エピソード622『夏睡魔』


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エピソード622『夏睡魔』

登場人物

平塚花澄(ひらつか・かすみ)
本屋の店員。周囲を春にする異能を持つ。
店長
本屋瑞鶴の店長。花澄の兄。
譲羽(ゆずりは)
人形に宿る木霊。
小滝ユラ(こたき・ゆら)
グリーングラスの店員にして薬学部院生。
マヤ
ユラの飼い猫。
狭淵美樹(さぶち・みき)
書物中毒な医学生。

瑞鶴にて

五時半。

花澄
「……眠い」
店長
「熱帯夜続きだからなあ」
花澄
「あ、そうなの?」

ばこっ。

花澄
「……だから何でそこで殴られないといけないの!?」
店長
「お前みたいに年中温度調節が効いてる奴に、俺の苦しみ は分からん」
花澄
「だからって」
店長
「要するに、お前が眠いのは自業自得ってことだ。今日は もう終わりだろ。譲羽連れて帰ってさっさと寝ろ」

と、言われても。

花澄
「ゆずの服、縫いおわってないし」

どこで遊んでいるのやら、このところ連日木霊は埃だらけになって帰って来る。さすがに今日は、一緒に連れてきてしまったのだが。

花澄
「お茶でも買って帰ろうかな」
譲羽
『ユラさんのとこ、行くの?(わくわく)』
花澄
「遊びに、じゃないのよ。すぐ帰るんだから」

目覚めの茶は……

花澄
「こんにちは」
ユラ
「こんにちは、花澄さん……」
花澄
「……何だか眠そうですね」
ユラ
「このところ、夜眠れなくって(苦笑)」
花澄
「暑くて、ですか?」
ユラ
「いえ、実験が……あのネズミ達のせいでっ!」

ユラ、思わず握り拳。

花澄
「……ねずみ、ですか(一歩下がる)」
ユラ
「あ、いえまあ(汗) ……今日は、何か?」
花澄
「あ、そうだ。目の醒めるお茶ってあります?」
ユラ
「目の醒める……ええと、ここら辺かな?」

計って袋に詰める手元を見ながら。

花澄
「で、同じものを……もしよければ今、一杯頂けませんか?」
ユラ
「花澄さんも眠いくちですか?」
花澄
「ええ、まあ(苦笑)」
ユラ
「じゃ、御一緒します。私も眠くって」

こぽこぽと眠気を誘う音と一緒に、香茶がカップに注がれる。

花澄
「あ、おいし」
ユラ
「どうも……ああ、それにしても」
花澄
「ねむい、ですねえ……」

そして、沈黙。
 暫し後、微かな物音と一緒に。

マヤ
「……にゃあ(……何これ?)」
譲羽
「ぢい(二人とも起きないの)」

壁際の席に座って、壁にもたれたまま眠っている花澄と、二つのカップを器用に避けて、テーブルに突っ伏しているユラと。

マヤ
「にい(……駄目だわこれは)」
譲羽
「ぢいぢい(退屈なのにぃ)」
マヤ
「にゃあ?(だってあんた起こせる?)」
譲羽
「……ぢぃ(無理みたい)」

そしてゆっくりと西日が薄れてゆく中で。猫と木霊は揃って溜息をついた。

客、きたれど……

そのころ、グリーングラスの店頭には来客が……ファンシーなグッズ類を横目に、計り売りのカモミールティーとアップルティーの値札とにらめっこしているのは、狭淵美樹である。

美樹
(うむ、カモミール100グラムに、アップルティー200グラ ム。これぐらいあれば、しばらくは持つでしょうし)

財布の中身との相談がまとまったらしい。しかし、レジには誰もいなかったりする。

美樹
「(店の奥に向かって) すいませーん」

……返事はありませんね。はい。

美樹
「すいませーん?」

そう声をかけながら、店内へと入っていく美樹。そこでは……

美樹
(女性二人……まさか……倒れている?)
美樹
「失礼」

一言声をかけて、触れないように、二人の顔を覗き込む。

美樹
(顔色は悪くないし……眠っておられるだけですね、これ は……。しかし、よく寝ておられる……起こすのが気の毒ですね……ん? 確か、こちらの女性には見覚えが……)
マヤ
「にゃーぁ(だれ、あんた。客?)」

足元からの猫の鳴き声に気付く。

美樹
「おや」

美樹は、しゃがみ込む。マヤの目をじーっと見つめる。見つめる。見つめつづけている。

美樹
(ここの店の猫かな……)
マヤ
「みゃ?」

3分間ほど経過したあと、マヤが目をそらして美樹の足元を通り抜けていく。それを視線で追ってふりかえる。譲羽が、そこにいる。

譲羽
「じぃ」
美樹
「?」
譲羽
「じいじいじい」

むろん、美樹に理解できようはずがない。何か訴えかけようとしているのは判るのだが。

美樹
「(これは……どうしましょうか?)」

眠れる森の美女たち

譲羽をしばし見つめた後に、しばし考えて、立つ。壁にもたれて眠っている花澄と、テーブルに突っ伏して眠っているユラとを等分に眺める。

美樹
「(……夕方五時半か……これだけよく眠っていらっしゃ るのを起こすには忍びないですねぇ。この気温なら風邪も引かないでしょうし。
取りあえず、テーブルの上のカップだけは、片付けてさしあげた方がいいかもしれませんね……こちらの方が動かれた時に、落ちて割れでもしたら気の毒ですし)」

