エピソード643『疲れました・探さないで下さい』


目次


エピソード643『疲れました・探さないで下さい』

登場人物

一十(にのまえ・みつる)
風水師にして修験者。松陰堂の居候。
キノエ
元祟り神の式神で雷使い。キノトの姉
キノト
元祟り神の式神で風使い。キノエの弟。
小松訪雪(こまつ・ほうせつ)
骨董屋松陰堂の若主人。
長沢凍雲(ながさわ・とううん)
骨董屋松陰堂の先代。ご隠居。
湊川観楠(みなとがわ・かなみ)
ベーカリー楠店長。かなみは愛娘。
津久見神羅(つくみ・から)
帆川神社の神官見習いでもある陰陽師。
如月尊(きさらぎ・みこと)
如月流退魔術継承者な花屋。酒好き。
平塚花澄(ひらつか・かすみ)
四大の加護を受けた本屋の店員。酒好き。
結城頼(ゆうき・らい)
ミツルの建設省特殊物件課における上司。

第一章 暑い日の置き手紙

昼下がり、土蔵の二階。

「あっちぃなぁ」
キノエ
「あついようぅぅぅぅ」
「おーい、キノトちょっと風起こしてくれぇ」
キノエ
「キノトは今洗濯中よ」
「さっきからいないじゃないか……」
キノエ
「若大家さんと一緒に昼御飯の後かたづけしてたから……」

数十分後。

「暑いなぁ」
キノエ
「暑いって言わないでよう、ますます……」
「扇風機ぐらい買おう……。ひとまず今は、キノトを呼ぼ う」
キノエ
「うん、ちょっと探してくる……」
キノエ
「若大家さん、キノト知らない?」
訪雪
「いや、さっきまで庭に居ったが」
凍雲
「縁側にこんな手紙がおいてあったぞ」
訪雪
「ふむ、これは……」

しばしの沈黙。やがて、キノエが素っ頓狂な叫びを上げる。

SE
「どたばた」
キノエ
「ミツル! これ!」
「ん、なんだなんだ、やかましいな。ほこりが立つじゃな いかそういやここんとこ掃除してなかったなぁ」
キノエ
「馬鹿いってないで、これ!」
「なになに、『疲れました、探さないで下さい』キノト。 だとぉおおおおっ!」
キノエ
「あんたが仕事押しつけてばっかだからぁ(怒)」
「まて、おまえのコークスクリューだって……」

がらがらぴっっしゃぁああああん。

凍雲
「暑いのぉ」
訪雪
「夕立でも欲しいところですな」

からからん。

観楠
「おや、どうしたの、キノト君」
キノト
「店長さん、しばらくここにいていいですか?」
観楠
「別に、いいけど。麦茶でも飲む?」
キノト
「いいんですか?」
観楠
「一さんに付けとくから」

ごくごく。

キノト
「ふぅ」

キノトは厨房で窯にパンを入れる観楠をしばらく見つめていた。そして、

キノト
「店長さん……店長さんて、かなみちゃんの面倒一人で見 てらっしゃいますよね」
観楠
「ん? ああ、最も近所の人とかに手伝ってもらったり、 ベーカリーのみんなに面倒見てもらってるけどね」
キノト
「かなみちゃん、かわいいですか?」
観楠
「(照れながら) うん」
キノト
「だから、疲れないのかなぁ」
観楠
「……?」
キノト
「ミツル、可愛くなんかないもん」

第二章 理解者だっているもん

だだだだだ……がちゃ。からんからん。ばたん。

神羅
「はぁはぁはぁ。あ、どうも」
観楠
「いらっしゃい……って、どうしたの?」
神羅
「ちょっと、危ない先輩に追われちゃって。すいませんが アイスコーヒーを一杯、黒で。
観楠
「黒?」
神羅
「いや、ブラックで」

一息ついて、店内を見回す。喫茶コーナーに一人の少年がただずんでいる。

神羅
(おや、なんか人間とは感じが違うのぉ。不思議な感じや わ。あの感じは……おお、式神系統か?)

