エピソード650『髪』


目次


エピソード650『髪』

登場人物

小松訪雪(こまつ・ほうせつ)
松陰堂の若主人。
譲羽(ゆず)
人形に宿った木霊。
平塚花澄(ひらつか・かすみ)
譲羽の保護者。四大の加護を受けている。
平塚英一(ひらつか・えいいち)
本屋、瑞鶴の店長。花澄の兄。
一十(にのまえ・みつる)
風水師にして修験者。松陰堂の下宿人。
長沢凍雲(ながさわ・とううん)
骨董屋松陰堂の先代。ご隠居。
豊中雅孝(とよなか・まさたか)
接触テレパス。
居候
豊中を宿主としている精神寄生体

茶髪

松蔭堂、午後。

SE
「てとてとてと」
訪雪
「ああ、ゆずさんか……こんにちは」
譲羽
「ぢいっ(こんにちはっ)」

花澄の教育の甲斐あって……というべきか、勢いよくお辞儀をしてから、譲羽はこと、と首を傾げた。

譲羽
「……(じーっ)」
訪雪
「?」
譲羽
「……(じーっ)」
訪雪
「? ……ああ、これか。髪の色、だね?」
譲羽
「ぢいぢいぢい?(大家さん、髪、変えちゃったの?)」
訪雪
「何て言ってるのか……ちょっと待って」

電話のほうへ向かおうとした訪雪のほうへ木霊は駆け寄り、腕から肩へとよじ登った。

譲羽
「ぢい……(後ろで束ねてある髪の毛を手で抱えて見てい る)」
訪雪
「そんなに変だったかね(苦笑)」
譲羽
「ぢいぢいっ(ううんっ!)」

思い切り首を振ったは良いものの、なおも譲羽は髪の毛を見ている。理由も無く訪雪が不安になってきた時。

譲羽
「ぢいっ!(ゆずもっ!)」
訪雪
「は?」
譲羽
「ぢいぢいぢいっ!(ゆずもやるのっ!)」

木霊は、好奇心旺盛である。ついでに、誰かがやっていれば、自分でもやってみたがる。で、そういう譲羽が……何かは分からないものの、握り拳で力説する姿は……この場合、恐い。

訪雪
「ちょっと待ったゆずさん……ほら」
 
 渡した玩具の電話を譲羽が抱える。
譲羽
『ゆずもやるのっ!』
訪雪
「って、」
譲羽
『ゆずも髪の毛、大家さんみたいにするのっ!』

まあ、そんなところだろう。

訪雪
「いや、あのねゆずさん、それは止めといたほうが」
譲羽
『ゆずもやってみたいのっ!』
訪雪
「……(嘆息)」

説得は、難航しそうであった。

家出

翌日。松蔭堂。朝。

SE
「がらがら」
訪雪
「……?」
譲羽
「……ぢい(悄然)」

背中に電話入りの袋を抱えた木霊が、扉の外にしょんぼりと立っている。

訪雪
「どうしたの、一体?」
譲羽
「ぢい……ぢいっ(泣)」

状況を鑑みるに、これは。

訪雪
「……ゆずさん、もしかして、……家出、かね?」
譲羽
「……(こっくり)」

予想していたとはいえ、頭を抱えたくなるような返事である。

訪雪
「何だってまた……ああわかった、泣かない泣かない(汗)」

抱えあげて電話の横に連れてゆく。

訪雪
「何でそんなことになったの」
譲羽
『花澄がね、髪、茶色って、駄目って言ったの。で、いう こと聞かない子は知りませんって……(泣)』

それで素直に出て来るあたりが莫迦である。

訪雪
「……ゆずさん、どうしてそんなに茶色がいいの?」
譲羽
『……だって』
訪雪
「儂と一緒、だけの理由じゃないだろう?」
譲羽
『店長がね、茶色って、木の色って言ったの。ゆず、木か ら来たの。……だから……』
訪雪
「……成程」

