 切られてゆく杉の木。そして鬼。
 『大丈夫』と言ったのは。
 
花澄
「……あたしってば、莫迦」
 
 『大丈夫』と言ったのは、椅子自身だったではないか。
 それが信用できるのかどうか、は、わからないというのに。
 
花澄
「…………わかった。じゃ、ゆずは誰か助けを呼んできて」
譲羽
『花澄ぃ』
花澄
「立てないのよ。力が抜けて」
 
 微笑した花澄に、譲羽はそれ以上何も言わずに駆けていった。
 
花澄
「どういうこと、なのかな」
 
 『護身の杉』が守っていたとすれば、あの椅子は何なのか。
 何故あの椅子を、鬼が探すのか。
 そして、夢現の間に聞こえてきた唄。
 
    いきながら おにとぞなりて なりはてぬ
 
          ひとおもうみの やみのふかさに
 
花澄
「もしそれが本当なら」
 
 呟いた声に、遠くからの唄が重なった。
 
    『夜明けの晩に
        鶴と亀が滑った』
 
花澄
「ああ、もう来たの」
 
 くるくると、光がまわった……
 

第五章「想鬼」


 がたがたと窓ガラスが音を立てた。
 

「嫌な晩」
 
 お気に入りのヌイグルミを抱えて寝転んでいても全然リラックスできない。
 気配がする。
 ざわざわと夜の中を蠢く者達の気配。
 その気配に無意識に反応し、ピンと緊張の糸が張られるが、それが直接自分に関わってこない分、焦燥感が増す。
 
「変な話も聞いたし」
 
 かたかたと踊る椅子。
 それが無害な憑物程度なら良いが……。
 人を介しての又聞きなので『踊る椅子がある』。
 具体的な事はそれだけしか分からなかった。
 それが苛立ちに一層拍車をかける。
 
「なんか……引っかかるのよね……」
 

      『かごめ、かごめ
            篭の中の鳥は』
 
 ざわめきが、ふと止んだ。
 か細い声が重なり合うように、耳慣れた唄を紡ぎだす。
 
       『いついつでやる』
 

「何……これ」
 
 そっと開いたカーテンの間から、緑色の光が見える。
 ころころと転がるように光が集まって行く先は。
 
「グリーングラス?……ユラちゃんの所?」
 
 聞いたばかりの情報が形を取り出す。
 
「ふむ……(考え込む)」
 
 顎に手を当て小首を傾げ、一応考え込む風を装ってみる。
 答えは決まっているが。
 
「行ってみよ」
 
 ちろ、と紅い唇をなめて、尊は静かに窓を離れた。
 

 『わたしのたからもの   二年三組  深水 苑子
 
    わたしのたからものは、お父さんがくれたいすです。うちのにわ
   の木を切ったときにつくってくれました。
    「使えば使うだけきれいないすになるんだよ」とお父さんは教え
   てくれました』
 
