エピソード564『月宵奇談』


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エピソード564『月宵奇談』

瑞鶴、午前11時半

からから、と扉が開く。

花澄
「いらっしゃいませ」

はあ、と勢いに押されて生返事をしたお客の後ろから。

花澄
「……?」
譲羽
「ぢ?(レジの後ろで、こそっと頭をもたげる)」

どうやらお客の上着の裾に捉まって来たらしい、それはいつぞやの小人である。本棚のところにいた花澄の方に、小人は駆け寄ってきた。

花澄
「(小声で)どうしたの?」

掬い上げた花澄の手の上で、小人は何かをしきりに言おうとしているが、いかんせん言葉が通じない。

花澄
「……ごめん。通訳お願い」

と、風がさわさわと揺れた。少しの間、花澄は小人の言葉に耳を傾けていたのだが。

花澄
「……え?」

同日、午後四時半

からからからっ

フラナ
「こんにちはぁ」
花澄
「あ、こんにちは。……ああ良かった」
フラナ
「?」
花澄
「本宮君と佐古田君もいるし……三人とも、今晩時間空い てます?」
フラナ
「空いてるよ」
本宮
「大丈夫ですけど」
佐古田
「ジャン(同じく)」
花澄
「そしたらええと……七時前くらいに瑞鶴に来てもらえま す? 何だか見せたいものがある、ってお誘いが来てるんです」
本宮
「見せたいものって、何ですか?」
花澄
「それが分からないんですよ。教えてくれなくって」
本宮
「?」
花澄
「見る価値はある、ってことでしたけど」
佐古田
「ジャカジャン(なら問題無し)」
花澄
「それじゃ、待ってますね。あ、それとフラナ君、頼んで た本、来てますよ」

本を受け取って、三人組が帰った後で。

譲羽
「……ぢい(似てる)」
花澄
「ん?」
譲羽
『ギターの人。ゆずと同じ。だから花澄、言葉が分かるの?」
花澄
「……言われてみれば……(苦笑)」

ギター語と木霊語。通じるものがあったら……少し恐いかもしれない。

同日七時

本宮
「こんばんは……って、花澄さん、その荷物なんですか?」
花澄
「これはお弁当と、後は頼まれ物。白ワイン三本と金平糖」
本宮
「白ワイン三本?」
花澄
「あ、ううん、頼まれたのは一本なんだけど、三人とも飲 めるでしょ?」
佐古田
「ジャジャーン(勿論!)」
譲羽
「ぢい(いいのかなあ)」

などと言っている時に、ふと、花澄の目が動くものを認めた。昼間の小人である。少し離れたところから、おいでおいでをしている。

花澄
「じゃ、行きましょうか。こっちみたいです」
本宮
「はあ(こっちみたいって……大丈夫かなあ)」

店と店の間を通って、塀だけが残る空き地を突っ切って、古アパートの花壇の縁石を踏んで通り、針金のまだ残る柵をくぐるなり乗り越えるなりして……。

本宮
「何かすごい道通ってるけど、大丈夫かな」
フラナ
「そっかな? いつもこうだけど?」

半時間も歩いただろうか。すっかり暗くなった中で、花澄が立ち止まった。月明かりの中で、輪郭だけが浮き上がる。

花澄
「ここだそうです」
フラナ
「ここって?」
花澄
「この前、フラナ君と来たとこ」

穴場のように、この周囲だけ街灯が無い。足元で草がさわさわと揺れているのが分かる。

花澄
「少し待ってくれって。すぐ灯りをつけるからって」
本宮
「灯りって?」

尋ねかけた本宮の膝のあたりに、ぽう、と一つ灯がともった。それを合図にしたように、野原のあちこちで、ぽぽぽ……と紫陽花を思わせる色合いの灯がともった。
 不意に、フラナの目の前を、灯が一つよぎった。灯を持った小人は、そのまま宙を滑空し、花澄のポケットに引っかかって止まった。

花澄
「ええ、持ってきましたよ。約束のもの。ここに座っても いい?」

小人が頷く。袋の中からシートを引っ張り出しながら、花澄はあとの三人に笑いかけた。

花澄
「ご飯にしましょうか」

平たい皿にワインを注いで草の上に置くと、わらわらと光が群がってくる。正確に言うと、その光を持つ小人達がやってくるのだが、フラナ達にはそれは見えない。ただ、光がほんのりと紅色に染まるのを見るだけである。手に持ったサンドイッチを片付けてから、フラナは尋ねた。