しかし、納得しても解決には程遠い。

訪雪
「で、そういうことをゆずさんはちゃんと花澄さんに言っ たかね?」
譲羽
「……ぢい(首を横に振る)」
訪雪
「そうか……でも、言わなきゃ、花澄さんには判らないよ ね」
譲羽
『言ったら、花澄、いいって言う?』
訪雪
「さあ……(溜息) 儂は花澄さんじゃないから、そこまで は判らんなあ。でもちゃんと言わにゃ、いつまでも、判ってもらえないよ。
……花澄さんのところに、電話するかね?」
譲羽
「ぢい……(考え込む)」
訪雪
「ふむ……じゃとりあえず、ゆずさんがここにいるってこ とだけ、花澄さんには伝えておこう。いいかね?」
譲羽
『花澄、ゆずのこと、もう知らない、って』
訪雪
「大丈夫。きっと……大丈夫だよ。じゃ、電話するよ」

瑞鶴の電話が鳴る。
 レジに座っていた花澄は、呼び出し音が1回鳴り終わらないうちに、受話器を取った。

花澄
「もしもし、こちら平塚……いえ、瑞鶴です」
訪雪
『ああ、こりゃどうも。松蔭堂の小松です』
花澄
「大家さん。もしかして……うちのゆず、いまそちらにお 邪魔してませんか」
訪雪
『ゆずちゃん? ええ、まあ……(短い沈黙)
花澄さん。すみませんが、ちょっとの間、ゆずちゃんをこちらでお預かりしても構わないでしょうか』
花澄
「え?」
訪雪
『いえね、本人が何か訳ありみたいなんで、こちらとして は気が済むまで好きにさせてあげたいんですよ。
赤の他人の要らん手出しだってことは、判っとるんですが……」
花澄
「そうですか……(溜息) わかりました。ご迷惑、おかけ します」

切れる間際、電話の向こうでぢい、という声が聞こえた。

譲羽
「ぢいぃ(花澄、怒ってた?)」
訪雪
「え? ああ、ちょいと待ってな(受話器を取り直しながら) 花澄さん……声が、暗かったよ」
譲羽
『怒ってたの?』
訪雪
「いや。心配しとったんだろう……説明、するかね?」
譲羽
『大家さん、言ってくれる?』
訪雪
「んにゃ。こういうことは、自分で言わにゃ何の意味もな い。決心がつくまで、いつまででも、待っていてあげるよ」

さて、電話を置いた花澄側は、というと。

店長
「……花澄」
花澄
「え?」
店長
「お前、今日、午後から休み、だな」
花澄
「え? ……え、いいよ、何で?」
店長
「何で、じゃない。お前のまわり、空気が淀んでるぞ」