 ゆうら、ゆらり
 
  『守りたかった
   守り切れなかった
   残ったのはこれだけ
 
   守らねば
    守らなければ』
 
   それは全ての命題の上に立つ
 
 ……そは既に。
 
       鬼ではあるまいか。

第六章「追走」

マヤ
『ユラってば、ユラ!!』
 
 ちろちろと、椅子から緑の鬼火が立ち上る。
 
マヤ
『ユラ、起きてっ!』
 
 部屋の外にも、揺れる緑の光がある。
 それらがまるで拍子を取るようにくるくるとまわってゆく。
 
      『篭の中の鳥は
 
         いついつでやる
 
            夜明けの晩に』
 
 ふと、唄が途切れた。
 
マヤ
『?』
 
 窓辺に乗り、外を覗く。
 まるで子供が散ってゆくように光が散じてゆく。
 
マヤ
『あの人は、ええと……お隣の尊さん?』
 
 鋭い声に、尊は思わず上をふりあおいだ。
 グリーングラスの二階。
 窓から緑色の光がひとつ、ほろりとこぼれる。
 
「ユラちゃん……!?」
 
 もう一度、鋭い悲鳴。
 錠のおりたドアに駆け寄り、ゆさぶる。
 
「ユラちゃん、どうしたのっ!ここ開けて、ユラちゃん!」
 
 答えるように、階段を駆け降りる足音。
 続いて何かをひきずり落す音。
 
「一体どうし……」
 
 ドアが壊れんばかりに引き開けられた。
 転がり出してくる、黒い塊、白い人影。
 
「ユラちゃん無事っ!?」
ユラ
「そこを……どけ……」
 
 見なれた姿が、知らぬ声を発する。
 錆びた、深い声。
 緑の鱗の衣装の上にゆるく纏った打掛けの裾をひるがえし、後ろ手に飴色の椅子を引き。
 
ユラ
「行かなくては……」
 
 ユラの空ろな瞳の奥に潜むのは何者か。
 
「ユラちゃん……憑かれてるのね……安心して、必ず。助けるから」
 
 自分自身に言い聞かせるように呟くと、微笑む。
 
ユラ
「行かなくては……」
「待ちなさい!」
 
 おぼつかない足取りですり抜けようとするユラの肩を、尊はきつく掴んだ。
 
ユラ
「だめ……」
「え?……」
 
 いやいやをするように、つかまれた肩をゆする。
 ユラの口から漏れた声はユラ自身の声だった。
 
「ユラちゃん……あなたまさか!(汗)」
 
 憑物を落とすには寄童自身も憑物を拒絶する必要がある。
 だが、一片でも憐憫、共感を持ってしまったら……。
 ユラは憑物に身体を貸してしまった。
 恐ろしい事実に尊の肌が粟立つ。
 
ユラ
「探してるの……待ってるの、このひと……」
「このひと……って?」
 
 半分眠った瞳で、ユラは後ろに引いた椅子を見やる。
 
「この椅子……これが、踊る椅子ってわけね……」
 
 羽織った外套の中から呪符を取り出し、椅子に貼ろうと手を伸ばす。
 
ユラ
「だめぇ!!」
 
 引き裂くような悲鳴。
 思わず、手を止める。
 
ユラ
「呼んでる……行くの……行かないと……行かなくては……」
 
 ユラの声に、次第にもうひとつの声が重なる。
 
「……わかった、行かせてあげる。その代わり、私も一緒に行く、いいわね?」
 
 こくり、と、動かない瞳で、ユラの顔がうなずく。
 
「それともう一つ」
 
 尊の顔から表情が消え、剃刀の様な視線でユラの瞳を見据え、低く言い放つ。
 
「なんでユラちゃんに憑いてるか知らないけど、これ以上ユラちゃんの身体や心に何かしたら……」
 
 何のモーションも何も無く、不意に漣丸を抜き放ち、椅子に突きつける。
 
「容赦なく滅し闇に還えってもらう。それを忘れるな!」
 

コトリ……コトリ……
 コトリ……コト……
 
 うす紅に若緑、春の野のぼかしの裾が、夜風にひるがえる。
 娘が椅子を引くのか、椅子が娘をせかすのか、しらじらと降る月の光の中を、道行きは続く。
 
 どこかで、誰かにひきとめられたような、気がした。
 でも、呼ぶ声には逆らえなかった。
 誰かの手が、この手をしっかりとって誰かの手が、この体をしっかりと抱いて。
 ああ、歌がきこえる。
 誘い歌がきこえる。
 誘いの遊び歌がきこえる。
 ひきとめる声が、とおくなっていく。
 ひきとめる声が、号泣にかわる。
 守りひきとめ抱きしめるすべのないことを嘆き。
 号泣は、いつまでもいつまでも続き。
 そうして、やんでしまう。
 ひそやかなつぶやきを残して。
 