フラナ
「これを見に来たの?」
花澄
「ううん。この人たちが誘ってくれたの。今晩は特別だか ら見に来るようにって、わざわざ」
フラナ
「まだ、何か見えるの?」
花澄
「さかなが、飛ぶんだって」
三人
「さかなぁ?」

見事に疑問文がはもった。続いて尋ねようとした声を、花澄は身振りで静め、近くの草むらを指した。草の間に、何か輝くものがある。見ようとすると残像だけが残る。それは、尾鰭の形をしていた。
 やがて、何匹ものさかな達が地中より浮き上がり、飛び上がってはまたたわむ草の波間に消えた。鱗の端だけが、黄金に染まって。

フラナ
「(小声で) あれが?」
花澄
「(やはり小声で) 月待魚、って言うんだって」

月はだんだん高く登る。さかなはどんどん高く跳ねる。
 見とれていた花澄の袖を、譲羽がつん、と引っ張った。

花澄
「なあに?」
譲羽
『金平糖、撒けって』

慌てて袋の中から金平糖を取り出し、四人にわけ……かけて五人にわけ、それぞれが空に放る。月待魚が高く跳ね、ぱくりとくわえた。飲み込んだ腹の中で、星の形の菓子が光りだす。
 さかなはそのまま月へと向きを変えた。光で縁取られた体が一つうねる。尾鰭が薄い大気を叩く。
 次から次へと、さかなは宙に舞った。ぼんぼりのように、灯を一つともして。
 さかなが光るのか、金平糖が光るのか。光波の中で、さかなは跳ねる。
 不意に、木霊が小さく鳴いた。地面がぐらりと揺れた。

本宮
「え……ええ?!」

薄淡い光が、自分達の周りを取り囲み、中空へと登ってゆく。共に、中空へ引き上げられるような錯覚。

フラナ
「さかなっ……!」

それは、座っているシートくらいの幅のあるさかな。それがぬめるように頭を突き出し、また、地面へと潜る。

『キタヨ』
佐古田
「?」
『トブヨ』
また、地面がぐらりと揺れた。さかなは、今度は半身をのり出したが、また、地面へと潜った。

『アレハ』 『アレハ、地鎮ノサカナ』『イママデトベナカッタ』『ダレヨリトビタカッタ』

さわさわと、野原を渡る風に似た声が皆の耳に届く。

『キョウ、ヨウヤクトベル』

声に重なって、巨体が宙に跳ねた。フラナが飛び上がり、手に残った金平糖を残らずばらまいた。さかなはそれを全て飲み込んで、とうとう宙に浮いた。

フラナ
「飛んだ!」

跳ねるような声に励まされたのか、さかなは尾鰭を一つ打ち振った。風が、どう、と吹いた。風が騒ぐような歓声があがり、ふと、途切れた。

『トンダヨ』 『トンダ』『デハ、アトスコシ』『デモ、マダスコシ』
”あのさかなは、もうすぐ飛ぶのを止める”
花澄
「え?」
”地鎮の体には、光は槍に等しい。じきに、全て貫かれる”

花澄は声を呑み込んだ。

”欠片は地を目指して降るだろう。欠片は地に潜り月待魚 となる”

息を止めた花澄の視線の先で、その時さかなは四散した。一瞬月は二つに見え、次の瞬間片方が崩れていった。
 降る。
 黄金の鱗が。
 虹に光る細い骨が。

花澄
「……どうして?」

受け止める手を、光はすり抜ける。それは、静かな答えと化した。

佐古田
「なおあまりある夢なりけり」
フラナ
「え?」

佐古田は、黙って天を指差した。つられるように、皆が空を仰いだ。もう、あとには静かに月が残るだけだった。

本宮
「今日は、有難うございました」

瑞鶴まで先導してくれた光は、すぐにかききえた。

花澄
「いえ、今日のは、あれはフラナ君のおすそ分けです」
フラナ
「ぼく?」
花澄
「どうしても、見せたかったんだと思いますよ」

そう言うと、花澄はぺこりと頭を下げた。

花澄
「ありがとう……気をつけて帰ってね」
本宮
「なおあまりある夢、かぁ……」

呟いて、空を見上げる。月が残るばかりである。それでも足元が、白く照らされているような気がした。
 扉を開けて、もう一度空を見上げて、そして扉を閉める。
 取りあえず、月の宵の話である。



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