土曜午後7時、近鉄吹利駅前。夏至を過ぎたばかりの夕空はまだ明るい。
駅から吐き出された人の流れに逆らうようにして、訪雪が歩いている。左手には、リニューアルオープンしたばかりのデパートの袋。頭上僅かのところに浮いている白い風船の糸は、右手の人指し指に結ばれている。
和服の男が風船を従えて歩く姿に、擦れ違う人々が奇異の視線を向ける。
デパートの出口で、風船の束を手にした店員を目にした瞬間、半ば無意識に手を出していた。子供連れでもカップルでもなかったから、店員も少しは躊躇ったのかもしれないが、その辺りはよく覚えていないし、現にいま風船が手元にあるということは、それを渡されて受け取ったということだろう。
いま思えば、始末に困るだけの代物だった。しかし、捨ててしまうのも何か哀れな気がする。
早足に歩きながら、風圧で背後に流された風船を見やる。
小走りに追いついて声をかけてきたのはユラだった。肩から提げたトートバッグの持ち手に、黄色い風船が結びつけてある。
いつものような急ぎ足で、ユラは駅の方に去っていった。肩先に風船を靡かせて歩く豊中の姿を想像して、訪雪は独り苦笑する。
不意に右の袂を引かれて、視線を下に向けると、母親に手を引かれた小さな女の子が、訪雪を見上げていた。
母親の警戒するような眼差しに軽く頭を下げて、人指し指から風船を外した瞬間。
糸はつまもうとした左の指先をすり抜けて、あっと言う間に手の届かないところに上昇していった。
見上げた頭上を漂いながら遠ざかる風船は、だんだん小さくなって、やがて闇色に変わりはじめた空に溶け込むように消えた。
二日後の朝。
松蔭堂の前の電線に引っかかっていた、白い風船の残骸が、前夜からの雨に叩かれて路上にぺたりと落ちた。