言われて、くるりと周りを見まわしてしまう花澄である。

花澄
「……でも」
店長
「でも、じゃない。サクラチル直後の受験生が10人群れて るような空気背負って何言ってる……お客が逃げるぞ」

確かに『サクラチル』も、春の風景ではあるだろう……一応。

花澄
「……でも」
店長
「それと。……お前、譲羽にその顔見せたら、親失格な」
花澄
「親って。私別に、ゆずの親じゃないもの」
店長
「親だよ」

ぴしり、と言われて花澄は口をつぐんだ。

店長
「とにかく、昼までは雑誌の入れ替えもあるし手伝っても らう。それ以降は帰れ」
花澄
「……はい」

小さく、花澄は溜息をついた。
 そして午後。
 とぼとぼ、と歩いて行く先は。

花澄
「……(でも、ゆずを預かりますってことは……私、行け ないってことだよね……)」

足が、止まる。といっても、自分の部屋に帰る気も起きない。

花澄
「……」

重い足取りで、いつもの道を通る。歩いていった先に。

花澄
「……(あ、尊さんだ)」

ガラス戸の向こうで、尊が花を纏めている。視線に気付いたのか、彼女は顔を上げ、にこっと笑いかけてきた。

花澄
「……あ」
 
 その顔を見た途端、花澄はぺこり、と一つ頭を下げ、そのまま向きを変えて走り出してしまった。
花澄
「(何で……情けない……)」

そのままそこにいたら、尊に洗いざらい喋った挙げ句、散々泣いてしまいそうで。それは……出来ない。

花澄
「……帰ろ」

ぽつん、と口に出すと、ようやっと帰る気になった。花澄はそのまま歩き出した。

理由

松蔭堂、夕食後の茶の間。湯呑の茶を啜る訪雪の、胡座の膝のあいだに、電話を抱え込んだ譲羽。

訪雪
「電話……するかね」
譲羽
「ぢぃ……(首を横に振る)」
訪雪
「……そうか(ずずっ)」

沈黙。

「若大家、いいんですか。ここでいつまでも預かってて」
訪雪
「ちっともいくない」
譲羽
「ぢいっ(身を縮めて訪雪を見上げる)」
訪雪
「違うよゆずさん。いて欲しくないって意味じゃない。で も、いて欲しいと思っとるのは、儂だけじゃないよね」
譲羽
「ぢい(花澄)……」
訪雪
「多分花澄さんは……ゆずさんが茶色を好きなわけを知ら ないから、あんなことを言ったんだと思う。
儂はむかし、模型をやってたから判るんだが……ゆずさんみたいな髪の毛、それも黒から、茶色なんかの明るい色に染めるのは、難しいんだよ。人間の髪みたいに、薬品で脱色してじゃぶじゃぶ水洗い、というのが出来ないしね」
譲羽
「……(無言で見上げている)」
訪雪
「それに……花澄さんに、言われなかったかね? いまの その顔に、茶色い髪はちょっと似合わない、って」
「若大家も全然似合ってない気がするけどな(苦笑)」
譲羽
「ぢいぢいっ(大家さん、似合ってるもん)!」

肩にかかる栗色の髪を払いのけた手で、訪雪は譲羽の頭を撫でる。

訪雪
「こんなことを言っていいのかどうか、判らないが……。
儂もゆずさんには、いまの黒い髪が似合っとると思う。可愛いじゃないか。黒……ゆずさんの、髪の色なんだから」
譲羽
「ぢ? ぢぃ……(ほんと? でも……)」
訪雪
「まぁ、黒がいいと思うのは儂や花澄さんの好みだから、 それでも茶色がよければ、儂は止めないがね。
こういうわけで、ゆずさんは茶色がいいんだと、花澄さんにちゃんと話してみないのかね?」
譲羽
「ぢ……(首を振る)」
訪雪
「ふむ……話したくないわけが、あるんだね」

話したいことが複雑になってきたのだろう。譲羽がおもちゃの電話の受話器を取る。

訪雪
「あ、ちょっと待った……っとっと、いかんいかん。一君、 済まないが、店の電話を取ってきてくれんか。儂はこのとおり、立とうにも立てんのでね」
「わかりました」

黒い電話が視界に入ったところで、譲羽が玩具の電話を抱える。

譲羽
『あのね、ゆずは木から来たの。……だから花澄は木に帰 るって』
訪雪
「木に……ゆずさんが?」
譲羽
『いつか、還るんだって……思ってるの』

譲羽の言葉を花澄が理解するように、譲羽も花澄の内心を読み取っているらしい。

譲羽
『だからね、ゆずがね、木から来たから茶色好きって言っ たら、花澄、木に帰るって、思うかなって、思うの』
訪雪
「……ゆずさんは、帰りたいの?」
譲羽
『帰りたくないのっ!』

握り拳での、力説である。

訪雪
「花澄さんに、そう言ったかね?」
譲羽
『前、言ったら、笑ってたの……(悄然)』
訪雪
「ふむ……
木から来たというのはよく判らんが……おおかた、もともと森にいた何かが、いまの人形の身体に憑いてる、ってところなんだろうな。で花澄さんは、この子がこうやってヒトの社会にいることが、必ずしもいいことだとは思っていない……少なくとも、頭では)」
譲羽
「ぢ?(訪雪を見上げる)」
訪雪
「(しかし……この子は花澄さんを必要としとるし、帰り たいとは思っていない。いや、帰りたくないと思っとる。花澄さんだって、感情の部分じゃこの子と離れたいなんて思っちゃおらんだろうし……ほんの気紛れで染めた髪が原因で、ここまで厄介な事態になるとはなぁ……)」

深い、溜息。

訪雪
「……ゆずさん」
譲羽
『なあに?』
訪雪
「儂は……ゆずさんがどこから来たのか、よくは知らない」
譲羽
『ゆず、むかしは山にいたの。でも、山、寂しいの』
訪雪
「だよね? 花澄さんも……多分本当は、ゆずさんに帰っ てほしくないと思っとる」
譲羽
『でも……』
訪雪
「ヒトって生き物はね……頭で考えることと、心で想うこ とが、よく食い違っちまうものなんだよ。ゆずさんが、もといた場所に帰ったほうがいいと思ってるのは、花澄さんの頭のほう」
譲羽
『帰らなきゃ、駄目なの?』
訪雪
「違うよ。それを決めるのは誰でもない、ゆずさんだ。
それと、ここから先は儂の勝手な想像だが……ゆずさんが花澄さんを必要としとるのと同じくらい、いまの花澄さんは、心のほうでは、ゆずさんを必要としとる筈だよ」
譲羽
『ほんと?』
訪雪
「……多分、だがね」
譲羽
『……(考え込む) ゆずが髪、茶色くしないって言ったら、 花澄、還るって思わなくなるかなぁ……』
訪雪
「それで、いいのかね? 本当に」
譲羽
『だって、還りたくないもん』

