エピソード575『枇杷』


目次


エピソード575『枇杷』

四年前の初夏、訪雪がまだ学芸員だった頃。地方の美術館との折衝で故郷に出張した訪雪は、1日だけの休暇を実家で過ごそうとしていた。

訪雪
「……さぁて、明日はぐでっと寝るぞお……勤めてると、 水曜になんて滅多に休めんからな」
「何だミユキ、あした休みなんか」
訪雪
「だからミユキってなぁやめろって。室長のはからいで、 いちんちだけ休暇貰ったんだよ」
「ふぅん……じゃあ済まんが、明日の結花の学校の面談、 代わりに行ってくれんか」
訪雪
「儂がぁ? なんでよ」
「明後日急ぎの納品があってな、俺も母ちゃんも出来たら 休みたくないんだ。頼むよぉ」
訪雪
「ふぅん……下請けは辛ぇやなぁ……わかった」

翌日の午後、学校にて。下の妹が通っているのは、地元ではお嬢様学校として通っている高校だった。

教師
「……で、前回の模試の総合順位はこれくらいなのです が……」

数字の意味などどうせ分からないので、適当に相槌だけ打っておく。

教師
「ところで最近、娘さんがピアスをつけているようですが、 いや、私個人は本人の自由だと思っているんですが、お宅ではその辺の方針は……」
訪雪
「ああ、儂、結花の親父じゃなくて兄貴なんですわ……。
いいんじゃないですか? 別に他人様の耳に孔開けたわけじゃないんだし……ん?」

視界の端に動くものを認めて、訪雪は言葉を切る。セーラー服の少女の上半身が、ベランダの柵の外に見える。

訪雪
「センセ。ここ……3階でしたよね?」
教師
「ええ。それが何か?」

もけ。もけけ。
 柵の陰から、さらに多くの頭が突き出してくる。いくつもの人影がベランダの向こうで動くのを見ているうちに、訪雪にも事情がのみ込めてくる。
 ベランダから少し離れたところに、大きな枇杷の木がある。彼女達は、そのオレンジ色に熟れた実を目当てに木に登っていたのだ。
 教師がつい、と窓際に寄って、開け放った窓から怒鳴る。

教師
「落ちんよう気ぃつけろよ。俺にも後で、三つばかし寄越 せな!」

ぽかんとして見ている訪雪に向かって、教師はにやりと笑ってみせた。

教師
「連中、校内の食べられる植物は熟知してますからねぇ…… 1日でも早く食べ頃を見極めないと、我々が見つける前に根こそぎ穫っちまう」

教師がそう言っている間にも、枇杷の実はみるみるうちに消えていく。

訪雪
「……はぁ(汗)」

最早面談は何処かに行ってしまい、二人して外の光景に見入っている。窓枠に肘をついた訪雪に向かって、少女の一人が枇杷の実を投げた。

少女
「そちらののおとーさんも、おひとつどーぞぉ」

取り落としそうになった実を、訪雪は危ういところでキャッチする。

訪雪
「あ……ああ、こりゃ御馳走様……って、儂は親父じゃな くて兄貴なんだけどなぁ」

掌に当たる、ざらざらした産毛の感触を楽しみながら、木を降りていく少女達を見送る。
 制服の群れは、次々に地上に降りると、わらわらと校舎の中に吸い込まれていった。

訪雪
「……いつも、あんな感じなんですか。この学校」
教師
「まあね。地域じゃ色々幻想持っちゃってるみたいですけ ど」
訪雪
「ふうん……結花が来たがった理由が判る気がするなぁ」
教師
「でしょう? ……さて。話すべきこともないし、面談は この辺にしますか」
訪雪
「……はぁ」



連絡先 / ディレクトリルートに戻る / TRPGと創作のTRPGと創作“語り部”総本部