エピソード600『夏雨往来』


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エピソード600『夏雨往来』

某日、曇天。自然、俯きがちになる日。電信柱を辿って、飛んでゆく小さな影一つ。
 そして、松蔭堂。

SE
とん。とととん。とととと……
訪雪
「誰かね一体……っておや」
譲羽
「ぢい(こんにちは)」

訪雪の足元で、木霊はぺこりと頭を下げた。背中には、何が入っているのか袋を一つ括り付けている。

訪雪
「どうしたの、一体。花澄さんは?」
譲羽
「ぢい(おうち)」

ぢい、では流石に分からない。

訪雪
「後から来るのかな?」
譲羽
「ぢいぢい(ううん)」

ぶんぶん、と首を横に振られてやっと了解したものの、しかしそれはそれで問題である。

訪雪
「家出かね?」
譲羽
「ぢいいっ!(違うもんっ!)」
訪雪
「じゃ、どうした?」

木霊はよいしょ、と、背中から包みをおろした。中からはプラスチックの赤い電話が出て来る。その場にぺたんと座り込むと、少女は受話器を取り上げた。
 と、家の中の電話が鳴り出した。

訪雪
「ん?」
譲羽
「ぢい(指差す)」

請われるままに中に入り、受話器を取る、と。

譲羽
『あのね、足、壊れたの。大家さん、えぽ……えぽきし……』
訪雪
「ああ、エポキシパテね。で、直して欲しいのかな?」
譲羽
『うん』
訪雪
「わかった。どれ」

もう一度表に出て、木霊を電話ごと抱えて戻る。電話の隣において、改めて話しかける。返事は受話器から聞こえてきた。

訪雪
「どこを壊したの?」
譲羽
『足。本棚から降りたら、壊れたの』

そう言うと、木霊は靴を脱いだ。左足の甲の部分が半分に割れ、中から針金が覗いている。

訪雪
「まあ、これなら二つに割れただけだから直らないでもな いよ。でも、どうして花澄さんに直してもらわないの?」
譲羽
『……花澄、心配するの。すごく、心配するの』
訪雪
「そりゃ、心配するだろうね」
譲羽
『違うの。心配、すごくするの』

心配をしすぎるのだ、と、木霊は言いたいらしい。

訪雪
「まあ、それはそれとして。花澄さんに断ってきたかね?  突然ゆずさんがいなくなったら、そちらのほうが心配するよ」
譲羽
『……でも、だって、花澄に内緒で……』

