松蔭堂、夏。
がらがら
- 豊中
- 「こんにちは」
片手にビニール袋。茶を啜っていた訪雪が顔を上げる。
- 訪雪
- 「いらっしゃい」
- 豊中
- 「うまそうな和菓子を見つけたんで、買ってきました。茶、
いただけます? 若大家の分も買ってきましたよ」
- 訪雪
- 「ほう。(袋を開ける)こりゃまたいいものを見つけたね。
五つあるようだが、どう配分すればいい?」
- 豊中
- 「ご隠居とキノト、キノエ、それにわれわれ二人の分です」
- 訪雪
- 「で、二の舞君の分は?(にやり)」
- 豊中
- 「おや、あいつは甘いものは食わないはずですが?(鬼笑)」
ごとごと
襖が開き、一が入ってくる。
- 豊中
- 「よう。キノトとキノエはどこいった?」
一の後ろから、するりと二匹のオコジョが出てくる。
- キノエ
- 『(オコジョバージョン) 呼んだ?』
- 豊中
- 「だからその格好で話すときは接触してくれと(苦笑)」
優雅な動きで豊中の肩に登るキノエ。
- キノエ
- 『用はなに?』
- 豊中
- 「うまそうな和菓子があったんで、買ってきたんだ。食べ
るよな?」
一の目がきらっとひかる。
- 豊中
- 「おまえは甘いものは食わんと言っていたな。というわけ
でおまえの分は無しだ(にやり)」
- 一
- 「……鬼(目幅滝血涙)」
- 訪雪
- 「質実剛健の男が、軟弱な甘味なんぞ頬張ってちゃいかん
よ。そうだよねぇ? 二の舞君(鬼笑)
折角だから、上の茶室で本格的に茶を点てようか。準備が出来るまで、そこで待っとってくれ。
豊中君にキノエちゃんにキノト君……あ、先生も呼んで来にゃ」
- 豊中
- 「御隠居なら、俺が呼んできますよ」
- 訪雪
- 「有難い。じゃ頼むよ」
訪雪は2階に消える。
- 豊中
- 「……と、いうことだ。茶だけでも欲しければ、今のうち
に交渉しにいくんだな」
- 居候
- 『(爆笑)』
- キノエ
- 『ミツル……完っ全に、おもちゃにされてるわね』
- キノト
- 『なんか……ちょっと可哀想かも』
- 一
- 「うう(感涙)……ありがとうキノト、お前だけは……(がっ
き)」
- キノト
- 『お菓子はあげないよ』
- 一
- 「(がっくし) ……この鬼どもが、よってたかって……
くるりと踵を返して)若大家、俺にもお茶下さいっ!」
二階で爆笑。
数十分後。大急ぎではあるが、茶の用意は済んでいる。
三畳の茶室に亭主と客5人というのはかなり無理があったが、人の姿になった式神たちを含めた全員が、一応はいるべきところに収まっている。
- キノエ
- 「……狭い」
- 訪雪
- 「納戸だったところに無理にねじ込んで造ってあるからね。
仕方ないよ」
- キノエ
- 「暗くて暑い」
- 訪雪
- 「夏の茶室っちゃ、大抵そんなもんだ。でもまぁ、我慢会
じゃないんだし、窓を開けようか」
開け放った障子から、風と光がさっと流れ込む。
- 凍雲
- 「片付ける間があったら、下の八畳でやってもよかったん
だがの」
八畳の客間には、復元作業中の埴輪を広げたままになっている。
ともあれ。薄茶であれ濃茶であれ、点前というのは、まず最初に菓子を食べてしまってから、あとで茶を飲むものである。
- 豊中
- 「そういえば、若大家はどうするんです。菓子」
- 一
- 「……(精一杯のうるうる眼で訪雪を見る)」
- 訪雪
- 「心配要らんよ。あとでちゃんと頂く」
菓子を盛った容器が、主客の座に着いた凍雲から順繰りにめぐって……末席の一のすぐ手前、キノトのところで止まる。
- 一
- 「あ……」
- キノト
- 「悪いね、ミツル」
心底情けなさそうな顔。
- 訪雪
- 「普通はこういうことはせんのだが……君の主義に抵触す
