松蔭堂、夏の平日の午前中。閉め切った四畳半には、蒸れた空気が澱んでいる。うだるような暑さの部屋の中に、人間が二人。
訪雪は畳に敷いた茣蓙に仰向けに寝転がって、天井を見上げている。
ユラは文机に肘をついて、ぬるくなった麦茶のグラスを弄んでいる。
- ユラ
- 「……暑いわね」
- 訪雪
- 「確かに。窓を開けて風を入れるかね? それとも、ここ
を撤収して客間へ移るか」
- ユラ
- 「窓を……いいわ。私が開ける」
からり、と開けた窓から、街の音を乗せた風が吹き込む。首筋から胸元に流れる汗が、風を浴びて冷えてゆく。
- 訪雪
- 「いい風だ……こんな部屋に篭っとったのが馬鹿みたいだ」
- ユラ
- 「好きで篭っていたくせに(苦笑) ……本当に、物好きね。
『松蔭堂さん』……訪雪」
- 訪雪
- 「君だって、ひとのことが言えた義理じゃなかろうが。一
体何だって、こんな時間にのこのこ現れたのかね?」
- ユラ
- 「別に。今日はただ、実験から逃げたかっただけ」
会話の間、視線を交わすことは決してない。いつもの通りに。
- 訪雪
- 「君はいつもそんなだなぁ、ユラ……リスキーなことを平
気な顔でやってのける」
- ユラ
- 「これの何処が、リスキーなの? 誰にも迷惑はかけてい
ない。隠すべき相手もいない……お互いに」
- 訪雪
- 「今まで隠し通してきとることは事実だろう。
隠しとるのは、自分の外面、周りに要求された役割を守りたいからだろうがね」
- ユラ
- 「ふうん……(複雑な笑い)
いつも見せてる『少し変わってるけど人はいい親父』の顔、あれは嘘なの?」
- 訪雪
- 「嘘……じゃ、ないな。むしろあっちのほうが地に近い。
だがあれがすべてじゃない」
- ユラ
- 「いまここにいるあなたも、すべてじゃないわけね」
- 訪雪
- 「いまここにいる君と同じにね。
こんなことくらいですべてを解りあえるなんぞと、真顔で口にできるのは、よっぽどの馬鹿か、でなきゃ」
汗をぬぐった指の間から、ユラの横顔を見上げて。
- 訪雪
- 「嘘つき、だよ」
茶の間の方で、建具ががたりと鳴る音がした。
- ユラ
- 「誰か来たわね」
- 訪雪
- 「うむ。窓からってことは、ゆずちゃんでなきゃ泥棒さん
だな。どっちにせよ迎えに出にゃ……これ、忘れるよ」
体を起こし、畳の隅に丸まった白衣を、ユラの方にぽん、と放ってよこす。
- ユラ
- 「(立ち上がりながら白衣をキャッチして) ありがとう。
もっとも、言われなくても忘れやしませんけどね……『松蔭堂さん』」
- 訪雪
- 「こりゃ失礼……全く、十分なおもてなしも出来ませんで。
よかったら、もう少し茶でも飲んでって下さい。『小滝さん』」
障子を開けながら、顔を見合わせて笑ったときには、既に二人とも、店主と馴染み客に戻っている。
- ユラ
- 「いえ、これからまた、実験がありますので。麦茶とお菓
子、ご馳走様でした……今度クッキーでも焼いて持ってきますね」
- 訪雪
- 「そりゃあ有り難い。是非一度、ご馳走になりたいもんで
すな。うまい茶を用意してお待ちしてますよ。
(茶の間に入りながら) ああ、いらっしゃいゆずさん。小滝さんが茶飲みに来てたんだが、ちょうど入れ替わりに帰っちまうんだそうだ。残念だねぇ……」
- ユラ
- 「……(小声で) 大嘘つき(苦笑)」
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