エピソード617『真夏の夜に氷をひとつ』


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エピソード617『真夏の夜に氷をひとつ』

丑三つ時

真夏の午前2時の京大吹利キャンパスにて。そこら中の研究室の窓から光が漏れている。コンビニからパンを買ってきた狭淵美樹。
 (ぱたぱたぱた) 前をあけた白衣の下に着たTシャツの胸の部分をつかんで風を入れる。さすがに人通りはない。

美樹
「暑いですねぇ」

誰にともなく呟く。独り言なのだが。

「まったくじゃ」

しゃがれた男の声。美樹は軽く眉をひそめる。立ち止まる。振り返る。

美樹
「こう暑いと、たまりませんからねぇ」
「昔はもう少し涼しかったもんじゃがのぅ……」

美樹の夜間視力は悪くはない。しかし、声の主は見つからない。

美樹
「吹利は盆地ですからね。熱気が篭もってしまうんでしょ う」

風はそよとも吹かない。いや、さっきまでは確かに少しは風があったはずなのだが。

「そうじゃがのぅ」
美樹
「クーラーの廃熱もありますしね」
「昔は、そんなもんはなかったんじゃ」
美樹
「自然の風の方がいいと言えばいいんですがね」
「みんなクーラーなんぞ、止めてしまえばいいんじゃっ!」
美樹
「そういうわけには行かないでしょうけどね」
「いや、止めてしまえばいいんじゃぁ〜〜っ!」

風が吹く。熱気をはらんだ、風。普通なら生暖かい風とも言うだろう。美樹の白衣の裾が、揺れる。

美樹
「おや……、いい風ですね」

押し黙る気配。

「……お主、なにものじゃね」
美樹
「学生ですけど」
「そうか、ここの学生か……ところで、お主、幽霊は信じ るかの?」
美樹
「はぁ……まぁ」

二人ほど下宿に居候しているとも言えず、曖昧な返事でお茶を濁そうとする。

「そうか、信じるか。実は、儂は幽霊でな」
美樹
「……そうなんですか……道理で見えないわけですね」
幽霊
「しかも、この地に縛られておるのじゃ」
美樹
「(いわゆる地縛霊ってヤツですか……?) ……要するに 退屈なんですか?」
幽霊
「……今まで、儂に向かって退屈かと聞いたのはお主が初 めてじゃ」
美樹
(幽霊って基本的に退屈しているんだろうか? 琴さんの 時もそうだったし)「そうかもしれませんね」
幽霊
「じゃがな、儂が苛立っているのは退屈だからではないっ! 断じてないっ!」
美樹
「どうしたんですか?」
幽霊
「儂は暑いのが嫌いなんじゃっ!」
美樹
「……はぁ」
幽霊
「そもそもじゃな……(中略) ……というわけじゃ」

その間、約20分。

美樹
「要するに、クーラーの室外機から吹き出す風が熱い、と いうわけですね」
幽霊
「その通りじゃっ! あれをなんとかせいっ!」
美樹
「……そうですね……、(冷蔵庫に氷の作り置きがありま したね) 氷でも持ってきてあげましょうか?」
幽霊
「おぉっ、それはかたじけない」

翌朝

翌日、開店直後のベーカリー楠。美樹以外は誰も来ていない。

美樹
「……てなことがありましてね」
観楠
「で、どうしたんですか(汗)?」
美樹
「あとで、おんなじ場所に氷持っていってあげましたが」
観楠
「えっと、美樹さん……」
美樹
「ご老人は大切にしなくてはいけませんからね。あ、店長、 コーヒーお代わり頂けませんか?」



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