エピソード629『瓜双子』


目次


エピソード629『瓜双子』

本編

ベーカリー楠にて。
 夕方、少し込みかかった店内に、美樹がやってくる。珍しいことにきっちりとしたスーツ姿である。

観楠
「あ、いらっしゃい」
美樹?
「そのサンドイッチ二つと、あとそこの牛乳一本」
観楠
「(なんか、様子が変だな) あれ? コーヒーは」
美樹?
「俺はコーヒーは飲まないが」
観楠
「(絶対おかしいぞ) 何かあったんですか?」
美樹?
「別に」
観楠
「(な、なんだ?)」
美樹?
「それよか、レジは?」
観楠
「(おかしいぞ、美樹さんの話し方じゃない)あ、はい、450 円に」
美樹?
「おぅ(小銭受けに500円玉を置く)」
観楠
「あの……美樹さん?」
美樹?
「……なんだ、もしかして兄貴の知り合いか?」
観楠
「へ、あの、美樹さんじゃ……」
美樹?
「あんなのと一緒にしないでほしいな。俺は狭淵麻樹。美 樹は双子の兄貴だ」
観楠
「(弟さんか……ずいぶん美樹さんとは性格がちがうな)
はぁ、はじめまして、わたしはここの店長の湊川観楠です。美樹さんはよくその奥でコーヒー飲んでおられますけど」
麻樹
「あ、そうなのか。兄貴がいつも世話になってます」
観楠
「いえいえ、こちらこそ」

ちょうど、もさったジーンズの上に白衣を引っかけたいつもの美樹が、ベーカリーの入口から入ってくる。

美樹
「あ、店長、いつものコーヒーお願いします」

そう言いながら、麻樹の脇を抜けていつもの奥座席へ向かう。

麻樹
「おぃ、美樹!」
美樹
「……おや。麻樹ではないか。どうしました、こんなとこ ろで」
麻樹
「あのな、留守電聞いてねぇのか?」
美樹
「そういえば、最近留守電を聞くのを忘れてますね」
麻樹
「何回電話かけてもいねぇし」
美樹
「そういえば、ここ三日ほど下宿に帰ってませんね」
麻樹
「……何してんだ?」
美樹
「研究ですが。一応」
麻樹
「……ま、いい。しかし、つかまって良かったぜ」
美樹
「なんかあったんですか?」
麻樹
「面接だよ、面接」
美樹
「面接というと」
麻樹
「くだらんボケはかますなよ」
美樹
「……とにかく、座って話しませんか? 他のお客さんの 邪魔ですし」
麻樹
「そだな」

「いつもの席」に座る美樹と、その向かいに座る麻樹。観楠が美樹のコーヒーを持ってくる。

観楠
「弟さんとずいぶん性格が違うんですね」
美樹
「あ……」
麻樹
「てんちょーさん、おとーとに見えますか(にっこり)」
美樹
「……(汗) これ、妹なんですけど」

申し訳なさそうなそぶりで、観楠がレジの方に去っていく。

美樹
「で、なにかあったんですか?」
麻樹
「……人の話、聞いてるか?」
美樹
「わたしは聞くより読む方が好きなんですけどね。で、な んの面接だったんです?」
麻樹
「……就職(ぼそっ)」
美樹
「……へ?」
麻樹
「就職だよ。来年卒業なんだから。お・れ・は」
美樹
「(ぽん) そういえば、そうでしたね」
麻樹
「……兄貴はあと何年かかるつもりなんだ?」
美樹
「今の所最低2年ですね。これ以上落とさなければですけ ど」
麻樹
「落とすなっ!」
美樹
「いや、落とすつもりで受ける試験はありませんが……な んか話ずれてません?」
麻樹
「おめーがずらしたんだろうが。で、なんの話だったっけ?」
美樹
「麻樹の卒業の話」
麻樹
「そうそう、さっき面接受けてきたんだ……」
美樹
「なるほど。それでその格好ですか……って、それって男 物のスーツじゃないか?」
麻樹
「ま、いいじゃないか。スカートなんてあんなすかすかし たもん履けるか」
美樹
「(……絶対、男だと思われたでしょうね) で、どこの面 接受けてきたんですか?」
麻樹
「吹利中央病院の和漢薬診療科。あそこなら修行にもちょ うどいいしな」
美樹
「修行って……なんの?」
麻樹
「……兄貴、自分ちの商売忘れてねぇか?」
美樹
「あ、そういえばそうでしたね」

解説しよう。狭淵家は戦国より伝わる鍼灸術の家系(の分家の分家)である。狭淵麻樹は父親より狭淵流鍼灸術の継承者とされているのだっ! 
 ……美樹は、逃げ出したのだが。

麻樹
「ま、教授の推薦状もあったから、まず通ってるからな」
美樹
「ふーん。そうですか、それはそれは……」
麻樹
「そういうわけで、来年の春からは吹利に住むことになる んだが、判ってるか?」
美樹
「へ、なるほど。それは、そうですな」
麻樹
「はぁ……(この、ボケ兄貴がぁ) ホントはな、兄貴の下 宿に泊まっていく予定だったんだが……」
美樹
「ん? なんか不都合でもあるんですか? わたしは別 に……」
麻樹
「泊まる予定だったのは昨日の夜だ。明日は朝から向こう で仕事が入ってるんでな」
美樹
「そか。それは残念」
麻樹
「ま、そういうわけだから、来年の春からの俺の下宿、探 しといてくれ。頼んだからな」
美樹
「……判りましたよ。探しておきましょう。で、条件は?」
麻樹
「吹利市内。屋根と床があること。安けりゃ安いほどいい。 出来れば1万5千円以下。2万までは許可」
美樹
「そんな条件でいいんですか?」
麻樹
「他に必要な条件なんかあるか?」
美樹
「はぁ……(これだから、女性として見られないんですよ ね……)」
麻樹
「ないだろ」
美樹
「判りました。適当に見繕っておきましょう。で、もう帰 るんですか?」
麻樹
「ん、まぁな。とりあえず6時の新幹線に乗るつもりだが」
美樹
「そうですか。それならもういい時間ですね、吹利駅まで 送りますよ」
麻樹
「お、悪り」

二人は立ち上がる。

美樹
「店長さん、ちょっと駅まで妹を送りに行って来ますんで、 荷物とコーヒーカップはそのままにしておいて下さい」
観楠
「はいはい」

美樹と麻樹が出ていったあと……麻樹の座っていた座席に6時発の新幹線の切符を観楠が見つけたのは……それから15分後のことであった。

解説

狭淵麻樹の紹介エピソードですね。実際に赴任してくる1998年4月からは、活躍してくれることでしょう。



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