コーヒーを手にキノトの近くに座る。

神羅
「どうしたんや、少年? 何か、ものありげな表情やけど」
キノト
「何でもないです。それに僕は少年じゃないです」
神羅
「すまんすまん。では改めて自己紹介をしよう。ワシは津 久見神羅。ところでアンタは?」
キノト
「僕はキノトといいます」
神羅
「キノト君か。しかし、何でもないと言っても顔に出とる ぞ。家出でもしてきたんか?」
キノト
「まあ、そんなところです」
神羅
「そう。あまり家の人に心配かけんようにしいや。
キノト
「大丈夫、心配なんかしないですから」
神羅
「なんのかんのこき使っても、自分の手をかけた式神は、 術者にとって可愛いもんやからな。ほとぼりさめたら帰ってやれや」
キノト
「えっ! お兄さん一体?」
神羅
「蛇の道は蛇って言うやろ。もしもどうしても気にいらん ならワシのとこに来るか?」
キノト
「(ぶんぶん)」
神羅
「(笑って) だが、少しくらい困らせてやっても罰は当た るまい。ワシの式神も良く逃げ出したものだった」

神羅はそう言うと、アイスコーヒーをぐいっと飲み干した。
 かららん。

「こんにちは、観楠さん(笑顔)」
観楠
「いらっしゃい尊さん(笑顔)」
「えーっと、今日は食パン2斤と……あれ? キノト君、 一人?」

いつも、十か、キノエが一緒だったのだが、今日は一人でしょんぼりと座っている。

キノト
「こんにちは、尊おねーさん」
「こんにちは(笑顔) キノト君隣いい?(隣に座る) あ、 観楠さんコーヒー下さい」
観楠
「コーヒーですね、はい、ちょっと待って下さい」
「どうしたの? しょんぼりしちゃって(笑)」
キノト
「……尊おねーさん、一つ聞いてもいいですか?」
「(くす) スリーサイズは駄目よ(笑)」
キノト
「(赤面) そっ、そう言うのじゃないです(汗)  あ、あ の……一人暮らしって大変ですか?」
「え? ……うーん……あたしは馴れちゃったから別に何 とも思わないけど……でも、時々寂しいときもあるかな(笑)」
観楠
「コーヒーお待ちどうさま、そういう時はどうするんです か?(笑)」
「うーん、お気に入りのヌイグルミ抱いて寝ちゃうの(笑)
でも、キノト君どうしてそんな事聞くの?」
キノト
「僕、ミツルの所、出てきちゃったんです」
「えっ? ……それって……(汗)」
観楠
「キノト君……もしかして……家出?」
キノト
「そういうつもりじゃなかったんですけど……ミツルもお ねーちゃんも僕の事こき使うんだもん」
「……(考えている) ……キノト君」
キノト
「はい?」
「うち、いらっしゃい」
キノト
「え? でも」
「ほとぼりが冷めるまであたしの家にいらっしゃい、部屋 は余ってるし遠慮せずにどうぞ(笑)」
キノト
「でも、僕、食べ物が……」
「あら? これでも結構料理には自信あるつもりよ(笑)」
キノト
「そ、そういう意味じゃなくって(慌)」

瑞希の薫陶が効いているのか、判ってるくせに、キノトをからかう尊。

「(キノトの耳に口を寄せて内緒話もーど) 大丈夫、『人』 の食べ物じゃ無くて、『キノト君達の食べ物』でしょ?
……ねぇ男の人の血と、あたしみたいな若い女の子の血、どっちがいい?(くすくす)」
キノト
「えっと、あの、その……(赤面)」

さすがに答えられず、湯気が上がるぐらい真っ赤になって俯いてしまうキノト。

「(スッっと顔を放して) じゃ、決まりね(笑) 観楠さん、 キノト君は、あたしが暫く預かります。キノト君が何処に行ったか、暫く十さん達には内緒にしておいてもらえますか?
ちょっと心配させてお灸を据えて上げなきゃ(くすくす)」
観楠
「判りました、内緒にしておきますよ(笑顔) 良かったね、 キノト君」
キノト
「はい……(まだ、俯いて赤面中)」

一方、松蔭堂。

キノエ
「だからミツルがだらしないから!」
「なんで俺ばっかりの話になるよ!」

果てしなく続きかねない勢いになりつつある、十とキノエのやり取りを眺めていた訪雪が、ふと縁側に立ち上がる。

訪雪
「しばらく、出掛けてきます」
凍雲
「探しに行くかの」
訪雪
「いえ、今日はちょいと、ひとと逢う約束がありまして」
キノエ
「どうするの? すぐに連れ戻す?」
「……まぁ、ぼちぼち探しにいきゃいいさ。ね、若大家」
訪雪
「本人が探すなと言っとるんだ。わざわざ探しゃせんよ。 じゃあ先生、遅くなりますので。ひょっとしたら、今夜は帰らないかも知れません」
凍雲
「うむ。気をつけてな」