俯いた頭が、微かに震えている。独りでないことの安らぎを覚えてしまった身にとって、再び孤独に還るのは、あまりにも辛いことなのだろう。

訪雪
「それでも……茶色、好きなんだよね?」
譲羽
『うん……でも、もういいの』
訪雪
「そうやって、ゆずさんが我慢してて悲しいのを見たら、 花澄さんもきっと悲しいよね。そうだなあ……何か、いい方法があるといいんだが……」

訪雪は腕を組んで考え込む。

訪雪
「うむ(独り頷く)」
譲羽
『大家さん、いいこと考えたの?』

期待の眼差し。

訪雪
「一番いいってわけじゃないが、まぁそれなりには、ね。 ゆずさん。髪の茶色のこと、ちょいとだけ、妥協しちゃくれんかね」
譲羽
『だきょうって?』
訪雪
「自分のしたいことと、ひとのしたいことが、どうしても ぶつかるときに、どっちもちょっとずつ我慢して、ちょっとずつ自分の願いをかなえること。(時計を見て)
いま、花澄さんのとこに電話しても大丈夫かな」
譲羽
『いまなら、まだ起きてる。花澄もだきょうするの?』
訪雪
「うむ。(ちょっと目を伏せて) 理由を言ってない以上、 本当の解決には程遠いってのは判っとるんだが……
(片手で譲羽を目の高さに差し上げて)ま、花澄さんにもちょいとばかり妥協して頂こうかね」

同じ頃、花澄の部屋。灯りの消えた室内は、妙に静かだった。

花澄
「こんなに……広かったんだ」

室内を所狭しと駆け回っているはずの木霊の姿は、いまはない。ほんの何カ月か前までは、これが当たり前だったはずなのに。
 本来あるべき姿に、山に、還るべきだ。頭ではそう判っている、はず。だとすれば……この部屋の空虚さは、一体自分の何処から出ている? 

”連れ戻しに、ゆかぬのか”
花澄
「あの子は、自分の意志で家を出た」
”お前は譲羽を必要としている”
花澄
「私の想いで、あの子を縛るわけにはいかない」

いつか譲羽が落としたくまが、そのままの場所に転がっている。それを元の本棚の上に戻しながら、幾度目かの溜息をついたところで、不意に電話が鳴った。

花澄
「もしもし、平塚です」
訪雪
『もしもし、松蔭堂の訪雪です。夜遅くにすみません』
花澄
「あ、大家さん……(躊躇って) ゆず……元気でしょうか」
訪雪
『(怖い声を作って) 命までは取っちゃいませんよ(笑)
(元の声に戻って) 力ずくでも、連れ戻しにくればよかったのに。でないとうちの子にしちゃいますよ?(笑)』
花澄
「それは……」
訪雪
『冗談ですよ。(真面目な声で) いま、ゆずさんと話して おったんですがね。明日の……そうだな、お昼頃まで、お迎えに来るの待ってて頂けますか?』

受話器の向こうで、譲羽が何か言っている。

訪雪
『(譲羽に) ああ、だいじょぶだいじょぶ。心配ないよ……
(花澄に) いやあ、どうも私では、ゆずさんの保護者には役者が不足のようで」
花澄
「あの……」
訪雪
『そうだな。じゃ、明日の昼に、こちらから瑞鶴にお邪魔 します。では、お休みなさい』

微笑

電話を置いて、扉を開けて。階段をそっと降りてゆく。

”どこへ行く”
花澄
「河原まで」

足元にまつわりつく木霊の少女は、いない。
 さらさらと、木の葉が風に翻る。街灯の下で、その度に木々は白っぽく光る。ゆらり、と影が、足元から伸びた。

”笑うのだね” ”あの時のように”

