エピソード543『行水』


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エピソード543『行水』

午後2時、松蔭堂。
 今日は(も?) 早めに大学を退けた一が帰ってくる。店から続く狭い廊下を通って蔵に行こうとすると、蔵の建つ裏庭で水音がする。

(……?)

裏庭の池は枯山水。水はない。
 不思議に思いながらも、台所の冷凍庫のみぞれ氷をひとつ取って、廊下の端の木戸を開けたところで、一の動きが止まる。
 蔵と母屋をつなぐ外廊下のすぐ下に、子供用のビニールプールがしつらえてあり、水が張られている。
 プラスチックのぞうさんじょうろを手に、透き通る水と無邪気に戯れているのは。

「(目が点) 若大家。そんなところで何してんですか」
訪雪
「(平然と) 行水。暑いから」
「(呆) 行水ってあぁた、いい年こいたオヤジが子供みた いに。誰か来たらどうするんですか」
訪雪
「だぁ〜いじょうぶ、こんな暑い午後になんか誰も来やせ んよ。君もどうだね? ほうら潜水艦もあるぞ」
「(汗) 遠慮します」
訪雪
「そうか、つまらんのう……よしと。体も冷えたし、そろ そろ上がって氷でも食うか」
SE
「ばしゃ」
訪雪
「よっこいせっと」
「体ぐらい拭いてくださいよ、全く」
SE
「ぺったぺったぺった」
「そのままの格好でほっつき歩かんでください!」
訪雪
「どうせ誰も見ちゃおらんし、見られて困るようなもんで もなかろうが」

訪雪の読みは甘かった。勝手口の木戸が勢いよく開いて、直紀が飛び込んで来た。

直紀
「にのまえさん、こんにちはぁ! 暑いから遊びに来ちゃっ た。ほーせつさん、冷たい麦茶とか……」

言葉の続きは喉の奥に引っかかって消える。ビニールプール。じょうろ。潜水艦。そして、おやぢ。

(あちゃあ……だから言ったのに)
直紀
「あの……ほうせつ……さん?」

母屋に入りかけたところで振り返って、平然としているおやぢ一人。

訪雪
「ああ、柳さんいらっしゃい。かき氷どう? そこにプー ル出てるから遊んでっていいよ」



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