るんじゃ仕方なかろう。大丈夫、茶までお預けにはせんよ」
- 豊中
- 「しかし、菓子も無しに茶を飲むのはいささか無粋だな」
- 一
- 「(一瞬期待し、しかし相手が豊中なのですぐに警戒)
……何を企んでいる?」
- 豊中
- 「企むとは人聞きの悪い。こういうものもあるのだ」
がさごそ。
取り出したのは駄菓子。「けんけら」と「ショウロ」である。
- 豊中
- 「ご隠居にと思って持ってきたんだがね。それとも、堅実
に氷砂糖にするか? それもあるぞ(にやぁり)」
- 一
- 「氷砂糖、ですかい」
- 訪雪
- 「馬鹿にしちゃいかんよ。300年前なら立派な高級菓子だ。
しかし……そんなに甘やかしていいのかね? 豊中君」
豊中が返事をしようとし、一が何やら言い返そうとした時に。開いた窓から何かが飛び込み、ぽてん、と豊中の背中の辺りに落ちた。
- 譲羽
- 「ぢい(ああびっくりした)」
この場合びっくりするのは、他の人々だろう。
- 訪雪
- 「ゆずさんか。今日はどうした?」
- 譲羽
- 「ぢいぢい(遊びに来たの) ……ぢいいっ!」
最初はともかく、最後の一声については、意味を間違えようも無い。木霊は式神二人を見た途端、訪雪の膝にしがみついた。
- キノエ
- 「何だかやけに脅えられてるわね」
- キノト
- 「無理ないけど」
- 訪雪
- 「どうした? ……ああ、そうだったっけね。大丈夫、も
う何もされやせんよ。
心配しないで、あっちの爺ちゃんの隣でお茶会を楽むといい。……先生、茶を点ててる間、この子を頼みます」
- 凍雲
- 「全くお前も、妙なものばかりに人気があるのう……こっ
ちへおいで、人形のお嬢ちゃん。
その畳は亭主の領分、客が勝手に入っちゃいかん」
- 譲羽
- 「……ぢぃ(妙なものじゃないもん)」
ぢぃぢぃ言いながらも、譲羽はてとと、と客座の方へ走り寄って、豊中と凍雲の間にちょこんと座る。
- 豊中
- 「1.5人目の客ってとこか……ひょっとして、いつも遊びに
来てるんですか」
- 訪雪
- 「時々、ね。留守中に来とることもある。何故だか知らん
が、すっかり懐かれていてね」
緩みかけた頬を引き締め直して、訪雪は茶杓を手に取った。
- 一
- 「なぁ……豊中」
- 豊中
- 「なんだ、やっぱり欲しいのか、氷砂糖。(挙手して) 亭
主。こいつに砂糖与えていいですか」
- 訪雪
- 「そんなに食いたきゃ、妙なプライドなんぞ持たにゃいい
のに……ま、構わんよ」
- 豊中
- 「わかりました。キノエ、キノト、これそっちへ送ってく
れ」
針金で口を縛ったセロファンが、式神の手を渡っていく。
- キノト
- 「意地汚いよ、ミツル……はい砂糖」
- キノエ
- 「砂糖くらいで泣かないでよ。ほんとにみっともないんだ
から」
全員の手に……ひとりだけ内容が違うようだが……一応は菓子が行き渡る。端の凍雲の見よう見真似の手つきで、順番に菓子を食し、茶を喫する一同。
- SE
- 「ぼりごりがり」
- 豊中
- 「まだ早い。それと餓鬼の骨齧りみたいな音を立てるんじゃ
ない」
- 一
- 「(ぼり) ほんなこほいっはっへ……(がき、ごくん) 早
く食わないと茶が回って来ちまうじゃないか」
- キノエ
- 「欲張って口いっぱいに頬張るからよ。ミツル」
- 凍雲
- 「まあ慌てんでもいい。キノト君が飲み終わるまでは、君
に茶は回って来んからの」
- 譲羽
- 「……ぢぃ(ゆずの、小さい)」
譲羽の前に置かれているのは、織部焼の蕎麦猪口。薩摩焼の茶碗は、まだキノエの手元にある。
- 凍雲
- 「そう、正面を向け直して、儂がさっきやったようにの」
- キノエ
- 「(碗を拝見しながら) これが手順だってのは判るんだけ
ど……この茶碗の何がいいのかってのは、よく判んないのよね」