 ……守りたかった……守れなかった……守らなければ……
 

ユラ
「帰ってきたのか……もう、連れてなど、いかせるものか……」
「何!?ユラちゃん何言ってるの!?」
 
 思わず駆け寄る。
 その瞬間、散ったはずの緑の光が、ふう、と寄り集まり、渦を巻いた。
 緑の光にとりまかれるように、ユラの裸足が走り出す。
 
「駄目!待ちなさい!」
 
 追いすがろうとしたとき、何かが肩に飛び乗ってきた。
 
「な……!?」
 
 人形が一体、しっかりと肩にしがみついている。
 
「人形?」
 
 人形に注意がそれた一瞬。
 不意に辺りが静まり返る。
 緑の光も消えた。
 
「しまった!見失っちゃった……」
 
 肩口にしがみついた人形の襟首をひょいとつまみ目の前にぶら下げる。
 
「……こぉら……どーしてくれんのよ、見失っちゃったじゃない(苦笑)」
 
 目の前にぶら下げられた人形は小さく身を縮め、ちぃと鳴く。
 おびえたように尊の表情を伺う。
 
「あなた……木霊、ね?そんなに脅えないで、何もしないから。で?あたしに何か用?今忙しいんだけど」
 
 その声に、人形は顔を上に向けた。ぢいぢい、と声を出す。
 何かを訴えていることだけは分かるのだが。
 
「ごめん、何がなんだか」
 
 人形ははっと、声を呑んだ。そして気付いたように口を開いた。
 
人形
『椅子を、さがしているの』
「え?今なんて!」
人形
『……わかった。じゃ、ゆずは誰か助けを呼んできて』
「っ……花澄さん?!」
人形
『ユラさんを、助けて』
 
 二色の声を紡ぎだすと、人形はすがるような目で尊を見た。
 
「椅子って、……ユラちゃんの椅子?」
 
 こくこく、と人形は頷いた。
 
「……良く分からないけど……あの椅子と花澄さんは関係あるの?ユラちゃんを助ければ、花澄さんも助かる?」
 
 畳み掛けるような問いに、こくこく、と頷きが返る。
 
「解った、信じるわ。でも」
 
 先ほどユラが消えてから既に10分近く過ぎている。
 このまま追いかけても恐らく追いつけないだろう。
 
「どうすれば……」
 
 ミャウ。
 足元で、猫の泣き声が聞こえた。
 いつのまに来たのか一匹の猫が尊の足元にちょこんと座り、鼻面を擦り付けている。
 
「あら?ユラちゃんところの……マヤ……だっけ?」
 
 尊の問いかけに、「そうだ」とも言わんばかりに、ミャウ!と一声鳴く。
 
「あっ!そうだ!」
 
 不意に何かに気づき、マヤをそっと抱き上げる。
 
「ユラちゃんと花澄さんが危ないの。急いでユラちゃんを追い駆けたいから『猫道』を教えて。お願いマヤ(真剣)」
 
 「猫道」猫達が使う町の獣道。
 どんな所へも通じ、最短時間で移動できるが、普通の人間は通ることが出来ない道。
 マヤは再び一声鳴くと、尊の腕からスルリと飛び降り、近くのブロック塀の上に飛び乗る。
 月光に瞳を輝かせ、ついて来いと言わんばかりに尊を振り返る。
 
「有り難うマヤ、助かるわ(笑顔)無事に帰れたら極上のお刺し身ご馳走するわね(ウインク)」
 
 軽く身を沈めただけの予備動作でふわりと地を蹴り、尊も塀の上へ飛び乗る。
 
「じゃ、お願いマヤ。道案内は……ええと、ゆず?」
譲羽
(こくり)
「じゃ、ゆず。道案内お願い、急いで!」
 

マヤを先導に、長い髪をなびかせ、漆黒の外套を翻しながら疾走する。
 それは、目を疑うような光景だったろう。
 ブロック塀の上を音も無く駆け抜け、家々の屋根の上をふわりと飛び移る。
 時折キラリと光るのは月光を受けた譲羽の瞳か、尊の瞳か。
 

(お願い……間に合って!)
 

第七章「夢現」


 はらはらと、光が舞う。
 くるくるとまわる子供たち。
 その額に灯る緑の光。
 
 『かごめかごめ
    篭の中の鳥は
      いついつでやる』
 
    ”呼ばぬのか”
  ”我らを、呼ばぬのか”
 

