エピソード608『暑い一日』


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エピソード608『暑い一日』

温度計の水銀柱は、摂氏三十度を越えて伸びていた。

御影
「……暑い」

スーツを着ていればそれも当然であろう。
 ベーカリー楠のドアを開けると、涼しい風が……吹いてこなかった。

観楠
「クーラーが故障したんですよ」

観楠も暑そうな顔をしていた。

御影
「(げっそりしながら)紅茶を」
観楠
「暑くて済みませんね」

スーツの上着を脱ぐ御影。
 からからん
 ドアが開き、次の客がやってくる。どこかのおばちゃんだった。

おばちゃん
「どしたの店長、ずいぶん暑いじゃない?」
観楠
「ええ。クーラーが故障しているんですよ。暑くて済みま せんね」
おばちゃん
「ふうん。食パン一斤ちょうだい。……じゃ頑張って」
観楠
「ありがとうございました」
御影
「ドア、開けっ放しにした方が涼しいんと違うか?」
観楠
「そうしたい所なんですけれどね、埃が入ってくるので駄 目なんですよ」
御影
「そうやったな」

からからん
 話しているところへ、次の客。一十だった。
 三十秒とおかずに、また次の客。豊中ともう一人、二十代半ばのサラリーマン風の男。

「うお、どうしたんですか店長、この熱気は」
観楠
「クーラーが故障したんですよ」
「ここに来れば涼しいと思ったのに」
豊中
「自分のところにクーラー入れればいいだろうが」
「(胸を張って)そんな金はない」
豊中
「威張るようなことかよ(^^;)
そういえば、お前は今日もパンの耳か?」
「ふっふっふ、奨学金が入ったのでカレーパンだ」
豊中
「……とことん貧乏な奴」
英人
「お前に人のことが言えるのか、雅孝」
豊中
「言える。俺の所にはクーラーが入っている」
英人
「日頃は扇風機しか使っていないくせに」
豊中
「壊れているんだから仕方がないだろう」
御影
「ようするに同レベルということやな」
一&豊中
「(同時に相手を指さし)これと!?」
英人
「やっぱり同レベルだな」

感心したように言った英人に、改めて気付く御影。すっと顎を引き、意識してそうしたわけではないがやや低い声で

御影
「そちらは?」
観楠
(そーゆー聞き方をされると怖いと思うんだがなあ(^^;))
英人
「ああ、私はこれの(豊中を指さす)従兄で能義ともうしま す。いつも雅孝がお世話になっております」

かけらも動じず、観楠と御影に頭を下げる英人。その間にさっさとパンを選んできた豊中、トレイを英人に押しつける。

豊中
「奢ってくれるよな、月給取り」
英人
「薄給の国家公務員にたかるか?(笑)」
豊中
「キャリア組だろうが」
英人
「そいつは過労死予備軍と同義語なんだよ(涙)」
豊中
「通産や大蔵よりましだろ、英人んとこは」
英人
「まあな。とにかく今日の所は奢ってやる、ありがたく思 え(威張る)。とゆーわけで俺の分も持って来なさい。ドーナツがいいぞ」
豊中
「このくそ暑いのに余分に動かなちゃいかんのか」
「暑いならそのジャケットを脱げばいいだろうが(呆)」

ちらりと温度計を見る観楠。四十度に迫ろうとしていた。
 からからん
 ベルの音だけは涼やかである。

御影
「……暑い(重低音)」
「……クーラーが故障したようね、店長さん?」
観楠
「そうなんですよ」
豊中
「……暑い(カウンターに伸びている)」
英人
「心頭滅却すれば……やはり暑いか(けろっとしている)」
「涼しいところに行けばいいのに(呆)」

暑くても面倒くさがって動かないあたりが、野郎の野郎たる所以である。

「じゃあ、あたしはお店に戻りますから」
豊中
「いいんですか? 旦那が来てるのに」
「なんでそうなるわけ!?(真っ赤)」
御影
「(黙って立ち上がり、豊中を殴る) ……動いたらよけい 暑くなったな」
豊中
「……じゃあ、殴らんでください」