花澄は顔を上げた。

花澄
「……ああ、そうだったね」

街灯の下で、花澄の顔は青白く見えた。その面にはっきりと微笑を刻んで。

花澄
「笑うしか、ないのだもの」

もう十年も前、大学の入試に落ちた時。ほろほろと笑いながら電話を待った。おかげで、合格したのかと勘違いされて、「おめでとうございます」と言われた。

”それでも笑っていたのだっけね”
花澄
「武士の心得、なんだって」
”ほう?”
花澄
「本当かどうかは知らないけど」

ほろほろと笑いながら、角を曲がる。影はそれにつれて、花澄の後ろから前へと移動した。

”泣かないのだね”
花澄
「だって、何の為に?」

振り仰いだ顔は、やはり微笑を浮かべていた。風がどう、と吹き、羽織った上着を、黒い鳥の形に歪めた。

真夜中、訪雪の四畳半。
 常夜灯のほの暗い灯りのともる部屋の中、譲羽は文机の縁に腰掛けて、布団に潜った訪雪の顔を見下ろしている。

譲羽
『(大家さん、寝ちゃったのかなぁ……)』

赤茶けた灯りが影を落とす顔は、昼間よりずっと老けて、疲れて見える。この「おじさん」が、実は花澄より年下なのだということを、譲羽は花澄から聞いて知っていた。
 眠っているように見えた訪雪が、目を閉じたまま口を開く。

訪雪
「ゆずさん。まだ、眠くないのかね」
譲羽
「……ぢい(こくり)」
訪雪
「済まないね。本当は、いまがゆずさんの時間なのに」

布団から伸びた手が文机の辺りを探って、おかっぱ頭に触れる。

訪雪
「そんなにすごい理由があって染めた訳じゃないのに…… とんだことに、なっちまったなあ」
譲羽
「ぢいぢいっ(あやまらなくっていいのっ)」
訪雪
「いちばん最初は、ちゃんとした理由があったんだけどね。
……いっときは、真っ白だったんだよ。それを隠すために、先生に言われて茶色に染めた」
譲羽
「ぢぃ……?」
訪雪
「もっとも……今はただ、根元だけ中途半端に黒いのが嫌 だという、それだけの理由……惰性で、染めとるだけだが。まぁどっちにしても、ゆずさんみたいな、立派な動機じゃないやね」

黒いドールヘアの髪を撫でていた手が離れる。

訪雪
「とりあえず、いろいろやるのは明日になってからだな。 悪いけど、さきに寝るよ。でないと明日起きられない」

大きく息を吐いて、訪雪は再び黙り込む。幾らも経たないうちに、その口から鼾が洩れはじめた。

逃げ

午前6時。
 四畳半の窓から射し込む淡い光で、訪雪は目を覚ます。布団の胸のあたりに重さを感じて、首だけ上げてそちらを見ると、譲羽がその上で眠っていた。

訪雪
「(少しは寝ついてくれたみたいだな)」

起こさないように気をつけながら、小さな体をそっと抱え上げて、枕に移す。顔を洗って髪を束ね、身支度を整えているところに、不意に声がする。

譲羽
「……ぢぃ……」

びくりとして枕の方を見るが、起きた気配はない。寝言だったのだろう。

訪雪
「(この子だって、さんざん悩んどるだろうに……結局儂 に出来たのは、答えを先伸ばしにする小細工だけか)」

髪の色をどうこうして、あるいはどうもしないよう説得して、それで済むような問題ではないことは、痛いほど判っている。それでも……今の自分に出来るのは、解決の糸口にもならないような、ちゃちな小細工だけだった。
 譲羽が本当は何者なのか、何処から来たのか、訪雪は何一つ知らない。いまここにいる、心ある人形。それ以上のことは知るつもりもなかった。それ以上知ろうとしたら、この心地好い現状が、跡形もなく消えていくような気がしていたから。
 一体いつから、こんなに足繁く遊びに来てくれるようになったのかも、覚えていない。気がつくと、薄暗い廊下を軽い足音が駆けてきて、時間が来れば、周りに春を纏ったひとが、迎えにやって来る。
 いままでずっと、そしてこれからも、そうなのだと思っていた。
 訪雪 「(……甘えられることに、甘えとったか。無責任に)」
 ひと晩、預かる羽目になって、はっきりと力不足を思い知らされた。自分はこの子の親にはなれない。
 どんなに慕おうとも、慕われようとも、ただ面倒見のいい「よそのおじさん」以上には。
 問題は親と子の間に。第三者のまま、介入する勇気はない。