花澄
「……御免被る」
 
 そう言うと、花澄は目を上げた。
 
花澄
「何を探しているの?」
 
「うつしよにのこるかたわれを」
 
 ふわ、と白い衣が目前で揺れた。
 突き出された左の腕の肘から先が無いのを、花澄は見た。
 
花澄
「腕は現世に、身は夢に、というところ?」
 
 見上げた視線の先で、娘が微笑んでいた。
 
花澄
「あなたは」
 
 白い額に刻まれる光。
 
花澄
「鬼、なのね?そして」
 
 確認ですら、それはない。
 
花澄
「鬼を、選ぶのね?」
 
 『かごめ、かごめ
   篭の中の鳥は
     いついつでやる』
 
 白い姿が、のけぞるように笑った。
 
「忍土といい、穢土という」
 
 鬼達の足は、地を踏まない。
 
「すみなすものこそ、鬼ではないのか?」
花澄
「……それは、違うと思うけど」
 
 おや、と言いたげに娘は花澄を見た。
 その目を、花澄は見据えた。
 
花澄
「すみなすものは、修羅、だわ」
 
 虚を衝かれたように、娘が黙り込む。畳み込むように花澄は告げた。
 
花澄
「あの椅子は、貴方を探している。でも、今の貴方を探しているわけじゃない」
 
 白い顔が無表情のまま、こくり、と首肯いた。
 
花澄
「あの椅子は貴方の欠片を守っているのね?」
「あの時あれは、腕を掴んだまま放さなかった」
 
 はたはた、と、娘の切られた腕から、思い出したように血が滴った。
 
「腕だけを、人の世に残してしまった」
花澄
「あの腕だけが、人なの?」
 
 こっくりと、童女のような素直さで、鬼は肯いた。
 
花澄
「それでは、あの椅子がそれを放す筈が無い」
「既に鬼に成り果てているのに」
花澄
「貴方が?それとも椅子が?」
「双方」
 
 そこまで言うと、娘はおかしくて堪らぬように身を捩った。
 
「鬼祓う身が、鬼と化すとは憐れな話」
 
 くつくつと笑う娘を、花澄は黙って見やった。
 
 非難するような視線を、鬼はかろく受け流した。
 
「手伝ってはくれないか?」
花澄
「私に選択肢はないんでしょう?」
「このまま橋を渡るか?」
花澄
「楽な方向選ぶほど、落ちぶれたくはないの」
「では」
 
 すい、と娘は屈み、花澄と目を合わせた。
 
「私を呑んでもらおう」
 
 ぱん、と、周囲が弾けた。
 
花澄
「……っ!」
 
 弾けとんだ光景の代わりに、見慣れたアパートのドアが目に入った。
 体が、重い。
 
 コトコトコトコト……
 
 途絶えることの無い音が、道から近づいてくる。
 ざわ、と体の中で何かがうごめいた。
 
花澄
「椅子が、来る?」
 
 引き合う想い。同時に突き飛ばされるほど強い拒否。
 花澄はゆっくりと立ちあがり、歩き出した。
 階段を降り、道に出る。
 
花澄
「あれは……」
 
 緑の光に包まれて進んでくるもの。
 
花澄
「ユラ…さん?」
 

第八章「散華」


 さわさわと、胸が波立つ。
 気配と予感。
 
 『かごめかごめ
    篭の中の鳥は
      いついつでやる』
 
 あのときも。
 あの声だった。
 
 残ったものは……。
 
 人影が、止まる。
 糸のほどけるように、緑の光が散りこぼれる。
 ユラは静かに花澄の前にたたずんだ。
 

ユラ
「みつけた…」
 
 動かないユラの瞳が、泣くように微笑むのが見えた。
 
花澄
「何を?」
 
 花澄は、やわらかく問うた。
 現を抱きしめたまま鬼と化し、しかしおそらくそれを認めはすまい。
 たとえ知ってはいても。
 
 連れ去られたもの。
 追うたもの。
 知らぬ間に橋は落ち。
 
 とうとうと流れる河。
 
ユラ
「もう、行かせぬ……」
 
 片腕で胸を抱き、もう片腕をさしのべる。
 震える指先が片頬にかすかに触れたとき、花澄はユラの胸に血まみれの腕を見た。
 
 探していた 探していた。
 
 花澄の胸の奥で、激しいざわめき。
 
 今行く、今そこに行く。
 
