エピソード603『土の踊り』


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エピソード603『土の踊り』

午後遅くの瑞鶴。レジに座ってうつらうつらしていた花澄の耳元で、電話が鳴る。

花澄
「(びくうっ)はいっ! ……もしもし、瑞鶴です」
譲羽
『花澄?』

家で留守番をしているはずの譲羽だった。

花澄
「何かあったの? ゆず」
譲羽
『ううん、なんにも。これから、大家さんとこ、遊びに行 く』
花澄
「大家さんとこって……いきなり行ったら悪いでしょう。 ちょっと待って、ゆず……ゆず!」

電話は既に切れていた。
 茶の間の窓から入り込んだ譲羽は、途方に暮れたように室内を見渡した。
 松蔭堂には誰もいなかった。茶の間には、訪雪の「電器店へ行ってきます」のメモと、凍雲の「酒屋へ行く」の一筆箋が、並べて置かれていた。
 いつもなら、どんなに静かでも、必ずどこかに人の気配がある。しかし今日は、それがない。何度か来て慣れているはずの室内が、妙に薄暗く、だだっ広く感じる。
 飴色に煤けた、太い木の柱。穴の開いた障子。湯呑みの底に残った茶殻さえ、途方もない毒を含んでいるような気がする。

譲羽
「いいもん。ひとりで、遊ぶもん」

無人の部屋を、ひとつひとつ覗いて回る。
 書棚の本を引っ張り出して読み、座布団を積んだ上で飛び跳ねても、誰も、何も言わない。誰も見ていないから……
 黒光りする廊下を曲がったところに、2階へ上がる狭い階段がある。今まで一度も、登ったことはない。少しだけ躊躇ったあと、上の段に手をかけて、木霊は器用に登りはじめる。
 登りきったところは、さらに薄暗い空気の澱んだ廊下だった。がらんと片付いた茶室の入口から首を突っ込んでは引っ込め、隣を覗く。重い襖の中は納戸になっていて、雑多ながらくたが積み上がっていた。
 雨戸の隙間から入る薄明かりを負って、がらくた達の逆光のシルエットが不気味に歪んで迫ってくる。

譲羽
「……おうち、帰ろうかなぁ」

動くはずのない影が動いたような気がして、譲羽は襖の方に向かいかけた。

声1
〈踊ロ〉
声2
〈オドロ〉

不意に、オカリナを吹き鳴らすような、乾いた土の匂いのする声が聞こえた。

譲羽
「誰……?」

つい、と目を上げた古い事務机の上に、2体の素焼きの人形が並んでいる。円筒形の胴体に、粘土の棒をまげた腕をつけた、古代の形代……埴輪の、複製品だった。
 ぽっかり開いた丸い孔の目が4つ、譲羽をじっと見ていた。

埴輪1
〈ボクハ、土〉
埴輪2
〈ボクモ、ツチ〉
埴輪1
〈キミハ、木〉
埴輪2
〈デモ、ツチ〉
埴輪1
〈踊ロ〉
埴輪2
〈オドロー〉
譲羽
「ゆずも、踊るの?」
埴輪1
〈ソウダヨ〉
埴輪2
〈オドローヨ〉
埴輪1
〈人ノイヌマニ〉
埴輪2
〈イマノウチニ〉

ごとり。重い音を立てて、埴輪が動き出す。机の天板に擦り傷を残して、円筒形の台座が少しずつ回り出す。

埴輪1
〈踊ルタメニ、ツクラレタ〉
埴輪2
〈オドルカタチデ、生マレテキタ〉
埴輪1
〈ダカラ、踊ルコトシカデキヤセン〉
埴輪2
〈ナラバ、オドルシカナカロ〉

硬直した体をぎごちなく揺らして、埴輪は踊る。互いの周りを旋回する速度が、次第に速くなる。

譲羽
「待って。ゆずも、そっち行く」

机の脇に積まれたがらくたの山に足をかけて、譲羽は埴輪のいるところを目指して登りはじめた。手の届くところを選んで遠回りしながら、少しずつ上に移って、天板の端から顔を覗かせた、そのとき。

埴輪1・2
〈シマッタ〉

ごとごとと回っていた2体の埴輪が、机の端で大きく傾いて、そのままもつれるように姿を消した。
 がしゃ。はるか下の方で破壊音が響く。机の縁に駆け寄った譲羽が下を覗き込む。
 小さい方の一体は、胴体の真ん中でふたつに折れて、大きい方の一体は、原形を留めぬまでに砕けていた。