玄関の戸の閉まる音。

キノエ
「大家さん、あんなこと言ってたけど……本当は、キノト を探しに行ったのかもしれない」
凍雲
「それは、ないの」
「え?」
凍雲
「探しに行くつもりなら、血相変えて飛び出しておるよ。 あの男のことだ。今が自分の出る幕でないことくらいは、ちゃんと心得ておるはずじゃ」

しばし後、ベーカリーにて。

SE
「かららん」
観楠
「(びく) いらっしゃい、大家さん……
キノト君を探しに来たのか? だとしたら、さっきまでここにいたことを言ったほうがいいのか? それとも……)」
訪雪
「店長」
観楠
「あ……はいっ」
訪雪
「なにぼーっとなすってるんですか。(トレイを出して)
これと、あと麦茶を」
観楠
「(気付いてない……のか? いやひょっとしたら、知っ てて素っ惚けてる可能性もないではないが)
はい。お会計は……」

特に変わった態度も見せず、無言でパンをもしもしと食う訪雪。やがて、懐の時計を出して目をやると、空のトレイを手にして席を立つ。

観楠
「ありがとうございます」
訪雪
「んじゃ、ご馳走さま(かららん) ……あ、そうそう」
観楠
「何か?」
訪雪
「キノト君がここへ来たら、私が『ゆっくり羽を伸ばして 来い。儂は邪魔も援助もしない』と言っとったと、伝えておいてください」
観楠
「ふうん、これで三人めか。一さん達、聞いたらどう思う かな」

第三章 キノトの休日

キノエ
『ミツル……』
「おまえもか……」

吹利本町のはずれにある公園で、十は肩に乗せたオコジョに軽くささやく。

キノエ
『さっきからどうも、その、見つからないなぁって気が……』
「俺の方もそうだ。気のせいかと思ったが……」

ひゅううううと風が吹く。

キノエ
『確かに途中まではこの公園に……』
「……! しまった、やられた!」

公園のジャングルジムに向かい突然十が駆け出す。あわてて追いついたキノエの前で十は一枚の呪符を手にしていた。

キノエ
『これは? キノトの匂い!』
「形代だ、俺達をまくのが目的みたいだな、いや、時間稼 ぎが本来の目的か……。まいったなぁ、結構やっかいなところにお世話になってるらしいぞ……(悩)」
キノエ
『この匂いは……』
「そう、尊さんとこだ」

一方、Flowershop-Miko。

「あたしの所なら十さんも簡単には連れ戻せないから、暫 く落ち着くまでゆっくりしてらっしゃい、ね。(にこ)」
キノト
「……あの、いいんですか?」
「ん? 何が」
キノト
「……なんでもないです。何か手伝いましょうか?」
「気なんか使わなくていいのよ、キノト君はお客さんなん だから」
キノト
「……その、何かしてた方が気が紛れるし、お世話になり 放しじゃ」
「そう? うーん……じゃ、お夕飯作るからちょっと手伝っ て貰っちゃおうかな(くす)」

Flowershop-Mikoの前の電信柱。ひょこんと顔を出す一人と一匹。

「どうだ、見えるか?」
キノエ
『うん……。でも姿は……、居た!』

二階の窓を覗く二人。そこには確かにキノトの姿が! 

「さて、どうしようか……?」

台所では尊と並んだキノトが菜箸片手に鍋をかき回している。

「へぇ……キノト君上手ねぇ、いい御婿さんになれるわ よ(笑)」
キノト
「え? えへへ(照)」

式神が御婿になるかどうかは別として、照れるキノト。

キノト
「尊おねーさん、味どうですか?」
「ん? どれどれ……(味見) ……ん、ばっちりよ、合 格っ(にこ)」
キノト
「よかった(笑顔) あ、尊おねーさんの方も出来たんです か?」
「味見する?」

