エピソード569『A Starly night』


目次


エピソード569『A Starly night』

一雨通り過ぎて、涼やかな夕暮れ。帰り道を急ぐ本宮は、今日は一人である。委員会の仕事で遅くなってしまった。

本宮
「ちょっとお腹すいたなぁ……けど、さすがにベーカリー、 もう閉まってるだろうなあ……」

時計は七時をちょっとまわったところ。急いだのだが、めざす店はもうシャッターを下ろしている。

本宮
「……やっぱり、まにあわなかったかぁ」
ユラ
「あれ、本宮くん?」

ふりむくと、向かいのグリーングラスで、ユラが店先の鉢物をしまう手をとめてこちらを見ていた。

ユラ
「今日は、みんなと一緒じゃないんだ」
本宮
「ええ、委員会の仕事で」
ユラ
「そっか。……あ、ところで、こないだは災難だったわね。 そのあと、傷のほう、どう? 痕とか残ってない?」
本宮
「あ、もう大丈夫です。あのあと医者に行きましたし。た だ、痕のほうはちょっと……」
ユラ
「あらら。なんだったら、ちょっと寄っていらっしゃい、 みてあげる。うちの薬で何とかなると思うわ」

店に招き入れ、椅子を勧める。

ユラ
「ちょっとそこに座ってて。今薬持ってくるわ」

そういいながら窓を閉め、鉢物の残りをしまう。

ユラ
「……おまたせ。じゃ、ちょっと傷のとこ見せてね」

引き締まった肩先に、丸く歯型が残っている。

ユラ
「……うーん……見事に残ってるねぇ。よっぽど思いっき り噛まれたんだ。あ、でも大丈夫。ちゃんと消えるから」

抱えてきた薬瓶の中から一本をとり、その中身をガーゼにふりかける。

ユラ
「これくらい……かな。よし、こんなもんか」

それで傷跡に湿布をし、手際良く包帯を巻く。

ユラ
「はいおしまい」
本宮
「どうもありがとうございました」
ユラ
「えと、で、この薬あげるから、消えるまで、一日一回、 寝る前に湿布してね。あと、この薬、生の葉っぱを浸出させて作ってるから、必ず冷蔵庫に入れて。でないと腐る」
本宮
「いいんですか? いただいちゃって」
ユラ
「……今回はね、特別。こないだうちでいやな目にあわせ ちゃったから。で、この薬が効いたら、一とか豊中に、ユラの薬はちゃんと効くんだって言ってやってもらえる?」
本宮
「あ、はい、わかりました(……何があったんだろう……(汗)) それじゃ、どうもありがとうございました」

一礼して店を出ようとする本宮を、ユラが呼び止めた。

ユラ
「ちょっと待って。もし急がないんだったら、少し休んで いかない? いいものがあるから」

店の奥のテラスに通される。庭と、その向うの平屋根の上に、夕暮れの群青が広がる。雨が洗ったあとの空に、淡く星が瞬き始める。

ユラ
「はい、お待たせ」

ガラスの器に持った氷。テラスの後ろの窓からこぼれる光で、淡い黄色に光っている。

ユラ
「で、ね」

とろとろ、と蜂蜜色に輝く液体をその上に注ぐ。

ユラ
「パイナップルのお酒。うちでつけこんだの。実家から完 熟したの送ってもらって。いいかんじに飲みごろ、かな」

とろりとした甘みのなかに、かすかに舌をかすめる酸味。夜風がどっと渡る。

ユラ
「で、空のあのあたり、なんだけど」

言いおいて立っていき、灯りを消す。ユラの指さすあたり、カシオペィア座がくっきりと光る、その少し脇。

本宮
「……あ」

続け様にふたつ、連れ立って、星が飛んだ。

ユラ
「焦点、なの」

今度は、さっきとは逆の方向に、長い尾をひいて、もうひとつ。

本宮
「流星群……?」
ユラ
「ペルセウスの。そろそろ極大が近いんだ」

テラスの柱によりかかって、果実酒のグラスを手に、ひとりごとのようにつぶやく。またひとつ、飛んだ。本宮は、まぼろしのように微かな音を聞いたように思った。

ユラ
「当分、つづくよ」
本宮
「明日も?」
ユラ
「晴れていればね」

そのまま、沈黙。氷の器も、ユラの手のグラスも、いつのまにか空になっている。
 ぽ、と、背後の灯りがついた。

ユラ
「ごめんなさい、すっかり遅くなっちゃったわね」
本宮
「あ、でも、いいもの見せていただいたし」
ユラ
「なんか、願いごと、言った?」
本宮
「……あ」

ユラは、くすくすと笑った。

ユラ
「今度は、みんなで遊びにいらっしゃいね。お酒もまだい ろいろあるし……って、みんな未成年か」
本宮
「いえ、大丈夫です。……あ、あと、美味しかったです」
ユラ
「こぉらっ。……それじゃ、またね。遅くなっちゃったか ら、気をつけてね」

本宮を送り出しながら、ユラは思い出したように、おだいじに、とつけくわえた。

本宮
「? ……あ、そうか。怪我人だったのか、一応」
ユラ
「そ。だから、薬忘れないで」

薬瓶の包を手渡して、手を振った。
 すっかり夜になっている。道を急ぎながら、何かに呼ばれた気がして、本宮はふと空をあおいだ。視野の端から端までを、涼しい色の尾をひいて星が通過していった。



連絡先 / ディレクトリルートに戻る / TRPGと創作のTRPGと創作“語り部”総本部