訪雪
「……逃げ、だな。判っとっても、そうするしかない…… ごめんな、ゆずさん」

小声で呟きながら、指先で木霊の黒髪に触れて、訪雪は部屋を出た。
 翌朝。譲羽が目を覚ましたところは、枕の上だった。敷き延べられたままの布団の中に、主の姿はない。
 ととと、と廊下を走って、開け放った障子の間から茶の間に入る。朝食の用意は既に片付けられて、湯呑を傍らに置いた凍雲が、朝刊に目を通しているところだった。

譲羽
「ぢいぢいっ(ご隠居さん、おはようございますっ!)」

勢いよく頭を下げて、正座の膝元にちょこんと座る。

凍雲
「おはよう、お嬢ちゃん。ずいぶん遅かったの」
譲羽
「ぢぃ(大家さんは?)」
凍雲
「ん? ああ、訪雪なら、つい今し方買い物に出たぞ。戻っ てくるまでうちで待つようにと、お嬢ちゃんに言うておった。いいものを、買ってくるそうじゃよ」
譲羽
「ぢ……(いいもの?)」
凍雲
「ま、請うご期待、といったところじゃな」

帰還

午後、瑞鶴。昼時の混雑を避けたのか、訪雪は少し遅れてやって来た。

訪雪
「や、どうも」
店長
「いらっしゃいませ……あ、小松さんですか。いま花澄を 呼んできます」

作務衣の肩に、大きな袋をかけている。袋が時折、思い出したように動くところをみると、中身は譲羽のようだった。
 程なく花澄が奥から出てきた。訪雪の顔を見るなり、深深と頭を下げる。

花澄
「……散々ご迷惑をお掛けしてしまって済みません」
訪雪
「いや、コトの発端は、私のこの頭ですから。(苦笑)
営業妨害もナンですし、とりあえず話はどこか奥の方で」
花澄
「倉庫で、よろしければ」
訪雪
「私は全然構いませんよ」

店の奥、狭い倉庫の片隅で、訪雪は袋の口を開ける。

訪雪
「ゆずちゃん……連れてきましたよ」

袋の口から覗き込むと、木霊の上目づかいの視線と目が合った。

譲羽
『花澄ぃ……』

いつもなら飛びついてくるところだが、今日は袋に入ったまま、出てこない。

譲羽
『花澄、怒ってる?』
花澄
「どうして、私が怒るの?」
譲羽
『だってゆず、花澄が嫌なのに、髪の毛、茶色にするって 言ったから。駄目って言われて、勝手に、うちからいなくなったから。花澄、いっぱい心配……』
花澄
「もう、いいの」

差し伸べた手に、こんどは素直にしがみついてくる。軽い体を腕の中に抱き取って、何げなく頭を見たところで、花澄はあるものに気付く。

花澄
「……あ。茶色の髪」

譲羽の黒いおかっぱ頭に、栗色の髪をひとすじだけ編み込んだ細い三つ編みが一対、下がっている。苦労の跡のみえるおさげの根元を隠すように留めてあるのは、造花の葉っぱ。

花澄
「あの……この、髪は?」
譲羽
『大家さんが、やってくれたの(嬉)』
訪雪
「クリップで留める偽メッシュです。簡単に取れますよ。
女の子でいっぱいのファンシーショップに入るのと、そいつを髪に編み込むのには、ちょいと苦労しましたがね。
気に入って頂けるかどうかは判りませんが、とりあえず、私にできるのはそんな小細工程度ですので。
本当の解決は、当事者の間で話し合ったうえで、ということになりますか」
花澄
「……本当に、ご迷惑をおかけしました」

もう一度頭を下げた花澄の耳元で、木霊が不安そうにぢい、と鳴いた。

花澄
「え?」
譲羽
『花澄、怒らない、の?』
花澄
「どうして?」
譲羽
『髪、茶色』
花澄
「(苦笑) よく似合ってるもの。ゆずに」

ほっとしたように譲羽が髪から手を放す。

訪雪
「じゃ、儂はこれで失礼します」
花澄
「はい……あ、あの」
訪雪
「は?」

尋ねたいことはあった。ただ、それを譲羽の前で聞く訳にもいかなかった。そして……これは多分、尋ねるべきことでもない。
 何を話したのか。何故、譲羽が茶色の髪にここまでこだわったのか。何故、その理由を自分に言えなかったのか。

