エピソード626『奇病』


目次


エピソード626『奇病』

序章

吹利学校大学部医学部図書館。
 かんかんかん……足音が赤錆の浮いた鉄階段を登ってくる。

ユラ
「吹利薬剤師会誌、吹利薬剤……と。あれ? まただ」

腕いっぱいに文献をかかえたまま、ユラは足をとめた。ぎっしり並んだ黒革背表紙の中に、ぽこりと一冊分が空洞になっている。吹利医誌・増刊号、第四巻。その場所が埋まっているのを、ユラは見たことがない。

ユラ
「よっぽど借りる人が多いのかなあ……」

だが、今探しているのは、それではない。文献の重みに抜けそうになった肩をゆすりあげると、ユラはまた歩き始めた。

文献不在

ユラ
「あ”あ”あ”もうこの腐れデータベース!! まぁったく 役に立ちゃしないんだから!!」
「そりゃなぁ、農学部に来て、医学関係の調べものしようっ ていうお前さんが悪いんだと思うけどなあ」

指が折れるかキーボードが壊れるかという勢いでリターンキーを叩きつけるユラのそばで、一が呆れたようなため息をつく。

ユラ
「そんなこといわれなくたってわかってるわよ。でも、医 学部のも薬学のも理学部のも文学部心理学科のも全部調べてきたあとよ。そこにもってきてあんたが、”農学部図書館のデータが一番無節操でいろいろ入ってる”っていったんじゃないの」
「そりゃ言ったけどさ、他学部の備品壊さんでくれよ」
ユラ
「だいたい教授もむちゃくちゃなのよ。あたしって、何!?  ただの一学生よ。それにこんな仕事させるなんて!」
「良く言うよ。どこがただの一学生だよ」
ユラ
「どうでもいいわよ。人の生き死にがかかってるかもしれ ないってのに、あの根性曲がり文献、でてきやしない!」
「わかったからもうちょっと落ち着いて操作しろって。そ れじゃ見つかるもんもみつからないって」
ユラ
「……ま、そうなんだけど……。あ、やっぱりだめだわ。 全検索かけたんだけど、抄録しか入ってないや。ごめん、邪魔したわ」

つい、と席を立つ。とがった口調とはうらはらに、驚くほど生気に欠けた顔。

「ああ。……ところで、どうでもいいけど、ちゃんと飯食っ て寝ろよ。そのうち、死ぬぞ」
ユラ
「万年欠食学生に言われたくないわよ……さんきゅ」

ぱたぱた、と手を振って、部屋を出てゆく。

「医学薬学系は……なぁ」

ため息。実験台として、”そのへんの関係者”をやってはいるものの、ときどき理解できなくなる。ま、”あれ”に関しては理解のしようもないか。
 一方、ユラはユラで頭を抱えている。
 奇病。
 記憶が削れていく、という奇病。
 記憶、というより、人格が時間軸に逆行して削れていくといったほうがいいかもしれない。
 進行速度はまちまち。個人差が大き過ぎて一般化できない。ある時点までくると、人格の剥落はとまる。だが、何年遡って止まるか、それも特定できない。
 なんせサンプルがすくなすぎてなぁ、とつぶやき、そのあと、多けりゃ多いで大変だけど、と言いたした教授の顔を頭の中から追い払う。
 病院の精神科にやってきた奇妙な症例。最初は誰も気にしなかった。
 だがそれが三例になり、五例になれば、噂にもなる。
 プロジェクトチームが組まれた。それに至る詳しい経緯はユラは知らない。
 風土病、だったかもしれないんだ。
 それに関する資料は、書かれている。
 だが、紛失している。あるはずのところから。全て。
 吹利医誌・増刊号。vol.4。

ユラ
「あああもう、頭に来る!! 患者に会わせてもらえるわけ、 じゃなし資料も何もなくて、どうやって治療方針を考えろって!?」

口の中でぶつぶつ言いながら、鞄の中のリストを引っ張り出す。資料が全ての場所から失われているなんて、そんな馬鹿な。オンライン検索が無理なら、足で探してやる。

禁書

ユラ
「はい……はい、よろしいんですか? あ、ありがとうご ざいます。それではあの、これから早速伺わせていただきます……」

ざまあみろだ。さっそく、あたったかもしれない。受話器を置いて、ユラは小さく口笛を吹いた。
 リストの一番上、先輩の友人が昔やっぱり資料を探していて随分世話になった、という人に書名を告げると、あっさりと返事が返ってきたのだった。