頷いて尊の鍋の味見皿を受け取るキノト。一口付けたキノトの表情が驚きに変わる。

キノト
「美味しぃ……尊おねーさんこの味付けどうやったんです か! 教えて下さいっ!」
「いいわよ、まずね御醤油と三温糖をね……」

筋金入りのおさんどん少年キノト、尊の味付けの絶妙さに向学心を刺激されたのか熱心にメモを取りながら説明に聞き入る。

キノト
「そうか! かつお節と昆布の合わせ出汁が決め手だった のか」
「(くす) キノト君て熱心ね、ね、誰に作ってあげるの?」
キノト
「え? ……」

ふとキノトの脳裏に、料理を美味しそうに頬張る十とキノエが浮かぶ。

「(微笑) ……さ、冷めない内に御飯にしましょ」

一方、窓の外。

「ああっあいつ……尊さんの手料理を……」
キノト
『美味しそう……そーいえば最近キノト特製コロッケ食べ て無いわね』
十 :「(ぐぅ〜
腹の虫) ……キノエ、キノトの居場所は解っ たんだ、一旦引き上げるぞ」
キノエ
『でも……』
「尊さんの所なら安心だろう、今夜は引き上げて明日何か 考えようや……俺らは少しキノトに頼りすぎた、今夜はキノトに良い目見せてやろう」
キノエ
『ん、解った』

とその時。

? 
「キノト君に?(ひょこ)」
「わっ……って、花澄さんっ?!」
花澄
「不意打ち、でした?(にこにこ)」

わかってやっているから始末が悪い。

花澄
「キノト君のストライキ、ですってね」
「花澄さん、何で知ってるんです」
花澄
「風に聞きましたから……でも、キノト君も思い切ったこ としますね。よかった」
「よかった、って」
花澄
「よかった、ってこと」

何がなんだか。

花澄
「じゃ、一さんも頑張って下さいね(にこにこ)」

言うだけ言うと、とことこと歩いてゆく。

キノエ
『……花澄さんって、時々分かんない……』

第四章 不在の影響

「ただいまぁ」
キノエ
『ただいま』

夕日の差し込む松陰堂の土蔵。しばらく十は窓を開け放したりしてこもった熱気を追い払っていると、着替えたキノエが顔を出す。

キノエ
「そろそろ、晩ご飯だから、訪雪さん手伝いに行くね」
「うん、わかった。俺は部屋掃いておくよ」
キノエ
「……ミツル、心配してる?」
「心配してるわけでもないけど……、右っ側がすーすーす る」
キノエ
「そんなに、いやだったのかな。あいつ」
「……なぁ、キノエ。約束覚えてるか?」
キノエ
「約束?」
「俺とおまえらとで最初に交した約束」
キノエ
「……ああ、あのこと」
「そろそろ、人に慣れたよな。キノトも」
キノエ
「なんのこと?」

十は開け放した窓から外を見たまま、答えなかった。たぶん最後の言葉は独り言。そう思ってキノエは母屋に足早にかけて行った。
 一方、Flowershop-Mikoでは。

SE
「ぴんぽーん」
「あれ、お客さん? 誰かしら。ごめんキノト君、これ運 ぶのお願いできる?」
SE
ぱたぱた……
「はーい、どなた?」
花澄
「こんにちは、尊さん。キノト君きてるんですって?」

ドアの前には一生瓶を抱えた花澄の姿。

花澄
「家出したって聞いたから、陣中見舞に」
「ちょうど良かった、これから晩御飯にするところなんで す、良かったら御一緒にどうぞ、キノト君も手伝ってくれたんですよ(嬉)」

テーブルの上には、煮物に天ぷら、きんぴらごぼうといったご馳走がほかほかと湯気を上げている。

花澄
「わぁ、ご馳走ですね。日本酒でちょうど良かった!」
「座ってください、今花澄さんの分のお皿出しますね」

両手に花状態のキノトは目を輝かせる花澄の前で照れ臭そうにしている。

キノト
「このきんぴら、この間花澄さんが作ってくれたときの、 まねて見たんです(照)」
「はい、これは花澄さんの分、キノト君も少しだけ御相伴 しましょ。たまには羽目を外すのも必要よ(ウインク)
それじゃ」
花澄
「キノト君の家出を祝って、ですか?」
「かんぱ〜い!」

一方。松陰堂。

キノエ
「ねぇ、ミツル。ほうれん草って洗ったらすぐに煮てし まえばお浸しになるよね」
「土は取ったな、じゃあ入れちまえ。大家さん、味噌知 りませんか?」
凍雲
「冷蔵庫じゃなかったかね?」
キノエ
「冷蔵庫、冷蔵庫」
SE
「がば(冷蔵庫の扉を開ける音) ごい〜ん(十の頭に扉の 角が直撃した音)」
「つぅぅぅぅぅうううっ」
キノエ
「どしたの? ミツル」
「い、いや……」
SE
「じゅうじゅうしゅばしゅば、ぼふ」
キノエ
「あれ? 火が消えた」
「おい! 吹きこぼれてるって!」
キノエ
「わわわ、しまった。ミツルじゃま!」
「っってぇええ、おまえ今足踏んだぞ!」