花澄
「本当に、有難うございました」

こんな時に言える言葉って少ないのだな、と。内心呟きながら、花澄はもう一度頭を下げた。

花澄
「じゃ、お先に」
店長
「ああ、帰れ帰れ。……っと、木霊は?」
花澄
「寝てる」
店長
「珍しいな。枕が替わると眠れないってか」

ほっとしたせいか、譲羽はレジの椅子の上で丸くなって寝てしまった。小さな体をそっと袋の中に入れて、やはりそっと肩にかける。どこかそろそろとした足取りで、花澄は瑞鶴を出た。
 ほとほとと、足はベーカリーに向かう。足取りは決して軽くない。
 譲羽は大家さんに何を話したのか。自分には、話せないこと。松蔭堂にまで行ってしまった、その理由。ぐるぐると、問いは頭の中を巡る。
 答を知らない訳ではない。……答を、知りたくないだけの話である。

花澄
「……何だか……な」

苦笑だけがこぼれる。そのまま、花澄はベーカリーの扉を開けた。

観楠
「こんばんは」
花澄
「こんばんは。……コーヒー、頂けますか?」
観楠
「はい。っと、ゆずちゃんは?」
花澄
「寝てます(苦笑)」

自分の周りに人は譲羽の姿を探す。いつのまにそのことに馴染んでしまったのか。

豊中
「こんばんは」

ふと声をかけられて、花澄は振り返った。

花澄
「あ、豊中さん……すみません、ぼんやりしてました」
豊中
「そうみたいですね(苦笑)」

何となく、そのまま向かいの席に座る。

居候
『……何か竜巻状態だな、お若いの』
豊中
『全く』

感情の波がぐるぐると渦を巻いている。外に向かわず、内へと落ち込んでゆくような動き。同じリズムで花澄の手が動き、コーヒーをかき回している。

豊中
「……こぼれてますよ」
花澄
「あ」
豊中
「何かあったんですか」
花澄
「……はあ」

苦笑が浮かぶ。それは同時に自嘲でもある。自分は多分、誰かに聞いて欲しかったのだ。……卑怯な話である。

花澄
「ゆずがね、家出したんです」
豊中
「譲羽君が、ですか」
花澄
「もう戻ってきて、今はこの袋の中ですけど。松蔭堂の大 家さんの髪見て、自分も茶色にしたいって言い出して」

本当に、小さな事件、なのだ。

花澄
「どうしてって聞いても、茶色がいいの、としか言ってく れない……本当の理由を言わないもんだから、こちらもつい『知りません』って言ったら……家出しまして」
豊中
「本当の理由?」
花澄
「茶色は木の色。この前兄が、折り紙見ながらそう教えて ましたから」
豊中
「成程」
花澄
「でもゆずは言わない……私が言わせないものだから」

たった一つの事実に目を背けている。それだけで話は、厄介さを増してゆく。

花澄
「譲羽は、木霊。いつかは還る存在で……でも、ゆずはそ う言われるのを怖がってる。だから木の色に染めたいって言えない」
豊中
「と、花澄さんが知っていることを、知らないんですか」
花澄
「ゆずが隠そうとしていることを、気付いたらいけないと 思って……知ってるって、言えなかったんですよね」

茶色の髪がいいと思った訳ではない。でも、木霊がそれにこだわる気持ちはよく分かる。……のに。

花澄
「この前、尊さんに……木霊がゆずに変化したのは多分、 私の影響だろうって言われて……。それじゃいけないって知ってはいるんです。早く返さないと、この子は還れなくなる。それでは困るんです。……なのに」

そこで渦がおこる。譲羽を還すこと。
 淋しいのは承知の上。でなければ、自分は譲羽に、取り返しのつかないことをしてしまうかもしれない。……けれども。
 一旦起こった渦は、澱までもかき立て、かき乱す。いつもは考えずに済むこと、考える必要の無いこと。それら全てが一斉に舞い上がり、目の前にその姿を晒す。
 本当に恐いことは。

豊中
「それで、花澄さんはどう思っているんですか?」
花澄
「え?」

花澄は視線を上げた。

豊中
「花澄さんはどう思っているんですか? 
……考えてはだめですよ。答えはそこにあると思いますが、どうです?」
花澄
「……考えては、だめ?」
豊中
「考えれば、分からなくなるでしょう」