美樹
「ああそうですか、大丈夫、こちらで見つかると思います よ。明日になると私も忙しくなりますので、何でしたら……」

というわけで、ユラは着なれないスーツなど着て、夕方の街を急いでいる。と。

ユラ
「あれ豊中?」

道の反対側を、見なれているはずの人間が歩いていく。

ユラ
「豊中……だよねぇ。っかしいなぁ、どうしたんだろ」

中肉中背、めだつ外見ではないが、見間違えるはずもない。だが、今日に限って、何かが違うような。ひっかかるような。
 だいたい、ユラが見ているのには気がついているふうなのに、軽口をたたいてくるでもなし。
 つい声をかけそびれ、そのまま歩いていく。ぼうっとしていたので、曲り角のショウウインドゥにぶつかりかける。

ユラ
「ううん……むこうが気がつかなかったのには一理ある気 もするけど」

ガラスに映った別人のような自分の姿に頭を抱えて見せ、どうもさっきから離れてくれない嫌な考えを追い払う。
 例の奇病の初期症状ってなんだっけ。
 背筋が寒くなってきたのを無視して、メモを見る。
 しばらくして、

ユラ
「道順、これでいいんだよね……っと、あ、あったあった」

ユラの姿を京大吹利生協のガラス戸越しに発見して、美樹は『古墳と先天奇形〜位置と相関〜』をショルダーバッグの中にしまい込んだ。自動ドアのステップに軽く足を置いて、扉を開けて迎え入れる。

ユラ
「あ、狭淵さん。お待たせしちゃいました?」
美樹
「いえ、さほどでも」

少々効きすぎの観のある冷房が、ユラの汗を引かせる。かすかな鳥肌。

美樹
「冷房、効きすぎてますか。書物にはいいですけど、人間 にはむいてませんね。なんでしたら、わたしの白衣でもはおってますか?」
ユラ
「あ、いえ、持ってますから」

ユラが白衣を着る。美樹はしばらく口をつぐむ。

ユラ
「で、早速なんですけど、例の文献は……」
美樹
「普通の文献でしたら、ここにコピーでも持ってこれたん ですけどね」

美樹は肩をすくめてみせる。

ユラ
「……普通、じゃないんですか?」
美樹
「えぇ、少々……いえ、かなり厄介な文献ですよ。そっち で座って話しませんか? ここのお茶、特製なんですよ」

「吹利医誌」それ自体はなんの変哲もない地方医学誌。近畿一帯のちょっとした医学系の図書館ならすぐに見つかる。だが、その増刊第4号だけは……どの図書館へ行っても、欠番、あるいは貸し出し中となっているはずだ。あの、京大医学部図書館でも吹利大学図書館でさえも。
 何故ならば、それは回収されたものだから。
 吹利中央病院跡地。厚生省の「特殊疾病研究センター」。研究センターと言いながら、そこに所属しているスタッフの論文が一般の学会誌に載ることはない。閉鎖的な組織で、関係者外の立ち入りは禁じられている。所在は判っても、美樹にはそこに回収された文献を合法的に入手する方法はない。
 京大農学部有志謹製「特製焙じ茶」を前に、美樹は話し始めた。

美樹
「とりあえず、何から話せばいいんでしょうね……」

異変

からんころん。ベーカリー楠のドアベルがなる音にも、喫茶コーナーの人影は動かなかった。

「こんにちはぁ」
観楠
「いらっしゃい」
秀人
「さすがに店の中は涼しいですねえ」

夕方とはいえ、まだ暑さは残っている。
 ……しかし、国家公務員がこんなところで油を売っていていいのか、秀人?

「あんドーナツとサンドイッチと……」
秀人
「晩飯はそれで終わりだな」
「えーっ、それないよ。今日はおかーさんいないから、お 兄ちゃんに食べさせてもらえって言われてるのに」
秀人
「だってなあ、俺はまたこれから基地に戻って晩飯に付き 合わなきゃいけないんだぞ」
「自分だけまともなご飯食べるなんて、ずっるーい」
秀人
「ずるくない。自衛隊のまずい飯を食いたいか?」
「……パス(^^;;」

米軍の飯よりはるかにマシな味という話はあるが、とにかくベーカリーのパンの方がずっと美味いのは確かである。

観楠
「自衛隊関係の方だったんですか(驚)」
秀人
「防衛庁の背広組なんですよ」
観楠
「神座基地のほうに?」
秀人
「出張してきておりましてね。……茜、俺にクリームパン 一つ」
「おっけー。あと紅茶」
秀人
「それとコーヒー。これでいくらです?」
観楠
「1050円です」

