エピソード576『配送先にて』


目次


エピソード576『配送先にて』

登場人物

一十(にのまえ・みつる)
松陰堂の居候。新薬の実験台のバイトもする。
小松訪雪(こまつ・ほうせつ)
骨董屋松陰堂の若主人。
長沢凍雲(ながさわ・とううん)
骨董屋松陰堂の先代。ご隠居。
小滝ユラ(こたき・ゆら)
グリーングラスの店員。怪しい薬を作る。

バイト話

夕食どきの松蔭堂。いつもと変わらぬ野郎3匹、鯛の味噌漬け焼きをつつきながら。

訪雪
「一君、明日ヒマかね?」
「明日ですか? まぁ、午後なら……しかし、いきなり何 ですか」
訪雪
「いや、その……ええと」
「へええ口篭もるようなことなんですかい」
訪雪
「失敬な。言いたいことが咄嗟に出てこなかっただけだ…… 1日だけのバイトをする気はないかね」
「バイトはいいけど……ロクでもない仕事なんでしょう、 どうせ」
訪雪
「んなコト云うと時給を下げるぞ。実は、お得意さんへの 配送を手伝って欲しいんだが……どうだロクな仕事だろう」
凍雲
「儂の腰の調子が大丈夫ならよかったんだがの。荷が箪笥 では、訪雪の細腕では運べるまいて」
「箪笥運びか……ま、いいでしょう。それでいくらになる んです?」
訪雪
「(手近な紙片に数字を書き、十の方によこす) 1日でこ んだけ」
「……独りで頑張って下さい、若大家。(書き直す) せめ て、このくらいは貰わないと」
訪雪
「ふうむそう来たか。じゃあこんだけ(書き直す)」
「いたいけな青年を搾取しちゃあいけませんねえ、若大家」

味噌のついた紙片が数回、食卓の上を行き交ったあとで。

訪雪
「ううむ……よし、そこで手を打とう。じゃ、明日の午後 1時、店の間で。頼んだよ」

配送先

「……で、運ぶ手段はこれしかなかったんですかい」

松蔭堂からベーカリー楠の方面に抜ける踏み切り。十はリヤカーをつけた自転車をえっちらおっちら漕いでいる。
 そのすぐ前で、軽やかにママチャリのペダルを踏んでいた訪雪が、何を聞くのか、という表情で振り返る。

訪雪
「うむ。儂も先生もクルマの免許は持ってないし、まさか 自転車の荷台にそいつを括るわけにはいかんだろう」
「そりゃあ確かにそうでしょうけどね……箪笥ったって、 これなら一人でも運べるんじゃないですか」

リヤカーの後ろには、大人が座ったほどの高さの、飴色に光る塗りの箪笥が梱包材にくるんで固定してある。

訪雪
「運ぶだけならね。問題は積み降ろしと据えつけ。2階の 部屋なんだわ、先方さん」
「2階……もうちょっと値段吊り上げてもよかったな(溜 息)」

先導の訪雪は、何処かで見たような道を通って行く。

「この道、確かベーカリーの……」
訪雪
「そうだね。ほら、目的地はすぐそこだ」

振り向いた顔を前方に戻して、訪雪が指差した先は。

「よりによって……ここですかい。若大家」

およそ箪笥にはそぐわない、淡いカントリー調の建物。中の住人が店の外見におよそそぐわないことも、十は熟知している……

訪雪
「うむ。『グリーングラス』という店なんだが……おや?  一君どうかしたのかね? 頭を抱えて」

グリーングラス

訪雪
「なんだ、君もここの人と知り合いだったのか……とりあ えず、店の方に顔を出してこよう」
「箪笥を入れるだけなら、外階段を上がっちゃっていいん じゃないですか」
訪雪
「流石に挨拶もなしに上がり込むのはまずかろう。それに、 前に来たときに、外階段は使うなと言われとる」
「……なるほどね」