- 凍雲
- 「ふうむ……茶席での鑑賞はある程度まで儀礼ではあるん
じゃが、評価の基準を覚えるまでがちと骨だからの……」
- 訪雪
- 「いや。そんなことはありませんよ」
- キノト
- 「え……?」
- 訪雪
- 「ま、茶の世界での価値は、碗そのもの以外にも色々とや
やこしいもんが絡んでくるのは確かですがね。
そういうの抜きで、本当にいい茶碗ってのは」
返された碗に、すすぎの湯を注ぎながら。
- 訪雪
- 「持ったとき手に馴染んで、茶を飲みやすいもんです。素
人でも、手にした瞬間にわかる」
- キノエ
- 「ふうん……で、いまの茶碗は?」
- 訪雪
- 「残念ながら安物だ。だが、儂にとっては、いま言った意
味では、かなりいい品だよ」
- 豊中
- 「そうかな……俺の手には少し小さい気がしましたが」
- 訪雪
- 「だろうね。なにしろ買ったのはもう10年以上も前、儂が
キノト君の背丈よりすこし小さかった頃だから」
- 豊中
- 「その年頃に茶碗なんか買いますかい、普通(汗)
……ところで、妙なことを聞きますが」
- 訪雪
- 「何か気になることでも?」
- 豊中
- 「茶室というのは……(壁の一隅を指して) 普通は、あの
入り口から入るんじゃありませんか。何と呼ぶのかは忘れましたが」
豊中の指の先には、人が屈んで通れるくらいの、ごく低い板の引き戸がある。一同が入ってきたのはそこからではなく、侘びた壁面をばびろーんと分断してついている、ごく普通の障子からだった。
- 凍雲
- 「うむ……確かにの。ちょいと行って覗いてみると良いじゃ
ろう、豊中君。開けてみれば訳が判るだろうて」
- 豊中
- 「それでは、お言葉に甘えて。失礼します」
豊中は膝をついて、壁面の件の戸にすり寄る。キノエと譲羽、それと手持ち無沙汰の一があとに続く。
掛け金を外して、建て付けの良くない引き戸を力任せに引き開ける。頭が4つ、狭い開口部から外に突き出して、そのままかくりと顎を落とした。
- 豊中
- 「……何なんですか、こりゃあ(汗)」
- 一
- 「……シュール、だな(呆)」
- 居候
- 『……余程阿呆な建て主とみたぞ』
- キノエ
- 「こんなとこから、一体誰が入るのよ」
- 譲羽
- 「ぢぃ(ゆずは入れるよ)」
板戸の向こうには何もなかった。2階だから庭がないのは当然なのだが、そもそも足を踏み出す先がない。垂直の壁面には1階の窓の庇があって、その下の路地を自転車の子供が通っていく。
- 豊中
- 「外から見たときは、てっきり窓だと思っていたんですが……
一体何の理由あって、こんな入りようのない場所につけたんです」
キノトの茶を点て終えた訪雪が振り返る。
- 訪雪
- 「知らん」
- キノエ
- 「じゃあ御隠居は?」
- 凍雲
- 「儂の先々代が建てさせたものだとは聞いておるが、それ
以上のことは、実は儂も知らんのじゃ」
- 居候
- 『わしゃその先々代が阿呆とみたが』
- 凍雲
- 「建て付け具合からいっても、何処かから茶室だけ移築し
てきたとは思えんしの。
それともうひとつ、……不思議なことがあっての」
- 一
- 「と、いうと?」
- 凍雲
- 「明らかに、そこを出入りに使っとった形跡があるんじゃ
よ」
- 豊中
- 「使っていたって……どうやって?」
言いながら、入り口の枠に触れる。そのまま目を軽く閉じ、意識を集中。が、すぐに目を開ける。
- 一
- 「どうだ?」
- 豊中
- 「ぜんぜん判らん(きっぱり)。まあいいさ、とにかく茶だ
け先に頂いたらどうだ?」
訪雪の肩が小刻みに震えている。啜り終えた碗を置いたキノトが、不思議そうな顔でそちらを見る。
- 訪雪
- 「……(爆笑)」
- キノト
- (びくうっ)
- 豊中