喫茶コーナーに移動して、茜ははじめて豊中に気がついた。

「まーちゃん、昼寝してるよ(^^;」
観楠
「さっきからずっと寝てるんですよねえ(^^;;」
秀人
「起きろ、雅孝」

軽くゆすった程度では起きる気配無し。茜、豊中を思いっきり揺さぶる。眠そうな顔でおきた豊中の鼻先に、秀人がコーヒーを突き出した。

秀人
「これ飲んで目を覚ませよ」
豊中
「ああ……うん」

カップを受け取り、ぼうっとした顔で座っている豊中。

「何か食べる? アンドーナツならわけたげるけど」
豊中
「……くれ」

片手にアンドーナツ、片手にカップ。寝ぼけ顔の豊中がもそもそと食べ終えた頃には、茜と秀人は自分の分を片づけおえていた。

秀人
「さて、そろそろ戻らないとな」
「そんじゃあたしも帰ろっと。また来るね、てんちょーさ ん」
観楠
「ありがとうございまし……」
豊中
「知り合いか?」

この一言に、一瞬、豊中以外の人間の動きが止まった。
 からんころん
 再びドアベルが鳴る。

「こっんにっちわぁ」

やたら陽気な声。

「あ、萌ちゃん……」
「あ、茜だぁ」

と、ようやく周りの雰囲気に気づく。

「どしたの、しんとしちゃって?」
大河
「こら、あんまり騒ぐんじゃない」
「(ぶー)」
大河
「あ、茜ちゃん、豊中さん、こんにちわ……」
豊中
「(無愛想に)こんにちは……ところで、どちら様でしょうか」
大河
「えっ……?」

大河と萌もまた固まってしまった。
 奥で宿題を片づけていた夏和流とみのるも、声をかけてきた。

夏和流
「あのー、豊中さん?」
豊中
「なんだ? ……おまえら、誰だっけ」
「まーちゃん、頭ん中が完全に熟睡してる(^^;」

困惑した表情の観楠。がしがしと頭をかき混ぜる秀人。が、秀人は大して困った顔はしていない。

秀人
「……本格的に寝ぼけているようですね。茜、じゃあ俺は 仕事があるから」
「お兄ちゃ〜ん(^^;」
豊中
「秀人、いつ就職したんだ!?」
秀人
「……(^^;; 雅孝、来いよ。帰るぞ」

豊中を半分引きずるように、秀人は出ていった。残った茜。

「どうしちゃったの? マサヒロのこと、覚えてないみた いだったけど。マサヒロってそんなに影薄くないよ(ちょっとふくれ面)」

萌、いささか心外であるらしい。頬を掻く茜。

「まあ、まーちゃんも寝ぼけてるときはとことんお間抜け だし(^^;;;」
観楠
「(間抜けというレベルは越えていたのでは(^^;))」
「ふぅん」
大河
「(しかし、寝ぼけているようには見えなかったんだがな あ……)」

首をひねる大河。その手から、擬似霊体でできた鳥が飛び立つ。豊中から取った少量の霊体を核に作られた物で映像の代わりに目標の身体(霊体を含む)の変化を記録していく物だ。

大河
「(俺を忘れている事はまだしも、親戚の事まで忘れてい るってのは不自然すぎるよな)」

崩壊

アパートに戻り、窓を開け放って扇風機をつけると、ジャケットを脱ぎ捨てただけで畳に転がる豊中。一秒後には眠っている。
 ……もともと、寝るとなったらすぐさま睡眠状態に移行する奴である。
 大河特製エーテル鳥が壁を突き抜けてその上に舞い下り、溶けるように消えるところは、誰の目にもとまらなかった。
 いや、それを認識した人間は3人いる。鳥の製作者大河と、豊中。

大河
「(さて、申し訳ない話なんだが……あれ?)」

鳥は通常空間とは異なる、異質な空間にいた。半径5メートルほどの、非物質の壁に囲まれた閉鎖空間。鳥はそこの壁を突き抜けて、中を舞っていた。
 球形空間の一番底には、「現在封鎖中」とでっかく書かれた紙(のように見えるもの)がべしっと張ってあり、それを腕組みして見ている豊中がいた。いや、それともう一人。

