エピソード579『スナフキン愛好会松蔭堂に来たる』


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エピソード579『スナフキン愛好会松蔭堂に来たる』

夏のある日の松蔭堂。平日の昼間だというのに、表の細格子のガラス戸はきっちりと立てきられ、休業の札すら出ていない。
 店の前、かんかん照りの陽射しと軒の影の境目に、スナフキン同好会の三人が、微妙に崩れた列を作って佇んでいる。

フラナ
「看板読めないけど……ここで……いいんだよね?」
佐古田
「じゃじゃあん(信用しろって)」
本宮
「『松蔭堂』。十さんの下宿で、こないだの着物のおっさ んがやってる骨董屋さん。多分間違ってないと思うよ」
フラナ
「閉まってるみたいだね」
本宮
「もし閉まってても、多分中に誰かいるだろう。でも…… 突然お邪魔しちゃっていいのかなぁ」
フラナ
「大丈夫だよ。直紀さんとかよくお茶飲みに来るって言っ てたし、何たってあの十さんを住まわせてるような人だから。行こ!」
佐古田
「じゃかじゃんっ(うん、行こう!)」

本宮がおそるおそる手をかけると、鍵のかかっていない表戸は、抵抗もなくからりと開いた。
 店の中は、夏だというのにひんやりとしていた。板敷の隅に、野球中継をかけっぱなしのラジオと、擦り切れた藺草の円座があるだけで、人の姿はない。三和土いっぱいに積み上げられた、最早用途すらさだかでない品々の間に、黴臭い空気が澱んでいる。

フラナ
「ごめんくだ……」

不意に、苦しげにくぐもった声が響く。

本宮
「本当に……いいのか?」
フラナ
「変な声したけど……何?」
佐古田
「ぼろぉん……(判らない……)」

三人して店の奥を覗き込む。半分開いたガラス障子の向こう、片側に障子の続く廊下の奥で、人の動く気配がする。
 呻くような、引きつるような声に交じって、もう一人の低い話し声が聞こえる。

本宮
「確か、御隠居と大家の二人暮らしだって言ってたよな、 十さん」
フラナ
「御隠居さん……病気、なのかなあ」
本宮
「だとしたら、今日はやめたほうがいいんじゃないか?」
フラナ
「でも……お見舞い、してったほうがいいよね」
佐古田
「じゃん(うん)」

話し声が奥に聞こえたらしい。障子の向こうでばたばたする音がして、暫くして訪雪が店の間に出てくる。
 いつぞやの着流し姿とはまるで違う。長い髪を黄色のゴムで無造作に束ね、下に隈のできた目にメタルフレームの眼鏡を掛けて、汗を吸った藍の作務衣の袖をまくっている。

訪雪
「はいはい、只今……ああ。君達はこの間の。いらっしゃ い……と言いたいところだが、見ての通り少々取り込んでいてね。
申し訳ないが、茶の間に上がって少し待っていてくれんか?」

そして……茶の間に通され、お茶と、お茶請けのせんべいをもらう三人。茶の間にもところ狭しと積み上げられた古い品々が並ぶ。
 ちりーん。涼しげな風鈴の音が響く……かすかに蝉の鳴き声が聞こえる。夏の昼下がり……お茶をすすりながら、遠慮無くせんべいをむさぼる三人。

フラナ
「なんか……不思議な世界だね、さすが十さんの居候先だ ね」
佐古田
「じゃんじゃん(ただ者ではない……)」
本宮
「言いたい放題いってるな……お前ら」

そうしてる間に、退屈なのか……あたりの物を色々あさり出すフラナ。

フラナ
「あ、これなにかな、これもおもしろそう」
本宮
「勝手に触わるなよ、壊したらどうするよ」

その時、またさっきの呻き声が聞こえて来る。

一同
「……」

しばし沈黙する三人。また、さっきの呻き声が聞こえる。だんだん定期的になってきている。

フラナ
「ねぇ……なんなんだろうね……さっきから……」
本宮
「き……気にするなよ、な」
フラナ
「ちょっと覗いてみようよ」
佐古田
「ぎぎぃん(ちょっとだけ……な)」
本宮
「いいのか……」

そう言いつつも三人とも興味津々である……

フラナ
「ちらっとだけ……ちらっとね」

そろそろと障子を開け忍び足で部屋に近づく三人。そぉっと……そぉっと……
 細く開いた襖の隙間に、少年たちの頭が縦一列に並ぶ。
 閉め切られた部屋の中は薄暗く、障子を通した薄明かりが、八畳間の真ん中に敷き延べられた寝床を浮かび上がらせている。寝床の上に丸まったタオルケットから、半分ほどを白髪に覆われた頭が突き出している。
 先程からの声の正体は、この老人のようだった。