もう一発殴られた。そそくさと尊が出ていった後、むさ苦しく気怠い時間が過ぎる。
 からからん
 ふんわりと涼しい風が入ってくる。室内の空気が、一気にやわらいだ。

豊中
「(突っ伏したまま) 花澄さん、まさに救いの女神様です ね」
花澄
「皆さん、どうしたんですか?」

きょとんとする花澄。

観楠
「クーラーが故障しちゃいましてね(汗笑)」
花澄
「大変ですねえ(しみじみ)」
英人
「なんだか、いきなりちょうどいい気温になったな」
豊中
「彼女の周囲何メートルかはいつも春なんだよ」
英人
「歩くエアコンみたいなひとだな」
花澄
「……(ちょっと憮然)」

突風が英人に吹き付けたが、英人はやっぱりなにも気にしていないようだった。
 からからん。
 外の熱風と共に青年が店に入ってくる。目は虚ろで焦点があっておらず、夢遊病者のような足取りも危なげである。

豊中
『すごい食欲だな。あれだと多分、三日は飯を食っていな いぞ』
居候
『最近珍しい若者だのう』

青年は何をしているのか、店に一歩入ったまま立ちつくし、彫像のように微動だにしない。

”食われる”
花澄
「?」

くん、と髪を引っ張られるような感覚と共に、花澄は地の声を聞いた。言葉の内容の割に、緊迫感はない。

”あの青年が、地龍を食べている”
花澄
「……美味しいの?」
”さあ”
花澄
「大丈夫?」
”せいぜいが鱗一枚にも足らぬ” ”ただ”

風がほんの少し肩を押し、青年から遠ざけた。

英人
「めずらしい客が来る店だな」
豊中
「見た事のない顔だけど、まああの程度はめずらしくない よ。突っ立っているだけで、どういう訳か腹が膨れる奴でもね。
(一をつついて) おい一、あいつが食っているか、わかるか?」
観楠
「いらっしゃいませ」

その一言で青年は正気に返った。

遊児
「すいません。ここはどこでしょうか?」
観楠
「はい?」
遊児
「ここ三日ほど研究室に籠りっ放しだったんですが、気が つくとここにいるんですが」
御影
「また妙なのが来たな。……この暑いのに(ぼそ)」
観楠
「そちらの事情はよく分かりませんが、ここはべーカリー です。そちらに喫茶コーナーもありますから、よろしければご注文をどうぞ」
遊児
「じゃあ、アイスミルクティーをお願いします」

かららん

直紀
「こんちゃーっす。観楠さんお茶ちょーだいっ。ところで 皆さん、なんでそんなに汗かいてるんです? こんなに快適なのに」

その声で、木霊が袋から飛び出す。

譲羽
「ぢいぢい(わーい、直紀さんだ)」
御影
「直紀さん、いいタイミングで来たな」
観楠
「いらっしゃい。今日はクーラーが故障してね、さっきま で蒸し風呂みたいだったんだけど花澄さんが来たから(笑)」
直紀
「あ、納得(笑)」
花澄
「そこで納得されてしまうのも……」
譲羽
「ぢぃ(でも、花澄。みんなよろこんでるよ)」
花澄
「そう……ね(苦笑)」

いつものカウンター席に座り、出されたアイスティーを飲み干す。カリッと中の氷をかじってると、ふと十の手元に目がいく。

直紀
「あ、一さんがカレーパン食ってるー。どしたの??」
「どしたのって……そんなに珍しいんですか。俺がパンの 耳以外の物を食ってる姿って(汗)」
直紀
「うん!(笑)」
豊中
「(ぽむ) 諦めろ、一。既に柳さんの中には『パンの耳= 一十』の図式が出来上がってるんだから」
「何故だぁぁぁ(泣)」
御影
「まぁ、毎度のごとくパンの耳食べてりゃなぁ」
「ぐっ、反論できない」
花澄
「(くすくす) 大丈夫よ、一さん。そのうち他の物も食べ られるようになるから」
豊中
「ほほぉーう(にや)」
御影
「よかったなぁ、十(にやり)」
直紀
「……なんで、にやにやしながらこっち見るんですかぁ(汗)」
英人
「大人げないぞ、雅孝」
豊中
「これが俺のライフワークだ(きっぱり)」
英人
「そうか、なら止めんが」
「止めて下さい(汗)」

端のカウンターでアイスミルクティーを飲みつつ、事の一部始終を聞いていた遊児は……何故か打ち震えていた(^^;