 あれを、あの腕を取りたい。ひしと抱きしめた、あの邪魔な手を引き裂いて。
 悲鳴のような声が、心の臓を締めあげる。
 
 さもなければ、椅子ごと、あの娘ごと、連れていこうか。
 
花澄
「それは、させない」
 
 唇を噛みしめる。
 出してはならない。
 いかに鬼がさわいでも。
 
花澄
「呑んだのは私、呑まれたのはあなた」
 
 重い足をひきずり、あとずさる。
 
花澄
「あなたがどこに行こうと、それは私の知らぬこと。けれどあの人を傷付けることは許さない」
 
「ならば」
 
 もうひとつの声が、ついと唇をすべりだした。
 
「お前を連れていこうか」
 
 ざわり、と梢が鳴って、風が立つ。
 そのとき。
 
ユラ
「……どうすれば……」
 二つの声が重なった。
 
花澄
「ユラさん!?」
ユラ
「かえれないの、ですか?こんなに待っていたのに。こんなに探していたのに。あなたがたとえどんな姿になっても、このひとが待っていたのはあなたなのに……」
 
 すすりなく、ユラの声。 
 
「愚かな」
 
 笑いを含んだ声が答える。
 
「かえる、と?どこに?互いに既に鬼となりはてて。残ったものはそのままでは役にもたたぬ腕」
 
 抑えても抑えてもこぼれる声。胸が苦しい。
 
 鬼が腕を取ろうと手を伸ばし、腕をつかむ一刹那。
 何処からか飛んできた鳥、いや、白い紙が鬼の目の前で弾け、青い炎を撒き散らす。
 憎々しげに振り向いた鬼の前には片方の肩に人形を乗せ、猫を従えた女が立っていた。
 
「誰であろうと、その人たちに危害を加えることは許さない」
 
 魂まで凍らせるような鬼の視線を、真っ向から受ける。
 
 肩に乗っていた譲羽が飛び降り、花澄の足元にとてとてと駆け寄る。
 鬼を牽制しつつ、尊も花澄とユラの元へ駆け寄る。
 
「花澄さん!」
花澄
「みこと……さん……」
「これは?」
花澄
「鬼、です。……ここに」
 
 ぎこちない、笑み。
 
「それじゃ、ユラちゃんは……」
花澄
「あのひとにも。……お願い、できますか」
「何を?」
花澄
「あのひとまで、連れていかせないように」
 
 一切の事態を了解し、無言でうなずく。
 それを見届けると、花澄は静かに一歩を踏み出した。
 手を延べる。
 血まみれの腕を抱いたまま、ユラがあとずさりかけ、瞬間、弾かれたように
 駆け寄ってくる。
 
 鬼の腕が、鬼に抱かれた人の腕を掴む。
 体の奥からざわざわと暗い血がわきあがる。
 私は今、どんな顔をしているのだろう。
 ひたすらに涙をこぼす動かない瞳に、今何が写っているだろう。
 
 右の腕に痛みがはしる。
 食い込む指。
 
 ただひきよせれば鬼が人にかえるとでも?
 ……愚かな。
 ひきよせるお前も鬼ではないか。
 
 目の前が、赤く、赤く、染まってゆく。
 笑い声が聞こえる。
 泣き声が絡む。
 赤い視界に緑の火がともる。
 
 ころころ、ころころ。
 
 転がる灯り。
 聞きなれたわらべ歌が耳の奥に降る。
 
 『かごめかごめ
   篭の中の鳥は』
 
「そこまで」
 
 尊の手がひるがえり、白い紙が放たれた。
 紙は刃物のように飛び、ユラの胸に抱かれた腕を弾き飛ばした。
 地に転がった白い塊が、古い血の色に染まる。
 
「わたしの……!!」
 
 白い影がひとつ、花澄の影からはがれおちた。
 呪符に巻かれて転がる腕の上にかがみこむ。
 
「わたしの……」
 
 黒く萎びた皮膚、ねじくれた指先。黒い古血がこびりつく。
 
「おのれよくも……」
 
 憤怒の形相で尊を睨む鬼。
 漣丸を構えつつも悲しげな瞳で鬼を見つめる。
 
「想いが故に鬼と為りし者よ、汝が存在を己に問え!作麼生!」
 
 ビクリと身を震わせ、ゆるゆると振り返る鬼。
 花澄に向かう視線を遮るように構える。
 そのときユラの体が、がくりと崩おれた。
 はっとする二人の目の前で、鬼の姿がふわりと揺れた。
 