フラナ
「(声を潜めて) 御隠居さん……やっぱり、具合悪いのか な」
佐古田
「……(無音)」

禿げ上がった頭頂をこちらに向けたまま、老人の耳がぴくりと動く。

凍雲
「……ては……」
フラナ
「え……?」
凍雲
「……坊主ども……ここを……見ては、いかん……早う、 そこを閉めい」

言葉の終わりが、喉の痙攣に取って代わられる。

フラナ
「あ……ごめんなさい」
佐古田
「(御隠居……笑っている……?)」
本宮
「ほら、怒られた。覗いたら失礼だろ。早く閉め……」

首を引っ込めようとした本宮の動きが止まる。

フラナ
「もとみー、どうしたの?」

返事はない。襖の間から首を抜きかけ、壁に顔を向けて不自然に頭をねじった姿勢で、本宮は凍りついている。

フラナ
「もとみー……」
本宮
「中を見るな……様子がおかしい」

そう言ったきり動かない本宮の肩を、佐古田がつかんで部屋から引っ張り出そうとしたとき、背後から怒鳴り声が響いた。

訪雪
「この大馬鹿どもが!!」

菓子の盆を卓袱台に叩きつける音がする。声量も、言葉の調子も、いつもの昼行灯とはまるで違う。

フラナ
「わぁああああ」

訪雪はフラナと佐古田の襟をつかんで、茶の間に引きずり出す。空いた手で、一番下の本宮の襟もつかみかけて……不自然な姿勢に気付いて、力なく手を放す。

佐古田
「……(無言でうなだれる)」
フラナ
「……ごめんなさい」
訪雪
「いや、大きな声を出して済まなかった……あの部屋を覗 いちゃいかんということを、先に教えておかなかった儂が悪かったな」
フラナ
「もとみーと御隠居さん……どうしちゃったんですか?」
訪雪
「達磨の軸だ」
佐古田
「……?」
訪雪
「お得意様からの預かり物に、結構有名な禅僧の描いた達 磨の軸があってね。
実をいうとモノ憑きなんだが、焼いちまうにはあまりにも惜しい絵なんで、祓うめどが立つまで蔵の二階に仕舞っておいたんだが……先生、正体を知らんで自分の部屋にかけちまったらしい」
フラナ
「それで……何が?」
訪雪
「目玉が動くくらいの悪さならいいんだが……始末の悪い ことに、一度目が合うと視線を逸らせない。しかも……」
本宮
「(襖の向こうから) しかも?」
訪雪
「先生は……ずっと目を合わせているうちに、緊張に堪え かねてつい笑っちまったんだそうだ。
軸を出したのは昨日の昼頃なんだが……それからいままで、ずっと笑いが止まらないままなんだよ」
本宮
「あの……どうすればいいんでしょう」
凍雲
「……(苦しげな忍び笑い)」
訪雪
「判らん。いま儂に言えるのは、体力を消耗したくなかっ たら、何があっても笑うな、ということだけだ。
待っていれば、向こうが根負けしてくれるかも知れん」
フラナ
「もとみー……負けないでね」
佐古田
「じゃじゃん……(応援しかできないけど)」
本宮
「負けるなっていったって……いてててて」

ねじったままの首が凝ってきたらしい。

訪雪
「ううむ……この暑さじゃあ、根気で勝つ前に、二人とも 体力が尽きちまうなぁ……何か手っ取り早い解決法があるといいんだが」

茶の間の畳に胡座をかいて、沈思黙考に入る訪雪。

訪雪
「(巻いた状態でここに持ち込まれた以上、視線から逃れる 手段がないはずはない。持ち込まれてから急に強力になったとも思えん。だとしたら……前にこれを見た人間は、一体どうやって、この憑き物の視線から逃げた? 
化け物憑きの達磨の軸から……達磨の目から……達磨、か……)」

不意に顔を上げてにやりと笑う。

訪雪
「よし。正しいかどうかは判らんが、やってみよう。どう にかせねば、どうにもなるまいて」

膝を正して、フラナと佐古田の方に向き直る。

訪雪
「君達……ええと」
フラナ
「フラナ。富良名裕也です」
佐古田
「じゃじゃん(佐古田です)」
訪雪
「うむ。これから思いついた方法を試すから、儂がいいと 言うまで絶対に襖の方を見ないで……そうだな、店の間のほうでも向いていてくれんか。で、もとみ……」
本宮
「本宮、です」
訪雪
「本宮君。君も、達磨から目を離さないで……まぁ離せん だろうが……儂が視界に入らないように努力していてくれ。無論、先生も」
本宮
「は……はい(何をするんだろう)」
凍雲
「こくこく(腹をかかえて頷く)」
訪雪
「それじゃ……少々暑くて重いが、失礼」

