一雨通り過ぎて、涼やかな夕暮れ。帰り道を急ぐ本宮は、今日は一人である。委員会の仕事で遅くなってしまった。
- 本宮
- 「ちょっとお腹すいたなぁ……けど、さすがにベーカリー、
もう閉まってるだろうなあ……」
時計は七時をちょっとまわったところ。急いだのだが、めざす店はもうシャッターを下ろしている。
- 本宮
- 「……やっぱり、まにあわなかったかぁ」
- ユラ
- 「あれ、本宮くん?」
ふりむくと、向かいのグリーングラスで、ユラが店先の鉢物をしまう手をとめてこちらを見ていた。
- ユラ
- 「今日は、みんなと一緒じゃないんだ」
- 本宮
- 「ええ、委員会の仕事で」
- ユラ
- 「そっか。……あ、ところで、こないだは災難だったわね。
そのあと、傷のほう、どう? 痕とか残ってない?」
- 本宮
- 「あ、もう大丈夫です。あのあと医者に行きましたし。た
だ、痕のほうはちょっと……」
- ユラ
- 「あらら。なんだったら、ちょっと寄っていらっしゃい、
みてあげる。うちの薬で何とかなると思うわ」
店に招き入れ、椅子を勧める。
- ユラ
- 「ちょっとそこに座ってて。今薬持ってくるわ」
そういいながら窓を閉め、鉢物の残りをしまう。
- ユラ
- 「……おまたせ。じゃ、ちょっと傷のとこ見せてね」
引き締まった肩先に、丸く歯型が残っている。
- ユラ
- 「……うーん……見事に残ってるねぇ。よっぽど思いっき
り噛まれたんだ。あ、でも大丈夫。ちゃんと消えるから」
抱えてきた薬瓶の中から一本をとり、その中身をガーゼにふりかける。
- ユラ
- 「これくらい……かな。よし、こんなもんか」
それで傷跡に湿布をし、手際良く包帯を巻く。
- ユラ
- 「はいおしまい」
- 本宮
- 「どうもありがとうございました」
- ユラ
- 「えと、で、この薬あげるから、消えるまで、一日一回、
寝る前に湿布してね。あと、この薬、生の葉っぱを浸出させて作ってるから、必ず冷蔵庫に入れて。でないと腐る」
- 本宮
- 「いいんですか? いただいちゃって」
- ユラ
- 「……今回はね、特別。こないだうちでいやな目にあわせ
ちゃったから。で、この薬が効いたら、一とか豊中に、ユラの薬はちゃんと効くんだって言ってやってもらえる?」
- 本宮
- 「あ、はい、わかりました(……何があったんだろう……(汗))
それじゃ、どうもありがとうございました」
一礼して店を出ようとする本宮を、ユラが呼び止めた。
- ユラ
- 「ちょっと待って。もし急がないんだったら、少し休んで
いかない? いいものがあるから」
店の奥のテラスに通される。庭と、その向うの平屋根の上に、夕暮れの群青が広がる。雨が洗ったあとの空に、淡く星が瞬き始める。
- ユラ
- 「はい、お待たせ」
ガラスの器に持った氷。テラスの後ろの窓からこぼれる光で、淡い黄色に光っている。
- ユラ
- 「で、ね」
とろとろ、と蜂蜜色に輝く液体をその上に注ぐ。
- ユラ
- 「パイナップルのお酒。うちでつけこんだの。実家から完
熟したの送ってもらって。いいかんじに飲みごろ、かな」
とろりとした甘みのなかに、かすかに舌をかすめる酸味。夜風がどっと渡る。
- ユラ
- 「で、空のあのあたり、なんだけど」
言いおいて立っていき、灯りを消す。ユラの指さすあたり、カシオペィア座がくっきりと光る、その少し脇。
- 本宮
- 「……あ」
続け様にふたつ、連れ立って、星が飛んだ。
- ユラ
- 「焦点、なの」
今度は、さっきとは逆の方向に、長い尾をひいて、もうひとつ。
- 本宮
- 「流星群……?」
- ユラ
- 「ペルセウスの。そろそろ極大が近いんだ」
テラスの柱によりかかって、果実酒のグラスを手に、ひとりごとのようにつぶやく。またひとつ、飛んだ。本宮は、まぼろしのように微かな音を聞いたように思った。
- ユラ
- 「当分、つづくよ」
- 本宮
- 「明日も?」
- ユラ
- 「晴れていればね」
そのまま、沈黙。氷の器も、ユラの手のグラスも、いつのまにか空になっている。
ぽ、と、背後の灯りがついた。
- ユラ
- 「ごめんなさい、すっかり遅くなっちゃったわね」
- 本宮
- 「あ、でも、いいもの見せていただいたし」
- ユラ
- 「なんか、願いごと、言った?」
- 本宮
- 「……あ」
ユラは、くすくすと笑った。
- ユラ
- 「今度は、みんなで遊びにいらっしゃいね。お酒もまだい
ろいろあるし……って、みんな未成年か」
- 本宮
- 「いえ、大丈夫です。……あ、あと、美味しかったです」
- ユラ
- 「こぉらっ。……それじゃ、またね。遅くなっちゃったか
ら、気をつけてね」
本宮を送り出しながら、ユラは思い出したように、おだいじに、とつけくわえた。
- 本宮
- 「? ……あ、そうか。怪我人だったのか、一応」
- ユラ
- 「そ。だから、薬忘れないで」
薬瓶の包を手渡して、手を振った。
すっかり夜になっている。道を急ぎながら、何かに呼ばれた気がして、本宮はふと空をあおいだ。視野の端から端までを、涼しい色の尾をひいて星が通過していった。
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