- 「……何が可笑しいんです」
- 訪雪
- 「(痙攣)……い、いや、失礼。ここに来たばかりの儂とお
んなじことをやっとるなと思って」
- 豊中
- 「同じこと?」
- 訪雪
- 「儂もこの茶室を初めて使わせて貰ったとき、そいつに気
付いて、その……色々と調べたんだが」
- 一
- 「じゃあ判ってるんじゃないですか」
- 訪雪
- 「うむ。口で説明するのも面倒臭いから……豊中君、ちょっ
とこっちへ」
- 豊中
- 「暑苦しいな。俺はおやぢの手を握る趣味はないんですが
ね」
ぼやきながらも、豊中は客座の方に出て来た訪雪のほうに近寄る。
- 訪雪
- 「はい腕。(袖を少し捲って手首を出す)……しかし暑いね」
- 豊中
- 「(手の甲に指先で軽く触れる。皮膚はじったりと汗ばんで
いる)……全くですね」
豊中が再び目を閉じる。読まれているのを自覚しながら、訪雪は4年前、ここで読んだ記憶を脳裏に蘇らせる。
茶室というよりは稽古場に近い、ごく略式の点前空間。薄暗い空間の、渋い色調の映像。街路上空数メートルに向かって開け放たれた入口から、和服の客たちが次々に現れる。
- 豊中
- 「(呆) なるほど、ね。しかし馬鹿なことを考えたもんだ。
おい一、そこから首出して上を見てみろ」
- 一
- 「上? こうか?(覗く)
……(絶句) ……俺は……その先々代、絶対ただの馬鹿だと思うぞ」
首を引っ込めた一が立ち上がり、すぐ上の小窓の格子の間から手を伸ばす。
- SE
- 「ばらっ」
煤色に朽ちた細長いものが、軒下から地上に向けて垂れ下がる。
- キノエ
- 「綱……?」
- 豊中
- 「そう。茶会の客が一々ここから上がってくるのを考える
と、相当シュールだぞ」
- 一
- 「軒の下に、御丁寧に額までかかってやがる。『懸垂席』
……客をなめてるとしか思えないな」
訪雪がかつてここで読み、いま豊中に見せたのは、顔を真っ赤にして綱を手繰り、息も絶え絶えににじり上がってくる、正装の茶人たちの姿だった。
- 譲羽
- 「ぢいいっ(嬉)」
- SE
- 「かたかたかたっ」
- 訪雪
- 「あああやっぱりぃ……駄目だその綱は弱ってる。一君、
その子を捕まえて……」
ぷち。
- 訪雪
- 「……ゆず、さん……?」
視界にあるのは切れた綱。恐る恐る、下を覗く。
- 一
- 「……ナイスキャッチ」
- キノエ
- 『……なんとかね』
中身のない服がひらひらと舞い落ちて、下の庇に引っかかる。オコジョの姿に戻ったキノエが、後足で敷居をつかみ、赤いワンピースの裾を口にくわえて、逆さまにぶら下がっていた。
さて一方。
- 花澄
- 「もうそろそろ、かな?」
冷蔵庫からかなり大きなタッパーを取り出し、竹串で刺してみる。
- 花澄
- 「よし、大丈夫」
蓋を閉め、風呂敷きに包む。上の隙間に小さな瓶と包みを滑り込ませ。
- 花澄
- 「これだったら、大丈夫……かなあ(思案顔) ま、いいか」
暗い部屋から、包みを抱えて出る。日差しの眩しさに、花澄は少し目を細めた。
ほとほと、とあるいて行く先は松蔭堂である。最近木霊が一人で遊びに行くようになり、呼びに行くまで帰らない、という傍迷惑な行動様式を憶えてしまったので、自然彼女が松蔭堂に向かう回数も多くなる。
- 花澄
- 「……?」
松蔭堂の中から、複数の声がざわめくように聞こえて来る。
- 花澄
- 「お客さんかな……?」
- 風
- ”お前にとっても、知り合いの”
- 花澄
- 「入っても、よさそう?」
- 風
- ”大丈夫だろう”
- 花澄
- 「じゃ……こんにちは」
玄関にも店にも人気はない。天井の方で足音がするところをみると、全員が階上にいるのだろう。
板の間の電話のところに、「御用の方は奥に向かって大声でお呼び下さい」と走り書きされたメモがある。