本宮の肩に訪雪の手がかかる。本宮の背後から覆い被さるようにして、訪雪が室内の壁に掛けられた達磨を覗き込む。
 凍雲と本宮と訪雪。どの目にも、達磨は自分を真っ直ぐ睨んでいるように映っているはず。訪雪の汗ばんだ掌から、奇妙な動きが本宮に伝わって……

達磨
『ぶ〜〜〜〜〜〜〜っ!』

絵の中の達磨が、突然吹き出した。

本宮
「@☆$※……大家さん、何を……?」

答えはない。肩に触れた指先が、ひくひくと痙攣している。

佐古田
「ぎゃいぃぃぃん(……!)」

佐古田はこっそり見ていたらしい。みるみるうちに、額に脂汗が吹き出てくる。

達磨
『だ〜っはっはっは……(どんどんどん)けひひひひひひ……
ごろごろごろ)くくくくく……ぎゃひひひ……(じたばた)うひょひょひょひょ……ひゃひゃ……ひぃぃぃぃぃっ』

水墨の岩壁を叩き、身をよじり、地面を転がって、達磨は狂ったように笑い続けていたが、やがて苦しげな悲鳴とともに、目に見えない何かが画面からすうっと浮き出して、空中に溶けるようにして消えた。
 達磨の姿が元に戻るのと同時に、本宮の視線を縛っていた力も消えていた。

フラナ
「もとみー!」
本宮
「ふう……どうなるかと思った……お、重い(汗)」
訪雪
「ふう……っ……あ、こりゃ失礼」

上体を起こして茶の間に戻る訪雪の表情に、変わったところはない。冷めた茶を一息に飲み干して、湯呑みを卓袱台に乱暴に置く。

本宮
「あの……何を、したんですか?」
訪雪
「にらめっこ」
フラナ
「は……?」
訪雪
「視線を逸らすと負け。笑うと負け。おまけに達磨……。 ひょっとしたら、逆に向こうを笑わしてやれば勝てるんじゃないかと思ってね。
なに、勝算は十分にあったさ。なにしろ小中高と通して『にらめっこ大王』として無敗を誇ってたからねぇ……」
本宮
「大王って……一体どういう少年時代を(汗)」
フラナ
「佐古田は見てたんだよね。大家さんどんな顔してた?」
佐古田
「じゃ……ばちんべちんばつん(突然弦が切れる)」
訪雪
「何だ、見てたのか……恥ずかしいことしたな、こりゃ。 ……おや? 君達どうかしたかね? 顔色が悪いが」

後日……
 かららん

直紀
「ほーせつさーん(わくわく)」
訪雪
「ああ、柳さん。……なんで握り拳なんてしてるの(汗)」
直紀
「さっき、フラナ君たちに聞いたんだけど、ほーせつさん にらめっこ大王だったんでしょ?」
訪雪
「懐かしい話ですねぇ。我が母校での、連続58人笑死記録 は依然塗り替えられてないらしいし(遠い目)」
観楠
「(笑死って……いったい(^^;))」
直紀
「でねっ、みたいなーって思って(笑) ねっ、やってくだ さいっ!」
訪雪
「うみゅ、んでは」

ごそごそと後ろを向いて何かをする訪雪。わくわくして待っていると、

佐古田
「ぎゃぎゅぅぅぅぅん!!(みちゃだめだぁーーーの音色)」
直紀
「う、うわっ!(汗)」

急に手を掴まれ脱兎のごとく連れ出される。訪雪が振り向いたのは、直紀が佐古田とともにベーカリーを出た直後だった。

訪雪
「あれ? 柳さんどこに行ったかな(きょろきょろ)
……おや? 店長どうしました」
観楠
「……(固まってる)」
訪雪
「店長ー?」
観楠
「あ、ぇぇ、と……(汗)」

吹き出したいのを必死にこらえ、どうにかお茶とお菓子を訪雪の前に置いて回れ右。そのまま厨房の冷蔵庫へ駆け込む。

観楠
「ぷっ、くっ、はははははは、あはははははははははは はははははは、はーっははは、わはははっ(大爆笑)」



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