エピソード596『手風琴』


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エピソード596『手風琴』

花澄の部屋、午後十一時。
 てるるるるるるる……

花澄
「何こんな時間に……ゆず貸して」

木霊が抱え込んだ電話を受け取る。

花澄
「もしもし、はい平塚で……あ、お久しぶりです!」

木霊がこと、と首を傾げる。それくらい花澄の声は明るかった。

花澄
「それで、……ええ、そうですけど……はあ?!」
譲羽
「ぢい?(どしたの?)」
花澄
「いえ、それはそうなんですけど、……ええ、ですから、 でもそれはっ……あ」

かちゃん。
 どうやら電話は一方的に切られたようだった。

花澄
「……これは大変だわ(ぼーぜん)」
譲羽
「?」

さて翌日、昼。
 仏頂面の木霊と黒い大きな荷物を肩にかけた花澄が歩いている。

花澄
「ゆーず? 何でゆずがふくれるの?」
譲羽
『だって、休み、お昼だと、夜遅くなるもん』
花澄
「仕方ないわ。店長には無理言ってるんだし、これ、練習 は夜には出来ないし」
譲羽
『なんで、花澄がそれ弾くのっ!?』
花澄
「断れない人に頼まれたから(苦笑)」

風が肩を押す。
 いつのまにやら二人は、原っぱに出ていた。

花澄
「ここなら、まあいいでしょ」

木陰に陣取り、肩からおろした大きな荷物を開ける。中から出てきたのは。

譲羽
『それ、なに?』
花澄
「アコーディオン」
譲羽
「あこーでぃおん?」

黒のやたらに大きい楽器を、木霊は目を丸くして見た。

譲羽
『それ、弾くの?』
花澄
「留学してた時に習ったんだけどね……どれくらい弾ける かな?」

ぺたんと座り込んで膝の上に載せると、あちこちを調節する。それから花澄は左手の蛇腹を大きく引いた。豊かな音が流れ出た。

花澄
「右手は弾けるんだけどなあ……ゆず、そこだとこれに頭 ぶつけるわよ」

木霊は急いで花澄の正面に移動した。

譲羽
『どんな曲、弾くの?』

返事の代わりに一つ笑うと、花澄は二、三度和音を試し、それからおもむろにある曲を弾きはじめた。リズミカルな、そのくせ哀調を帯びた音色である。

譲羽
『?』
花澄
「留学してた国で、よく結婚式の時に弾く曲なの。一度特 訓したからこれは弾けるわね」

言いながらも、花澄は次々と違う曲を弾いてゆく。すらすらと弾ける曲もあり、途中で左手を放棄する曲もある。
 風は、さあさあと吹いている。緑の匂いが濃い。
 不意に、花澄が手を止めた。

花澄
「……これは、猛練習だなあ」

一言ぼやくと、アコーディオンを構え直す。
 一呼吸置いて、流れ出してきたメロディは、多少ゆっくりめのものである。花澄の口から、聴きなれない言葉が流れて来る。

譲羽
『……!』

ほんの少し乾いたような風が吹いてくる。
 細かい砂が、その風に乗ってやって来る。
 花澄が目を上げてその風に会釈したような気が、木霊は、した。

譲羽
『今の曲、何?』
花澄
「あの国の、国歌」

気の遠くなるような時間の果てに、生まれ出た国。

花澄
「この国にも、来たんでしょうね」

澄んだ風の国。
 花澄は、ふと、木霊に向かって笑いかけた。

花澄
「そのうちゆずにもあの国を見せてあげたいな」
譲羽
『……約束、する?』
花澄
「……それは難しいけど(苦笑)」

風はひときわ強く吹き、長く伸びた草を緑の波のように揺らした。



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