- 花澄
- 「(すぅ、と息を吸い込んで) ……こんにちはぁ」
誰も出てこない。自分では大声を出したつもりだったのだが、どうやら聞こえなかったらしい。
- 花澄
- 「もう一度、呼んだ方がいいかな」
もっと大きく息を吸って、口を開きかけたとき、階段が鳴って、廊下の角の向こうから一が走ってきた。
- 花澄
- 「あの……こんにちは」
- 一
- 「あ、花澄さん……済みませんが、ちょっと外行くんで、
戻るまで待っててください。若大家は上です」
- 花澄
- 「はぁ……」
訪雪の草履をつっかけて板の間から走り出ていった一は、すぐに戻ってくる。その手の中には、女物の衣服が上から下までひと揃い、丸まっている。
- 花澄
- 「その服、どうかなさったんですか?」
- 一
- 「え? ああこれ? キノエのですよ。窓から外に飛んじゃっ
たんで、拾いに行ってたんです」
- 花澄
- 「(一体何があったんだろう……?)」
一はそのまま廊下を駆け抜けて消える。
- 一
- 「(上で) 若大家、下に花澄さん来てますよぉ」
- 訪雪
- 「(茶室の水屋から) ゆずちゃんを迎えに来たのか……参っ
たな。豊中君かキノト君、悪いが下へ先に行って、花澄さんに茶の間で待ってもらうよう言ってくれんか」
- キノト
- 「じゃ僕が行きます」
軽い足音が響いて、今度は人間状態のキノトが現れる。
- キノト
- 「こんにちは、花澄さん。いま大家さんがお茶の支度を片
付けてるから、終わるまで茶の間で待っててください」
- 花澄
- 「取り込んでらっしゃるようですけれど……大丈夫でしょ
うか」
- キノト
- 「お茶会、やってたんです。もう少し早ければ、花澄さん
も一緒にお茶飲めたのに……
そうそう、さっきから来てますよ。ゆずちゃん(くす)」
- 花澄
- 「……あ、やっぱり(溜息)。また何か迷惑かけたんじゃな
いですか?」
- キノト
- 「え、迷惑というか……」
- 花澄
- 「何かやらかしたんですね」
はあ、と溜息をつきつつ、花澄はキノトに続いて茶の間へと上がった。畳の上に正座しかけて、持ってきた包みに気付く。
- 花澄
- 「あ、これ溶けるわ……ごめんなさいキノト君、冷蔵庫お
借りしていい?」
- キノト
- 「いいと思いますけど……あ、僕入れてきます」
- 花澄
- 「お願いします」
キノトが視界から消えると、花澄はもう一つ溜息を吐いて目を閉じた。ざわざわと、二階から音だけが聞こえる。
……こういう、手持ち無沙汰な沈黙は嫌いだ。
と、軽い足音が帰ってきた。
- キノト
- 「冷蔵庫に入れときましたけど、花澄さん、あれなんです
か?」
- 花澄
- 「ふわふわには見えないお菓子」
- キノト
- 「?」
首を傾げて考え込むキノト。やがて、複数の足音が上から降りてくる。
- SE
- 「がらっ」
- 豊中
- 「お待たせして済みません、花澄さん」
- 花澄
- 「こんにちは。豊中さんもいらしてたんですね。うちのゆ
ず、何かしでかしたんでしょうか」
- キノエ
- 「ううん、たいしたことじゃないの。ちょっと焦ったけど
ね(笑)」
- 花澄
- 「焦ったって……何があったんでしょう。ゆずはどこにい
るんですか?」
- 凍雲
- 「ここじゃよ」
笑いながら茶の間に入ってきた凍雲の肩に、譲羽がちょこんと乗っている。
- 譲羽
- 「ぢぃ(花澄ぃ)……」
- 凍雲
- 「訪雪はまだ手が放せんので、儂が代わりに連れてきたん
ですよ」
- 花澄
- 「どうも済みません、ご隠居さん……ゆーず、今日は何を
やらかしたの?」
- 譲羽
- 『ゆず、お二階から落っこちたの。でも、キノエのお姉さ
んが助けてくれたから、怪我しなかったの』