 呪符の中で、腕がさらさらとくずれていく。
 かわりに二人の目の前に浮かんだのは、やわらかく光る椅子。
 娘の姿か、ゆるゆるとそれに寄りそう。
 
「……何?」
 
 椅子によりそう娘。しかし視線を転ずれば、左の肘を抑え、立ち尽くす娘。
 
花澄
「あれは……記憶、だわ」
「現世(うつしよ)の刻(とき)……」
花澄
「あの鬼の、人の記憶」
 
 引き裂いた鬼、引き裂かれた娘。
 残った腕のみが、確かに人の。
 
  わたしのたからものは、お父さんがくれたいすです。うちのにわの木を切っ
 たときにつくってくれました。「使えば使うだけきれいないすになるんだよ」
 とお父さんは教えてくれました。おじいちゃんは「これはごしんのすぎだか
 ら、きっと苑子をまもってくれるよ」といいました。わたしはこのいすをだ
 いじにしようと思います。
 
 確かに椅子の側に立つ娘の面立ちはもう片方の娘のそれよりも、幼い。
 
 鬼は黙ってそれを見ている。
 
 かたかたと、椅子が揺れる。
 

 春の野に しまいわすれて来し椅子は
 
  鬼となるまでわがためのもの
 
  想いを捨てて、鬼となり
 
  想いの故に、鬼となり
 
  ゆらり、と鬼が手を伸ばした。
 

「我は既に鬼」
 
 椅子に寄り添う娘が、静かに首を傾げた。
 
「選ぶ術も、戻る術も無い」
 
 戻る術あらば、戻るのか。
 それとも尚、鬼を選ぶのか。
 
 既にそれも、詮無きこと。
 
「我は、鬼」
 
 揺らぐことなく、鬼は告げる。
 
「何を、選ぶ」
 
 刹那。
 
「!?」
 
 椅子が、閃光を放った。
 

いついつと 待ちにし君は
 もはや既に 得難しと知る
 
 なれど
 なれど
 
 如何にして御身を忘るるや
 如何にして御身を想わざるや
 
 なれば
 なれば
 
 この身 崩るるとも
 御身 崩るるとも
 
 静かに光は引いていった。
 ただ、はらはらと散る光粒が、そこに残るものを照らした。
 
 白く渦巻くように倒れた鬼と
 形も残さぬほどに崩れた椅子と
 

「……これは」
花澄
「鬼……」
 
  はらはらと散る緑の光
  光を放つ鬼の角
 
  『かごめかごめ
     篭の中の鳥は
       いついつでやる』
 

第九章 「鬼祓い」


  歌が聞こえる。
  歌が離れぬ。
 
   『かごめ、かごめ
     篭の中の鳥は
     いついつでやる』
 
  繰り返し、繰り返し。
 
  それが。
  不意にしんとした。
 

「何」
花澄
「尊さん……!」
 
  ふと気が付けば、自分たちは緑の光の輪の中に置かれているではないか。
  しんとした目の鬼たちが、ただじっとこちらを見やる。
 
  いや、ただひとり、を。
 
花澄
「尊さん、ユラさんを!」
 
  じっと見ていた視線を上げて、一人の鬼が高く声を放った。
 
   『かごめ かごめ』
 
  透き通るような声が、それに唱和してゆく。
  緑の光のような声。
 
   『篭の中の鳥は』
 
  鬼を知るものを、鬼に心を開いたものを、誘う声。
 
   『いついつでやる』
 
「ユラちゃん!」
 
  細い体が、ふう、と浮きあがるように起き上がった。
  纏うた着物は、春の野のぼかし。
  緑の光が溶け込むように近寄った。
 
「寄るなっ!」
 
  何時の間にか現れた白刃を、尊は大きく振るう。
  ざん、と緑の光が珠になって飛び散った。
 
花澄
「あの歌、が」
「え?」
花澄
「網に、なってる」
「……は……ん、成る程」
 
  かごめ……篭目。
  高く低く響き渡る声は、確かに、細い緑の軌跡を描いて縦横に走る。
 
花澄
「ユラさんにかかる糸は、私が何とかします。尊さんは」
「この鬼の陣から抜け出す方法を」
花澄
「御願いします」
 
  漣丸を構えて、尊が鬼に対する。
  花澄は半ば這うようにして、ユラに近づいた。
 
  春の野の衣。
  かくりよにある春ではなく、現世に満つる春。
  
花澄
「……ユラさん」
 
  鬼の足は、地を踏まぬ。
  人の足は、地を踏みしめる。
  光だけの春は、現世には無い。
  根を張る緑の草の根元には、黒々とした大地。死体すらも呑み込んで
  広がる、春。
 