そう考えて、テーブルの上の真っ白い陶器のティーカップに手を伸ばす。その拍子に、テーブルが、カタリと少しゆれる。

ユラ
「……ん?」

ユラがその物音に気付く。

美樹
「(あらら、起こしてしまいましたか) あ、失礼」
ユラ
「え……あれ、お客さんですか、すみませんっ」

勢いよく立ち上がった弾みで、今まで座っていた椅子が後ろに倒れる。ばたん、という音に、猫と木霊が飛び上がった。

ユラ
「あ、あ、すみません……あら?」

その視線が向かいの椅子のところで止まる。

ユラ
「熟睡してる……(苦笑)」
譲羽
「ぢいぢいっ(かーすみっ!)」
美樹
「すいません。起こしてしまうつもりはなかったんですけ ども……申し訳ない」
譲羽
「ぢいぢいぢいっ!(ゆずは起こしたいのっ!)」
ユラ
「駄目よゆずちゃん、花澄さんせっかく寝てるんだから…… あの、それで……?」
美樹
「あぁ、わたしは狭淵と申しまして……って、そうじゃあ りませんね。ようするに、一応客なんだと思いますけど」
ユラ
「あっ、すみません」
美樹
「そういうわけで、向こうのハーブティー、計り売りして いただきたいんですけど」
ユラ
「はい」

協力者、無し。
 しかしそこで諦めるほど譲羽もやわではない。後の二人がレジの方角へ移動したのを見計らって、譲羽はぴょんと飛び上がり、花澄の耳元まで移動した。

譲羽
「ぢいぃっ!」
花澄
「!」

……これで起きなければ、相当である。

花澄
「あ、寝てたんだ……ええと、ユラさん……あ、」

どうも、まだ半分くらいは睡魔に取りつかれているらしい視線が止まった。

花澄
「ええと、狭淵さん、ですよね?」
美樹
「はぁ(……確かに見覚えがある、確かにあるんですが……)」

曖昧な返事を返しながら、必死にその顔を脳裏で検索している。活字になっていないと検索効率悪いぞっ! 

花澄
「何か兄……店長が、面白い本が入ったって言ってました ので……またどうぞ、いらして下さい(ぺこり)」
美樹
「それはどうも」

咄嗟に瑞鶴のことを言い出すあたり、店長が聞いたら感涙もの……かどうか。言うだけ言うと、花澄はふらふらと立ち上がり、前進しはじめた。

美樹
「(そうでした。この雰囲気は瑞鶴の店員さんではないで すか)」
花澄
「それじゃユラさん……」
ユラ
「え……あ、待って花澄さん、お茶忘れて……!」

ごつん。

花澄
「……ったっ」
ユラ
「だ、大丈夫ですか?(汗)」
美樹
「(何故、不透明な壁にぶつかるんでしょう……透明なガ ラスの壁にぶつかるんでしたらよくあることですが……)」
ユラ
「花澄さん……あの、もう一杯、お茶、いかがです? 今 度こそ完璧に目の醒めるお茶。あの、狭淵さんもよかったらご一緒にどうぞ」
美樹
「え、あ……よろしいんですか?」
ユラ
「ええ、さっきは失礼してしまいましたし」

首だけ振り向けてにこにこといいながら、花澄を助け起こそうとする。が……

マヤ
「ふみぃぃぃ……(ユラってば、それじゃ無理だって。自 分でスカートの裾踏んでるじゃない)」
ユラ
「……あ……わたしったら!!(汗)」

ミントの香り

どうにか三人がテーブルにつきなおし、ユラはガラスのポットにお茶をいれ始める。

花澄
「あれ、レモンのかおり……」
ユラ
「レモングラスなんです。味はミントがベースだから、今 度こそしっかり起きられると思う(笑)」

さらっとした風が吹き込む。窓の外はほの青く暮れて、屋根の上にはちょうどレモンのような月。ちりちり、と、ガラスの風鈴が鳴る。

ユラ
「はい、どうぞ」

氷を入れたグラスに、うすみどりいろの香茶。風鈴に答えるようにグラスの氷が鳴る。

美樹
「や、これはどうも……あ、美味しいですね」
花澄
「……ああ、ようやく目が醒めた……」
ユラ
「……よかったぁ。……あ、ところで花澄さん、お茶、持 ちました?」
花澄
「ええ、今度こそしっかり(苦笑)」

しばらくして。
 日暮れた道に、ドアひとつぶんのやわらかな灯りがこぼれ出す。

ユラ
「どうも、ありがとうございました」
花澄
「いえいえこちらこそ」
譲羽
「ぢぃ。(ユラさんありがと)」

譲羽の手には、さっきユラが庭から摘んできたふうせんかずらの”風船”がみっつ。

美樹
「風船草ですか……そういえば、なかなか珍しい薬草があ るんですね。このお店は」
ユラ
「え、判りますか?」
美樹
「ほんの少しですよ。実家が漢方医でしてね。わたしは家 を継がなかったんで、ただの門前の小僧なんですけどね」
ユラ
「あ、そうなんですか」
美樹
「あ、おいしいお茶、ごちそうさまでした」
ユラ
「狭淵さんも。これからもよろしかったら寄ってください な」
美樹
「えぇ、またぶらりと寄らせていただきますよ。それでは」

人影はそれぞれに別れていく。
 昼間の暑さを吹き払うかのように風の立った、夕暮れ。



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