遊児
「(この甘い中にも少し混じったほろ苦さ! 微妙に入り 交じった感情の起伏。しかも何だ? この感情の純度の高さは!! 世の中にこんなに食欲を満たしてくれる場所があったなんて) ああ……おいしいなぁ(感涙)」
観楠
「そうですか? ありがとうございます(照)
(アイスミルクティーであんなに嬉しそうな顔されたのは初めてだなぁ)」
遊児
「え、いやその……おいしいですよ、ホントに。
(しまった、思わず声にだしてしまったか(^^;)」
花澄
「(そっか、美味しいのか……じゃなくって) あの、すみ ません店長さん、食パン一斤とサンドイッチ下さいな」
観楠
「あ、はいはい」
花澄
「……それと、あの……私帰りますけど、宜しいですか?」
豊中
「え”っ、もうお帰りですか!?」
直紀
「はうう」

カウンターにつっぷす直紀、思わず声を上げる豊中。

花澄
「え、あ、はあ(そ、そこまで暑いのかな)」
譲羽
「ぢいっ!?(え、もうかえるの!?)」

やや不満らしい譲羽。

花澄
「帰るわよ、ゆず。お仕事途中だし、店長待ってるし」
譲羽
「ぢぢぢぃ(え〜)」
「花澄さん、お帰りですか」
御影
「引き止めるわけにはいかんだろうが」
豊中
「……(黙ってテーブルに沈没)」
遊児
「……あの、すみませんが」

声をかけられて、一同は改めて遊児の存在を思い出す。

花澄
(あら、そういえばゆず、見られたけれど……)
遊児
「そちらの方がお帰りになると、なにかお困りなのでしょ うか?」
豊中
「困る(きっぱり)」
遊児
「なぜでしょう?」
豊中
「……口で言うより、やってみた方が早いでしょうね。花 澄さん、ちょっと店を出てみていただけますか?」
御影
「(小声で) おい豊中、ええんか」
豊中
「(遊児にも聞こえるように) なあに、彼も少々変わった 特技を持っているのは同じ事のようですからね。それが何かは俺には判りませんが」
「(ぼそっと) 地脈を吸っていたな」

花澄がベーカリーをいったん出る。とたんに、熱気が押し寄せた。

遊児
「……(^^;」
豊中
「ご理解いただけたようで」

花澄がベーカリーに戻ると、熱気も消えた。

花澄
「かえるわよ、ゆず」
譲羽
「ぢぃ……」

不承不承に花澄の肩の袋に潜り込む譲羽。

直紀
「じゃあまたね、ゆずちゃん」
譲羽
「(袋から頭だけだして) ぢいっ(またね)」
花澄
「それじゃ……すみません(ぺこ)」

袋のふたが中から閉められ、花澄が出ていった。熱気が戻る。

豊中
「……あぢい」
遊児
「もう一つお聞きしていいでしょうか?」
御影
「誰に聞いとる?」

暑さのせいか、不機嫌そうな声を出す御影。

遊児
「(一瞬、困ったような表情をして) どなたでもいいので すが」
豊中
「それより先に、自分の名前くらい言ったらどうです?」
遊児
「そうでしたね。日下といいます。紅雀院大学の院生でし て」
御影
「なんや、わしと同じ大学か」
一&豊中
「えっ!? 旦那、学生!?」
御影
「……(むっ) おまえら、きっちり忘れとったな」
「えー、それで質問というのは?」
御影
「(ことさら低い声で) 逃げよったな、十」

冷や汗をかく一。

遊児
「さっきの子、なんなんです?」
豊中
「日下さんが見た通りのものですよ」
遊児
「答えになっていないような気がしますが……」
豊中
「なに、日下さん、あなたが観測したもののみがあなたに とって現実なのだから、気にする必要は無いということです。重要なのはあの子が現実に存在しているということだけだ」

煙に巻く豊中。

遊児
「しかし、人間では無かったような気が……(少しでいいか ら「味見」してみたかったなあ)」
豊中
「気にするほどのことではないですよ。……しかし、暑い」
遊児
「えーと、つまり、この店では『少々変わった特技』を持っ ていたり、『多少毛色の違った存在』でも容認される、と、こう解釈して構わないのでしょうか?」
豊中
「そういうことです」
遊児
「でしたら、この『熱気』を『食べて』も構わない訳です ね」

その言葉が終らない内に、急激に店内の気温が低下する。ただし、先程の
 『春』を思わせる『適温』ではなく、『やや肌寒い』ほどまでに。

SE
「クシャン」

誰かのくしゃみが響く。

(未定)
「下げ過ぎだ!」
遊児
「すいません。どうも加減が難しくて」

『店内の気温』はそれから何度か上下し、ようやく『適温』に落ち着いた。



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