考えるのを止めれば。思考の渦を止めれば。舞い上がった断片を全て静めれば。

花澄
「……答えは、あります……ただ」
豊中
「ただ?」
花澄
「……受けて立つ度胸が、私に無い」

散々かき混ぜたコーヒーを一口飲むと、花澄は立ち上がり、頭を下げた。

花澄
「有難うございます」
豊中
「いえ」
花澄
「……開き直ってきます」

苦笑混じりにそう言うと、譲羽の入った袋をそっと肩にかけて、花澄は席を離れた。

親と子

SE
とととととと……
訪雪
「……ゆずさん?」
譲羽
「ぢいっ!」

昨日の今日。何となくためらいがちに開いた窓から、小さな少女は飛び込んできた。

譲羽
「ぢいぢいっ(喜色満面)」
訪雪
「何か、あったんだね」

訪雪が電話に手を伸ばすのを待ちかねたように、木霊は自分の受話器を取った。

譲羽
『あのね、ゆずね、もう、ゆずじゃないの』
訪雪
「え?」
譲羽
『ゆずだけど、ただのゆずじゃないの』
訪雪
「というと?」

返事の代わりに、譲羽は首にかけられていた細い紐を引っ張り、小さな袋を引きずり出した。中からやはり小さな札を出す。

譲羽
「ぢい」

平塚譲羽。そこにはそう書いてあった。

訪雪
「……そうか」

それが花澄の出した結論なのだろう。嬉しそうに笑った譲羽が、急に真面目な顔になって口を開けた。

「大家さん、本当に有難うございました」

花澄の声が、そこから聞こえる。

「きっかけを下さって、有難うございます。でなければ、 何時までも同じところで躓いていたでしょうから……有難うございます」

ぱくん、と口を閉じると、木霊の少女は晴れ晴れと笑った。

花澄
「……ここ?」
”そう”
花澄
「今、こちらに?」
”今なら”

宮田修理店、の看板を見てから、花澄はそろそろと店の中に入る。

花澄
「こんにちは」

はい、と奥から声があって。

豊中
「……花澄さん?」
花澄
「昨日は有難うございました」

ぺこり、と頭を下げる。

豊中
「よくここが分かりましたね」
花澄
「道案内頼みましたから(笑)」

さわ、と風が吹き、足元の埃を一度舞い立たせた。

花澄
「どうしても、お礼が言いたくて」
豊中
「はい?」
花澄
「昨日は……背中を押して頂きました」
豊中
「……はあ」

昨日の、迷いの表情は、無い。

花澄
「いろいろ考えて、いろいろ恐かったりしたんですけど…… でも、それはやっぱり逃げだったなあ、って。昨日は逃げられなくなりましたから」
豊中
「……それで」
花澄
「ゆずのことは、きっちり引き取ります。もう、親とでも 何とでも言って下さい(苦笑)」
豊中
『親、ねぇ……たしかに親だよな(笑)』
居候
『しかし、なんでおまえんとこに報告に来るんじゃ?』
豊中
『知るかい。俺に聞くなよ(苦笑)』

一晩かかって開き直った結果がそれである。

花澄
「……今だから言えますけど、一番恐かったのは、何時私 自身がゆずを裏切ってしまうんだろう、ってことだったんですよ」

人に頼られることの重さ、恐ろしさ。その重みに耐え兼ねて、放り出したことが、ある。

花澄
「昨晩一杯かかって、その危険性も含めて、ゆずを預かろ うって……ようやく思いました」

だから、有難うございます、と、花澄はもう一度頭を下げた。
 花澄が帰った後。

居候
『なあお若いの、お前さん、なにかあの美人さんに礼を言 われるようなことをしたのか?』
豊中
『さぁ……?  ま、いいだろ。とりあえず、花澄さんの悩みが解消されたみたいだしな』

解説

どこに落ちつくべきかを話を進めながら考察し、本気で悩みつつ書かれた話です。……っと私が書いてたわけではないので断言できませんが、多分そうだと思います。
 疑似家族としての生き方への疑問。本来ならば日常的であるはずもないことが日常になった不安定さ。まさに日常と非日常の二つの世界の狭間を生きる人の戸惑いに焦点をあてた話ではないでしょぅか。



連絡先 / ディレクトリルートに戻る / TRPGと創作のTRPGと創作“語り部”総本部