自転車を店先に置いて、ガラスのドアを押す。種々の植物の混じりあった微かな匂いを含んだ空気が、ドアの隙間から歩道に流れ出す。

訪雪
「こんにちはぁ……」

大小のガラス瓶や籐の篭の並んだ店内には、数人の女性客がいる。奥のガラスケースの向こうで、手刷りのパンフレットを束ねていた若い女が、訪雪の声に顔を上げた。

訪雪
「毎度どうも、ユラ……小滝さん。この間お買い上げ頂い た箪笥をお届けに上がりました」
ユラ
「こんにちは、松蔭堂さん。暑い中をわざわざ……あら」

遅れて入ってきた十を見とがめて。

ユラ
「一。表からは入るなと言ってあったでしょう」
「だから、今日は訳が違うんだって」
訪雪
「何だね二の舞君、表から出入り禁止とは、よっぽど悪い 真似をしたとみえるが。
(ユラに) ま、今はごくまっとうなバイト店員ですから、堂々と表から入らせてやってください」
「普段はまっとうじゃないとでも言うんですかい」
訪雪
「うむ(力強く頷く)」
ユラ
「まっとう、ねぇ(くす) ……外は暑かったでしょう。と りあえず、冷たいものでもいかが?」
訪雪
「これは有り難い……が、箪笥をいつまでも炎天下に置い ておくわけにもいきませんから、とりあえず搬入を済ませてから頂きましょ。
で、上へは何処から入ればよろしいのですかな」

しばらくした後。飴色の和箪笥が、カントリー調に統一された店内を通過する。壁際でハーブティを選んでいた女子高生の群れが、不審そうな視線を送る。

訪雪
「(上から) この先階段。気ぃつけて」
「(下から) 判ってますって……(がたん) うわっち」
訪雪
「だから気をつけろと」
「軍手が滑るんですよ。素手じゃ駄目なんですか」
訪雪
「駄目。塗りの表に汗がつく……いでででで、ストップス トップ」
「どうかしましたか」
訪雪
「壁と箪笥の間に指挟んだ」

そんなこんなで、どうにか箪笥を運び入れて。店の奥の応接室で一息ついた二人の前に、ユラがはちみつ色の液体を満たしたグラスを運んでくる。

ユラ
「どうもお疲れ様……さ、どうぞ」
「(声を潜めて) 今日は何も入ってないだろうな」
ユラ
「失礼ね。あんたならともかく、松蔭堂さんにそんな妙な もの出すわけがないでしょう」
「じゃあ何、俺の方にはやっぱり入ってるわけ?」
ユラ
「あんたねぇ……たまには信用しなさいよ」

何も知らないおやぢは、出された茶をぐいと一息に飲み干して。

訪雪
「ぷはあ、生き返るぅ……ふむ。馴染みはないが、なかな かいい香りで……を゜?」
「おい、何だか様子が変じゃないか?」
ユラ
「おかしいな、ただのカモマイルのはずなのに……
(自分のグラスの茶を舐めてみて、顔色が変わる)
いっけない、隣の試作品と間違えたんだ!」

言っている間にも、妙な成分が回ってきているらしい。何の前触れもなく、唐突に訪雪が笑い出す。

訪雪
「うわははははははユラちゃんこれおもしろいお茶だねえ まったくほんとに笑いが止まりゃしねぇやくひひひひひひんばらべれぽくよれひ(以下意味不明)」
「飲まなくてよかった……(汗) なぁユラ、これの解毒剤 か何か、できてないのか」
ユラ
「だから、試作品だって。そんなに強い成分は入ってない はずだから、時間が経てば元に戻るとは思うけど」
「時間って、いつまでだよ。何日もつきっきりでおやぢの 看病なんて、ごめんだぜ」
訪雪
「(爆笑)」

解説

各登場人物の個性を補強するための話、だと思います。定番のできごと、定番の対応。
 あと、ユラと訪雪の関係が匂わされた作品としては、これが最初なのかな。



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