茶の間から凍雲が顔を覗かせる。

凍雲
「おい、何か焦げ臭いぞ」
キノエ
「ミツル、魚見てっていったじゃない!」
「えっ、魚なんて焼いてたのか?」
凍雲
「まずは魚をどうかしたらいいんじゃないかね?」

30分後。
 沈黙した食卓。
 おかずの中で被害を被らなかったのは、冷蔵庫の常備菜の中で唯一ひっくり返さずにすんだシジミの佃煮だけだった。
 もっとも、ご飯も芯が残る硬い飯だったが。

十&キノエ
「(……気まずい)」
凍雲
「ところでキノト君はどこに行ったかわかったのかね?」
「ええ、まぁ。ただ、なかなか返ってきそうになくって……」

帰ってきた訪雪は、食卓の上を見るなり、シジミの佃煮でお茶漬けを始めた。

凍雲
「なるほど、姉に似て実は強情だったか」
キノエ
「大家さん、からかわないでくださいよう……」
凍雲
「説得するあてはあるのかね?」
「一応は……」
訪雪
「主のほうが直すべきところを直さない限り、根本的な解 決じゃないでしょう」
「そうですねえ、家事のいくつかを任せっきりだったから なぁ」
凍雲
「これにこりたらもう少し、いたわってやるんじゃな」
「おはずかしい限りです」
凍雲
「明日あたりは久しぶりにコロッケが食べたいしな」

そして、夜。

結城
「はい、この間問い合わせのあった資料。しかし、狗尾村 ねぇ。通うには少し辛くないかい?」
「もっと近い学校のほうがいいとおもいますか?」
結城
「うん、別に吹利学園の中等部とかでいいと思うけど」
「いや、何かあったとき。たいへんでしょうから。狗尾村 ならそういうのにも理解あるかと思って」
結城
「むずかしいとこだね。しかし、結婚してもいないバイト から、『中学校紹介してください』って聞かれたときはどうしようかと思ったよ」
「いつも甘えてばかりですみません」
結城
「どっちにしろよく話し合うんだね」

合同庁舎から出てきた十の手には、吹利の学校への転入願の書類があった。

第五章 元の鞘

やはり鬱憤が溜まっていたのか、それとも酒が旨かったのか、注いだ人が良かったのか、花澄と尊に次がれるままに呑んだキノトはあっという間に酔いつぶれてしまった。
 花澄も尊と共に痛飲し、今はソファーでキノトを膝枕しながらすやすや眠っている。

「……(花澄とキノトに毛布をかける)」

と。

キノト
「……ねーちゃん……またニンジン……残して……ミツ…… も…………すぅ」
「……(小さく微笑んで頭をなでる) ……さて、と」

二人を起こさないようにそっとリビングを出て、自室の電話をとる。
 TEL..TEL..TEL..。

訪雪
『はい、松蔭堂です』
「夜分にすみません、如月と申しますが」
訪雪
『ああ、こりゃどうも、どうしましたこんな時間に』
「実はキノト君の事で十さんにお話がありまして」
訪雪
『ふむ、キノト君は如月さんの所にお世話になっとるんで すかな?』
「ええ、少し十さんにお灸を据えてあげようと思いまし て(くす)」
訪雪
『そりゃぁいい(笑) これで一君もちぃとは懲りたろう、 で、どうしますか、一君呼びますか?』
「はい、お願いします」
SE
『ばたばたばたばた……をーい、一くん電話だぞー』
SE
『ばたばたばたばた……』
『はい、御電話代わりました』
「今晩は十さん、尊です」
『ど、どうも……キノトが……お世話になってます』
「(ちょっと恐い声) 十さん、あたしが電話した訳、分か りますよね?」
『はい……(汗)』
「キノト君、うちの子にしちゃいますから(きっぱり)」
『あ、いや、それはっ(汗)』

この勝負、分が悪い。

「……(優しい声) て、あたしが言ったら十さん、困るで しょ?(くすっ)」
『脅かさないでください、ほんとーに心臓に悪い』
「あんまりキノト君にばっかり頼っちゃ駄目ですよ、また キノト君が家出するようなら、今度こそ本当にうちの子にしちゃいますから」
『まったく持って面目無い。キノエ共々努力します(苦笑)』
「じゃ、キノト君は今夜一晩うちで預かりますから」
『はい、よろしくお願いします』