叱られると思ったのだろう。木霊は凍雲の肩にしがみついて、首をすくめている。
- 花澄
- 「そう……怪我しなくて、よかったわね。キノエさん、う
ちのゆずを助けて下さって、本当にありがとうございます」
深々と頭を下げられて、キノエは照れたように頭をかく。
- キノエ
- 「そんなに恐縮されちゃうと、困るなぁ……怖がられてる
のは判ってたけど、人間のどんくさい脚じゃ、一緒に落ちるのが目に見えてるでしょ? それだけのことだから」
- 花澄
- 「いまはもう、怖がったりしないよね? ゆず」
- 譲羽
- 「ぢぃ(うんっ)!」
- 花澄
- 「じゃ、……あの、申し訳ありません。お台所御借りして
宜しいですか?」
- 凍雲
- 「ああ、どうぞどうぞ」
- 花澄
- 「有難うございます。……ゆずもおいで」
ひょい、と凍雲の肩から飛び降りた木霊を連れて、花澄は台所に消える。
茶席が終わって後。下の茶の間で、番茶をすする凍雲と訪雪、それに豊中。……なんで茶席のさらにあとで茶を飲んでいるか、それは聞いてはならない質問というやつである。
- 豊中
- 「しかし若大家、変わった特技をお持ちですね」
- 訪雪
- 「ん?」
凍雲への土産とした駄菓子をしゃぶりながら、訪雪。
- 豊中
- 「ご隠居も知らないわけじゃなさそうですが。サイコメト
リですよ」
まだ熱い番茶を吹いて冷ましながら、豊中。
- 訪雪
- 「さいこめとり? 何それ」
- 豊中
- 「物の記憶を読む能力。先刻のあのイメージは、あの茶室
から直接読んだものでしょう」
- 訪雪
- 「……ああ、あれのことか。なに、君の特技ほどのもんじゃ
ないさ」
- 豊中
- 「そうですかね? まあとにかく、便利そうではあります
ね。骨董屋としては」
- 訪雪
- 「そうでもないさ。コンペイトウ、食べる?」
- 豊中
- 「俺としては今は松露の方が(笑)。で、若大家、サイコメ
トリができるのなら、少々調べていただきたいものがありましてね」
- 訪雪
- 「鑑定料はおまけしておこう。それで、ものは何?」
- 豊中
- 「小柄です。柄ではなくて刀身のほうになりますが、いわ
く付きらしいんですよ」
- 訪雪
- 「妙なものを持っているねえ」
- 豊中
- 「まあ、今のところ何事もなくペーパーナイフになってい
ますがね」
- 訪雪
- 「ペーパーナイフ? そりゃ勿体ないことを」
語尾に重なるように、するすると襖が開いて。
- 花澄
- 「すみません、長々とお台所お借りしました」
- 訪雪
- 「いえ、どうも……って、これなんですか、花澄さん?」
- 一
- 「冷やっこ?」
くすんだ色の陶器の小鉢に入った白い立方体。その上に刻みねぎらしきものと、おろししょうが……にしては橙色の濃い何かが乗っかっている。
- 花澄
- 「質実剛健なお菓子……まで言ったら、大袈裟ですけど」
- 一
- 「お菓子、ですか」
- 花澄
- 「ヨーグルトゼリー。上に乗ってるのがミントの刻んだの
と、桃をミキサーにかけたの」
- 豊中
- 「また、凝ったことをしますね」
- 花澄
- 「これなら一さんも食べられるんじゃないかな、と思いま
して」
- 一
- 「は?」
- 花澄
- 「この前キノト君が、一さんはふわふわしてるお菓子が食
べられないって教えてくれたんですよね」
- 一
- 「それで、ですか」
- キノト
- 「食べよ、ミツル」
- 一
- 「それじゃあ、ありがたく」
周囲の視線が一点に集中する。だが、一は気にしない。
- 一
- 「おいしい、です。冷たくって、甘くって(感無量)」
- 訪雪
- 「そりゃ、それでしょっぱかったら本当に冷奴だよ(笑)」
連絡先 / ディレクトリルートに戻る / TRPGと創作のTRPGと創作“語り部”総本部