からから、と扉が開く。
はあ、と勢いに押されて生返事をしたお客の後ろから。
どうやらお客の上着の裾に捉まって来たらしい、それはいつぞやの小人である。本棚のところにいた花澄の方に、小人は駆け寄ってきた。
掬い上げた花澄の手の上で、小人は何かをしきりに言おうとしているが、いかんせん言葉が通じない。
と、風がさわさわと揺れた。少しの間、花澄は小人の言葉に耳を傾けていたのだが。
からからからっ
本を受け取って、三人組が帰った後で。
ギター語と木霊語。通じるものがあったら……少し恐いかもしれない。
などと言っている時に、ふと、花澄の目が動くものを認めた。昼間の小人である。少し離れたところから、おいでおいでをしている。
店と店の間を通って、塀だけが残る空き地を突っ切って、古アパートの花壇の縁石を踏んで通り、針金のまだ残る柵をくぐるなり乗り越えるなりして……。
半時間も歩いただろうか。すっかり暗くなった中で、花澄が立ち止まった。月明かりの中で、輪郭だけが浮き上がる。
穴場のように、この周囲だけ街灯が無い。足元で草がさわさわと揺れているのが分かる。
尋ねかけた本宮の膝のあたりに、ぽう、と一つ灯がともった。それを合図にしたように、野原のあちこちで、ぽぽぽ……と紫陽花を思わせる色合いの灯がともった。
不意に、フラナの目の前を、灯が一つよぎった。灯を持った小人は、そのまま宙を滑空し、花澄のポケットに引っかかって止まった。
小人が頷く。袋の中からシートを引っ張り出しながら、花澄はあとの三人に笑いかけた。
平たい皿にワインを注いで草の上に置くと、わらわらと光が群がってくる。正確に言うと、その光を持つ小人達がやってくるのだが、フラナ達にはそれは見えない。ただ、光がほんのりと紅色に染まるのを見るだけである。手に持ったサンドイッチを片付けてから、フラナは尋ねた。
見事に疑問文がはもった。続いて尋ねようとした声を、花澄は身振りで静め、近くの草むらを指した。草の間に、何か輝くものがある。見ようとすると残像だけが残る。それは、尾鰭の形をしていた。
やがて、何匹ものさかな達が地中より浮き上がり、飛び上がってはまたたわむ草の波間に消えた。鱗の端だけが、黄金に染まって。
月はだんだん高く登る。さかなはどんどん高く跳ねる。
見とれていた花澄の袖を、譲羽がつん、と引っ張った。
慌てて袋の中から金平糖を取り出し、四人にわけ……かけて五人にわけ、それぞれが空に放る。月待魚が高く跳ね、ぱくりとくわえた。飲み込んだ腹の中で、星の形の菓子が光りだす。
さかなはそのまま月へと向きを変えた。光で縁取られた体が一つうねる。尾鰭が薄い大気を叩く。
次から次へと、さかなは宙に舞った。ぼんぼりのように、灯を一つともして。
さかなが光るのか、金平糖が光るのか。光波の中で、さかなは跳ねる。
不意に、木霊が小さく鳴いた。地面がぐらりと揺れた。
薄淡い光が、自分達の周りを取り囲み、中空へと登ってゆく。共に、中空へ引き上げられるような錯覚。
それは、座っているシートくらいの幅のあるさかな。それがぬめるように頭を突き出し、また、地面へと潜る。
さわさわと、野原を渡る風に似た声が皆の耳に届く。
声に重なって、巨体が宙に跳ねた。フラナが飛び上がり、手に残った金平糖を残らずばらまいた。さかなはそれを全て飲み込んで、とうとう宙に浮いた。
跳ねるような声に励まされたのか、さかなは尾鰭を一つ打ち振った。風が、どう、と吹いた。風が騒ぐような歓声があがり、ふと、途切れた。
花澄は声を呑み込んだ。
息を止めた花澄の視線の先で、その時さかなは四散した。一瞬月は二つに見え、次の瞬間片方が崩れていった。
降る。
黄金の鱗が。
虹に光る細い骨が。
受け止める手を、光はすり抜ける。それは、静かな答えと化した。
佐古田は、黙って天を指差した。つられるように、皆が空を仰いだ。もう、あとには静かに月が残るだけだった。
瑞鶴まで先導してくれた光は、すぐにかききえた。
そう言うと、花澄はぺこりと頭を下げた。
呟いて、空を見上げる。月が残るばかりである。それでも足元が、白く照らされているような気がした。
扉を開けて、もう一度空を見上げて、そして扉を閉める。
取りあえず、月の宵の話である。