花澄
「その春を」
 
  ここは現世(うつしよ)。
  夢は、現に勝ちえぬ。
 
  花澄の周囲に満ちた春の気配が、ユラに絡み付いた緑の篭目を断ち切った。
  ぼんやりとしていたユラの目が、はっきりと見開かれる。
 
ユラ
「え、あのっ」
花澄
「戻って、こられましたね(安堵)」
 
       『夜明けの晩に』   
 
  歌は、なおも続く。
  木霊が花澄の腕に、脅えたようにしがみつく。
  
ユラ
「でも、どうして……」
花澄
「あの鬼達には、椅子のことなど関係無いんです。彼らは彼らで、私たちを連れてゆこうとしている。それだけ」
 
       『鶴と亀が 滑った』
 
  歌は細い糸となる。糸はまるで吸い寄せられるように漣丸へと絡み付く。
  はらり……はらり、と雲のように降り注ぐ糸。
  一本一本を正確無比に切り飛ばしながらも、徐々に疲労し焦りが見えてくる。
  糸は間断無く降り続く。
 
「くっ……」
 
  それを振り払う尊の額に汗が浮かぶ。
  きりが、ない。
 
「何処かに……何処かに結び目が……」
 
 一心に心眼を凝らすが、結び目が見えない。
 キリ、と噛み締めた唇に痛みが走る。
 
「(……焦っちゃ駄目……落ち着いて……)」
 
 糸を切るのを止め、漣丸を鞘に納める。
 目をつぶり、大きく深呼吸して構え直す。
 一撃必中、抜刀の構えである。
 なおも降り注ぐ糸は尊を覆う。
 
花澄
「口惜しいことに、ここには護身の杉が無いんです。防ぎようが無い」
ユラ
「護身の杉……」
 
  ユラの目がせわしく動き、やがて壊れた椅子のところで止まった。
 
ユラ
「これ、もとは、護身の杉、だったんですよね」
花澄
「……!」
ユラ
「ならば、使えませんか?」
 
  人の腕が、人として残るのならば。
  壊れた椅子の足も、護身の力を残してはいまいか。
 
  ユラの手が、椅子の足を掴んだ。
 
ユラ
「花澄さん、誰がこの網の目の端だか、わかります?」
花澄
「聞いてみます」
 
  篭の編みはじめ。網の最初の結び目。
  風に、そして地に問う。
  一筋の風が、土埃を舞い上げて指し示した。
 
花澄
「……あの鬼!」
「見えたっ!そこっ!」
 
 微動だにしなかった尊が瞬時に間合いを詰める、その間、一足一刀。
 尊が漣丸を振り上げ、ユラが椅子の足を持った手を振りかぶる。 
 
         『後ろの正面』
 
  そして次の瞬間、二筋の力が一点に向けて放たれた。
 
  光が、爆発した。
 
「!」
 
  無音。
  一面を覆っていた篭目がちりちりと弾け、
   瞬く間に黒く闇へと溶け込んでゆく。
 
  まるで全てがほどけてゆくように。
  白い衣に包まれた鬼のからだが、ふう、と溶けて消えていった。
 
  ことり、と、残った椅子の残骸だけが、小さな音を立てた。
  尊はゆっくりと手を下ろした。
 
「……何とか、なったみたい」
 
  誰かの溜息が、答えの代わりになった。
 

終章 「光埋み」


 あれは本当に起きたのだったろうか、と、唐突に花澄は思った。
 ベーカリーのドア・ベルを背後に聞きながら、道を横切って向かいのハーブショップの扉を押す。
 

ユラ
「いらっしゃいませ」
 
 穏やかな声に迎えられた。
 ほっと、ためいきをつく。
 
花澄     
「あ…このあいだのカモマイルのブレンド、きらしちゃって。それから…」
ユラ
「…花澄さん…」
 
 日常を確かめるような注文の言葉をさえぎられて目をあげると、微かに笑みをふくんだ視線とぶつかった。
 
ユラ
「一昨日は…どうもありがとうございました」
 
 ぺこり、とユラは頭を下げた。
 
花澄
「え…そんな…」
ユラ
「いえ、ほんとに。あの、それで、お礼、ってわけでもないんですけれど、よかったら少しお茶でもいかがですか? ……尊さんも、いらしてるんです」
 