大河
「(あれも……豊中さんか)」

腕組みしている豊中より、はるかに若い豊中。こちらはふくれっつらである。

大河
「(2人いる?)」

鳥が腕組みしている方に接近。が、その前に若い方が手を伸ばして鳥を掴まえる。良く見ればこの空間、上下左右が無い上に、移動速度は内部の存在の精神力に比例するらしい。

豊中(年下)
「なんだ、こいつは」
豊中(年上)
「お前が作ったんじゃないのか? ……いや、少々違うな。 核になっているのはここと同質のようだが、周囲は別物だ」
豊中(年下)
「侵入者か。殺す」

鳥の首をひねろうとする若い方。その手から、鳥をひったくった小さい手があった。これまた豊中に良く似た、ただし十歳前後の少年である。

豊中(最年長)
「α?」
少年(豊中α)
「これ、僕がもらうね。βもγもこの子いらないんでしょ?」

鳥を抱えて頬擦りする……のはいいが、しかし鳥が目を白黒させてるぞ、α。

γ(最年長)
「リリースしてやれ、α(呆)」
α
「(じと目)」

大河は鳥をαの腕の中から脱出させる。壁に一個所だけ突き出したスピーカーのようなわけの判らない代物の上に鳥は着地。

居候
「糞はせんでくれよ」

鳥の事を忘れ、また何か議論に戻るγとβ。αが鳥と居候のそばにやってきた。

α
「喋れるよね?」

どうして鳥が喋れるなどと思うのかは謎である。大河は少々迷ったが、応答する事に決めた。

鳥(大河)
「もちろん。しかしここは?」
α
「僕の中」
居候
「判りやすく言うとな、この若いのが作った精神空間の中 じゃわい」
「豊中さんの? しかし、3人いますね」
α
「もともと3人だから」
居候
「最近は一人にまとまっておったのだがのう」
「異変はいつから?」
居候
「若いのが良く寝るようになってからだな」
α
「僕知らない。けど、記憶は見られるよ」
「プライバシーの侵害になるなあ」
α
「大丈夫だよ、僕たちも記憶は3人で共有してるんだ」
居候
「ちっとは気にせんかい(^^;;」

気にしないα。鳥を手招きしたαに、鳥が飛んでαの肩に着地。
 αが非物質の壁に片手を突っ込み、何かを取り出した。光と音のパターンに変換され、一瞬で再生終了。

α
「どう?」
「きれいだけど、それは?」
α
「一番最初の記憶」
「?」
居候
「その一番若いのは、日本語はほとんど話さんのだよ。だ から」
γ
「αが読める形態で記憶を再生してしまうと、俺達にも理 解できない」

いつのまにかやってきたγが、話に加わる。
 現実世界の豊中に一番近い年齢のようだが……20代半ばにはなっている。大した違いがあるわけでもないが。

「(?)」
γ
「知性はあるか。核になっているのは俺のようだが……外 部の意志の干渉を受けているな。害は取り合えずないようだが、排除した方がいいかもしれん」
大河
「(いきなり排除かい、結構物騒だな……、そうでもない かな?)」

自分が同じ目にあったらやはり排除するだろう。

大河
「(α……、β……、γ……、三人の人格があってもう一 人は部外者か……、何だってこんなことに……)」

どうやら大河は人格が逆行するのではなく人格が増えてその影響で記憶が混乱してると思ったようだ。だが無理も無い話とはいえる。
 しかし、

メイ
『(大河……本体に) 解析がおわったよ。なんか、精神構 造が「若く」なっているみたい』
大河
「(若くなっていく? じゃあ昔の豊中さんは三人いたわ けか……? あるいは……)
ちょっとお邪魔したら、後は自分で出て行きますから
それに、僕を無理に排除するとあなたがたに深刻な影響がある恐れがあるんですよ僕の核はあなたたち自身なんでね」
γ
「……一理あるな。言い方は気に食わんが」
α
「気にしすぎだよ……」
大河
「すみませんね、人生経験が不足気味なもんで(苦笑)」

不意にα、γの動きが凍る。割と明るかった空間が、うす暗くなった。
 淡く光っていた非物質の壁の一部が光を失い、灰色の見るからに硬質な異質のものに変化する。

大河
「(あの部分は?)」

近寄って、鳥のくちばしの先でつついてみる。硬い。

α
「あ、鳥だ」

動き出したαが、鳥を見て声を上げる。

γ
「妙なものを作ったな、α」
大河
「(覚えていない!?)」
α
「僕じゃないよ」
γ
「じゃあ、誰だ? βか。いや違うな。核は俺だが、それ 以外の部分で外部の意志がまじっている」
居候
「客人じゃわい。茶ぐらい出さんのか、γ」
γ
「ここに茶なんかあるかよ(苦笑)」
メイ
『(大河……本体に) 変質した部分が異変の原因である確 率は90%以上ね』
大河
「(メイに) しかし、下手に調べるとプライバシーの侵害 になるからなあ」

