エピソード624『空を見る話』


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エピソード624『空を見る話』

ある晴れた昼下がり、猫が一匹河原を歩いていた。

「ふにぃ……(マサヒロどこに行ったんだろ)」

昼休みはたいていベーカリーにてパンを購入する時間なのだが、今日はいくらまっても来ないので探していたのだ。
 で、もはやこの河原以外に探す場所はないのである。

「に?(あ、あれもしかして)」

河原のすぐそばの丈の低い草が密生している所に一人の人間が寝転んでいる。

「みぃ(あ、やっぱり)」

予想通り大河だった。手を枕にし目を閉じている。
 テトテトと近寄ると……。

大河
「萌か……?」
「起きてたの?」
大河
「ああ……」

大きなあくびをする、小学生の頃担任に「馬みたいな大あくびだね」と言われた奴だ。実際あごが小さく「かくっ」と鳴る事もある。

「今日はなんで来なかったの?」
大河
「言ってなかったっけ? 今日は午前で終わりだぞ?」
「あれ?」
大河
「忘れてたな」
「……それよりこんなとこで何してるの?」
大河
「空をな、見てるんだよ」
「目を閉じて?」
大河
「そうだよ(微笑)」

萌はしばらく青く澄んだ空と大川を交互に見ていたが、

「ふみぃお」

と鳴き、首につけた鈴を鳴らして人間に変身し大河の真似をして横になった。
 その鈴は大河が作った物で合い言葉とともに鳴らすと三秒間持ち主に向けられた視線を逸らすという物だ。
 そよ風が吹き、草がそよぐ、暖かな陽の日差し、川のせせらぎ、大地の静けさ……。そんな「世界」を感じながら萌はとても安らいだ気分になっていた。

「(空を見るってこんな感じなのかな……?)」

がさ。がさがさがさがさ。草をかき分ける音が近づいてくる。

「……?」

起き上がろうとした萌の上に、ぬっ、と人のかたちの影が差す。

「ふぎゃあああっ(どびくうっ)」
訪雪
「あ……失礼。驚かすつもりはなかったんだが」

濃い灰褐色の和服を着て、長い髪を首筋で束ねた中年男。顔の縁に伸ばし放題にした髭が、なんとも暑苦しい。
 そのまま、大河と萌の脇にしゃがみこんで、二人の顔をまじまじと見比べる。

「にぃ(誰?)」

あからさまに不審そうな眼差し。くつろいでいるところを知らないおやぢに乱入されたのだから、無理も無い。

訪雪
「まぁ、そう怪しまなくても。別に昼寝の邪魔をするつも りはないよ」
「うにゃ(変なの)」

視線が気にはなるが、害はなさそうなので、男のことは放っておいて、萌はまた元のようにごろりと寝転ぶ。
 男は萌の視線を追って、ひとり納得したように頷くと、一人と一匹の脇に腰を下ろして、同じように空を見上げはじめた。
 そして……一刻、草を踏む音が聞こえてくる。

「みゃ?(また誰か来た)」

草陰から見える、目深にかぶった帽子、草色の上着。ギターをしょって、釣竿を手にした金髪の少年。

訪雪
「おや、君は」
「みゃう!(ギターの人だ)」

草をかき分けて現れたのは、佐古田。二人と一匹の姿を見据えると、萌に笑顔を向け、訪雪に軽く会釈をし、大河の顔を一瞥する。

訪雪
「また、釣りかい」
佐古田
「(無言で頷く)」
「みぃ(釣れたらちょうだい!)」
佐古田
「みゃう、にぃにぃ?(ああいいよ、萌達は何をしてた?)」
「うにゃ……にぃ(空、見てた)」
佐古田
「みゅう……(空……か)」
訪雪
「(はじめて声を聞いたな……しかも猫と話しとる)」

普段は無愛想で無表情な佐古田が、萌に笑いかけている。

訪雪
「(笑った顔もはじめてみたな)」
佐古田
「うみゅみゅ(そこに寝ているのは誰?)」
「にゃあ(マサヒロ、萌、マサヒロのお嫁さんになるの)」
佐古田
「にゅ(そうか)」
訪雪
「(まったく会話がつかめんな)」

釣竿をおろし、草の上に腰を下ろす。

訪雪
「釣りはいいのかね」
佐古田
「じゃん(……少しだけ、空を見てから)」

ギターを置き、寝転がる。

訪雪
「そうか……儂も、たまにはゆっくり空を見るか」

ごろん……と、大河、佐古田にならって河原の草原に転がる。

「にぃ?(みんな寝ちゃった……)」
草の上に並んだ三人を、首を傾げて見比べる。

「これって……そんなに、楽しいのかなぁ」

萌もまた、元の場所に寝転がる。
 空の青を網膜に灼きつけて、目を閉じる。瞼の血管の透けた赤の、そのまた向こうに、空の青がある……
 周囲の草をさわさわと揺すって流れる、風の音。その風が、すこし澱んだ水の匂いを運んでくる。

SE
「……ぐぅ」

どうやら一人ばかり、本格的に寝入ってしまった人間がいるらしい。上半身を起こして見回してみたが、萌の目には誰が寝ているのか、まるで区別がつかなかった。
 そして更にまた一人。

夏和流
「こんにっちわ」
「あ、三河さん」
夏和流
「なんだか、たのしそーですけれど、どしたんですか?」
「わかんない。みんな、空を見てるの」
夏和流
「……空かぁ……」

つられて見上げる。

夏和流
「……ふふっ」
「なにが楽しいの?」
夏和流
「んー……なにが、って聞かれると、僕にもわかんないや。 でも」
「でも?」
夏和流
「(空は綺麗……だなんて、言うの恥ずかしいぞ)……あっ、 あの雲、面白い形してる」
「あ、本当だ」
夏和流
「……とまあ、こういう楽しみも、あるんじゃないかなぁ」
「ふうん」

しばらく、やれ鯨に似ている、やれおいしそうなパンに見えるだの、雲の形を楽しんでいた。



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