花澄に言えば、足が壊れたのもばれる訳である。

訪雪
「ちょっと電話してごらん」
譲羽
「……ぢい」

赤い受話器を抱え直し、譲羽はでたらめにボタンを押した。しばらく、沈黙。

譲羽
「ぢい」

差し出された受話器を耳にあててみる。呼び出し音が続いていた。
 同時刻。ベーカリー楠。
 からころからんっ

観楠
「あ、こんにちは、花澄さ……」
花澄
「すみませんっ! ゆずいますかっ!?」

長いスカートの裾が風を起こすほどの勢いで花澄が入ってきた。

観楠
「え? ゆずちゃん、ですか?」
花澄
「……やっぱりいないんだ。すみません!」

言うなり、また、ぱたぱたと駆け出してゆく。

観楠
「どうしたのかな……ん?」

傍らの電話が鳴り出した。

観楠
「? ……はい、もし」
電話
『花澄、花澄いますか?』
観楠
「はい? 花澄さんは今出て行かれましたが……あの」

かっちゃん。

観楠
「……誰だったんだ今の?」

飛び出していった花澄のほうは、というと。

花澄
「瑞鶴にはいないし、尊さんのところにも、ユラさんのと ころにもいないし……」

もうそろそろ、思いつくところを探し尽くしたところだった。

花澄
「あとは……松蔭堂か、佐古田君のところか」

買い物に出た、ほんの少しの間。帰って来ると窓が丁度人形一つ分開いていた。

花澄
「……還ったの、かな」

曇天。いつ降り出してもおかしくない空模様。

花澄
「いつ還っても、おかしくは、ないんだけど」

ぽつんと言った声に反応したように。ぽつん、と。雨が降り出した。

譲羽
『……花澄ぃ……』
訪雪
「まだ、捕まらんかね?」

尋ねられて、譲羽は泣き顔になった。

譲羽
『……花澄ぃ……』

涙は出ない。木粘土製の体に涙腺はない。その代わりのように、外はいつのまにやら本降りになっている。

訪雪
「もう一度かけてごらん。電話の側にいないだけかもしれ んよ」
譲羽
『うん』

入り込んだ路地裏で、花澄は溜息を吐いた。雨は降り続けている。濡れそぼった髪が、重い。

花澄
「ゆず、屋根のあるところにいればいいけど」

言ってから、苦笑する。もともとは、花澄の作った人形だ。あれが溶けたところで、ゆずは元の姿に戻るだけのことである。

花澄
「……莫迦、だな」

不便な体に閉じ込めて、人の世に置くのがよいことかどうか。何度も考えた筈である。それでも。

花澄
「ほんっとに、莫迦だ」

と。すぐ後ろの公衆電話が、突然鳴り出した。

花澄
「……まさかっ」

ガラスの扉を押し開けて、受話器を掴む。

花澄
「もしもしっ!」
電話
『花澄っ!?』

へたへた、と花澄はそこに座り込んだ。

花澄
「……どこにいるの?」
譲羽
『大家さんとこ』
花澄
「わかった。今行くからね」
譲羽
『うん』

かちゃん、と電話が切れる。受話器を握ったまま、花澄は苦笑した。

花澄
「じゃ……松蔭堂って、どう行くんだっけ、ここから?」

包帯を巻いて貰った足を、木霊は揺すっている。

訪雪
「花澄さん、遅いねえ」
譲羽
『……ゆずのこと、怒ってる』
訪雪
「さあねえ」

とんとん、と扉を叩く音に、木霊は飛び上がった。

花澄
「あの、すみません。ゆずがお邪魔しているそうで」
訪雪
「ああ、はい……ゆずさん、その足で歩いたら、くっつけ たところがはずれるよ」

だから連れてってあげる、と続ける前に、譲羽は四つんばいになった。そのままててて、と走って(?)行く。

譲羽
「ぢいっ! ……ぢ?」

玄関のところで、その動きが止まった。

花澄
「……ああよかった。でもどうしたの?」
譲羽
「ぢい……」
訪雪
「……濡れましたね」
花澄
「雨が降る前に飛び出したもので(苦笑)。あ、ゆず、今は 近づかないで。ゆずまで濡れると厄介だから」

髪の毛を後ろに払いながらそう言った花澄を、木霊はじっと見た。

譲羽
『何で、花澄、濡れてるの?』
花澄
「雨の中歩いてれば、濡れるものでしょう?」
譲羽
『でも、花澄。花澄は、濡れないよ。いつもは濡れないよ。 傘無くても』
花澄
「……何で、でしょうね?」

ぢいぢいと鳴くゆずの言葉は、訪雪には分からない。ただ、えらく真剣な様子だけはよく分かる。

訪雪
「何か拭くもの持ってきましょう。そのままじゃ風邪引き ますよ」
花澄
「あ、いえ。すぐ帰りますから」
訪雪
「帰りますって言ってもこの雨だ。ゆずちゃんが濡れるで しょう」
花澄
「大丈夫です」

妙にきっぱりと花澄は言い切る。

訪雪
「……じゃ、袋と電話を取ってきますよ。ゆずさんもおい で」

手を伸ばすと、今度は素直に木霊がその手を掴んだ。部屋に入り、受話器を持たせる。

訪雪
「何を言ってたの?」
譲羽
『ほんとは、花澄、濡れないの。濡れたくない、って思う と濡れないの。でも』
訪雪
「びしょぬれだね」
譲羽
『それに、花澄、ほんとはゆずのいるとこ、すぐに分かる の。聞けばわかるの。どうして聞かないの』
訪雪
「聞くって、誰に?」
譲羽
『四大』

単純にして簡潔。

訪雪
「花澄さんに聞くしかないね」
譲羽
『……その前に、怒られるもの』
訪雪
「そりゃあ、覚悟しとかんとなあ」

木霊は上目遣いになって、ぢい、と鳴いた。

花澄
「じゃ、傘お借りしていきます。有難うございました」
訪雪
「いえ、どういたしまして」

ビニール袋の中で、木霊がじたばたしている。

訪雪
「ゆずちゃんの足も、明日になれば完全にくっついてます から」
花澄
「有難うございます」

深々と頭を下げて、花澄は出ていった。

花澄
「ゆず」
譲羽
『……はい』

部屋に入って、着替えてからの第一声に、木霊は身を縮めた。が、続く声は、予想から外れた。

花澄
「……還ったかと、思った」
譲羽
『?』
花澄
「そういう、こと」
譲羽
『そういう、こと?』

首を傾げるばかりの木霊の頭を、花澄はとん、と叩いた。

花澄
「どうして濡れてるの、って聞くから、答えてるのに」
譲羽
『え?』
花澄
「耳をふさいでたらね、こうなったの」

還ってしまった、と、答えが返るのは聞きたくなかった。聞きたくなかった自分が、ひどく、情けなかった。折り合いをつけるまでに、時間がかかっただけのことである。

譲羽
『花澄?』
花澄
「明日になったら、上から胡粉塗ったげるね」

それだけ言うと、花澄はにっこり笑った。雨はまだ降り続いている。



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