しばし考えて、大河はもう一人の傍観者を思い出す。

大河
「(居候にむかってこそこそと) すみません、あの変質し た部分は何なんでしょう? お差し支えなければ教えていただけませんか」
居候
「ああ、あれかね。若いのはあのあたり一帯を書庫とよん どるよ。ようは記憶じゃよ」
大河
「すると、あの変質した部分は……」
居候
「光っていない部分は全部、使えない場所らしいのう。ま あもっとも、書庫の記録を読めるのはあの三人だけじゃが。試しに見てみるかね?」
大河
「いえ、それはいくらなんでも」
α
「見る? これだよ」

無造作に記録を引っ張り出すα。今回は変換をかけていない。……が、本のように見えたそれに記録されていたのは、文字情報ではなかった。

大河
「……読めませんね」
居候
「じゃろ? あまり気にする事もない、何も無いところだ がのんびりして行ってはどうかね、お客人。様子を見に来たんだろう?」
大河
「まあ何が起きているのかは判りましたから、次は原因を 探りたいですね」

笑えない話

SE
 ひたひたひたひた。
せかせかせかせか。
ばたばたばた
ささっ。
豊中
『……また出たな(うんざり)』
居候
『物好きだのう(呆)』

全方位探知、マッピング完了。障害物、六時の方向五十メートルから接近中。生協で買ったばかりの本を小脇に抱え、いきなりダッシュする豊中。走ってみると、それなりに速い。
 生け垣をひょいと飛び越し、最短経路を突っ切って工学部電子工学科の建物へ。ビルの正面玄関から中に入ると、非常口に回って外に出る。

豊中
「やれやれ(溜息)」
江連
「何やってるんだよ、豊中」
豊中
「……お前こそ何をやってるんだよ」

女連れの江連に出くわした。女はクラスメートのなかの貴重な女子学生(彼氏無し)の一人。

江連
「見りゃわかるだろ」
豊中
「わからん。別につきあってるわけじゃないだろうが、お まえら」
江連
「どうしてそう言い切れる」
豊中
「おまえはとにかく、矢部がお前をなんとも思ってないの は一目瞭然だぜ」
矢部
「へえ、当たってるじゃない」

当たって当然である。

豊中
「まあな。……あちゃあ」

視界内に入ってきた人影一つ。矢部が豊中の視線を追い、にやっとする。

矢部
「もてる男はつらいわね」
豊中
「あんなのにもててどーすんだよ」
矢部
「あら、男冥利に尽きるじゃない?」
豊中
「尽きないって(汗)」

逃げ出すより速く、相手が駆け寄ってきた。そして。

「ちょっとあんた、他人の彼氏に手を出さないでよ!」

矢部に向かってヒステリックに叫ぶ女。矢部は気分を害した様子もなく、わざとすっとぼけた顔。

矢部
「誰が誰の彼氏に手を出したって?」
「あんたが豊中さんに手を出したって言ってるのよ! 自 分の男の目の前で二股かけるなんて最っ低よ」
矢部
「ねえ豊中、このガキんちょ、誰?」

きつい性格で有名な矢部に真っ向からつっかかる女を、矢部はどうやらからかいたくなったらしい。

豊中
「ガキか、たしかにガキの独占欲だよな(笑) UFO研究会 の……」
「そんな女と話さないで!」

腕にしがみつこうとする女を、豊中は回避した。

豊中
「俺が誰と話そうと俺の勝手だ、失せろ」
「そんな言い方ってないでしょ?」
豊中
「あるね。お前はただのお邪魔虫で、矢部はそうじゃない。 その矢部と俺が話しているときに、たかがお邪魔虫風情にぎゃあぎゃあわめかれるのは迷惑だ」

