エピソード598『針箱』


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エピソード598『針箱』

いつもながらの松蔭堂。
 夕食後の茶の間に針箱を広げて、訪雪が何やら手を動かしている。

「……裁縫ですか。珍しい」
訪雪
「うむ。客間の座布団が内臓破裂しちまったから、忘れん うちに直しとこうと思ってね」
「内臓破裂って(汗) ……布地の寿命ですか」
訪雪
「いや。ほら、最近ここによく来る高校生の三人組がおる だろう。あの連中とちょっとばかし遊んでて、気がついたら中綿がもかもかこぼれとった」

先頭に立って暴れていたのは、当然訪雪である。

「全く、何をやったらそうなるんだか……それにしても、 慣れた手つきですね。若大家」
訪雪
「まね。10年も前から独りで暮らしてりゃ、大抵のことは 出来るようになるさ。
君はそうじゃなかったのかい? 二の舞君」
「そりゃそうかもしれませんけど……やってくれる彼女く らい、いなかったんですか」
訪雪
「彼女? 親しくしている娘なら、一時いたこともあった よ」
「へえ、そりゃ初耳だな。それで?」
訪雪
「こと針仕事に関しては、彼女の分まで儂がやっとったか らなぁ。おかげで随分上達したよ」
「……そんなこったろうと思いましたよ」
訪雪
「そういや彼女にも、もう何年も会ってないなぁ……最後 に聞いた言葉は、確か『あなたの作る水羊羹、最近味が落ちたのよ』だったかな」
「それって……ひょっとしてふられたんじゃないですか?」
訪雪
「ふむ……やっぱりそうなのかなぁ……っつ、針刺した」
「……(鈍い……しかしそれって、彼氏というよりただの 便利くんなんじゃないんだろうか)」



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