譲羽
「死んじゃった……の……?」
埴輪1
〈ダイジョーブ〉
折れた上半身がこちらを見上げる。

埴輪2
〈コレシキノ怪我ジャ、死ニヤセン〉

破片の山から声がする。

譲羽
「大家さん、呼ぶから。怪我、直してもらうから。待って て」

肩の袋から電話を出して、大急ぎでボタンを押す。呼び出し音が鳴りはじめたところに、下からの声が呼びかける。

埴輪1
〈心配ナイヨ〉
埴輪2
〈アノ坊ヤナラ、スグニ気付イテ直シテクレル〉
埴輪1
〈デモ、今日ハモウ踊レナイネ〉
埴輪2
〈今日ハ、オ帰リ〉
埴輪1
〈怪我ガ癒エタラ、マタ踊ロ〉

壁際に飛んだ腕がかたかた揺れて、別れを告げる。譲羽は一度振り返ってから、一目散に納戸を飛び出した。
 日は既に暮れかけている。帰宅した花澄は、すこしだけ開けた窓を凝視している。

花澄
「迷惑、かけてないといいけど」

ぽつりと言って立ち上がりかけたとき、窓枠がかたりと鳴った。部屋に入ってくるなり、譲羽は花澄にしがみついた。

譲羽
『花澄ぃ……』
花澄
「お帰りなさい、ゆず……こんなに埃まみれになって、何 かあったの?」
譲羽
『怒らない?』
花澄
「何をやったかによるけど?」
譲羽
『ゆず、大家さんとこのお二階行ったの。お二階のひとた ち、土で出来てるの。踊るの』
花澄
「土……人形なのかしら? でも踊るって?」

譲羽が泣き顔で花澄を見上げる。

譲羽
『お二階のひとたち……踊ってて、落っこちて、怪我し ちゃったの。ばらばらになっちゃったの』

花澄の表情が厳しくなる。

花澄
「ゆずが、怪我させたの?」
譲羽
『違うもん!』

勢いよく振った首が、次第にうなだれる。

譲羽
『違うの……自分で、落っこちちゃったの。大家さん呼ぶっ ていったら、お二階のひとたち、いいって言った。すぐ、直るって。直ったら、また踊ろうって』
花澄
「そう……とにかく、大家さんに事情を話しに行かなきゃ ね。支度するから待ってて」
譲羽
『花澄、怒ってないの?』
花澄
「怒るかどうか決めるのは、私じゃなくて大家さんでしょ う。今度は、黙って逃げてきちゃ駄目よ」

譲羽を連れた花澄が訪れたとき、茶の間にいたのは豊中だった。

花澄
「あ、すみません……大家さん、いらっしゃいますか?」
豊中
「ああ、花澄さんこんにちは。
若大家?(奥の襖を指して)さっきからそこで立体ジグソーやってますよ」
花澄
「ジグソー?」
豊中
「接合っていうのかな? 土器の破片を組んで、原型を復 元する作業ですよ。
俺は茶だけ飲んだら帰りますが、呼びますか」
花澄
「いいえ。用があるのは私じゃなくて、ゆずのほうですか ら……大家さん?」

そっと襖を開けて中を覗く。八畳の客間に広げた新聞紙の上に、赤茶色の破片が散らばっている。
 訪雪はその中心に胡座をかいて、傍らに置いた組みかけの埴輪に破片をあてがっているところだった。

譲羽
『……あれ、お二階のひと』
花澄
「なるほど、そういうことだったのね……こんにちは、大 家さん。うちのゆずが留守中にお邪魔して、ご迷惑をかけたらしくて」
訪雪
「……え? ああこんにちは、花澄さんにゆずちゃん。二 階の納戸にあった足跡、やっぱりゆずちゃんだったんですか」
花澄
「ええ。その埴輪、ゆずが何かしたみたいで……高いので しょう?」
譲羽
「ぢいっ(ゆずじゃないもん)!」
訪雪
「埼玉の博物館で買った土産もんです。どこででも、それ こそ学校の遠足ででも買える量産品だ。
大方机の上で踊っとって、調子に乗りすぎて落ちたんでしょう……私も暫く行かなかったから、久し振りのお客に喜んだんだろうなぁ」
花澄
「久し振りって(汗) ……昔から、踊るんですか?」
訪雪
「20年ばかし前からね。そういうこともあるもんです。こ いつらのことだ、直ればまた懲りずに踊りはじめますよ」
埴輪1
〈マタ、踊ロネ〉

聞き覚えのある声に、譲羽は新聞紙の上を見る。半面のぼっくり欠けた埴輪が、いびつな片目で笑っていた。

譲羽
『うん。また、ね』
訪雪
「……なんだか嬉しそうだね。こいつらと友達になれたの かな?」

花澄の腕の中で、譲羽は、こくん、と頷いた。



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