かちゃん。

キノエ
「尊さん……何だって?」
「あんまりキノトにばっかり負担かけるなって……努力…… はしてみるか(苦笑)」
キノエ
「そうね、努力はね(苦笑)」
「なぁ、キノエ」
キノエ
「なに?」
「今回のこともあって考えたんだが、そろそろおまえらも 外に出ないか?」
キノエ
「!」
「別に、キノトがずっと家にいたから家事ばっかやらせる ことになったなんて思っちゃいないさ。俺がだらしなかっただけだ」
キノエ
「……それで?」
「けど、このままキノトとおまえを俺にだけ付き合わせる わけにもいかない。多分おまえ達の方が長くこの世にいるだろうからな。俺が見てやれる面倒なんて僅かなものさ。幸い、ここ最近は観測の仕事が多い。おまえ達に頼ることもない」
キノエ
「けど、けどあたし達……」
「大丈夫、少なくとも昔のような祟り神じゃないよ。今の おまえらは。だから外に出て、何とかやっていく方法を見つけるんだ。もともとは人だったおまえらには、そうするしかないだろ。それとも、あの乳房榎の周辺でもう一度、今度はたたらないようになってみるか?」
キノエ
「……いやだよ、そんなの。もう、あたし達二人だけなん ていやだ。
たとえ、ミツルがいなくなって、精気をもらえなくなって、最後にはいなくなっちゃっても。もう、二人だけはいやだ! 弟にも、樟(あきら)にもあんな思いさせたくない!」
「……泣くな、わかってるから。な、楡……」

押し殺すようにしゃくり上げる楡、本名を呼んだ十は黙ってその頭を撫でてやる。

「中学の転入は結城さんが面倒見てくれる。樟はそこに入 れる。おまえは、尊さんが声をかけてくれてる。もちろん両方ともおまえ達の意志で決めてくれ」
キノエ
「うん、わかった」
「そうすれば、家事はみんなで分担だ」
キノエ
「うん」
「炊事はやっぱりキノトにやってもらうしかない思う」
キノエ
「うん、じゃああたしは洗濯する」
「俺が、掃除か」
キノエ
「そういえば、きっとキノトも帰ってきてくれるよね」
「ああ」

茶の間にて

凍雲
「どうした?」
訪雪
「いや、明日はまともなものを食べられそうです」
凍雲
「そいつは助かる。今日は久しぶりにおまえがいないこと を大変だと思ったぞ」
訪雪
「それは良かった。儂もたまには家出しますか」
凍雲
「冗談じゃないわい(苦笑)」

数日後……。

キノト
「あー! ミツル! そうじゃないっ! パン粉はこう付 けるの……ねーちゃんも! なんでキャベツを出刃包丁で切るのっ!」

キノトに負担をかけまいと、キノエと共に台所に立ったミツルだったが……。

キノト
「うわわっ、御鍋噴いてるぅ! せっかくの尊おねーさん 直伝肉ジャガなんだから! 
……もー二人とも僕がいないと何にも出来ないんだから!」
「いや面目ない(苦笑して頭を掻く)」
キノエ
「ごめん(照れ隠しに鼻の頭を掻く)」

茶の間では。

訪雪
「(お茶を啜りながら) 今日のコロッケは、前途多難だな
しみじみ)」
凍雲
「ま、もとの鞘に納まった、と言うところかの」
キノト
「あー! コロッケ焦げてるっ!(慌)」

松蔭堂、本日の夕食は前途多難であった。

解説

百科事典を見ないと意味がわからないでしょうから解説を入れときますと、吹利県下代郡狗尾村(しもしろぐん・えのころむら)とは狗神を祭る風習があることで知られる山村で、人狼などが(いちおうよそものには秘密で)定住している土地です。当然ながら妖怪だろうとなんだろうと住めますので、日常社会に傷ついたモノにはお薦めの場所であります。いささか閉鎖的で、恐い存在も多いところではありますが。
 話全体についてですが、複数の参加者(たぶん五人以上)が手を出したものの、きれいにまとまったエピソードとなっていますね。話全体の大枠が決まっていたせいで、プレイエピソード的な感じに構成がまとまりやすかったのかも知れません。



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