エピソード632『旧友――懸垂席の客――』


目次


エピソード632『旧友――懸垂席の客――』

登場人物

小松訪雪(こまつ・ほうせつ)
骨董屋松陰堂の若主人。
松崎渾(まつざき・こん)
冒険野郎な考古学者。

本編

松蔭堂の昼下がり。
 『懸垂席』の登り綱は、新しいものにつけかえられている。軒に打ち込まれた金具を軋ませて、人影がひとつ、杉板張りの壁面をよじ登っている。路地の人通りは途絶えて、それを見る人も、怪しむ者もない。
 茶室の中では。納戸色の絽の単を、いつもよりこころもち堅めに着込んだ訪雪が、誰もいない客座に向かって、独り点前の稽古を繰り返している。室内に篭った炉の熱気が、開け放した窓から流れ出す。
 開くはずのない板戸が敷居を滑る音がして、訪雪は柄杓を手にしたまま、視線を音のする方に向ける。真っ黒に日焼けした髭面が、逆光の中で小さく手を振った。

「よぉ、小松。俺だ」
訪雪
「! ……松崎……か?」
「ああ。まさかここに、人がいるとは思わなかったな。と にかく、中へ入れてくれよ」

訪雪に腕をつかんで引き上げられて、男……松崎は、茶室の中に転げ込む。静謐な稽古の雰囲気の残滓を吸い込んだ所為か、ごつい巨体の膝をちんまりと揃えて、落ち着かなさげに茶室の中を見回す。

訪雪
「とりあえず靴は脱いどくれ(汗)」
松崎
「おう、忘れてた(靴を脱いで窓辺に並べる)」
訪雪
「出来ればそこも遠慮して欲しいんだが……まあ仕方ない。 この間は、急ぎの修復仕事をやってくれてありがとう。先方さん、えらく喜んでくれとったよ」
松崎
「そいつぁ何より。あの晩の中華はサイコーだったよ」
訪雪
「しかし、あんな所から入ってくるなんて……儂ゃてっき り泥棒かと思ったぞ」
松崎
「軒から綱がぶら下がってるなんて、随分と妙な造りの家 だと思ってたんだが……まさか茶室だったとはな」
訪雪
「(泥棒が入らんように、綱はまとめといたはずなんだが。
……こいつ、どうにかして落としたな)
大昔の店主の冗談だそうだ。冗談にしちゃ、えらく金がかかっとるがね」
松崎
「こいつを冗談で、ねえ……(感心したように頷く) ああ そうだ、ちょうどいい。喉がからからなんだが、そこに用意してある道具で、茶を一杯、点てちゃくれないか」

しばし後。痺れた膝を崩した松崎は、神妙な顔で茶を啜っている。

訪雪
「少しは落ち着いたかね」
松崎
「この雰囲気じゃ、暴れろというほうが無茶だ」
訪雪
「慣れない人間には、ちょいと肩が凝るだろうがね。で…… 今日は、何の用があって来たのかね? 
お前さんが一年に二度以上顔を出すなんぞ、滅多にないことだ。泊まりに来ただけとは思えんが」
松崎
「最大の目的が、泊めてもらうことなのは本当だ。あと、 ちょいと見て貰いたい品があってな」

言いながら、松崎は着ていた小汚いベストの、幾つもあるポケットのひとつを探って、茶封筒の中身を訪雪の掌に落とし込んだ。

訪雪
「(品物を一瞥して) 和同開宝だね。多分本物だ。銀貨だ から銅貨よか珍しいが、妙なもんじゃあない。
この手の品物は、お前さんのほうが専門だろう」
松崎
「あたりまえだ。そんな鑑定聞きに、わざわざお前んとこ まで来るかよ」
訪雪
「んじゃ、何を見て欲しいわけよ」
松崎
「お前……面白い特技があるそうじゃないか?」

銀貨を載せた掌が汗ばんできて、訪雪は銀貨を袖に包んで握り直す。

訪雪
「一体何処で、そんな話を仕入れてきたのかね」
松崎
「おいおい……この世界は狭いんだぜ? そんなに隠しと きたい力なら、そいつで飯を喰おうなんて思わないこった」
訪雪
「……参ったね。とりあえず、事情を聞こうか。
この手の仕事じゃ、こないだひどい目に遭っとるからね」
松崎
「そんなに危ないもんじゃないよ。何処から出たのか知り たいっていう、純粋な俺の好奇心だ。報酬は払うよ」
訪雪
「ってことは、骨董屋で見つけなすったね? まあいいや。 場所の特定までは無理だが、ヒントくらいは今週中に見ておこう」
松崎
「恩に着るよ。じゃ、夜にまた来る」
訪雪
「今度は玄関から来いな」

ぐいと飲み干した碗を畳の上に置くと、松崎は登ってきた綱を滑り降りて、あっという間に路地の向こうへ消えた。

訪雪
「あいつも……相変わらずだな(苦笑)」

丸めた綱を軒下の釘に括り直しながら、訪雪が呟いた。

解説

松崎渾は狭間のコード06(異能を持ったちょっと優秀めな人間による日常中心の話)の登場人物ではなく、コード14『霞ヶ池の影』の登場人物です。文化庁特殊遺物課非常勤職員として、遺物の発掘・保護を行っています。
 コード14は、特定の技術については世界的トップの人間による、日常を破壊できる脅威に関係した話なので、コード06とはかなり趣が異なります。このようなクロスオーバーは確かに話的にも面白いのですが、14では06の登場人物程度では相手にならない問題を扱いやすいので、あまり多用するとまずいでしょう。今回のように06の枠内で、ゲスト的に登場させるのが無難です。



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