午後2時、松蔭堂。
今日は(も?) 早めに大学を退けた一が帰ってくる。店から続く狭い廊下を通って蔵に行こうとすると、蔵の建つ裏庭で水音がする。
- 一
- (……?)
裏庭の池は枯山水。水はない。
不思議に思いながらも、台所の冷凍庫のみぞれ氷をひとつ取って、廊下の端の木戸を開けたところで、一の動きが止まる。
蔵と母屋をつなぐ外廊下のすぐ下に、子供用のビニールプールがしつらえてあり、水が張られている。
プラスチックのぞうさんじょうろを手に、透き通る水と無邪気に戯れているのは。
- 一
- 「(目が点) 若大家。そんなところで何してんですか」
- 訪雪
- 「(平然と) 行水。暑いから」
- 一
- 「(呆) 行水ってあぁた、いい年こいたオヤジが子供みた
いに。誰か来たらどうするんですか」
- 訪雪
- 「だぁ〜いじょうぶ、こんな暑い午後になんか誰も来やせ
んよ。君もどうだね? ほうら潜水艦もあるぞ」
- 一
- 「(汗) 遠慮します」
- 訪雪
- 「そうか、つまらんのう……よしと。体も冷えたし、そろ
そろ上がって氷でも食うか」
- SE
- 「ばしゃ」
- 訪雪
- 「よっこいせっと」
- 一
- 「体ぐらい拭いてくださいよ、全く」
- SE
- 「ぺったぺったぺった」
- 一
- 「そのままの格好でほっつき歩かんでください!」
- 訪雪
- 「どうせ誰も見ちゃおらんし、見られて困るようなもんで
もなかろうが」
訪雪の読みは甘かった。勝手口の木戸が勢いよく開いて、直紀が飛び込んで来た。
- 直紀
- 「にのまえさん、こんにちはぁ! 暑いから遊びに来ちゃっ
た。ほーせつさん、冷たい麦茶とか……」
言葉の続きは喉の奥に引っかかって消える。ビニールプール。じょうろ。潜水艦。そして、おやぢ。
- 一
- (あちゃあ……だから言ったのに)
- 直紀
- 「あの……ほうせつ……さん?」
母屋に入りかけたところで振り返って、平然としているおやぢ一人。
- 訪雪
- 「ああ、柳さんいらっしゃい。かき氷どう? そこにプー
ル出てるから遊んでっていいよ」
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