花澄     
「尊さんも?」
「あ、こっちこっち」
 
 店の奥の方から、声をききつけたのか、尊が顔を出して手を降った。
 
ユラ
「あの向うのほう、テラスになってるんです。 ……どうぞ、よろしかったら」
 
 繁ったハーブでいっぱいの庭に面したテラスには、いくつかの白い丸テーブルと椅子が並んでいる。
 
ユラ
「どうぞ。特製のミント・ティーです。今回、とっても出来がよくって」
 大きなお盆にポットと人数分のカップ、それに、お茶受けにと小さなケーキを盛って、ユラが出てきた。
 
「…わぁ(嬉)。このケーキ、全部ユラちゃんの手作り?」
ユラ
「ええ。スパイスケーキやら、ハーブを生地に混ぜ込んだのやら、色々。今度から少しお店に出そうかと思ったりもしたんだけど……でも、わたしも忙しいから、これはたぶん計画倒れる(笑)」
 
 なんということのない、日常の会話。
 にこにこと聞きながら…ふと、花澄は、テラスの端の日だまりに視線を止めた。
 
花澄     
「ユラさん。…あれ…」
ユラ
「あれって…?あ、ええ、そうです」
 
 にっこりと答えるユラにつられて尊もそちらに目をやる。
 
「! ……? ……でもあれ……」
ユラ
「ええ、ふつうの椅子です。……形だけ。似ているのを買ってきて、少し手直ししたんです」
 
 このあいだのあの椅子、集めて直そうと思ったんですけど、落ちた足を継ごうとしただけで、さらさらと崩れました。だから。
 …忘れるには、忍びないから。
 …待ちに待ち続けて鬼と化し…それでもあれは護身の杉で。
 このまま、塵にして忘れてしまうには、あまりにも。
 
ユラ
「わたしごときが、”哀れ”などという資格はないのですけれど、 ……でも」
「……ユラちゃん」
 
 尊が、少し恐い声を出す。
 
「それはいいんだけど……。でも、だめよ、その椅子まで鬼にしたり、こないだみたいにユラちゃんまで向こうに行きそうになったり……」
 
 ぞっとしたわよ、ほんとに、と、低い声でつぶやく。
 
ユラ
「大丈夫。……この子は、椅子として、幸せな椅子にします」
 
 きっぱりと宣言するように答え、一同はなんとなく笑みをこぼした。
 
 さらさら、と、風。
 さらさら、と、光。
 静かにまどろむ椅子。
 
ユラ
「……あ、お二人とも、よかったら発表会見にいらして下さいね。 ずいぶんと解釈を変えたんで、仕上がるかどうか結構冷汗ものなんですけど」
 
 思い出したように、ユラがエプロンのポケットから薄緑色のプログラムを取り出した。
 成人部、7番。小滝ユラ。演目、「春野宵」。
 
 蛇身を絡め、椅子と共に狂いはててゆく娘ではなく。
 あわあわと暮れてゆく春の野に、ひとときの夢を眠る娘を。
 果たせなかった約束、叶わなかった想いを、
 
ユラ
「替わりに、というわけではないんですけれど。 ……まぁ、祈りみたいなものかしら」
 
 さらさら、と、風。
 さらさら、と、光。
 誰ともなく、ため息をついた。
 
 鬼と化した椅子…その姿だけが、穏やかにそこにある。
 何の予感をもはらまずに。
 
 ユラが立っていって、新しい香茶を煎れてきた。
 緑の庭の上に、高い青空が広がり、そこらじゅうが鮮やかに見える。
 穏やかな昼休みである。
 

解説

吹利の謎の一つである、「かごめかごめの唄と護身の杉」に、狭間06の範囲で関わった形のエピソードです。
 謎は解決されないまま、それでも関わることで何かを変化させながら、住人たちは日常へと戻ってゆきます。



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