冷ややかに言い切る豊中。

江連
「お前も俺にとっては邪魔だ」
矢部
「あたしにとっては違うわよ、江連。彼氏気取りはやめて よね」
江連
「なんだよそれ」

不機嫌な江連。図星なだけに、よけいむかっときたらしい。

矢部
「そのまんまの意味よ。豊中、お昼は食べた?」
豊中
「いや、まだ」
矢部
「じゃ、行こうか」
「だからあたしの豊中さんに手を出すなって言ってるのよ!」

矢部につかみかかろうとして、女は逆に矢部に腕をねじ上げられた。

矢部
「あーあ、みっともないわよねえ。江連とUFOの話でもし てれば」

江連の方に女を突き飛ばしておいて、矢部は豊中と並んで歩き出した。

豊中
「助かったよ」
矢部
「ふふ、これで貸し一ね。……って、あたしの方もちょう ど良かったけど。それにしても、ずいぶんな子に目を付けられたわねえ」
豊中
「なんだかなあ(溜息)。まあとにかく、デザートくらいは 奢るよ」
矢部
「ありがと(にっこり)」
豊中
「なに、大したことじゃ……ちっ、追ってきたか」

振り返りもせずに言う豊中。矢部が振り返り、呆れる。

矢部
「ほんっとーにしつこい子ねえ」
豊中
「蛇みたいに執念深いんだよな」
矢部
「それ、蛇に失礼よ」
豊中
「じゃあ、何に例えるのがいいかな」
矢部
「召喚儀式の最中のUFO屋」
豊中
「というと?」
矢部
「来るわけのないものをえんえんと待ち続ける」
豊中
「たしかに当たってる」

学食ではなく、外の喫茶店に入る。店の一番奥、二人掛けのテーブルへ。注文した後、豊中は思わず大きく溜息。

矢部
「どしたの?」
豊中
「いや……」
矢部
「とりあえずあの子、席は離れてるわよ」

二人掛けのテーブルにしたのは、あの娘を近寄せないためでもあった。四人掛けのテーブルに着こうものなら、問答無用で相席しただろう。

豊中
「まあ、それだけが救いかな」
矢部
「でも、あの子が近くにいるとそれだけでいや、って?」
豊中
「まーな」
矢部
「鋭すぎるのも善し悪しだよねえ」

豊中がエンパスであることを自覚したきっかけになっただけあって、矢部も相当に鋭い感性の持ち主である。
 ……豊中の能力について、知っているかどうかは定かではないが。

矢部
「これで何カ月くらいになるの?」

チキンソテー定食を食べながら、矢部が聞いてきた。

豊中
「うーむ……三月くらいからだったな……いや、バレンタ インデーにチョコを持ってきたから、それからか」
矢部
「きっぱり振ったこと、ある?」
豊中
「あるんだがね……どうもあの手の人間は苦手で」
矢部
「豊中でも、苦手な事ってあるんだね(くす)」
豊中
「俺だって人間だからね(苦笑)。でも、俺のどこがいいん だ?」
矢部
「自分で言っててどうするの(笑)」

結局そこに二時間居座った結果、女の方が先に戻っていった。
 さて一方、UFO研究会の二人は。

「江連先輩、先輩の力を使ってどうにかできないんです か!?」
江連
「豊中をか?」

ぶすっとふてくされる江連。

会員A
「この間の見学者か」
「そうじゃなくって、豊中さんについている虫の方ですっ!」
江連
「…………」
会員A
「虫はとにかく、あいつを陥とせればいいんだな?」

頷く女に、会員Aが差し出したもの。手書きの、見るからに眉唾物の「魔術書」。

会員A
「それの十五ページの魔法がいいだろう。俺はまだ試して、 いないが、この辺りの伝承から再構成した方法が載っている」
「ありがとうございます!」

思い詰めた女は怖い。三日かけて必要とされるものを用意し、そして。

「……これをあたしが飲むわけね」

魔術書通りに作った奇妙な「媚薬」を、女は一気に飲み干す。

「不味い……それから三日以上、一ヶ月以内にあたしの血 を豊中さんに飲ませるとOK、か」

人間を生きた培養器にするようなものである。が、不幸にして女はそれを知らなかった。そして、江連も。

江連
「問題は、どうやって飲ませるかだ」
会員A
「新鮮な血でないとうまく行かないらしい」
「口移しで、と書いてありますけど」
江連
「夜道で襲撃するしかないな」
会員A
「効果のほどが試せるな」

ほとんど犯罪者のノリだが、引っかかる方も間抜けである。アパート近くの暗がりで数人に襲われ、三人ばかり伸した後、背後から頭を殴られて膝を突く豊中。
 そこに、あの女が登場。目がくらんで立ち上がれずにいる豊中の顔を両手で捕らえ、……ディープキス。同時に口に含んでいたものを豊中の口の中に。

豊中
「っ!」

反射的に振り払ったが、口の中のものはうっかり飲み込んでしまった。



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